第116話 電車は1時間に1本だけらしい。

 ポロリちゃんと一緒にバスから降りると、先に降りたお嬢様方の集団の中から、エプロン姿の小柄な女性が近づいて来た。


 長い髪をツインテールにした、その女性は、発車するバスの運転席に向かって手を振りながら見送った後、こちらに笑顔を向ける。


「ポロリちゃん、おかえり!」


「トモヨお姉ちゃん、ただいまー!」

「ジャイアン先輩、お久しぶりです」


 ジャイアン先輩こと心野こころの智代ともよ先輩。今は工口こうくち智代先輩なのだろうか。

 僕がこの先輩と会うのは1か月ぶりくらいだ。


「ふふっ、相変わらず、兄妹仲良しだね」


「えへへ、でも今日でしばらくお別れなの」

「会えないのは、たった1週間だけどね」


 つい強がりを言ってしまったが、依存の度合いは多分僕の方が上だ。


「ミチノリくん、今日から1週間は、私がポロリちゃんを守るから、安心して」

「よろしくお願いします」


 僕には「お姉さま」がいないが、もしいたらこんな感じだったのだろうか。

 とても頼もしい感じだ。ジャイコさんがちょっと羨ましい。


「でも、よかった。バスが無事で」

「コウクチ先生は安全運転ですから、心配ないと思いますけど」


 やはり、旦那だんな様が運転手だと事故が心配なのだろう。

 駅と学園の間はずっと坂道でカーブも非常に多いので、分かる気がする。


「今日の運転で事故ったら、半分は私のせいだから」


 昨晩一緒にお酒でも飲んだのだろうか。いや、ジャイアン先輩は、まだ18歳だし、コウクチ先生もお酒は飲まないとポロリちゃんから聞いた気がする。


「ふふふ……あまり無茶をなさらないでくださいね。コウクチ先生は、目の下にくまが出来ていらっしゃいましたから」


 天ノ川さんは状況を理解しているようだ。

 なるほど、コウクチ先生の目の下の隈の原因がジャイアン先輩というわけか。


「お姉さま、無茶って何の事? なんで事故ったらジャイアン先輩のせいなの?」


 ネネコさんは、全く分かっていないらしい。


「ネコちゃん、そんな事ここで聞いちゃダメだよぉ!」


 ポロリちゃんは、ここでも空気を読んでいるようだ。


「きっと、いろいろとあるんだよ。オトナの事情が」


 ネネコさんは納得がいかない様子だが、ポロリちゃんは望み通り、イトコに早く会えそうな感じだ。






「ネコちゃん、またねー」


 笑顔のポロリちゃんに、ネネコさんも笑顔で手を振っている。

 ポロリちゃんと大間おおまさんは地元民なので、ここでお別れだ。


 ここから、さらに電車に乗る僕たちは、駅の改札を通った。


 近場の温泉街に住む百川ももかわ3姉妹と福島県民の信楽しがらきさんは僕達と反対側の下りホームに。下高したたか先輩は、温泉街で婚約者と会うらしく、同じく反対側のホームだ。


 僕と同じ上り電車に乗るのは、天ノ川さんとネネコさん。管理部の3名も同じ方向だが、住んでいるところは見事にバラバラだった。


 天ノ川さんは千葉、ネネコさんは神奈川、搦手からめてさんは群馬、足利あしかが先輩が一番近くて、県内。この中で都民は安井やすいさんと僕だけで、どちらも漢字3文字の区だが、安井さんは東の端のほうで、僕の家は西の端の方だ。


 電車は1時間に1本しかなく、次の電車の到着までには、しばらく時間があるので、ホームで適当におしゃべりして電車の到着を待つ。


 部活中は馴れ馴れしい感じの搦手さんがやけに大人しいので、僕が理由を聞くと「なんでもない」といいながら、天ノ川さんの胸をチラチラと見ていた。


 どうやら搦手さんは、この格差社会に不満を感じているようだ。


 安井さんは、ネネコさんに対しては先輩として普通に会話をしていた。

 僕に対するあのしゃべり方は、おそらく中二病と呼ばれる症状の一種だろう。


 足利先輩と天ノ川さんは、3年以上も同じ寮に住んでいるだけあって、かなり親しそうである。


 20分ほど経過し、上りの電車が先に到着したので、電車に乗り込んでから下りホームの仲間にみんなで手を振る。百川3姉妹は3人とも体型が全く同じで、まるで3つ子のようだった。


