第121話 僕と一緒に行ってくれるらしい。

 8月18日。お盆休みも終わり、今日は寮へ戻る日だ。

 僕は出発の準備を手早く済ませ、ネネコさんの到着を待っている。


 大きなボストンバッグの中には、真冬に備えた厚手のコート。

 制服の上から着る為のものなので、それだけで僕のバッグはほぼ一杯だった。


「ずいぶんと短い夏休みなのね」

「授業は9月からなんだけど、寮での生活が楽しいからね」


 母は心配してくれているようだが、学園では部活や課題など、やりたい事も、やるべき事もたくさんある。


「そう。アンタ、変わったわね。これも、きっとネネコさんのお陰ね」

「ネネコさん以外の人たちにも、いろいろとお世話になってるけどね」


 ――ピンポーン。


「ほら、お待ちかねのネネコさんじゃない?」


「そうみたいだね。

 ――はい」


「ミチノリ先輩? ボクだよ」


 インターホン越しに聞こえる声は、寮で毎日聞いていた声だ。


「ネネコさん、おはよう。すぐに行くから、ちょっと待っててね。

 ――じゃ、母さん、いってきます」


「いってらっしゃい」


 母に挨拶あいさつしてから3階の部屋を出て、エレベーターで下まで降りる。

 女の子が家まで迎えに来てくれるなんて、もちろん初めての事だ。


 エントランスでは、制服姿のネネコさんが、小さな手提げの袋を持って僕を待ってくれていた。


「お待たせ。その袋は?」

「パパが『ミチノリ先輩に渡すように』って」


「僕に? お土産みやげのお菓子とか?」

「さあね。ボクがいろいろとおごってもらったから、そのお礼じゃないの?」


「お礼だなんて、逆に申し訳ないよ」

「まあいいから、受け取ってよ。寮に帰ってから開けてみればいいじゃん」


「ありがとう。そうさせてもらうよ。じゃ、行こうか」


 僕はネネコさんから袋を受け取って、自分のバッグに入れ、2人で駅へ向かう。


「歩きながらでいいから聞いてよ。この前、うちで家族会議があってさあ」

「家族会議? ネネコさんの家では、そんなのがあるんだ」


 言葉自体は聞いたことがあるが、僕の家にはそんな習慣はない。


「議題は『ミチノリ先輩とボクが付き合ってもいいかどうか』だってさ。ボクのパパ、ふざけてるよね。今までボクはトラジの友達とかともよく遊んでたのに、なんでミチノリ先輩とは遊んじゃダメとか言い出すんだろう?」


 小学生同士の場合、異性と遊んでも「ただの友達」で済むのだろうが、女子中学生と男子高校生が遊ぶのは、周りから見れば「男女交際」だ。ネネコさんに自覚がなくても、これは仕方がない。


「それは、ネネコさんがオトナとして認められた証拠なんじゃないの? ネネコさんも、もう中学生だし、僕だって高校生なんだから、お父様は心配するでしょ?」


「ミチノリ先輩は、ボクと遊べなくなってもいいの?」


「良くはないけど、ネネコさんのお父様が反対してるなら、学園の外で会ったり、連絡を取り合ったりは、しないほうがいいと思うよ。寮では同じ部屋なんだから」


「そっか、パパは寮には入れないもんね」

「それで、結論はどうなったの?」

「賛成3、反対1で付き合ってもいい事になったよ。反対はパパだけだった」

「それは良かった。でも、お父様には、なんか申し訳ない気がするよ」


 お盆も休まずに働いて育てた大切な娘の男友達が、将来有望な男ではなく、誰かに養ってもらおうとたくらんでいる男だなんて、本当に申し訳ない。


「トラジがミチノリ先輩の事、気に入っちゃったみたいでさ、ミチノリ兄ちゃんとか言い出しちゃって。ママは喜んでたけど、パパがもっと怒っちゃった」


「それは多分、ネネコさんがトラジ君に、僕の『良い情報』しか伝えていないからでしょ? 僕だって、トラジ君の『良い情報』しかネネコさんから聞いてないし」


「だって、悪口言ったら自慢話にならないじゃん」

「べつに僕を自慢してくれなくてもいいんだけど……」


「ママなんか『いい事教えてあげる』とか言って『オトコの人は一緒に行きたがるから、できるだけ一緒に行きなさい』だってさ。そんなの当たり前じゃね?」


「それで、今日は僕と一緒に行ってくれるんだ?」


「もし一緒に行けないときは、一緒に行くふりをしてあげたほうがいいんだって。ママもおかしいよね? それって、ただの迷惑行為じゃん。あと、黙ってるより、声を出した方がいいんだって」


「約束をすっぽかすのはどうかと思うけど、会話が無いのは、きついかもね」




 ネネコさんとおしゃべりしながら、紐北沢ひもきたざわの駅のホームに到着。


 最初に来た電車が地下鉄直通の電車だったので、今日は先週とは違うルート――少し時間は掛かるが運賃が安いほうのルート――で目的地へ向かう事にした。


「乗り換えのときは起こしてね」


 クーラーの効いた電車の中で、ネネコさんは僕に寄りかかったまま、かわいい猫のような寝顔を見せてくれた。






 僕達が「ぽろり食堂」に到着したのは、午後1時半頃だった。


「いらっしゃいませ。ご予約の2名様、こちらへどうぞ」


 ネネコさんと店内に入ると、エプロン姿のジャイアン先輩に1番奥のテーブル席に案内された。他のお客さんはカウンター席に数人いるだけで、もうお昼のピークは過ぎているようだ。


