第141話 1人では食事も出来ないらしい。

「来週、都合のいい時間で結構ですから経過をさせて下さい。では、お大事に」

「はい。ありがとうございました。失礼します」


 外科の先生との打ち合わせが終わり、待合室へ出る。

 診療費は学園で負担してくれるそうで、新妻にいづま先生が立て替えてくれた。


 新妻先生の車で、帰りも1時間弱。

 寮に戻るころには、外はもう真っ暗で、体操着だとかなり寒かった。


「天ノ川さん、甘井さんの事は任せるけど、何かあったら、いつでも呼んでね」

「はい。1年生の2人にも協力してもらって、3人で甘井さんをサポートします」


「それじゃ、甘井さん、お大事に。今日は早く寝て、ゆっくり休みなさい」

「はい。どうもありがとうございました」


 新妻先生と101号室の前で別れ、天ノ川さんにドアを開けてもらうと、部屋着姿のネネコさんとポロリちゃんが、2人で一緒に迎えてくれた。


「おかえりなさーい!」

「ただいま」

「うわっ! 両手ヤバイじゃん。それで、どうやってご飯食べるの?」


「ご飯は無理だから、今日はゼリー飲料とかかな? それでも誰かに飲ませてもらわないといけないけど」


「ポロリが、おかゆを作ってあげたほうがいいのかなあ?」


「ふふふ……甘井さんは風邪をひかれた訳ではありませんから、私たちが食べさせて差し上げれば、普通の食べ物でも問題はありませんよ」


「みんなを待たせた上に、そこまでしてもらう訳には……」

「それよりさー、ミチノリ先輩は、まず着替えたほうがよくね?」

「お着替えはポロリがしてあげるの。お兄ちゃんは、こっちへ来て!」

「甘井さんが洗面所で着替えられるのでしたら、私はこちらで着替えますね」


 ポロリちゃんに背中を押されて、一緒に洗面所兼脱衣所に移動する。

 天ノ川さんは、ベッドの横で制服から部屋着に着替えるようだ。


 洗面所の鏡に映る自分の姿を客観的に見ると、かなりおかしな格好だった。


 汚れた体操着に、るされた右腕と、ぐるぐる巻きの両手。

 我ながら、かなり痛々しい。


 ポロリちゃんは、僕の短パンを脱がし、スウェットのズボンと替えてくれた。

 部屋着は、あらかじめ僕の引き出しから用意してくれていたようだ。


 上は長そでだが、ゆったりとした服なので、なんとか袖に腕を通すことが出来た。

 その腕を再度首から下げた布に入れて、着替えは完了だ。


「どうもありがとう。大変だったでしょう?」

「ううん。明日の朝もね、ポロリがお兄ちゃんの服を着せ替えてあげるの」


 ポロリちゃんは首を横に振り、僕に少し曇った笑顔を見せてくれた。


「助かるよ。ポロリちゃんは優しいね」

「えへへ。……おてて、早く治るといいね」


 僕はぐるぐるに巻かれた硬い左手で、ポロリちゃんの頭をでてあげた。




「……はい、お兄ちゃん、あーんして」

「あーん」


 食堂では、ネネコさんがカウンターとテーブルの間を2往復して、2人分の定食を運んでくれた。


「……はい、あーん」

「あーん」


 僕は、その定食をポロリちゃんに食べさせてもらっている。


「ポロリちゃんは、自分のご飯を食べないの?」

「ポロリの分はね、後でいいの」


 ポロリちゃんは自分の夕食を食べる前に、僕の分を先に食べさせてくれている。

 食べさせてくれるのはありがたいのだが、なんだか申し訳ない気分だ。

 どうやら、僕が怪我をしたのは自分のせいだと思い込んでいるらしい。


「ごちそうさま。ボクは、もう食べ終わったから、ロリと交代するよ」

「お兄ちゃん、続きはネコちゃんにお願いするね。ポロリもいただきます」


 ネネコさんは先に自分の食事を済ませ、当然のようにポロリちゃんと交代する。

 2人が相談していた訳ではなく、これがロリ猫コンビの絶妙なチームワークだ。


「ミチノリ先輩、あーんして」

「あーん」

「はい、あーん」

「あーん」


 ネネコさんの出す1口の量は多めで、間隔も短く、まるで僕が自分のペースで食べている時のようだった。


「ネコちゃん、すごーい!」


 何事も、ゆっくり丁寧なポロリちゃんは、ネネコさんの手の速さに驚いている。


「ふふふ……家族公認の仲だけあって、私の出番はなさそうですね」


 天ノ川さんからそう言われると少し恥ずかしいのだが、事実なので仕方がない。

 ネネコさん本人は周りからどう見られているか、あまり気にしていないようだ。


「ごちそうさま。2人とも、どうもありがとう」


「えへへ、どういたしまして」

「ボクへのお礼は、手が治ってからでいいよ」

「あはは、ちゃんと覚えておくよ。治るまでは、毎日お世話になると思うけど」


「甘井さん、部屋に戻ったら、寝る前に歯磨きですよ」

「天ノ川さんが磨いてくれるんですか? それは楽しみです」


 普段は食事の後、座談会に移行するのだが、今日は時間が無くて中止となった。


「ミチノリ先輩、その前に、ちょっとトイレに付き合ってよ」


 そして、席を立った直後に、ネネコさんから声をかけられた。


「了解。――天ノ川さんとポロリちゃんは、先に部屋へ戻っていて下さい」


 食堂の奥にもトイレはあり、そこに2人で行くのは今日に限ったことではない。

 女の子同士で一緒にトイレに行くような感覚で僕を誘うのが、ネネコさんだ。

 