 4両編成の電車の車内は予想以上にいており、会話の相手と一緒に2人ずつ並んで座る。足利先輩と天ノ川さん、安井さんとネネコさん、搦手さんと僕だ。


 こういう場合は、いまだに「偶数で良かった」と思ってしまうのだが、考えてみれば奇数の場合は3人で一緒に座ればいいだけの事だ。


「先輩って、どうしてうちの学園に編入したの?」

「中学で担任の先生に勧められて。東京の高校には通いたくなかったからね」


 搦手さんとの会話は、ほぼ搦手さんから僕への質問なので、とても気楽である。

 答えにくい質問もいくつかあったが、できるだけ正直に答えてあげた。






「カンナちゃん、次の駅ですよ」

「はーい、分かってまーす!」


 搦手さんからの質問攻めが弱まった頃に、足利先輩から搦手さんに声が掛かる。

 程なくして電車が止まり、足利先輩と搦手さんは席を立った。


「私たちはここで降りますので、みなさんお気をつけて」

「ダビデ先輩、またねー」


 足利先輩と搦手さんは、この駅で乗り換えなので、軽く手を振って見送る。

 県名と同じ駅名だが、県庁所在地はここではない。


 2人を見送った後、天ノ川さんが席を立って、僕の隣の席に腰を下ろす。


 今まで搦手さんが座っていた場所に天ノ川さんが座ると、まるでそちらの方角を塞がれたように視界が狭くなった。搦手さんとは胸の厚みと迫力が違いすぎる。


「ふふふ……どうかなさいましたか?」


 これは「改めてその大きさに感動しただけ」であって、決してやましい事ではない。それに、天ノ川さんが僕の視線にすぐに気付いてくれるのはいつもの事だ。


「天ノ川さんと隣同士に座るのは久しぶりですね」

「そうですね。4年生の教室では、ずっと隣の席でしたから」

「授業中でも困った時はいつも助けてくれて、本当に助かりました」

「ふふふ……それはお互い様です。ところで2学期の座席はどうしましょうか?」

「『どうしましょうか?』とはどういう意味ですか?」


「ただの『根回し』です。甘井さんがどの席を選んでも、私は甘井さんの前後左右のいずれかの席を選ぶことが出来ますから」


 なるほど。次の席替えでは、1学期の期末試験で学年トップだった僕が好きな席に座り、次に2位の大石さん、続いて3位の横島さん、そして4位の天ノ川さんの順に選ぶことができる。


 大石さんはおそらく1学期と同じ席を選ぶだろうから、僕と横島さんがどの席を選んだとしても天ノ川さんは僕の前後左右の席を選ぶことができるという事か。


「それは天ノ川さんの権利であって、僕の権利ではないような気がしますけど」


「権利の濫用は政治家を目指す者にとっては、好ましい事ではありませんし、あまり近すぎるとご迷惑かな……と思う事も多々ありますから」


「迷惑だなんてとんでもないです。僕が後から選べる立場だったら、迷わず天ノ川さんの隣の席を選ぶと思います」


「それは『私が嫌がったとしても』……ですか?」


「えっ? いや、たしかに、それは困りますね……」


「ふふふ……ただの冗談です。甘井さんのお言葉に甘えて、2学期は好きな席を選ばせていただく事にします」


 天ノ川さんと話をすると、僕の気付いていなかった事に気付かされる事が多い。きっと天ノ川さんの目には、僕には見えていないところまで見えているのだろう。






「ミチノリ先輩、ボクは次で乗り換えるけど、先輩はどうするの?」


 足利先輩達と別れてから30分ほど経った頃、ネネコさんに声を掛けられた。


 ここから僕の家に帰るルートはいくつかあって、最も早く家に着くと思われるのが、ネネコさんの提案するルートだが、運賃は割高だ。


 終点まで乗って、天ノ川さんたちと同じ電車で帰る方が運賃は安いが、そちらのルートは遠回りである分、少し時間が掛かる。


 どちらも一長一短で、ここは悩みどころではあるのだが、今の状況に限っては、僕の答えはもう決まっていた。


「僕も一緒に降りるよ。ネネコさん1人じゃ、退屈でしょ?」


「ボクは、べつに1人でも平気だけどさ。ミチノリ先輩が、ボクと一緒に帰りたいなら、それでもいいよ」


 もし、これが本音ならば「先輩はどうするの?」なんて聞いてこないはずだ。

 これは、天ノ川さんと安井さんへの照れ隠しだろう。


「ふふふ……甘井さん、妹をよろしくお願いします」

「ダビデ先輩、ネネコさん、お気を付けて」


 天ノ川さんは、なぜか嬉しそうだ。

 そして、今日の安井さんは、少し大人びて見える。


「天ノ川さん、安井さん、また来週、学園で」

「お姉さまもアイシュ先輩も、ありがとね」


 こうして、僕はネネコさんと一緒に電車を降りた。

 家までの道程みちのりは、まだ半分くらいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る