第117話 意外と近くに住んでいたらしい。

 ネネコさんと一緒に、長いホームを出来るだけいている場所まで歩く。


 ホームに電車が到着すると、手ぶらのネネコさんはサッと電車に乗り込み、日の当たらない席を2人分確保してくれた。15両編成の長い列車で、中ほどの車両は乗客も多いようだが、ホームの端の方から乗ると、だいぶ空いているようだ。


「ボクがこっちで、ミチノリ先輩はここね」

「ありがとう」


 頭上の網棚にバッグを乗せてから、ネネコさんの右隣に座る。


 自室では左隣、食堂では右隣。ここ数か月間、僕は何度もネネコさんの隣の席に座っているが、公の場で並んで座るのはこれが初めてだ。


 しかも、電車の座席は隣との間隔がないので普段よりも距離が近い。

 僕はここでネネコさんと何を話すべきだろうか。


 少し期待しながら、そんなことを考えていたのだが――


「それじゃ、ボクは寝てるからさ、着いたら起こしてね」


 ネネコさんは僕の悩みをあっさりと解決し、そのまま目を閉じた。


 ――まあ、そんなものか。ネネコさんだもの。


 僕はかわいい後輩の寝顔を見守りつつ、窓の外の景色でも見る事にした。


 無防備に目を閉じているネネコさんの髪からは、いつもよりいいにおいがする。

 この香りは……さっき僕の隣に座っていた天ノ川さんと同じ香りだ。






「ネネコさん、僕は次の駅で降りるよ」


 僕の体に寄りかかって眠っているネネコさんに声を掛けると、ゆっくりと目を開けて、まだ眠そうに目をこする。名前の通り、かわいい子猫みたいだ。


「……もう着いたの? ボクもここで降りるよ」


 ようやく都庁の見える駅に到着した。朝9時半に学園を出たのにも関わらず、もうお昼をとっくに過ぎてしまっている。


 ネネコさんと一緒に電車から降りた後は、人の流れに逆らわないように、上りのエスカレーターに乗ってホームから脱出する。


 僕の家は、ここから更に違う電車に乗り換えて10分ほどの場所だ。


「僕は、こっちの電車に乗り換えだけど、ネネコさんは?」

「あれ? ミチノリ先輩も同じ電車なんだ。どこの駅で降りるの?」


 ネネコさんの家は神奈川と聞いていたが、僕と同じ電車に乗るらしい。

 同じ改札を通り、並んで階段を降りてホームへと向かう。


「僕の家は紐北沢ひもきたざわだけど、ネネコさんは?」

「ボクは婿ヶ丘むこがおか遊園」


 婿ヶ丘遊園か。母から聞いた話によると、僕が生まれる以前に遊園地は閉園してしまったそうだが、なぜか駅名だけは、ずっとそのままらしい。


「けっこう近いね。急行なら3駅か4駅くらいじゃなかった?」


「そうだね。ねえ、ミチノリ先輩は、この後ヒマでしょ? だったらさ、ボクを案内してよ。一緒にヒモキタで降りるから」


「えっ? べつにいいけど、僕なんかと一緒でいいの?」


「1人で行っても面白くないじゃん。それに、ボク、どこにどんなお店があるか知らないし」


 それは、僕と一緒なら面白いという意味なのだろうか。お店ならスマホさえあれば検索できると思うが、ネネコさんはスマホを持っていなかった。


「そういう事なら、喜んで案内するよ」


 ホームには既に急行の電車が来ていたので、一緒に乗車する。


 これって、もしかして僕の人生初のデートなのだろうか。

 ポロリちゃんと一緒に薬局に行ったのは、デートに含まれるのだろうか。


 いている席に2人で並んで座りながら、僕はそんなことを考えていた。


「ミチノリ先輩が、そんなオシャレな場所に住んでるとは思わなかったよ」

「オシャレなのかな? ゴチャゴチャしていて、がっかりすると思うけど」


 店が多くて便利ではあるが、人も結構多いので、僕の好きな場所ではない。


「そうなの? それじゃ、やめといたほうがいいかな?」

「えっ?」

「あれ? 今、ミチノリ先輩、ちょっとがっかりした顔しなかった?」

「そりゃあね……家に戻っても特にする事ないし」


 ネネコさんは、僕のがっかりした顔を見てご機嫌な様子だ。これは、ただ僕の反応を探っただけで、もともと取り消すつもりなんて全くないのだろう。


