第62話 介護演習で介護をする役らしい。

「一通り終わったペアから、今度は立場を入れ替えて始めてください」


「では甘井さん、今度は私が寝たきり老人の役ですから、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 子守こもり先生の指示を受けて、お互いに改めて挨拶あいさつをする。


 今度は、僕が介護をする側だ。天ノ川さんはセーラー服を着たままベッドで仰向けに寝て、待機してくれている。


 最初の課題は更衣介助こういかいじょ。当然ながら天ノ川さんのセーラー服を脱がす必要がある。


 不謹慎であることは十分に理解しているのだが、想像しただけで血液が下半身に集まり、「とある部分」が起き上がってしまった。寝たきり老人が相手なら、こんな事は起こりえないとはいえ、こうなってしまうと変態だと思われてもしかたがない。


 そして、いきなり難問だ。


 僕は天ノ川さんの手際の良さを間近で見学し、手順も覚えたはずだった。

 だが、そこに「セーラー服を脱がす」という項目は存在していなかったのだ。


 クラスメイトの皆さんは毎日着たり脱いだりしているので、当たり前のように着せ方や脱がせ方も分かっている。


 しかし、僕はセーラー服など生まれてから一度も着たことが無いし、ましてや脱がした経験などあるはずもない。つまり、脱がせ方が分からないのだ。


「甘井さん、どうかなさいましたか?」

「すみません、セーラー服の脱がせ方が分からなくて……」


「そうでしたか。では、ご説明いたします。上は、普通のシャツのように着ていますが、両サイドの下にファスナーがありますから、そこを開けると脱がせやすくなるはずです。スカートは、左側にホックがありますので、それを外してみてください」


「分かりました。やってみます」


 まず、セーラー服の両サイドの下のほうにあるファスナーを開ける。そして天ノ川さんの上半身を両手で抱え上げて、体位を仰臥位ぎょうがいから長座位ちょうざいに変換する。


 そのままバンザイさせるように両腕を持ち上げて、同時にセーラー服を少しずつ上に引っ張る……が、まったく動かない。なぜだろうか。


 ――そうか、この腰まである長い髪がセーラー服を押さえているのか。


「えーと、髪を服の中に入れていいですか?」

「そうですね。そのほうがいいと思います」


 僕は天ノ川さんの長い髪をセーラー服の内側に全て入れてから、両腕を持ち上げて、同時に少しずつ服を上に引っ張る。


 頭が抜けると、後はそでだが、長袖なのでくるりと裏返しになってしまった。反対側から手を入れて引っ張って元に戻し、そのままベッドの脇に置く。


 なんとか上手くいったようだ。

 次は替えの服を着せるのだが――


「あの……、着替えに下着が入っていますけど、僕はどこまで着替えさせてあげればいいですか?」


「陰部洗浄は演習項目に含まれていませんから、パンツはそのままでお願いします」


「上半身は……」

「もちろん、ブラは就寝用に替えてもらいますよ」


 さすが天ノ川さん、どこまでも几帳面きちょうめんだ。真面目すぎる。冗談ではないというのが目を見れば分かるので、ここは素直に従うべきだろう。


「分かりました」


 まずは、肩紐かたひものついた薄くて長い下着。

 キャミソール……で良かっただろうか。これを脱がす。


 セーラー服のときと同じように後ろ髪を全てキャミソールの内側に入れる。天ノ川さんの両腕を持ち上げると綺麗きれいわきが見え、甘酸っぱい感じのいい匂いがする。おそらくボディソープか制汗スプレーの匂いだろう。


 次にバスタオルを首にかけ、胸を隠すようにブラの上に被せる。


 これは僕自身が見ないようにする為だが、ちらりと後ろのベッド――僕から見て左側のベッド――の様子を伺うと遠江とおとうみさんがトップレスの状態だった。介護役が無責任なのか本人が無頓着なのかは分からないが、割とオープンなようだ。


