第63話 アマアマ部屋は羨望の的らしい。
「昨日はありがとね。ミチノリ先輩のお陰でスッキリしたよ」
すっかり毎日の習慣となった朝食後の座談会で、今日も僕の左隣の席に座るネネコさんから、改めてお礼を言われた。
昨晩の風呂上り、天ノ川さんとポロリちゃんが入浴中に、ネネコさんのまだ残っていた最後の乳歯、右上の奥歯を抜いてあげたのだ。
「どういたしまして、すんなり抜けて僕も気持ち良かったよ」
恐る恐る引っ張った前回と違い、今回は少し乱暴に揺らしたら歯はあっさりと抜けた。その歯は前回と同様に記念品として僕の机の引き出しに収まっている。
「いきなり激しかったよね。あんなに早く終わっちゃうとは思わなかったよ」
「ネネコさんが乱暴にしても平気だって言っていたから、一気に終わらせたよ。そのほうが痛みも減るでしょ?」
「この前は抜いてもらった後も血が出て、しばらく痛かったのに、昨日は全然痛く無かったよ。血も出なかったし」
「もう下に生えてきてたからかな。この前は、たしかまだ生えてなかったからね」
今回は出血も無く、抜けた乳歯の下には、既に永久歯が白い顔を
「あれ? なんでミチノリ先輩が、ボクの下に生えてきたのを知ってるの?」
「え、えっ? そうなの? いや、僕は『オトナの歯』の事を言ったつもりだったんだけど……それはよかったね。おめでとう……って言っていのかな?」
以前にネネコさんから相談を受けたときは、自分だけまだ下の毛が生えていない事に悩んでいたようだったので、ネネコさんにとっては喜ばしい事なのだろう。
「まだロリほどじゃないけどね」
「ネコちゃん! そんなこと、お兄ちゃんに教えちゃだめだよぉ」
ネネコさんの失言に、僕の正面に座るポロリちゃんが驚いてツッコミを入れる。
ポロリちゃん、ごめんなさい。僕は、もう知っていました。
「そうですよ、ネネコさん。――それにしても、やはり会話だけ聞くとあらぬ事を想像してしまいますね」
「はい! ポロリもそう思います」
僕の左斜め前に座る天ノ川さんの意見にポロリちゃんも賛成する。
「やっぱり、ロリがエロいだけじゃん!」
「そんなことないよぉ。ミユキ先輩も同じ意見だもん!」
この場合、一番エロいのはいったい誰なのだろう。
エロいというよりは、単なる好奇心なのだろうが。
「僕たちの会話って、そんなに誤解されやすいものでしたか?」
「ふふふ……、そうですね、普段の甘井さんを知らない人が聞いたら、まず誤解されるでしょうね」
「前にも言ったけどさ、ボクがミチノリ先輩とエッチなんてする訳ないじゃん!」
たしかに前にも言われたし、僕も同意見ではあるのだが、本人からそう強く否定されると、振られたのと同じような気分になるので、僕の胸の奥は少し痛む。
「ネコちゃん! その言い方はひどいよぉ」
ポロリちゃんが僕の顔をちらりと見てから、ネネコさんに抗議してくれた。
兄思いの優しい妹だ。
「えっ? なんでロリが怒るの?」
「いくらネコちゃんにその気が無くても、カレシさんに対して失礼だよぉ」
「えっ?」
「えっ?」
カレシさん? ポロリちゃんの発言に、ネネコさんと僕は顔を見合わせた。
「ふふふ……、どうやら
「あれ? 違かった? お兄ちゃんとネコちゃんは、寮に来た日からずっと仲良しで両想いだから、ポロリはずっとナイショで『おつきあい』してるのかと思ってたの」
両想い……か。
たしかに僕はネネコさんの事が好きだし、嫌われてはいないだろうという安心感はある。だが、それは天ノ川さんに対してもポロリちゃんに対しても同じだ。
「何いってんの? ロリのほうこそミチノリ先輩と仲良しだし、どこからどう見ても両想いじゃん」
「えへへ、ポロリはお兄ちゃんの妹だから、仲良しで当たり前なの」
仲良しで当たり前……か。
僕にポロリちゃん以外の妹がいたとしても、こんなにかわいいとも思えないだろうし、こんなに仲良くしても
「へー、ロリは仲良しなお兄ちゃんが、カノジョとエッチしてるところを想像しちゃうんだ? ホントは自分がしてもらいたいだけなんじゃないの?」
「そんなことないよぉ! ネコちゃんのエッチ!」
「2人ともそのくらいでおやめなさい。好奇心
「はーい」
「ごめんなさい」
「それに、甘井さんが健全な寮生活を送れるかどうかは、私たち3人の心がけ次第なのですから、あまり刺激してはいけませんよ」
「お気遣い、ありがとうございます。僕も気を付けます」
僕がこの寮で安全に暮らすには3人の協力が必要不可欠ではあるが、何よりも僕自身が理性を維持しないといけない。
