第90話 誰かと僕をくっつけたいらしい。

 プール掃除をした翌日の昼休み。


 校舎内の売店で商品の前出し作業を行っていると、髪の長い小柄なお嬢様が僕に近づいて来た。顔色は3日前と比べると、だいぶ良くなっているようだ。


「リーネさん、もう体の調子は良くなったんですか?」


「体育の授業は念の為見学にしたけど、もう出歩くくらいなら平気よ。でも、来月が怖いわ」


「そうですよね。相当苦しそうに見えましたよ」


「お姉ちゃんはすぐに慣れるって言っていたけど、そんなの無理だと思わない?」


「思います。正直、僕はオトコで良かったって思いました」


 あれを見てひるまない男性はおそらくいないだろう。まるでスプラッター映画のようだった。しかも、ずっと腹パン状態で、インフルエンザより苦しいらしいし。


「いいなー、ミチノリさんは」


「すみません、僕だけオトコで」


「謝るのはリーネのほうだわ。驚かせてしまってごめんなさい。それに、部屋まで運んでくださって、ありがとう。お薬も使わせてもらって、だいぶ良くなったわ」


「気にしないでください。あのくらいならお安い御用ですから」


「リーネも今日からお手伝いしたいの。どうしたらいいかしら?」


「それなら、まずは先輩に紹介しますから、無理はしないでくださいね」


 僕は、近くで発注作業を行っている足利あしかが先輩のところまで、リーネさんを案内した。足利先輩が両手で持っているタブレットは発注用の端末で、落下防止のため、ショルダーバッグのように肩から下げられている。


「足利先輩、ちょっといいですか?」

「甘井さん、何かお困りですか?」


「いえ、勧誘した1年生が来てくれたので、ご紹介します」

「1年の真瀬垣里稲ませがきりいねです。よろしくお願いします」


「この子がうわさのリーネちゃん? ――5年生の足利芽吹めぶきです。こちらこそ、よろしくね」


「ミチノリさん、噂って何かしら?」


「リーネさんが入部してくれるって事は、僕から先輩方に伝えておきましたから」


「他にはどんな先輩がいらっしゃるの?」


「部長さんは6年生の下高したたか先輩で、足利先輩が副部長さん、あとは3年生の搦手からめてさんと、2年生の安井やすいさん。リーネさんと僕を含めて各学年1人ずつです」


「分かったわ。他の先輩方にもご挨拶あいさつしなきゃ」


「リーネちゃん、もしよかったら、しばらくは甘井さんとペアを組んで、一緒に仕事を覚えてもらえるかしら? リーネちゃんも、そのほうがいいでしょう?」


「はい。リーネもミチノリさんと一緒がいいです」


 リーネさんは即答か。なぜリーネさんが僕を慕ってくれているのかは、いまだによく分からないのだが、かわいい後輩にこんなふうに言われるのは嬉しい事だ。


「甘井さんはどう?」


「一緒でいいです」ならイヤだけど仕方がないという意味にもとれる。

「一緒がいいです」だと一文字違うだけなのに、言われた僕は嬉しかった。


 ――ならば、ここで僕が選ぶべき正しい答えは後者だ。


「僕もリーネさんと一緒がいいです」

「――ですって。よかったわね、リーネちゃん」


 下高先輩から人選を任せられ、「大事なのは相性」と言われた時点で、ある程度覚悟はしていたが、やはりそういう事だったのか。


 考えてみれば、下高先輩と搦手さんは姉妹だし、足利先輩と安井さんも姉妹だ。


 おそらく、僕とリーネさんにも、同等のチームワークが求められているという事なのだろう。


「では、仕事に慣れるまでは、お掃除と品出しを2人で一緒に行って下さい」

「分かりました」


 こうして、リーネさんと僕は管理部の仕事を共にすることになったのだが、その日の放課後は升田ますだ先輩からプールの更衣室の掃除の応援を頼まれた為、足利先輩の許可をとって、僕はそちらに参加する事になった。


