第88話 早朝の校舎にも人はいるらしい。

 管理室に顔を出した翌日、僕はポロリちゃんの起床時刻に合わせて、久しぶりに早起きをした。時刻は午前4時45分。いつもこんなに早く起きて朝食の味噌みそ汁を作るポロリちゃんを、僕は尊敬している。


 初めてポロリちゃんと一緒に朝食準備の手伝いに行ったときは、まだ真っ暗だったはずだが、今の時期だとすでに日が出ており、外はだいぶ明るい。


「ポロリちゃん、おはよう」


 洗面所で鏡を見ながら髪を結んでいるポロリちゃんに挨拶あいさつして、隣で顔を洗う。


「お兄ちゃん、おはよう。今日は早起きなの?」

「いつも僕だけ寝ているのも悪いと思ってさ。僕も少しは働かないと」

「管理部のお仕事? 朝ごはんは?」

「いつもの朝食の時間には戻るつもりだから、今日も4人一緒だよ」

「えへへ、よかった。途中までポロリと一緒に行く?」


「そうしたいところだけど、校舎内にこの格好で行くわけにはいかないから、着替えてから行くことにするよ。誘ってくれてありがとう」


 朝から妹にかわいい笑顔を見せてもらえるだけで、僕はすごく幸せな気分だ。

 誰かをこんな気分にさせてあげることが、僕にも出来るようになるのだろうか。


「いえいえ。それじゃ、ポロリは先に行くの。お兄ちゃんも、お仕事頑張ってね」

「うん。行ってらっしゃい」


 ポロリちゃんを見送った後、トイレで用を足し、部屋の中で制服に着替える。


 天ノ川さんとネネコさんのベッドからは丸見えの場所だが、2人ともまだ眠っているようだ。起床時刻前なので、廊下の明かりもついておらず、部屋の電気も着けていない。僕は脱いだスウェットを大雑把に畳んで自分のベッドの上に置く。


「甘井さん、おはようございます。今日は管理部のお仕事ですか?」


 僕が着替え終わると、タイミングを見計らったように天ノ川さんが目を覚まし、朝の挨拶をくれた。夏用の薄手のパジャマなので、相変わらず目のやり場に困る。


「はい。6時には戻るつもりですので、ネネコさんにはよろしくお伝えください。それでは、いってまいります」


「ふふふ……、いってらっしゃい」


 熟睡しているネネコさんには心の中で挨拶し、101号室から廊下に出る。

 この時間なら、まだ誰も出歩いていないだろうと思っていたところ、


「あっ、ロリちゃんのお兄さま。おはようございます」


 今度は頭上から挨拶された。この呼ばれ方に心当たりは1人しかいない。

 ポロリちゃんと共に朝食準備に携わっている、104号室の大間名子おおまなこさんだ。


「大間さん、おはようございます。今日も朝食の準備ですか?」

「はい。ロリちゃんは、一緒ではないのですか?」

「ポロリちゃんは僕より先に出ましたから、もう食堂にいますよ」

「それなら私も急がないと……」


 大間さんは僕よりずっと背が高いのに、歩く速さは僕よりもゆっくりなようだ。

 急いでいる大間さんと一緒に並んでロビーに入ったところで、二手に分かれた。


「僕は校舎に用がありますので、ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 パジャマを着た後輩に挨拶されるのも、寮生活ならではの事だ。寮の廊下はともかく、朝5時の校舎にはいくらなんでも人は誰もいないだろう。そう思いながら売店に到着すると、よれよれの体操服を着た、髪の短い綺麗きれいな人が、ピッ、ピッ……と右手に持った装置で、プラスチック製のケースに入った紙パック飲料のバーコードを次から次へと読み取っていた。


 その人は僕に気が付くと手を止めて、こちらに顔を向ける。


「ダビデさん、おはようございま~す。もしかして、応援に来てくれたのですか? それは有難いですね~」


 僕が今までに見たこともないくらい「美人かつかわいい人」だ。こんなに綺麗な人と僕は知り合いだっただろうか。この学園の生徒がみんな容姿端麗である事は僕が一番よく知っているつもりだったのだが、まだまだ分かっていなかったようだ。