「ところで、もうすぐゴールデンウィークですけど、みなさんのご予定はいかがですか? ご実家に帰る予定はありますか?」
おかしな空気になってしまうところを、天ノ川さんが話題を変えてくれた。
早いもので、もう4月の下旬だ。ゴールデンウィークも近い。
「僕はまだ決めていませんが、みんなに合わせるつもりです。誰か1人でも残るようでしたら僕も残りますし、3人とも帰ってしまうようでしたら僕も帰ります」
ゴールデンウィークに家に帰るかどうかは状況次第で決める。これは家を出るときに両親にも伝えていたことだった。
「ボクは帰るのが面倒だから、ゴールデンウィークはここに残るよ。ママや弟からも帰ってくるなって言われてるし」
ネネコさんは帰らないらしい。家が遠いので帰るのが面倒というのは僕も同じ考えだ。「帰ってくるな」というのが本心なら家族としてはどうか思うが、きっと自立を促すための愛情表現なのだろう。
「ポロリはおうちのお手伝いをしたいから、しばらく山を下りたいの。料理部の部長さんにもお話して許可をもらっているから、あとは室長さんが許可をくれたらポロリはおうちに帰るの」
ポロリちゃんは家の手伝いか。そうなると寮の朝食を作れなくなるから部長さんにも相談済みであると。さすがポロリちゃんだ、しっかりしている。あとは室長さんの許可……って、僕のことか。
「もちろんOKだよ。しばらくポロリちゃんと会えないのは寂しいけどね」
「えへへ。室長さん、3泊4日なので、よろしくお願いします」
ゴールデンウィークでも土曜日は普通に授業があるので連休は4日間しかない。初日にここを出て最終日に帰ってくるとして、3泊4日という事になる。
「お姉さまは実家に帰るんですか?」
「ネネコさんは、私がかわいい妹を残して実家に帰ってしまうと思いますか?」
「思いません」
「よろしい!」
「ごめんね、お兄ちゃん……」
「いや、寂しいのは本当だけど、僕はポロリちゃんが家の仕事を手伝うのはエライと思うよ。尊敬もしているし、応援もしているから、僕の事は気にしないでね。
あと、僕じゃポロリちゃんの穴は埋められないだろうけど、寮の食事の準備も少しは手伝えるから」
「うんっ」
「では、101号室は3名残留ですから解散の必要は無さそうですね」
「えっ? 解散っていうのはどういう意味ですか?」
「寮の規則で消灯時の人数は3名から6名と決められていますから。詳しくは生徒手帳をご覧になって下さい」
「え~と、生徒手帳の寮の規則……ここですか」
寮の規則 人員の移動
1.諸事情により寮から離れるとき、および寮内の他の部屋に長居する、または泊まる際は事前に室長に報告し、許可を得ること。
2.消灯時の1部屋の人員は3名以上6名以下とし、4年生以上の者が1名以上含まれること。室長不在の場合は4年生以上の者が代理を務めること。
3.同室者の外泊により2名以下になってしまう部屋は、一時的に解散し他の部屋に間借りするか、他の部屋より増員し3名以上とすること。
4.寮内の姉妹制度における姉が部屋を空ける際は残された妹の為に事前に代理姉を依頼すること。(補足:本年度より兄妹の兄も同様の扱いとする)
5.移動の際は移動元と移動先、双方の部屋の室長の承認を得ること。寝具の移動を伴う場合は各自の責任において移動させること。
「なるほど、2名以下だと解散なんですね」
「その通りです。間借りする際にベッドが足りないと運ぶのが大変です」
「ゴールデンウィークはだいたいどんな感じなんですか?」
「そうですね。私は1年の時は実家に帰りましたけど、去年と
半分の部屋が一時解散か。ネネコさんや僕みたいに、帰るのが面倒な人が多いのだろうか。お嬢様学校の生徒なのに実家に帰らない人が半数もいるのが驚きだ。
「食事はどうなるんですか?」
「食事自体はいつもと変わりませんが、全体の人数が半分になってしまいますから効率をよくするために朝食と夕食は開始時刻が遅くなります。具体的には通常の6時から8時までの2時間ではなく7時から8時までの1時間になります」
「売店とかバスはどうですか?」
「売店はいつも通りで、バスは連休の初日と最終日だけです。間の2日は運休です」
「食堂と売店が開いているなら、特に困ることは無さそうですね」
寮生の約半数が実家に帰るとなるとバスはかなり混みそうだし、間の日は外出できないという事か。さて、僕はどうやって過ごすべきだろうか……。
「おはよう、アマアマ部屋のみなさん。ゴールデンウィークの予定は決まった?」