「電車、すいてるね……」

「お昼過ぎだからね……」


 電車が動き出し、会話が途切れる。


 いつも一緒にいて馬鹿な会話をする仲ではあるが、ネネコさんも寮の外では普段よりだいぶ大人しい感じだ。まるで、上品なお嬢様のように、そろえたひざを僕の方に向けている。これなら、前の席に座る人にパンツを見られる心配もないだろう。




「ミチノリ先輩! ここで降りるんでしょ?」

「あ、ごめん、もう着いてたんだ」


 急行の2駅目でネネコさんに肩を叩かれ、慌てて電車から降りる。

 当然ネネコさんも一緒だ。


 地下のホームには長い上りエスカレーターがあり、ネネコさんが先に乗る。1段上に乗っているネネコさんが振り返ると、目の高さはちょうど僕と同じだった。




「じゃあ、まずはミチノリ先輩の家からね」

「いや、うちは狭いし、親もいるから……」


 改札を出て、ネネコさんが最初に行きたがったのは僕の家だった。家といってもマンションの3階にある部屋で、自分の部屋すらない狭い場所だ。とてもネネコさんをご招待できるような家ではない。


「荷物を先に置いたほうがいいでしょ? もしかして、エロい事でも考えてる?」

「ああ、そういうことね。もちろん、エロい事は全く考えてないよ」


 ネネコさんは手ぶらだが、僕は大きなバッグを持っている。

 電車の中で綺麗きれいな膝に見蕩みとれてしまっていた事は、ネネコさんにはナイショだ。


「ミチノリ先輩んは、ここから近いんでしょ?」

「徒歩3分くらいかな。それでもよければ先に荷物を置かせてもらうよ」


「そんな大きなバッグ、かわいいボクとのデートには邪魔だもんね?」


 ネネコさんは僕の顔を下からのぞき込んでキバを見せるようにニヤリと笑う。それを自分で言うのはどうかとも思うが、実際にそうだから僕には反論できない。


「あはは、たしかにそうだね」


 少し歩くと、すぐに目的地に到着した。


「こんなカッコいいマンションに住んでるの? すげー、オートロックじゃん!」

「いや、オートロックなんて別に珍しくないでしょ?」


 僕はそう言いながら自室の番号を入力し、呼び出しボタンを押す。


「はーい」

「ただいま帰りました」

「あら、おかえりなさい」


 ――カチャ。


 母がロックを解除してくれた。

 誰もいなくても、もちろんカギは持っているのだが。


「じゃ、荷物置いてくるから、ちょっと待っててね」

「何それ? ボクの扱いひどくね?」


 ネネコさんは露骨に嫌な顔をして、不満を口にした。


「もしかして、部屋まで来たいの?」

「友達なんだから、あいさつくらいさせてくれたっていいじゃん!」

「ごめん、それもそうだね。部屋まで案内するよ」


 ネネコさんと一緒にエレベーターに乗る。ネネコさんは不機嫌なままのようで、ずっと黙っており、非常に気まずい。


「ここだよ」


 ――ガチャ。


「ただいまー」


 ドアを開けて、中に向かって挨拶あいさつすると、すぐに母が出迎えてくれた。


「おかえり。どうしたの? そんなとこに立ってないで中に入ればいいのに」

「今日は連れがいるからさ……、寮のルームメイトなんだけど」


 僕は緊張しながらネネコさんを母に紹介した。

 友達を家に連れて来たのは、もちろん生まれて初めてだ。


「えーっ! ミチノリが初めてお友達を連れて来たと思ったら、こんなにかわいいお嬢様なの?」


 母は白目をむくほどの勢いで大きく目を開けて驚いている。僕自身も、こんなにかわいい友達が出来るなんて思っていなかったのだから、無理もないだろう。


「1年生の蟻塚ありづか子猫ねねこです。ミチノリ先輩には、いつもお世話になっています」


 ネネコさんは「いったいこの人は誰だろう」と思ってしまうくらいに丁寧に挨拶し、最後にゆっくりと頭を下げた。これには僕も驚きだ。


「いえいえいえ、こちらこそ。ミチノリの母です。ミチノリがいつもご迷惑かけているんでしょう? ありがとうございます。これからもどうぞ、ミチノリをよろしくお願い致します」


