第85話 1人だけ心当たりがあるらしい。

「ただいま」


 僕が101号室に戻ったのは、6時を少し回ってから。

 ネネコさんとポロリちゃんが、夏用の涼しそうな部屋着姿で迎えてくれた。


「おかえり。ミチノリ先輩、今日は遅かったじゃん」


 ネネコさんの口癖である「じゃん」という語尾になぜかドキッとする。


「珍しく先輩に誘われてね。初めて寮の3階に上ったよ」


 さすがに「脱衣麻雀マージャンに誘われてね。身ぐるみがれたよ」とは答えられない。


「お兄ちゃん、おかえり。今日は、なんだかいい匂いがするの」

「よく分かったね。ポロリちゃん、鼻がいいんだね」

「えへへ」


 脱いだシャツを着る前に、搦手からめてさんから「先輩も汗かいてますよ」と言われて、わきの下に制汗スプレーを吹き付けられた事を思い出した。搦手さんはいつも持ち歩いていると言っていたが、僕も持つべきなのだろうか。


「3階って事は6年生の先輩でしょ? 誰と会ってたの?」


 ネネコさんからの質問だ。「何をしてたの?」じゃなくて本当によかった。


下高したたか先輩とだよ。あとは、5年生の升田ますだ先輩と3年生の搦手さん」


「あー、あのオバサンっぽい感じの先輩かー。あんまり強そうじゃないよね」


「ネコちゃん、そんなこと言っちゃダメだよぉ!」


 この学園の首席である先輩に対しても全くおくさないところが、実にネネコさんらしい。この場合の「強そうじゃない」というのは「胸が小さい」と同じ意味だ。


天ノ川さんおねえさまがネネコさんの今の発言を聞いていたら『ネネコさん、それはいくらなんでも失礼すぎますよ!』って、言うだろうね。僕もそう思うよ」


「マスダ先輩って人は知らないや。5年生とは授業で会わないし」

「ポロリは知ってるよ。メガネの先輩でね、廊下でスカウトされたの」

「マジ? 何にスカウトされたの?」

「科学部に入ってくれないかって」


「升田先輩とそんなことがあったんだ。それっていつの話?」

「えーとね、4月なの。授業が始まったころだったと思う」

「すげーな。ロリがスカウトされたのって、料理部だけじゃなかったんだ」


「ハテナちゃんと一緒だったんだけどね、ポロリは料理部に決めていたから、ごめんなさいって断ったの。そうしたら、ハテナちゃんだけ連れていかれちゃったの」


「僕はその日、ハテナさんが連れてこられたほうの場所にいて驚いたよ」


 たしかに、あの時のハテナさんは勧誘されて来たというより、連行されて来たような雰囲気だった気がする。今ではすっかり科学部に馴染なじんでいるようだが。


「カラメテ先輩なら知ってるよ。体育の時間に、いつも自分のおっぱいの位置を気にしてる人だよね?」


「ネコちゃん、それは『公然の秘密』だから、誰にも言っちゃダメなんだって」


 ネネコさんは、先輩方のおっぱいも、よく観察しているようだ。

 そして、搦手さんの「公然の秘密」は既に1年生にまで伝わっているらしい。


「それじゃ、僕は今から洗濯物をむから、手伝ってもらえるかな?」

「うんっ、お兄ちゃんが込んでくれたら、ポロリが畳んで引き出しに入れるの」


 この、洗濯物を「込む」というのは、僕がここでポロリちゃんに習った地元言葉の1つで、洗濯物を「取り込む」という意味だ。


「じゃあ、ボクは先にお風呂の準備をするよ」




「ただいま戻りました」

「お姉さま、おかえりなさい」

「ミユキ先輩、おかえりなさーい」


 しばらくして、天ノ川さんが帰ってきた。


「おかえりなさい。今日は遅かったですね」

「お待たせしてごめんなさい。急に打ち合わせが入ってしまいまして」


「いろいろと大変ですね。今日は、この後どうしますか? 先にシャワーを使うのでしたら、終わるまで3人で待っていますけど」


「お風呂の準備も、今日はボクがしてあるよ!」

「お洗濯物も、お兄ちゃんが込んでくれたの」


「ポロリちゃんが、綺麗きれいに畳んでくれましたし、ネネコさんがアイロンまで掛けてくれました」


「ふふふ、ありがとうございます。では、すぐに食事にしましょうか。これ以上お待たせするわけにはいきませんし、私もお腹が空いてしまいましたから」


 いつものように、4人で食堂へ向かう。

 今日は天ノ川さんと僕が夏の制服で、ネネコさんとポロリちゃんは部屋着姿だ。


 7時過ぎの食堂は、いつもより混んでいるが、僕たち4人がいつも座る席は今日も空席だった。このテーブルは「アマアマ部屋ご一行の席」として周囲から認知されているようで、僕たち4人がこの席に座れなかった事は、今までに一度も無い。