 4人掛けのテーブルには、既に天ノ川さんとポロリちゃんが並んで座っており、こちらに笑顔を向けてくれている。ネネコさんと僕の席には「ご予約席」と書かれたプレートが置かれていた。


「お姉さま⁉」


 ネネコさんは、天ノ川さんがここにいる事に驚いている。

 僕が伝えていなかったから当然か。


「ふふふ……ネネコさんは、しばらく見ないうちに大きくなりましたね」


「天ノ川さん、それはないと思いますよ。たった1週間ですから」

「ボク、3日前にも、ママのママから同じこと言われたよ」


 1年ぶりに会ったおばあ様ならば、そう思ったとしても不思議ではないが、天ノ川さんの場合、たったの1週間だ。


「でもね、ポロリもそう思うの。ネコちゃん、前よりおっきくなった気がする」

「ほら、鬼灯ほおずきさんもそう思うのですから、きっと間違いないはずですよ」


「そうですか? 僕は全く変わってないと思いますけど」

「ロリが縮んだだけじゃね?」


「縮んでないよぉ! ネコちゃんとお兄ちゃんが大きくなったの!」

「えっ? 僕もなの?」


「ふふっ、ミチノリくんは科学部の見学に来てくれたときと比べると、だいぶ背が伸びたんじゃない? 試しにミユキと比べてみなよ」


「甘井さん、これでどうですか?」


 ジャイアン先輩に肩を叩かれた天ノ川さんが、立ち上がって僕の横に並び、僕の顔をじっと見ている。ほぼ同じだったはずの目の高さが、今では天ノ川さんを見下ろしているような気がする。


「これって、靴を変えた……とかじゃないですよね」


 ポロリちゃんも立ち上がって、ネネコさんの隣に立つ。


「ネコちゃんとポロリも、少し差が広がった感じがするでしょう?」


 身長差は10センチ近くもある。確かに差は広がっているようだ。


「マジ? やっぱ、ロリが縮んでる気がする」

「いや、ポロリちゃんは、もともと小さくてかわいいから」

「えへへ、だからね、2人とも背が伸びたんだよ」


 僕はネネコさんと顔を見合わせるが、相対的には全く変わっていない気がする。

 ネネコさんと僕は、どうやら同じくらいのペースで成長しているようだ。


「はい、4人とも座って、座って。今日のお勧めは『冷や麦ランチ』だよ」


 ジャイアン先輩のお勧めは、涼しそうなランチだった。


「では、それを4人前……でいいですか?」


「ボクはミチノリ先輩と一緒のやつにするよ」

「私は、部長には逆らえませんから」

「冷や麦ランチは、ポロリもお薦めなの」


 どうやら異存はないようだ。


「『冷や麦ランチ』4人前でお願いします」




「冷や麦ランチ」の見た目は「冷やし中華」みたいで、焼豚、きゅうり、トマト、玉子焼きなどがトッピングされているが、「冷やし中華」とは違って黄色い麺ではなく、白い麺だった。麺の太さはうどんより細く、そうめんよりは太い。


 夏季限定メニューらしく、暑ければ暑いほど食べたくなるような味だ。

 具沢山なので、腹持ちもよさそうだった。


 これで、お値段は380円なのだから非常にお得である。これなら、今日のお昼の予算に先週のお昼代のおつりと、今日電車賃を浮かせた分を加えれば4人分を僕1人で支払える計算になる。


 僕は、4人分の合計1520円をジャイアン先輩に支払おうとしたのだが――


「甘井さん、お気持ちはありがたいのですが、半分は私が持ちますよ」


 天ノ川さんが、760円出してくれた。


「いえ、誘ったのは僕ですから、ここは僕が持ちますよ」

「それなら、せめて自分の分だけでも……」


「ふふっ、じゃあ、こうしたらどう? ミチノリくんの分は、ミユキのおごり。ネネコちゃんとポロリちゃんの分は、ミチノリくんのおごり。ミユキの分は、私がおごるから。それでいいでしょ?」


「はい。部長のおごりという事でしたら、遠慮なく頂きます。それなら甘井さんにも日頃のお礼ができますし」


「えへへ、お兄ちゃんにランチをおごってもらっちゃったの」

「ボクは3日前から、おごってもらう約束してたけどね」


 なるほど。実際は僕がネネコさんにおごってあげただけで、天ノ川さんが自分の分を払って、ジャイアン先輩がポロリちゃんの分を払っているのと同じなのだが、言い方を変えるだけで全員が得をしたような気分になれるわけか。


「天ノ川さん、ごちそうさまでした」

「ふふふ……どういたしまして」


 さすがジャイアン先輩だ。

 これは僕には真似まねできない高等テクニックな気がする。

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