10月の出来事

第144話 気落ちしたせいではないらしい。(東京五輪延期に伴い改稿しました)

 秋のさわやかな朝。アマアマ部屋の4人は、食堂のいつもの席で「いつも通り」になりつつある形で、一緒に朝食をとっている。


 寮の運動会で僕が両手を骨折してから、1週間が経過した。


 骨折した当日に、自分1人では食事もとれず、トイレで用も足せない事に気付かされ、さらに翌朝には、用を足した後に自分でお尻もけない事に気付かされた。


 それでも何とか生活できたのは、寮のみんながとても親切で、こんな僕を温かく見守り、文字通りに「手を貸してくれた」からに他ならない。


 ポロリちゃんは、朝と夜に僕の服を着せ替えてくれて、寮の玄関と校舎の昇降口では靴の履き替えまで手伝ってくれた。


 ネネコさんは、朝と夜のご飯を食べさせてくれるだけでなく、休み時間や放課後にわざわざ4年生の教室まで、僕が困っていないか何度も様子を見に来てくれた。


 天ノ川さんは、毎朝多目的トイレに一緒に入って僕のパンツを下げてくれるし、僕が干すべき「妹達の洗濯物」も、代わりに全て干してくれた。


 夜には、3人が日替わりで僕の入浴に付き添い、包帯がれないように、両手にビニール袋をかぶせてから体を洗ってくれて、ベッドで眠るときには、僕が風邪かぜをひかないように布団を掛けてくれた。


 教室では、隣の席の大石おおいしさんが教科書を僕に見やすいように広げて、ページをめくってくれて、「遠いとよく見えないから、仕方ないでしょ?」と言いながら自分の座っている椅子いすを、こちらに寄せてくれた。


 部活に顔を出すと、下高したたか部長が、僕が行なうべき発注作業を代わりにやってくれていて、搦手からめてさんは「仕事は私達がやるから、お菓子は全部、先輩のおごりね!」と、いつもより張り切って仕事をしてくれた。


 安井やすいさんは、クラスメイト達から預かってきた僕への見舞いの手紙を2年生代表として読み上げてくれて、リーネさんは僕を励ます為に、今回の運動会で1年生達の間で僕の人気が大きく上昇した事を力説してくれた。


 この1週間を思い返してみると、ありがたい事ばかりである。


 そして、昨日は担任の新妻にいづま先生に、再び車で病院へ連れて行ってもらった。


 僕は、ようやく両手が動かせるようになるのかと期待したのだが、外科の先生からは「順調なようだね。あと1週間、様子を見ましょう」と言われて、包帯を交換してもらっただけで、僕の置かれた状況は今までと何も変わらなかった。


 この両手が使えない状態が「いつも通り」になりつつあるのは、少し辛い。


 非常に恵まれた環境にいて、生活には、ほぼ支障が無くても、まわりから一方的に助けられてばかりなので、たいへん心苦しい状況なのだ。


 ――こんな状態で、あと1週間か。


 気分が落ち込むと、周囲も暗く見えるらしく、今日の食堂はとても暗く見える。

 昨日、病院に連れて行ってもらう前までは、もっと世界が明るかったはずだ。


「ミチノリ先輩、なんか今日はいつもより食堂が暗くね?」

「ネネコさんもそう思う? 実は、僕もなんだけど」


 どうやら、ネネコさんにも食堂が暗く見えるらしい。

 今までは食堂全体が白く、もっと明るかったはずだが、今日はだいぶ黒っぽい。


「あのね、ポロリもそう思うの。みんな白い服を着なくなっちゃったの」

「今日は衣替えの日ですから、私達も部屋に戻ったら冬服に着替えますよ」


 天ノ川さんの言う通り、今日は10月1日だ。


 食堂全体が暗く見えたのは、僕が気落ちしていたからではなく、セーラー服を着ている生徒たちが、みな一斉に、夏服から冬服に衣替えした為らしい。


「もう10月なんですね。半年間、あっという間でした」


 6月から夏服になり、10月から冬服に戻るというルールは中学の時と一緒で、特に違和感はない。だが、僕としては地味で落ち着いた雰囲気の冬服より、明るくてかわいい感じの夏服のほうが好きだったので、かなり残念である。


