第103話 成績が落ちても仕方ないらしい。

 昼食の後は特に予定も無かったので、食堂で冷たい麦茶を飲みながら大石おおいしさんたちと雑談をして、しばらく時間をつぶす。その後は、101号室に戻って体操着に着替えてから、管理部の部室に顔を出すことにした。


 寮を出る前に102号室に寄ってリーネさんを誘う事も考えたが、勇気が足りずに断念。学年トップから5位以下に落ちてしまったリーネさんに、僕は何て声を掛けてあげたらいいのか分からず、うろたえてしまうのがオチだろう。


 売店には5~6人くらいのお客さんがいて、管理部の部員は売り場には誰もいなかった。売店のレジはセルフレジであり、商品に関する問い合わせもほとんどないので、商品の補充さえしておけば、接客係が常に売り場に出ている必要もない。


 売店の奥の「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたバックルームのドアを開けて中に入る。ここが管理部の部室である管理室だ。


「おはようございます」


 昼でも夜でも「おはようございます」というのが、ここでの慣例らしい。


「おはよ」

「ダビデしぇん輩、おはようございましゅ」


 搦手からめてさんと安井やすいさんがこちらを振り返り、挨拶あいさつを返してくれた。


 休憩用の長いテーブルには席が6つあり、どこに誰が座るのかはだいたい決まっていて、手前の左側が搦手さんで、手前の真ん中が安井さん。


 2人とも制服姿だが、ただテーブルに向って座っているだけで、特に何かをしていたわけでもなさそうだ。とりあえず僕も自分の席に座り、仲間に加わる。


 僕が座る席は、奥の右側。搦手さんとは対角に位置する席だ。


「こんなところで2人で何をしてたんですか?」


「今日はちょっと食べ過ぎちゃって……」

「アイシュもお腹いっぱいでしゅ」


「食休み中でしたか」


「たくさん食べないと夏バテしそうでしょ? そんな事より、学年トップおめでとう。中間試験の時はたまたまかと思ってたけど、ダビデ先輩って、ホントにアタマ良かったんだね。普段の先輩はどちらかというと鈍臭い感じなのに」


「カンナしゃん! しぇん輩になんて事を!」


「まあ、自分でも鈍臭いとは思っています。僕は搦手さんと違って要領がよくないですし、手先も不器用ですから」


「それでも学年トップなんでしょ? 何かコツとかあるの?」

「アイシュも知りたいでしゅ」


「特にないですよ。ただ僕はオトコですから、その分有利だとは思いますけど」


「どのあたりが有利なの?」


「何よりも、体力的に有利ですし。環境にも恵まれていますし。あとは、カッコ悪いところを見せたくないって気持ちが、女性よりは強いのだと思います」


「そっか。私は今回2位が取れたけど、アオイちゃんには勝てる気がしないし、勝ちたいとも思っていないからか」


 アオイちゃんとは、学年1位の羽生嵐はぶらしあおいさんの事だ。3年生なので顔は覚えているが、非常に無口な人で、僕は「ごきげんよう」以外の言葉を聞いた記憶が無い。


 授業以外で顔を合わせたこともなく、寮で見かけた記憶すらない。


「アイシュも、チカナしゃんには、かなわないのでしゅ」


 チカナしゃんとは、2年生でトップの浅田あさだ千奏ちかなさんの事だ。安井さんは浅田さんと仲が良いらしく、よく一緒にいるところを見かける。


「そういえば、今回はおふたりとも学年2位でしたね。3年生も2年生も、トップはいつも同じ人なんですか?」


「アオイちゃんは、去年もトップだったよ。部活にも入らないで、ずっと部屋に引きこもって勉強ばっかりしているみたい」


「チカナしゃんは、毎あしゃ元気に早起きして勉強してましゅ」


「どちらも勉強熱心なタイプですか。それは強敵ですね」


 4年生だと大石さんが似たタイプかもしれない。


「アオイちゃんが敵ってわけじゃなくて、私の場合、お姉さまが首席だから、あまり酷い成績だと恥ずかしいってだけなんだけどね」


「チカナしゃんは、お姉しゃまも学年トップでしゅ」


 浅田さんのお姉さまも学園トップなのか。浅田さんは2年生だから、お姉さまは5年生。ということは、つまり――


「浅田チカナさんって、もしかして升田ますだ先輩の妹さんなんですか?」 


「しょうでしゅよ」

「先輩、もしかして知らなかったの?」


 全く知らなかったので驚きだ。升田先輩から妹さんの話をされた事は一度も無いし、今までに2人が一緒にいる所すら見たことがなかった。


「今初めて知りましたし、今まで全く気づきませんでした」


 升田先輩が教えてくれなかったのは、おそらく僕が聞かなかったからだろう。もしかしたら、当然知っているだろうと思われていたのかもしれない。この学園にもだいぶ馴染なじんできたが、まだまだ僕の知らない事実もたくさんあるようだ。




 ――トントントン。雑談中に部室の入り口のドアをノックする音がする。


「どーぞー!」


 搦手さんが振り返って返事をすると、ドアが開いて「おはようございまーす!」と元気に挨拶をしながら、制服姿のリーネさんが笑顔で部室に入ってきた。


「リーネさん⁉」


 僕はてっきりリーネさんは落ち込んでいるものだと思っていたのだが、そうではなかったようだ。


「リーネしゃん、今日は元気でしゅね」

「リーネちゃん、何かいい事あったの?」


「たった今追試が終わったの。簡単だったからすぐに終わったわ」


 学年1位だったリーネさんが追試だなんて……。


「それは良かったわね」

「お疲れしゃまでした」

「…………」


 それって「いい事」なんですか?

 僕は何と声を掛けていいのか、ますます分からなくなって、言葉も出なかった。


「ミチノリさん、どうして驚いたような顔をしているの?」


 リーネさんは、そう言いながら僕の正面の席に座る。


「それは驚きますよ。僕が試験前にリーネさんを毎日部活に誘ってしまったせいで成績が落ちてしまって……、しかも追試だなんて……」


「リーネの成績が落ちたらミチノリさんのせいなの? そんなわけないじゃない」


「しょうでしゅよ、しぇん輩」

「私なんか、ダビデ先輩のお陰で今回は成績が上がっちゃったし」

「いや、搦手さんの成績が上がったのは僕とは無関係だと思いますけど……」


「リーネは試験当日にたまたま具合が悪くて休んだだけよ。成績が落ちたのは仕方ないし、落ちたところで誰も困らないわ」


 たまたま具合が悪くて休んだだけ……か。


 試験が受けられなくなるような状態に「たまたま」なってしまう。僕はリーネさんが先月の今頃「来月が怖いわ」と言っていた事を思い出した。リーネさんはきっと2度目の試練を乗り越えたのだろう。


 もし僕が同じ立場だったら、こんなふうに潔く振る舞えるだろうか。

 おそらく、無理だろう。


 僕はオトコで良かった。お嬢様は大変だ。

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