第89話 自由に泳ぐ権利が貰えるらしい。

 日曜日の朝、今日は管理部の仕事でプール清掃。9時にプールサイドに集合だ。

 天候は曇り。日が出ていない分涼しく、掃除をするには丁度いい天気だろう。


「ポロリは料理部の先輩とおにぎりを作るの。お兄ちゃんもお仕事頑張ってね」

「そうなんだ。いってらっしゃい」


 ポロリちゃんは部屋着のまま、先に部屋を出てしまった。


 お昼の準備にしては、ずいぶん早い時間だ。それに、おにぎりは食堂のメニューに無かった気がする。試作品を作って自分たちで食べるのだろうか。


「甘井さんは、これから着替えですか? それでは、私たちは先に出ましょうか」

「はい、お姉さま。ミチノリ先輩、またあとでね」


 天ノ川さんとネネコさんは、僕が目覚めたときから、なぜか体操服を着ていた。

 寝間着や部屋着を洗濯する為かと思っていたのだが、そうではないらしい。


「2人とも、今日はトレーニングですか?」

「ふふふ……、そんなところです」


 3人を見送った後、僕も準備を開始する。


 升田ますだ先輩からの指示は「れても平気な服装で」との事だったので、体操服に着替え、靴下を穿かずに、念のためタオルを持って現地へ向かった。


 校舎の昇降口の奥から渡り廊下を通ってプールの入り口に到着する。上履きはここで脱いだ方がよさそうだが、どこへ置けばいいのだろうか。普通は更衣室を経由してプールに入る為、おそらく更衣室の中に靴入れがあるのだろう。


 仕方が無いので更衣室の入り口の横に脱いだ上履きを置いて、そのままプールサイドへ向かう。


 少し張り切りすぎて早く来てしまったようで、そこにはまだ誰もいなかった。


 プールは50mのサイズで、水は抜かれており、ところどころ藻が生えて緑色になっている。おそらく今日はこれをゴシゴシとデッキブラシで落とすのだろう。


 しばらくして、更衣室から見知った顔がぞろぞろと出てきた。


 先頭はなぜか天ノ川さん。トレーニングとはプール掃除の事だったらしい。上は体操服のTシャツ姿。部屋を出た時と違い、下には何も穿いていないように見えたので驚いたが、どうやらTシャツの下には水着を着ているようだ。


 これは、薄手のパジャマと同じくらい、目のやり場に困る格好だ。


「ふふふ……、甘井さん、今日もよろしくお願いします」

「天ノ川さん、こちらこそ、よろしくお願いします」


 次に出て来たのは、升田先輩。競泳水着にメガネという珍しい組み合わせだ。

 女子高生の水着姿を間近で見るのは、僕にとっては生まれて初めての事だった。


「おや、ダビデさんは水着ではないようだね。心の友としては、少し残念だよ」

「すみません、そこまで濡れないだろうと思ったので……」


 続いて、1年生の畑中果菜はたなかはてなさん。天ノ川さんと同様、水着の上に体操服のTシャツという組み合わせだ。どちらかというと小柄で胸も控えめだが、お尻はこちらのほうが一回り大きく見える。


「おはようございます。お兄さんはパンツと、この水着、どっちが好きですか?」


「おはよう。見せてもらえる分には、僕は、どっちも好きかな。欲しいとまでは思わないけどね」


 ハテナさんとは、ゴールデンウィーク期間中ずっと一緒だったので、このくらいの会話なら普通に出来るようになった。会話の内容がやや挑発的なのは、おそらく脇谷わきたにさんかジャイアン先輩の影響だろう。


 最後に、6年生ながら、この4人では最も小柄なジャイアン先輩。学校のプールは帽子着用なので、競泳水着にツインテールという組み合わせも、かなりレアだ。


「ミチノリくん、なんで前かがみなの? ちゃんと毎日ムダに放出してる?」

「すみません、それは何のことだか僕にはさっぱり分かりません」


 僕以外のメンバーはこの4人らしい。科学部の精鋭4名だ。

 升田先輩も科学部なので声を掛けやすかったという事なのだろうか。


 だが25mプールならともかく、50mプールを5人で掃除というのは1人当たりの面積が広すぎるような気がする。


 そう思っていたら、更衣室から後続メンバーがぞろぞろと出てきた。


「ダビデさ~ん、今日も一緒に頑張りましょうね~」


 タオルを首に巻いて、手を振りながら歩いてきたのは、競泳水着の鹿跳しかばね先輩。

 背の高さは天ノ川さんとほぼ同じくらいだ。


「鹿跳先輩、今日も下高したたか先輩から頼まれたのですか?」


「今日は陸上部の部長として来ましたよ~。私たちも暑いときはプールで泳ぎますから~」


「そうだったんですか。よろしくお願いします」


 合同授業のない6年生の先輩方の水着姿を見せてもらえるのは、僕にとってはありがたいご褒美だ。まるで報酬を前払いで受け取ってしまったような気分だ。


「甘井さん、今日はよろしくね!」


 続いて、クラスメイトであり、寮のお隣さんでもある宇佐院千早うさいんちはやさん。水着の上に体操服という格好だが、日頃から走り込んでいる為、他のお嬢様方より脚が引き締まっている感じだ。