「おはようございます。管理部の部員として、売店の手伝いに参りました」

「やっぱり、そうでしたか~。さすがオトナね~」


 イントネーションは「大人おとな(↓↑↑)」ではなく「音奈おとな(↑↓↓)」

 下高したたか先輩の事を「オトナ」と呼び捨てにできるという事は、6年生に違いない。


 それに、この体操着、かなり年季が入っている。どこかで見たような、ほつれた名札には、かすれた文字で「しかばね」と書いてあった。


「えっ? もしかして鹿跳しかばね先輩ですか?」


 ボサボサの長い髪が、サッパリと短くなっていて別人かと思ったが、たしかに背格好や話し方が陸上部の部長さん――鹿跳存美ありみ先輩だった。


「かわいくて、驚いちゃいましたか~?」


「気付かなくてすみません。おっしゃる通りです。もともと美人さんだとは思っていましたけど、その短い髪は、とてもよく似合ってますね」


 ロングヘアが綺麗な人は、それだけで美人に見えるが、こんなにショートヘアが似合うのは限られた人だけのような気がする。


「昨日ハナちゃんに、バッサリと切ってもらっちゃいました~。誰かに振られたわけじゃないですよ~。そんな人、もともといませんから~」


 ハナちゃんというのは、5年生の上佐花うわさはな先輩の事だろう。僕が先月、髪を切ってもらった先輩だ。


「先輩にこんなこと言うのは失礼かもしれませんが、すごくかわいいと思います」

「ありがとう。私も、そろそろ就職活動をしないと売れ残ってしまいますからね」


 売れ残るなんてとんでもない。どう見ても予約の段階で入手不可能なレベルだ。


 一切お化粧をしていない状態で、画像修正後のグラビアアイドルに圧勝できるくらいのルックスなのだから。


 今の鹿跳先輩に見た目で勝てる人がいるとしたら、それはきっと3年後の柔肌やわはださんか、5年後のネネコさんくらいだろう。かわいさだけでの勝負なら下級生たちも負けてはいないのだが、お嬢様としての完成度が違う感じがする。


「ところで、先輩は何をされていたんですか?」

「検品作業ですよ~。そして、これが検品端末のハンドスキャナーです」


「ケンピン作業って何ですか?」


「納品された商品の確認作業ですよ~。こうやってスキャンすると、何個納品予定だったのかが表示されますので、合っているかどうか数えるのです。足りないときは欠品処理をしないと品減りしてしまいますから」


「シナベリというのは?」


POSポスデータの計算在庫が実在庫と合わなくなる事です。棚卸をしたときに減耗が発生して、店の資産が目減りしてしまいます。つまり、万引きされたのと同じ状態になってしまうのです」


「それは困りますね」


「ですから、検品作業は重要なのです。とはいっても、仕分けをして下さる方は優秀な方々ですから、滅多に数がずれることはありません。どちらかというと、悪天候でトラックごと来ない可能性の方が高いです」


「それはもっと困りますね」


「仕方ありませんよ。山奥ですから。なので、在庫は多めに持ったほうがいいと思います。普通のコンビニと違って、ここは独占市場ですから」


「たしかに、学園の敷地内に、お店はここしかないですからね。先輩は、どうしてそんなにお店の事に詳しいんですか?」


「私の父は、しがないコンビニオーナーですから、アルバイトさんが休みがちな盆と正月は、いつも実家の店の手伝いです」


「そうだったんですか」


 この先輩が普通のコンビニの店内にいたら、それだけで売り上げが大幅にアップしそうな気がする。お店のお手伝いも大変そうだ。


「ではダビデさん、早速、一緒に並べましょう。これはチルド便ですので、こちらの冷蔵ケースに陳列します。レーンに値札が付いていますので、商品名を確認して値札に合わせて並べて下さい。私は先に検品端末をバックルームに戻してきます」


「分かりました」


 鹿跳先輩の話によると、チルド便は月曜日以外の週6日で、朝5時に納品されるらしい。月曜日が休みなのは、前日が日曜日で工場が休みだからだそうだ。商品は主に紙パックの飲料。そのほかにプリン、ヨーグルト、シュークリーム、ケーキなどのデザート類、チルド弁当と呼ばれる要冷蔵のお弁当やパスタなどだ。


 鹿跳先輩は下高先輩から頼まれて、この仕事を引き受けているらしい。


 雑誌も納品されているが、今日は量が少なかったので先に検品して並べ終わっているそうだ。朝7時には常温便のトラックが来て、おにぎりやパン、常温のお弁当が納品されるが、そちらは足利あしかが先輩の担当らしい。


 そのほかに、お菓子やカップ麺、ペットボトル飲料、雑貨などが共同配送されてくるが、こちらは週に2回、月曜日と木曜日の夕方だそうだ。


「はい、お疲れ様です。ダビデさんのお陰で半分の時間で並べ終わりました~」


「それはよかったです。この箱はどうすればいいですか?」

「この平らな箱を番重と呼びますが、こうやって180度回してから重ねます」


 鹿跳先輩が平らな箱を持ち上げて、水平に半回転させると、箱は少し沈むように真下の箱と重なった。


「面白いですね。そうすると低く積めるわけですね」

「中身がある状態でこれをやると潰れてしまいますから、注意してくださいね」

「ああ、たしかにそうですね。気を付けます」


「番重を重ねたら、その上にこっちの牛乳ケースを乗せて渡り廊下の横に出しておけば、翌日の納品トラックのドライバーさんが回収してくれます」


「あっ、それは僕が持ちます」

「頼もしいですね~。お言葉に甘えさせてもらいますよ」


 そのまま先輩と一緒に渡り廊下に出て、空箱を置く場所を教えてもらった。


 鹿跳先輩も6時には寮に戻る予定だったらしく、それまでの時間は一緒に売り場の商品の前出し作業を行い、商品の大まかな配置も頭に入れることが出来た。


 作業をしながら、リーネさんを管理部に誘って本人の許可をもらったことを伝えたところ、「それは良かったですね~」と快く了承してくれた。リーネさんは元々陸上部へはゲスト参加していただけで、入部届はまだ提出していなかったそうだ。


 もうはまだなり。

 僕は下高先輩の部屋のり紙の言葉を思い出していた。

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