休日の過ごし方を考えながらコーヒーを飲んでいると、明るく元気な声で
部屋着姿の脇谷さんを間近で見るのは初めてだが、僕のスウェットとあまり変わらないような地味な部屋着だった。おそらく男女兼用のものだろう。
「おはようございます、脇谷さん。その『アマアマ部屋』って何ですか?」
「甘井さんの甘と天ノ川さんの天でアマアマ。だからアマアマ部屋……でしょ?」
僕が質問すると、脇谷さんは説明の後でポロリちゃんに確認を取っている。
「うんっ、1年生はみんな
「みんなから『いいな~』ってよく言われるよね」
ポロリちゃんの報告に、ネネコさんが嬉しそうに補足する。どうやらうちの部屋は他の部屋の1年生に人気があるらしい。
「ふふふ……、それは嬉しいですね」
「そうだったんですか。アマアマ部屋か……僕は全く気が付きませんでした」
「それで、そのアマアマ部屋の室長さんにお願いに来たんだけど、いいかな?」
「僕に、ですか? 構いませんけど……なんでしょう?」
「この子、しばらく預かって欲しいんだけどどうかな?」
そう言って、脇谷さんは後ろに隠れていた連れの子を前に出した。
見覚えのある顔と体形だ。丁寧に編まれた2本のお下げ髪に、一度見たら忘れない大きなお尻。科学部の1年生、
「よろしくお願いします。しばらく私を先輩の妹にしてください」
ワンピースで厚手のパジャマを着た畑中さんは両目を
「あのね、お兄ちゃん。ハテナちゃんは、お姉ちゃんが研修に行っちゃうから、1人になっちゃうの。……だからポロリからもお願いします」
ポロリちゃんも並んで頭を下げる。
「お姉ちゃんが研修?」
そうか、お姉ちゃんというのは脇谷さんで、研修というのは、つまり――
「まあ、分かりやすく言うと、私が婚約者の家に泊まるってこと」
――ですよね。なんだろう、このモヤモヤする感じは。女子高生が泊まり込みで、いったい何の研修が行われるというのだろう。
「モエさんが寮を留守にする間は畑中さんが1人になってしまいますから、それで甘井さんにモエさんの代理をお願いしに来た……という事ですね」
天ノ川さんが説明してくれた。寮の規則により、僕が代理の兄という事か。
「ロリの代わりに、101号室に泊まるってことでしょ? ボクは賛成だな」
ネネコさんは賛成のようだ。
「うんっ、ベッドもポロリのベッドを使えば運ばなくて済むの」
ポロリちゃんは自分のベッドを貸すつもりらしい。
「ふふふ……、畑中さんは科学部の後輩ですから、私も大歓迎ですよ」
天ノ川さんも好意的だ。
「あの、私も泊めてもらう間はお兄様のいう事をなんでも聞きますから……」
本人も前向きだ。
「なんでも聞く」って、いったい僕に何をしてくれるつもりなのだろうか。
「ほら、なんでもいう事聞くように教育済だし、とってもいい子だからさ」
脇谷さんが最後の一押しとばかりに色気のある眼差しで、じっとこちらを見て僕の返答を待っている。
――これが「根回し」というヤツか。
すでに答えが決まっている相談だった。これだけ外堀を埋められてしまうと、もう降参するしかないだろう。
とはいえ、この件に関しては、もともと僕が反対する理由など何もない。誰も反対していないのならば、それは全会一致で可決ということだ。
「了解しました。では、脇谷さんとポロリちゃんが不在の間は畑中さんが僕の妹という事で、101号室に寝泊まりしてもらいます」
「ありがとうございます。ふつつかものですが、よろしくお願いします」
畑中さんは、ほっとしたような顔をした後、ペコリと頭を下げた。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「交渉成立だね。ありがとう。じゃ、アマアマ部屋の皆さん、またねー」
脇谷さんがこちらに向けて手を振る。
隣で畑中さんが再び頭を下げてから、2人は仲良く去って行った。
「ポロリちゃんもネネコさんも、畑中さんとは仲がいいの?」
「うんっ、ポロリはね、教室で席がお隣なの。右隣がリーネちゃんで、左隣がハテナちゃん」
そうか、出席番号順で
「ハテナちゃんはガジュマルと同じ部屋で、ボクはガジュマルと同じ部だからね」
ガジュマルとは
「それなら安心だ」
こうして、ゴールデンウィーク期間である来週日曜日からの4日間、101号室はメンバーが1名入れ替わる事になった。
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