「宇佐院さん、ご協力ありがとうございます」

「あははは、それはこっちのセリフだよ。実際にプールを使うのは私たちだし」

「では、今日は微力ながら協力させていただきます」

「あははは、この中じゃ甘井さんが一番、体力がありそうだけどね」


 宇佐院さんは今日も楽しそうだ。こういう人が1人いるだけで場の雰囲気はぐっとよくなる。


「甘井センパイ、お久しぶりっス」


 髪を切った鹿跳先輩よりも、さらに髪が短いこの人は2年生の上田宗子うえだそうこさん。

 宇佐院さんとは、同じ服装で、ほぼ同じ背の高さだ。


「上田さん、よろしくお願いします」


「センパイは管理部に入ったんスね。アイシュは大喜びしてましたけど、ゲームががっかりしてましたよ」


 アイシュが大喜び? 安井やすいさんは、僕の入部をそんなに喜んでくれたのか。

 ゲームががっかり? ああ、同じ2年生の大場迎夢おおばげいむさんの事か。


 そう言えば文芸部のゲームの続きはどうなったのだろう。

 キャラクターシートを草津くさつ先輩に預けた後、完全に忘れていた。


「大場さんにはよろしくお伝えください。今度会ったらおびしておきます」


 約束した覚えは無いが、すっぽかされたと思われたのなら申し訳ない。がっかりされたという事は期待されていたという事でもあるので、それは嬉しい事だ。


「ダビデ先輩、ネネコも連れて来ましたんで、私と一緒に使ってやってください」


 そして、ネネコさんと腕を組んでやる気満々なのは、1年生の小笠原我寿おがさわらがじゅさん。


 水着の上にTシャツだが、すでに健康的に日焼けしており、太ももの部分だけがくっきりと白く目立っている。ちなみに、身長はジャイアン先輩よりやや低い。


「ボクはガジュマルのオマケじゃなくて、お姉さまに呼ばれて来たんだけどね」


 そして、腕を組まれて、とてもイヤそうな顔をしているネネコさんは、僕と同じ体操着姿。下に水着を着ているかどうかは不明である。もちろんこの10名の中では最も小柄だ。


「2人とも、ご協力ありがとう。今日は一緒に頑張ろうね」


 科学部の4名に加えて陸上部の精鋭5名(茶道部員1名含む)か。

 これは頼もしい援軍だ。


 升田先輩が用意してくれたサンダルを履き、みんなと同じようにデッキブラシを持ってプールの中に降りる。底には少しだけ水が残っているので、バケツは使わなくてもよさそうだ。事前に洗剤で流してある為、藻はブラシで軽くこするだけで簡単に取れるが、少しでも残っていると、また増えてしまうらしい。


 僕は升田先輩の指示を受けながら、隣に並んでゴシゴシとプールの底を磨く。みな近くの人とおしゃべりしながら楽しそうに作業をしており、和やかな雰囲気だ。


「どうだい、ダビデさん、こういうのも悪くないだろう?」


「そうですね。とてもいい雰囲気だと思います。ところで、水泳部のみなさんは参加しないんですか? この前、水泳部の部長さんと打ち合わせだって、言っていたような気がしたんですけど」


「なるほど。ダビデさんには、このメンツが水泳部員には見えないという事かね」

「えっ? 科学部と陸上部のみなさんですよね?」


「表向きにはその通りだが」

「表向きってことは、裏があるんですか?」


「実は水泳部というのは、もともとは天文部の下部組織。つまり正式な部ではないという事さ」


「プールは期間限定だから仕方ないとは思いますが、どうして天文部なんですか? 夏は星がよく見えないから……ですか?」


「宇宙飛行士になる為には、水泳が出来なくてはならないから……だそうだよ」


「宇宙遊泳って言葉は聞いたことがありますけど、納得できるような……出来ないような……」


「ダビデさん、我々にとっては自由にプールを使える口実さえあれば、理由なんて実はどうでもいいのさ」


「ふふふ……、甘井さん、私のお姉さまは妹が運動音痴なのを知って、どうしたら楽しく体を動かせるかを考えて、根回しして下さったのです。夏場はお姉さまが私につきっきりで泳ぎを教えて下さいました」


「天ノ川さんのお姉さまって、宇宙飛行士のお嫁さんになったって方ですよね?」

「はい。私の自慢のお姉さまです」

「と言う事は、もしかして水泳部の部長さんて……」

「ふふふ……、はい。実は私なんです」

「そうだったんですか」


「というわけで、今年の水泳部の部員はこの10名。我々は放課後にプールを自由に使う権利を得たのだよ。どうだい、悪い条件じゃないだろう?」


 升田先輩は得意げにメガネを持ち上げる。面白い先輩だ。


「僕も入っているんですか?」

「もちろんだよ。ダビデさんがいないと面白くないだろう?」


 どういうわけか、本人の知らぬ間に、僕も水泳部員の頭数に入っているようだ。


 たったの10人で、こんなに広いプールを占有してしまうのはどうかとも思ったが、水泳部員なら誰でも部外者を誘っていいという、大らかなルールらしい。


 この後、清掃作業はお昼前まで続けられ、お昼には下高先輩からおにぎりの差し入れがあった。売店のおにぎりではなく、料理部のみなさんに特注で作ってもらったらしい。ポロリちゃんが作ったと思われる、おいしい味噌みそ汁までついていた。


 曇っていた空も午後には晴れて、最後は全員で水の掛け合いになった。


 どういうわけか人数もいつの間にか3倍以上に増えており、水着を着て来なかったお嬢様方は全員下着が透け透けになっていた。


 もうすぐ7月。

 プール開きが楽しみだ。

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