第64話 手芸部はとても騒がしいらしい。

「ねえねえ、ダビデ君。今日の放課後、あいてる?」


 午後の授業が終わったので帰り支度をしていると、クラスメイトの花戸結芽はなどゆめさんから声を掛けられた。「あいてる?」というのは「スケジュールが空いているか」という意味なのだろうが、この人は僕の予定なんか聞いてどうする気なのだろうか。


「特に何の予定もありませんけど、何か御用ですか?」


 教室に残っていた周りのクラスメイトたちが、僕たちの様子を見て、少し遠慮したように距離を取る。


 花戸さんと僕が1対1で会話できるように、空気を読んでくれているようだ。

 もしかしたら花戸さん自身が、あらかじめ根回ししているのかもしれないが。


「じゃあさ、じゃあさっ、今からうちの部に遊びに来てよ!」


 どうやら部活の勧誘らしい。花戸さんは普段以上にアグレッシブだ。


「今からですか? 僕は構いませんけど、いきなりお邪魔していいんですか?」


 クラスメイトから部活に誘ってもらえるのは嬉しいし、特に断る理由もない。


「うちの部長がダビデ君に感想を聞きたいんだって。私には何のことか教えてくれなかったけど、ダビデ君には心当たりがあるでしょ?」


 ――感想? いったい何の感想だろう。


「部長さんからのお誘いですか。ところで花戸さんは、どちらの部でしたっけ?」


「手芸部だよ。ダビデ君が来てくれれば部員のみんなも喜ぶからさ。今日は手芸部で私たちと一緒に遊ぼうよ。きっと楽しいよ」


 手芸部か……。僕のイメージでは女の子たちがファンシーグッズを作る部なので、入部するとなると場違いな感じだが、見学だけさせてもらう分には楽しそうだ。


 それに、たしか手芸部の部長さんって、数日前に天ノ川さんが演習室から借りてきてくれた「ディープインサート」の着ぐるみを作った人だったような……。


「手芸部の部長さんって、針生はりう先輩……でしたっけ?」


「そうそう、針生ネル先輩だよ。そのネル先輩から、ダビデ君を連れて来て欲しいって言われたの。だから私と一緒に来て! いいでしょう?」


 花戸さんは両手を合わせて首をかしげ、下から僕の顔をのぞき込んでから片目をつぶる。


 そんなにかわいいポーズで言われなくても一緒に行くつもりなのだが、こんなふうにお願いされたら、行くつもりが無かったとしてもOKしてしまうだろう。


 いつもクラスの中心にいるだけあって、コミュニケーション能力は最高レベルだ。


「分かりました。花戸さん、今日はよろしくお願いします」

「ホント? じゃあ案内するね。私、なんだか緊張してきちゃった!」


「そうなんですか? 僕には全然そんなふうには見えませんけど」

「えー、だって男子と一緒に廊下を歩くなんて小学校の時以来だもん」


「それは光栄です」


 ――こうして僕は手芸部の部室である被服室に案内された。


 被服室は校舎の2階、昇降口に近いほうの階段を上がってすぐの部屋だ。

 後方の入口から被服室に入ると、かなり大きなミシンの音が聞こえる。


 入口の正面には、デパートの衣料品売場に置いてあるような女性の人形が5体。

 そのうちの3体には服が着せられており、残りの2体はハダカだ。


 サイズはそれぞれ微妙に異なるが、女子中学生の平均サイズくらい。顔もないし手足も途中までしかないのに、胸やお尻の曲線が美しく、妙になまめかしい。


 廊下側の壁際には物置用の長い棚があり、その上にはミシンが20台ほど。その他にもアイロンやアイロン台など、家庭科の授業で使う道具は一通り揃っている。


 部屋の中には食堂と同じくらいの大きさの4人掛けの机が9つあり、椅子は背もたれの無い丸い椅子だ。部員は花戸さんの他に5人ほどが活動中だが、それぞれ何らかの作業をしており、僕たちには気づいていないようだ。