 僕をトイレに誘ってくれるような子は、クラスメイトにも部活の後輩にも誰もいないが、それが普通の感覚だと思う。


 ネネコさんは、僕をオトコだと思っていないのだろうか。


「ふふふ……のぞいたりはしませんから、ごゆっくり」

「ネコちゃん、お兄ちゃんをよろしくね」




 トイレに到着してから気付いたのだが、今の僕はドアも閉められないし、ズボンも下ろせない。いったい、どうやって用を足せばいいのだろう。


「誰もいないよね。今のうちじゃん」


 バタン。


「えっ? 同じ個室に一緒に入るの?」

「だって、ミチノリ先輩、おしっこするでしょ?」

「そうだけどさ……ネネコさんはどうする気なの?」

「もしかして、ボクじゃなくて、お姉さまかロリのほうが良かった?」


 そうか。僕がおしっこするには誰かの手助けが必要なのか。

 ここは恥を忍んでネネコさんにお願いするしかなさそうだ。


「たしかに天ノ川さんやポロリちゃんには頼みづらいね。でも本当にいいの?」

「ボクが手伝ってあげないと、ミチノリ先輩が『おもらし』しちゃうじゃん」

「ありがとう。それは助かるよ」

「じゃあさ、ボクが『押さえててあげる』から、ここに立ってよ」


 ネネコさんは、嬉しそうに便座を上げて、僕の背後に回り込む。


「いや、便座は下ろしたままで、パンツを下げてくれるだけでいいから」

「なんで? おしっこじゃなくて、う●ちなの?」

「そうじゃなくてさ、僕は、いつも座ってしてるから」


 もちろん小用便器があるところでは、そちらを使うが、僕は基本的に座って用を足すことにしている。それはトイレを汚さない為で、僕の母からの教えでもある。


「えーっ⁉ せっかくミチノリ先輩が立ちションするとこを見れると思ったのに」

「お嬢様がそんな事を言っちゃダメだって。そんなの見ても面白くないでしょ?」


 僕としては、見られる事よりも「押さえててあげる」のほうが、もっと心配だったのだが、これは聞かなかったことにしよう。


「しょーがないなー」


 ペロン!


 後ろから、スウェットのズボンとパンツを一緒にひざまで下ろされた。

 自分ではパンツを上げられないので、かなり不安である。


 その場で回れ右して、便座に腰を下ろすと、ネネコさんと目が合った。


「ちょっと、向こうを向いていてくれると助かるんだけど……」

「あっ、ごめん。もう見ちゃったけどね」


 どうやらこれは、オムツ交換の仕返しらしい。


 もしかして、治るまでは毎日こんな感じで用を足さないと駄目なのだろうか。

 ネネコさんがいてくれて、本当に助かった。


 用を足し終えたので、立ち上がってネネコさんに背を向ける。


「ネネコさん、パンツを上げてもらっていいかな?」

「ねえ、もし、ボクがこのまま部屋に帰っちゃったら、どうする?」

「怖い事言わないでよ。それこそ、お婿に行けなくなっちゃうから」

「それは平気じゃね? ミチノリ先輩、けっこう人気あるし」

「いや、どう見ても変質者でしょ。この格好で廊下を歩く勇気はないよ」

「しょーがないなー」


 ネネコさんは、僕をからかいながらもパンツを上げてくれたのだが――


「うっ!」


 パンツのゴムが思い切り、僕のおいなりさんに引っ掛かった。

 恥ずかしがって背を向けた事が裏目に出たらしい。


「ごめん、痛かった?」


 ネネコさんは横から顔を近づけて、僕の股間を覗き込む。


 僕の右腕はL字に固定されており、左手はグーのままなので、僕は前を完全に隠す事ができない。


 ネネコさんに見られるのは恥ずかしい事ではあるが、不思議な事に、イヤだとは全く思わなかった。


「僕は平気だからさ、ちゃんとしまって、早く部屋へ戻ろう」

「そうだね。遅くなると、ロリがまた『勘違い』しそうだし」


 ネネコさんは、今度は丁寧にパンツとズボンを穿かせてくれる。

 僕の心は大いにき乱されたが、ネネコさんは案外冷静だった。


「お兄ちゃん、ネコちゃん、おかえり」


 部屋に戻ると、ポロリちゃんが、いつもと同じ笑顔で温かく迎えてくれた。


「ネネコさん、ご苦労様です。――甘井さん、お待ちしていましたよ」


 天ノ川さんは、僕の歯ブラシを用意して待っていてくれたようだ。


「よろしくお願いします」


 洗面台の鏡の前で、僕が大きく口を開けると、天ノ川さんが僕の歯を1本1本、丁寧に磨いてくれる。


 ――そうか。これは神様からの戒めではなく、実はご褒美だったのか。


 歯ブラシの動きに合わせてプルプルと揺れる天ノ川さんのおっぱいを至近距離で眺めながら、僕はこんな事を考えていたのだった。

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