「そう言えばさあ、ミチノリ先輩の誕生日って、今月じゃね?」

「そうだよ。よく覚えててくれたね」


「お兄ちゃんのお誕生日はね、10月11日……で合ってる?」

「うん、それで合ってるよ。日付まで覚えててくれたんだ」


「えーっ! なんでボクは日付を知らないのに、ロリが知ってるの?」

「言われてみれば、僕は『10月生まれ』としか伝えてなかったよね?」


 たしか天ノ川さんに「甘井さんは何月生まれですか?」と聞かれたから答えただけであって、あのときは誕生月しか、お互いに教えていなかったはずだ。


「そうですね。私も『何月生まれですか?』としか尋ねませんでしたから」

「えへへ、実は、こないだリーネちゃんに教えてもらったの」


 そうか、リーネさんとは、搦手さんのお誕生日のときに、お互いの誕生日を教えあって、部活の先輩後輩として、お互いに祝う約束をしていたのだった。


「ボクたちにはナイショで、リーネにだけ教えるなんてズルくね?」


「いや、それは聞かれなかったから教えていなかっただけであって、別にナイショにしていた訳じゃないよ」


「ふふふ……、甘井さんのお誕生日は『スポーツの日』なのですね」

「あれ? 『スポーツの日』って、今年も7月じゃありませんでしたっけ?」


 たしか「スポーツの日」は去年からの祝日で、7月の下旬だったはずだ。

 東京オリンピックが延期となり、海の日と共に1日早まったはずなのだが……。


「生徒手帳を見て下さい。10月11日は『スポーツの日』で間違いありません」


「ほんとだ! お兄ちゃんのお誕生日は、日付が赤い字なの」

「マジ? ミチノリ先輩の誕生日って、学校休みなの?」

「え? 今年は、10月11日が『スポーツの日』だったんですか?」


 去年も今年も五輪特別措置法とかいう法律で、本当は10月の第2月曜日であるはずの祝日が7月の第4金曜日に移動したと聞いていたが、気のせいだったのか。


「ふふふ……実は、この生徒手帳に限らず、一部のカレンダーでは、10月11日が『スポーツの日』という事になっています」


「『一部のカレンダー』って事は、印刷ミスですか?」


「そうではありません。去年、オリンピックの特別措置法で祝日の移動が決まったのは11月になってからでしたから、それ以前に印刷されたカレンダーは、全てこうなっているはずです」


「それじゃ、世の中は大混乱ですね」

「そうでしょうね。うちの学園でも、去年は大混乱でしたから」


「去年もカレンダーが間違っていたのですか?」


「いえ、去年の場合は、『オリンピックが延期になったのに、休みが1日減るなんておかしい』という声があがりまして……」


「小学校は、もともと夏休みだったから、お休みの日が1日減っちゃったの」


「そうですね。それで、うちの学園では、従来通りに10月の第2月曜日が振替休日になりました」


「つまり、オリンピックに関係なく、10月の第2月曜日は休みなんですね」

「はい。ですから、うちの学園では、10月11日が『スポーツの日』です」


 なるほど。経緯はどうであれ、自分の誕生日が休みなのは、嬉しい事だ。


「ボクは全然知らなかったけど、『スポーツの日』なんて、いつできたの?」

「去年からだよ。一昨年おととしまでは『体育の日』って名前だったからね」


「そんなの、どっちでもよくね?」

「僕もそう思けど、『体育』って言葉は、学校以外では全く使われないらしいよ」

「ふふふ……、そうかもしれませんね」


「お兄ちゃん、お誕生日には、アマアマ部屋の4人だけじゃなくて、リーネちゃんやナコちゃん達も一緒にみんなでお祝いしたいから、予定を開けておいてほしいの」


「ありがとう。楽しみにしているよ。そう言えば、僕もポロリちゃんの誕生日をまだ聞いていなかったけど、たしか3月生まれだったよね? 3月の何日?」


「えへへ、ポロリの誕生日は3月31日なの」

「それは、だいぶ先だね」


 4月3日生まれのリーネさんとは同じ学年でも、ほぼ1歳差か。


「完全に春休み中じゃん!」

「僕は春休み中も寮に残るつもりだけど、ネネコさんも残るでしょ?」

「しょーがないなー、ミチノリ先輩が残るなら、僕も残るよ」


「3月31日は、私たちが101号室に泊まれる最後の日でもありますから、鬼灯ほおずきさんのお誕生日を祝った後は、4人でアマアマ部屋の解散パーティーですね」


 この4人が同じ部屋で暮らせるのも、あと半年限りという事か。


 しかしながら、妹であるポロリちゃんとは来年も同じ部屋のはずだし、天ノ川さんとネネコさんの姉妹とは違う部屋になってもフロアは同じなので、「お別れ」というほど大袈裟おおげさな話ではない。


「天ノ川さんのお誕生日は2月の何日ですか?」

「ふふふ……私は2月2日生まれです」


 ポロリちゃんの誕生日が3月31日で、天ノ川さんの誕生日が2月2日。これは絶対に忘れてはならない日付だ。メモは取れないので脳に保存するしかない。


 ちなみにネネコさんは8月7日生まれで、既に誕生日のお祝いは済んでいる。


「ポロリちゃんのお誕生日が3月31日で、天ノ川さんのお誕生日が2月2日ですね。かなり先だけど、忘れないようにしないと」


「ボクが後で生徒手帳のカレンダーに印をつけといてあげるよ」

「ありがとう。そうしてもらえると助かるよ」


 僕の誕生日である「スポーツの日」までは、あと10日。

 16回目の誕生日にして、初めて親以外の人から祝ってもらえそうだ。

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