「まずは部員を紹介するね。今、アシュリー先輩がミシンを使っていて、ちょっと騒がしいけど、気にしないでね。――リボン、ブーちゃん、ちょっといい?」


「あっ、お姉ちゃん、遅かったね。――えっ? なんでネコのカレシと?」

「ユメ先輩がダビデ先輩を狙っていたとは……それは気づきませんでした」


 花戸さんが近い位置にいる2人組に声を掛ける。2人とも右手に針を持っており、左手には作りかけの小さなぬいぐるみらしきものを持っていた。


「ほらほら、針を置いて挨拶あいさつして。2人とも先輩にはちゃんと敬語を使うのよ。私にはタメ口でいいけど」


「はーい。1年生の中吉梨凡なかよしりぼんです。ネコからはチューキチって呼ばれています」


 花戸さんを「お姉ちゃん」と呼んだ子が先に挨拶してくれた。


 中吉と書いてナカヨシさんか。ネネコさんと仲が良いのだろうか。1年生とは柔道や園芸の授業で顔を合わせているし、寮のフロアも同じだ。「ネコのカレシ」と言われたような気がしたが、ここは聞き流しておこう。


「私は、3年の高木初心たかぎうぶです。ブーではありません。ウブです」


 続いて花戸さんを「ユメ先輩」と呼んだ子が挨拶してくれた。


 こちらは高木ウブさん。3年生とは体育や音楽の授業を一緒に受けているので、この子がまわりからブーちゃんと呼ばれていたのは知っていた。そんな中で、柔肌やわはださんだけがウブちゃんと呼んでいたのは印象に残っている。


「4年の甘井ミチノリです。今日は見学に来ましたので、よろしくお願いします」


 僕が2人に頭を下げると、少し離れたところで厚紙を大きなハサミで切っていた子がこちらに気付いて近寄ってきた。


「ユメちゃん先輩! もしかしてダビデ先輩が手芸部に来てくれたの?」


「こらこら、ハヤリちゃんはまずハサミを置いてからよ。危ないでしょ?」


 ハサミを持ったままの後輩を花戸さんが優しく注意する。


「あっ! 失礼しました。えーと、初めまして、2年生の杉田流行すぎたはやりです」


 花戸さんを「ユメちゃん先輩」と呼んだ子が僕に挨拶してくれた。


 2年生の杉田さんか。2年生とは合同授業が無いので初対面だ。杉田さんは、この学園では珍しいウェーブヘアをしており、おしゃれな印象を受ける。


「初めまして、4年の甘井ミチノリです」


「クルミから聞きましたよー。部屋のトイレを勝手に借りたのに、ダビデ先輩は怒らないどころか正露丸をご馳走してくれたって、すごく嬉しそうに話してくれました」


 ……正露丸って、ご馳走なのだろうか。まあいいか。


「ああ、そういえば、尾中おなかクルミさんも2年生でしたね」


「クルミとは部屋も一緒なんです。クルミ共々よろしくお願いします」


「こちらこそ。尾中さんにもよろしくお伝えください」


「そして、こちらがうちの副部長だよ」


 花戸さんの紹介の声とともに、ずっと鳴っていたミシンの音が止まり、先輩が顔を上げた。


 こちらの先輩は5年生なので見覚えがある。背がすらりと高く、外見がカッコいいだけでなく、名前もカッコいい。後輩たちからはアシュリー先輩と呼ばれ、慕われており、おそらく5年生の中で最も人気がある先輩だ。