 母は涙目だった……というか、完全に泣いていた。僕が今までどれだけ母に心配をかけていたのかが、はっきりと分かり、とても申し訳なく思った。


「……ミチノリ先輩のお母さん、何で泣いてるの?」

「……ネネコさんの挨拶が完璧だったからだと思うよ」

「……お姉さまに教わったとおりにやっただけなんだけどね」

「……それにしてもすごいよ」


 天ノ川さんに教わったことを、ぶっつけ本番で完璧にこなせるところがネネコさんの凄いところだ。もし僕がネネコさんの家族に挨拶をする事になったとしても、きっとこんなに上手うまく挨拶できないだろう。


「ごめんなさい、あんまり嬉しかったものだから。さあ2人とも中に入って」

「お邪魔しまーす」


 母に促され、2人で部屋に入る。

 LDKではなくDKなので、キッチン前の空間は寮の部屋よりも狭い。


「はい、ネネコさん、どうぞ」


 母がネネコさんに麦茶をれてくれた。


「ありがとうございます。いただきます」


 ネネコさんの機嫌も良化しているようだ。


「荷物を置いてくるから、ネネコさんは、ここでちょっと待っててね」


 僕は奥の部屋にバッグを置き、スマホを充電する。


「ミチノリ、ちょっと」

「はい」

「2人ともお昼はどうしたの?」

「まだだけど」

「なら、これで2人で食べなさい」


 僕は母から千円札を2枚渡された。

 1人千円の予算なら、ランチ代としては多すぎる金額だ。


「こんなにいいの? ありがとう」

「ちゃんと2人分払うのよ」

「もちろん」


 僕は受け取ったお金を財布に仕舞った。着替えようかとも思ったが、ネネコさんがセーラー服なのだから、僕も制服のままのほうが自然だろう。


 それに「制服のまま外食してはいけない」という決まりも無い。


「お待たせ。それじゃ、行こうか」

「そうだね。――お母さま、麦茶、ごちそうさまでした」


「まあ……なんて上品なお嬢様なのかしら……ミチノリ、失礼のないようにね」


 母は嬉し泣きしながら僕たちを見送ってくれた。


 天ノ川さんに鍛えられたネネコさんは、上品なお嬢様を見事に演じきったのだ。「猫を被る」という言葉があるが、まさにこの事だろう。


「お母さま……か、あれも天ノ川さんに教わったの?」


「うん、誕生日にお姉さまからもらった本に書いてあった。『おばさん』って言うのは失礼だから、絶対に言っちゃだめなんだって」


「なるほどね、どうもありがとう。ネネコさんのお陰で親孝行できた気がするよ」

「ボクもあんなに喜んでもらえるとは思わなかったけどね」


「お昼どうする? ネネコさんの行きたいところに案内するよ」

「どんな店があるの?」


「女の子が入りたがるような、おしゃれなお店はよく知らないけど、普通の飲食店なら結構知ってるよ。中華料理屋、そば屋、牛丼屋、カレー屋、パスタ屋、さすがに焼肉屋はこの時間だとまだ開いてないし、予算オーバーだけど」


「焼肉屋はダメかあ……なら牛丼屋に連れて行ってよ。パパに何回か連れて行ってもらった事があるけど、ママが行きたがらないから」


 牛丼屋か。ネネコさんは肉が大好物なので、予想通りといえば予想通りだが。


「まあ、家族で行くようなお店じゃないからね。それじゃ、牛丼屋に案内するよ」


 中学生のお嬢様が行くようなお店とも思えないが、本人が希望しているし、僕と一緒なら特に問題はないだろう。

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