「甘井さん、管理部に入部されたそうですね」


 席に着いてすぐに、天ノ川さんからこんなことを言われた。


「さっき頼まれたばかりなのに、もうそんな情報が出回っているんですか?」


 もしかして、脱衣麻雀で負けた話まで知られているのだろうか。


「チー先輩から教えてもらったのですが、まだナイショでしたか?」

「いえ、そんなことはないです」


「マジ? ミチノリ先輩、陸上部にはもう遊びに来ないの?」

「いや、そんなことはないよ。気が向いたら、また走りに行くよ」


「お兄ちゃん、料理部のお手伝いは?」

「呼んでくれた時には、もちろん手伝うよ」


「ふふふ……科学部にも、たまには遊びに来てくださいね。それで、チー先輩から甘井さんあてに伝言をお預かりしたのですが、聞いていただけますか?」


「はい。升田先輩からですか。どんな話ですか?」


「次の日曜日にプール掃除を行うので、濡れても平気な服装でプールまで来てくださいとの事です。集合時間は朝9時だそうです」


 下高先輩が言っていたプール開きの準備か。


「分かりました」


 プール掃除は日曜日。売店の管理は明日からだ。

 そして、僕の任務はもう1つ残っていた。


 1年生の勧誘だ。人選は僕に任せられている。


 1年生の人数は4年生と同じ18人。顔と名前は全員覚えてはいるが、僕が気軽に会話出来る子は、そのうちの半数弱くらいだ。


 まずは、今ここにいる101号室の2名。ネネコさんとポロリちゃんだ。ネネコさんは陸上部員でポロリちゃんが料理部員。僕がお願いすれば手を貸してくれそうではあるが、2人とも正式な部員なので、引き抜いてしまうわけにはいかない。


 次に僕が声を掛けやすいのは109号室の2名。ハテナさんと小笠原おがさわらさんだ。しかしハテナさんは科学部員で、小笠原さんは陸上部員。この2人も正式な部員だ。


 続いて、お隣102号室の2名。リーネさんは陸上部に入部したとネネコさんから聞いているし、有馬城ありまじょうさんは美術部に入部したとポロリちゃんから聞いている。


 最後に104号室の大間おおまさんと105号室の中吉なかよしさん。それぞれ料理部と手芸部の主力メンバーっぽい感じだ。こちらも管理部には引き込めないだろう。


 残る10名は残念ながら名前と顔しか知らない。特に106号室と108号室の人たちは、男性が苦手なようで、4年生を含めてほぼ会話する機会がない。


 仮に誰かと会話できたとしても、もう6月半ばだ。いまだに所属する部が決まっていない人なんて、ほぼいないだろう。これは八方ふさがりかもしれない。


「お兄ちゃん、どうしたの? 何か悩み事?」


 ポロリちゃんがはしを止めて、僕の顔を心配そうに見上げる。


「いや、1年生で部活が決まってない子なんて、もういないだろうなと思って」


「部活が決まってない子? えーとね、えーとね……ホントだ。誰もいないの」


「だよね。管理部の部長さんから、1年生を誰か1人スカウトするように言われたんだけど……」


「どこも部員不足ですから。全学年そろっている部の方が少ないかもしれませんね」


「そういえばさあ、リーネが『陸上部はもう飽きたわ』って言ってたよ。最近一輪車にも乗りに来ないから、ミチノリ先輩が誘えばOKしてくれるんじゃないの?」


「そうなの?」


 リーネさんが幽霊部員状態なのか。これはいい機会かもしれない。


「リーネちゃん、最近様子が変なの。席替えでポロリの隣じゃなくなっちゃったから、あんまりお話も出来ないし……。だからね、お兄ちゃんが管理部に誘ってあげたら、リーネちゃんも、きっと喜ぶと思うの」


「喜んでもらえる自信は全くないけど、とりあえず明日、声を掛けてみるよ。2人とも、いい情報をありがとう」


 陸上部から部員を引き抜くことになってしまうが、陸上部には1年生が3人もいるし、事情を説明すれば鹿跳しかばね先輩も宇佐院うさいんさんも、きっと許してくれるだろう。


 あとは、リーネさん本人が管理部への入部を希望してくれるかどうかだ。

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