「ダビデさん、いらっしゃい。改めまして、5年の服部阿手裏はっとりあしゅりです。ミシンがうるさくてごめんね。でも、ユメやハヤリよりは静かでしょ?」


「えー、私はユメちゃん先輩ほどうるさくないですよー」

「私だってハヤリちゃんほどうるさくないもん。ねえ、ダビデ君」


 お互いに罪をなすり付け合っている時点で、2人ともミシンよりうるさい事を自覚しているように思えるのだが……こんなときはどう答えるべきだろうか。


「あら、活気があっていいじゃない。うるさいくらいなほうがアシュリもミシンをかけやすいでしょう?」


 最後に一番奥から出迎えてくれた先輩が模範解答で話をまとめて、副部長さんに声を掛ける。


「部長、ユメがダビデさんを連れて来てくれましたよ」


 どうやら、この人が部長さんらしい。

 副部長のアシュリー先輩が紹介してくれたので、すぐに挨拶する。


「初めまして、4年の甘井ミチノリです」


「お待ちしていましたよ。私が手芸部部長、6年の針生ネルです。練習の練だけど、レンじゃなくてネルだから、間違えないでくださいね」


 針生練はりうねる先輩か。とても手先が器用そうなお名前だ。


「はい。僕も、よく道程どうていと間違えられます」


「あら、それはきっと『わざと』ですよ。みんな童貞はお好きでしょうから」


「そうなんですか?」


「甘井君だって、経験ある女の子より処女のほうがいいでしょう?」


 男の僕からすれば、すでに誰かに汚されている女性よりは清らかな女の子の方がいいに決まっているが、女の子からしてみたら、どうなのだろう。


「それはそうですけど、女の子は慣れた男性のほうがいいんじゃないですか?」


 好かれるのは童貞ではなく、女性の扱いに慣れた男のほうだと思うのだが。


「そんなことある訳ないじゃない! そういう事は、お互い初めての相手じゃないとダメでしょう?」


 僕の質問に真っ先に反応したのは花戸さんだ。エッチな話に興味がありつつも、意外と貞操観念が強いようだ。嫁入り前のお嬢様としては理想的な考え方だろう。


「そうですよ。浮気したり捨てたりする人なんて、最低じゃないですか!」


 杉田さんも同意見らしい。童貞は意外と評価が高いようだ。


「私は……優しくしてくれる人ならどちらでも……」


 高木さんは心が広いのか、そのあたりは気にしないようだ。


「でも、先輩はもう2回もネコとエッチしちゃったんでしょ?」


「えっ?」


 さらっと爆弾発言をしたのは中吉さんだ。

 一瞬で場の空気が変わってしまった。


「あら、甘井君は童貞ではありませんでしたか。それは失礼しました」


 部長の針生先輩はあっさり信じてしまっている。


「へー、ダビデさん、意外と手が早いのね」


 副部長のアシュリー先輩は感心すらしている。


「1年生の子とエッチしちゃうなんて、いやらしいです。不潔です。通報します!」


 杉田さんはネネコさんの事を知っているようで、激怒している。


「えっ? うそ? リボン、うそだよね?」


 花戸さんは泣きそうな顔で動揺し、中吉さんに確認を取る。


「お姉ちゃん、私、聞いちゃったの。ネコから……」


 いったいネネコさんは中吉さんに何を言ったのだろう。


「初めてのときは抜いてもらった後、血が出たけど、2回目は激しくしてもらったから、すぐに終わって、血も出なかったし痛くもなかったって……」


 なるほど。あの話を誰かにして、それを一部分だけ中吉さんに聞かれたのか。


「最低! お姉ちゃんに言いつけて、寮から追い出してもらわなきゃ!」


 杉田さんが狂乱している。杉田さんのお姉さまは権力者なのだろうか。


「ハヤリ、落ち着いて。合意の上でカノジョとしたのなら浮気じゃないでしょ?」


 副部長さんが杉田さんをなだめている。


「いいなあ、蟻塚さんは。1年生なのに、もう体を預けられるカレシがいて……」


 高木さんは恋に恋しているような反応だ。


「そうですよね。年頃の男女が同じ部屋なのですから、我慢できませんよね」


 部長さんは、なぜか納得の表情だ。


「ダビデ君、ホントなの? そんなのバレたら退学だよ!」


 花戸さんが真っすぐに僕の目を見る。本気で心配してくれているようだ。


「ホントなわけがないでしょう? 僕は、ネネコさんの乳歯を2本抜いてあげただけですから。1本目は抜いた時に血が出ましたけど、2本目は簡単に取れましたよ」


 しばらく静かになった後、場の空気がもとに戻る。

 この説明で理解してもらえたようだ。


「こら! リボン! またいい加減な事を!」

「きゃー、お姉ちゃんごめんなさい。ごめんなさい!」


 花戸さんは逃げる中吉さんを追いかけて廊下を走って行ってしまった。


「ダビデ先輩、ハヤリを叩いてください!」


 杉田さんが神妙な態度で顔をこちらに近づけて両目を瞑る。なんだかキスを迫られているみたいでドキっとする。


「いえ、分かってくれたのならいいです。僕は気にしていませんから」


 杉田さんは驚いたように目を大きく開けると、涙をボロボロと流しながら、「酷いこと言っちゃって、ごめんなさいっ! ハヤリは悪い子でしたぁ!」と叫びながら中吉さんたちの後を追うように部屋を出て、廊下を走って行ってしまった。


 どうやら、杉田さんは喜怒哀楽がとても激しいタイプのようだ。

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