 リーネさんに無理をさせるわけにはいかないので、今日の放課後は管理室に顔を出して搦手さんと安井さんに挨拶するようにとだけ伝えておいた。




 そして次の日の朝。

 売店で待ち合わせしたリーネさんは、顔を赤くしながら僕に尋ねてきた。


「どうして、ミチノリさんとリーネが寮の部屋でエッチした事になっていたの?」

「えっ? そんな事、誰が言っていたんですか?」


 リーネさんと僕が……だなんて、ネネコさんと僕以上にあり得ないのだが。


「カンナ先輩よ。リーネが挨拶に行ったら、露骨にイヤな顔をされたわ」


「僕も搦手さんから、なぜか避けられているような気はしてましたけど、そういう事でしたか」


「心当たりはあるの?」


「この前、リーネさんを運んであげたときに、制服のズボンに血がついてしまいまして、それを見た搦手さんと安井さんが驚いていたから、事情を説明したんです」


「ごめんなさい。リーネのせいで、ミチノリさんの服まで汚しちゃったのね……」

「いえ、気にしないでください」


「それで、どうなったの?」


「搦手さんから、生理中なのに無理やり入れたのかって聞かれたので、無理やり入れたつもりはなくて、僕が思っていたよりあっさり入ってくれましたって……」


「それって、リーネが管理部に入ったって事よね?」

「ほかに何かあるんですか?」


「ミチノリさんの……愛のあかしを、リーネの中に……」


 愛の証……それは、オブラートに包まれた欲棒よくぼうの事だろうか。童貞の僕には、正しい入れ方が分からないし、その入り口すら見たことが無いのだが。


「いや、それはいくらなんでも飛躍しすぎじゃないですか?」


「そうよね。どうしてみんなミチノリさんを誰かとくっつけたがるのかしら?

 でも、リーネが誤解は解いておいたから、もう平気よ」


 くっつけたがる……か。もし大勢の男子の中に女子が1人だけいたとしたら、やはり2か月もしたら誰かとくっついていると考えてしまうのが普通かもしれない。


 男女逆のパターンでも、みんな考えることは同じなのだろう。もしかしたら、この恵まれた環境の中で純潔を守っている僕がヘタレなだけなのかもしれないが。


「どうやって誤解を解いたんですか?」


「リーネには婚約者フィアンセがいるし、ミチノリさんにはリーネよりも好きな人がいるって言っただけよ。カンナ先輩、目をまんまるにして驚いていたわ」


 その言い方だと、僕は2番目か3番目くらいにリーネさんが好きというような意味にも取れそうな気がするが、まあ嫌いではないので間違ってはいないか。


 リ-ネさんに婚約者がいることは知っていたので、驚きも特にない。


「それで、搦手さんは何か言っていましたか?」


「『それって、私の可能性はある?』ですって。おめでたい先輩よね?」


 情緒が安定したリーネさんは、4月に初めて会った時とはまるで別人だった。

 僕より3つも年下とは思えないほど、しっかりとしたお嬢様だ。


「ここには男子生徒が僕しかいませんから、ほかに選択肢がないだけという気がしますけど、搦手さんのそういうポジティブなところは、とてもいいと思いますよ」


「本人に言ってあげたら? きっと大喜びするわよ」


「それもそうですね。リーネさんは搦手さんとは仲がいいんですか?」


「普通よ。3年生とは体育の授業が一緒なだけだから。2年生とは体育の授業のほかに、美術と書道でも一緒だから、アイシュ先輩とはよくおしゃべりするわ」


「安井さんとは、どんな話をするんですか?」


「アイシュ先輩は、ミチノリさんと結婚したいらしいわよ」


「えっ? それはいくらなんでも、人を見る目が無さ過ぎだと思いますけど……」


 この学園に来てから僕のコミュニケーション能力はかなり上がった気がするが、「僕が誰かを養うなんて絶対に無理」という考えは、今でも入学前と変わらない。


「安いアイシュより、甘いアイシュがいいんですって」

「ああ、そういうオチでしたか……」

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