第86話 インフルエンザより苦痛らしい。

「分かったわ」

「えっ? 本当にいいんですか?」


 昼休みの終わりごろ、1年生の教室前の廊下でリーネさんに声を掛け、管理部への勧誘を試みたところ、あっさりと僕の誘いに乗ってくれた。


「ミチノリさんのお願いを、リーネが断るわけないじゃない」


 ネネコさんとポロリちゃんの言っていた通りだった。リーネさんって、こんなにも素直でいい子だったんだ。勇気を出して誘ってみてよかった。


「ありがとう。リーネさんが力を貸してくれると助かります」


 リーネさんは恥ずかしそうに下を向き、真っすぐに切りそろえられた前髪を左手でき上げる。――僕がリーネさんの異変に気付いたのは、その時だった。


 ポロリちゃんからリーネさんを紹介された時の印象は「挙動不審で深く関わりたくない人」ではあったが、見た目は長い黒髪と綺麗きれいな白い肌が、まるでお人形さんのようだったと記憶している。


 だが、今のリーネさんのおでこはニキビだらけで、それは、ほおやあごにまで及んでいた。いったいこれはどうしたというのだろう。これではせっかくのかわいい顔が台無しだ。ポロリちゃんが「最近様子が変」といっていたのはこの事だろうか。


「ミチノリさん、そんなに見つめられたら恥ずかしいわ」


「あっ、ごめんなさい。余計なお世話かもしれませんが、ニキビの薬使いますか? 僕が家から持ってきた薬の残りでよければ、まだ部屋にありますけど」


「やっぱり、変かしら」

「かわいい顔が、もったいないですよ」


「お薬、いただくわ」


「それじゃ、今日の放課後。売店の前で待ち合わせにしましょう。薬はそのときにお渡しします。管理部の集合場所は売店奥の管理室ですから」


 今朝けさ売店で足利あしかが先輩に入部の挨拶あいさつをしたときに、集合場所を教えてもらった。

 管理室は売店のバックルームで、そこが管理部の部室らしい。


「分かったわ」

「それじゃ、リーネさん、また放課後」




 5時間目の授業が終わり、僕はリーネさんに渡すニキビの薬を取りに、急いで寮の101号室へと戻った。机の引き出しからチューブ入りの薬を取り出して、残量を確認する。まだだいぶ残っているようだ。


 その薬をポケットに入れたところで、トントントン……とノックの音がした。

 弱々しい感じではあるが、たしかに誰かが101号室のドアを連打している。


 ――こんな時間に、寮に誰かいたんだ。


 僕は5時間目が終わってすぐに、急いで寮に来たので、寮にはまだ誰もいないと思っていた。いったい誰だろうか?


 耳を澄ますと、今にも死にそうな声で、僕の名前を呼んでいるような気がする。


「みち……のり……さん……たす……けて」


 やはり、空耳ではないようだ。

 まだ怪談話が必要なほど暑くはないのだが、臆病おくびょうな僕の背筋は凍り付いた。


 これって、もしかして「学園の七不思議」とか「のろわれたなんとか」ってヤツ?

 もしそうだとしたら、僕は呪われてしまったのだろうか?


 だが、仮にそうだとしても呼ばれたからには僕が助けてあげないと、亡霊さんも成仏できないと困るだろう。そう思いながら恐る恐るドアノブに手を伸ばす。


「たす……けて……」

「うわっ!」


 ドアが突然開き、呪われた人形のような、ニキビだらけの小柄な女の子が飛びかかってきた。僕は怖くておしっこを漏らしそうになりながらも、その小さな体を受け止める。


「リーネさん……何の冗談ですか?」


 震える手で、リーネさんの様子をうかがう。


「痛い、痛い、痛い、リーネおなかが痛い。おなかが痛くて、リーネ死んじゃう。ミチノリさん、助けて……、助けて……、もう……だめっ……」


 どうやら、冗談ではなく緊急事態らしい。


 ボロボロと涙を流しながら苦痛に顔をゆがめていたリーネさんは、僕と目が合うと安心したようにそのまま目を閉じて、その場で力尽きた。


「――――⁉」


 しかも、リーネさんの足元、101号室の入り口には血だまりが出来ている。


 ――もしかして変質者か通り魔に刺された?


 それはあり得ない。この学園は万全のセキュリティを誇るお嬢様学校。

 熊や猿ですら超えることの出来ない鉄壁の守りだ。ならば、なぜ?


 いや、そんなこと考えている場合ではない。すぐに人を呼ばないと。


「リーネさん、ちょっと待っててください」


 僕はリーネさんを床に寝かせたまま大慌てで部屋から廊下に飛び出すと、今度は横から誰かに腕をつかまれた。


「うわっ!」


 もしかして、リーネさんを刺した犯人?

 いったい、何がどうなっているんだ?


「ミチノリさん、落ち着いて!」


 僕の腕をつかんだのは、お隣102号室のヨシノさんだった。

 ヨシノさんは、今101号室で倒れているリーネさんのお姉さまだ。


「あっ、ヨシノさん。ちょうどいいところへ。リーネさんが大変なんです」


「ごめんね、またリーネが迷惑かけちゃったみたいで。リーネが腹痛で早退したって聞いたから様子を見に来たんだけど。やっぱり、オムツしてなかったか」


「オムツ……ですか?」


「生理が重い人用の、オムツタイプのごつい生理用品です。慣れるまでは大変だから『念のため使っとけ』って、言っておいたんだけどね」


「リーネさん泣いてましたよ。お腹痛くて死んじゃうって」


「内側からずっと腹パンされ続けているような状態だろうから、しかたないよね。あたしも初めてのときは死んじゃうかと思ったけど、痛み止めの薬を飲むだけでだいぶ楽になるから、あとで飲ませておくよ」


「ずっと腹パンって……生理って、そんなに恐ろしいんですか?」


「そうですよ。月に一遍、お腹の中でかさぶたみたいなのががれて落ちてくるときの痛みなんだけど、中にはインフルエンザのほうが楽だって子もいるよ」


 インフルエンザのほうが楽って、どれだけ苦しい事なのだろうか。

 僕なんか、37度手前くらいの微熱が出ただけでもフラフラだったのに。


「それって、病気とかじゃないんですか?」


「病気ではないし、誰でも似たようなものかな。リーネはちょっと重そうだけど、今回が最初だからね。廊下の掃除は後であたしがやっておくから、ミチノリさんはお祝いにリーネをお姫様抱っこで隣まで運んでやってください」


 これは「呪い」ではなく「お祝い」でしたか。それならよかった。


「分かりました。そういうことでしたら、喜んで」


「おっと、その前にリーネにオムツを穿かせないと血がついちゃうよね。ミチノリさんは見ない方がいいかな。グロ画像が好きなら見てもいいけど」


「いえ、遠慮しておきます」




 その後、僕はヨシノさんの指示通り「お姫様抱っこ」でリーネさんを102号室のベッドまで運んであげた。


「ミチノリさん、どうもありがとう。あとはあたしに任せて」

「よろしくお願いします。リーネさんには、これを渡してあげて下さい」


 僕はヨシノさんにニキビの薬を渡して、売店へと向かった。

 予期せぬ事態で大きく遅刻してしまったが、これは仕方ないだろう。

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