 とはいえ僕のほうは驚いて目を逸らしてしまったのだが。


「外しますよ」


 念の為に一声かけてから、天ノ川さんの背中にあるブラのホックを両手で外す。

 ホックの場所は見ればすぐに分かるし、外し方も簡単だが、なぜか手は震える。


 今日のラッキーカラーはライトグリーンのようだ。僕はバスタオルで胸を隠して見ないようにしながらブラを取った。


 次は清拭せいしき、つまり体をいてあげる介護だ。濡れたタオルを用意して天ノ川さんに声をかける。


「体を拭きます」


 僕は右手に濡れタオルを持って、天ノ川さんの体を拭き始める。

 左腕を手のひらから腋の下まで、肩から手の甲まで。

 右腕を手のひらから腋の下まで、肩から手の甲まで。

 背中から腰までも綺麗に拭いて、お腹も優しく拭く。


「甘井さん、もっと拭いて欲しいところが残っていますよ」

「いいんですか? 直接触ってしまって……」


「私は構いませんよ。甘井さんがお嫌でなければ」

「では、失礼します」


 嫌なわけがない。

 僕は濡れタオルで天ノ川さんの胸を優しく拭いてあげた。


「もう少し強く拭いてみて下さい。あと、胸の間と胸の下に汗が溜まりますから、このあたりを念入りにお願いします」


 僕は言われた通りに少し力を入れて胸を拭く。左右の胸の間を拭いた後、左手でスイカのような胸を片方ずつ持ち上げて右手で胸の下を拭いた。


 バスタオルの隙間から見える白い肌に、青くうっすらと浮かぶ血管、ときどき漏れる甘い声、くらくらするような甘酸っぱい匂い、そして手のひらに伝わる胸の弾力。


 とても学校の授業とは思えない、まるで夢の中にいるような状況だった。


 次に天ノ川さんの着替えの中から就寝用のブラを取り出す。ワイヤーが入っていない、紐の太いブラで、色は黒。眠るときはこちらに付け替えるようだ。


 頭と両腕を通して上から被せ、バスタオルをどかして胸にぴったりと……これがなかなか上手くいかない。


「これ、天ノ川さんは毎日着て寝ているんですよね? 着るだけでも大変ですね」


「ふふふ……実はこれ、普段はパンツと同じように下から着ています」

「ああ、なるほど」


「ですから、一度下ろしてから上げれば上手く収まりますよ」

「了解です」


 大きな胸は無事にブラに収まったので、次はパジャマだ。


 ごく普通の前開きのパジャマで、ボタンの位置は男性の着るものと同じだ。おそらく男女兼用のものなのだろう。着せるのは難しくないが、やはり胸のあたりはボタンが留めづらい。


 上を着せたので、ここで体位変換。ゆっくりと上半身を下ろして長座位から仰臥位に戻ってもらう。


 スカートのホックは左側らしい。

 よく見るとズボンと同じような作りになっていた。


 男女で位置が違うだけのようで、こちらのホックも簡単に外すことが出来た。ファスナーを下まで下ろした後、パンツが見えないようにバスタオルを掛けながら、少しお尻を持ち上げてスカートを下ろす。続いて左右の靴下を脱がす。


 僕は先ほどから緊張しているのか興奮しているのか、のどが渇き、手が震えてしまっている。この状況で平然としていられる天ノ川さんは本当にすごいと思う。


「脚を拭きます」


 脚を拭いてあげているというよりは、拭かせて頂いているという感じだ。体を拭かれて気持ちがいいのは理解できるが、拭いていて気持ちがいいのは何故だろう。


 天ノ川さんの胸は柔らかかったが、太もものあたりも同じように柔らかかった。柔らかいといっても、ただ柔らかいだけでなく、しっかりとした手応えがある。食べ物に例えるなら蒟蒻こんにゃくゼリーとかグミキャンディーみたいな感じだ。

 

 拭き終わったら、パジャマの下を穿かせて、更衣完了だ。


「更衣完了です。すみません、だいぶ時間がかかってしまって」

「そんなことはありませんよ。私は下着まで替えていただきましたから」


「そう言ってもらえると助かります。では、体位を変えます」

「はい。よろしくお願いします」 


 僕は天ノ川さんの両手を曲げて本人の胸の上に乗せる。続いてひざを立てて、かかとをお尻に近づける。そして肩とひざに手を掛けて手前に転がすように倒す。


 これで仰臥位から側臥位そくがい


 続いて、ひざから下をベッドの外に出した状態で、天ノ川さんに体を密着させてお尻を軸に90度抱き起こす。


 これで側臥位から端座位たんざいになる。体位変換は完了だ。


「はい、お疲れ様でした」


「さすがですね。私よりずっと手際が良かったですよ」

「いえ、天ノ川さんのやり方を真似まねしただけですから」


「ふふふ……、これで私もおやつの時間ですね」

「そうですね。ちょっと待っててください」


 備え付けの冷蔵庫からヨーグルトを1パックとスプーンを用意し、天ノ川さんの右隣に座る。


「おまたせしました。はい、あーん」

「あーん…………んっ、おいしいです」


 さっきは天ノ川さんに餌付えづけされてしまったが、今度は僕が餌付けする番だ。


「はい、あーん」

「あーん」


 これだけ嬉しそうに食べてくれると、介護も楽しいかもしれない。


「はい、あーん」

「あーん」


 こんなに緩んだ感じの天ノ川さんは滅多に見られない。


「はい、あーん」

「あーん」


 なんだろう。このかわいい生き物は。


「はい、あーん」

「あーん」


 食べさせてもらうより、食べさせてあげるほうがずっと楽しい。


「はい、あーん」

「あーん」


 もう一つ食べさせてあげたいくらいだ。


「これで最後です。あーん」

「あーん……はぁ、ごちそうさまです。こんなにおいしいヨーグルトは初めてです」


「そうですか? それはよかった」


 食事介助の後は口腔こうくうケアだ。僕はヨーグルトの容器とスプーンを片付けて、歯ブラシと練り歯磨きを用意する。


「では、歯を磨きます」


 僕が歯ブラシにハミガキを乗せると、天ノ川さんはやや顔を上に向けて目を瞑り、控えめに口を開けた。


 歯ブラシを小さく開いた口に差し入れると、天ノ川さんは驚いたように目を開け、再び目を瞑る。口は半開きのままだ。なんだかイケナイことをしているような気分になる。


 少しずつ当てる角度を変えながら、ゆっくりと歯ブラシを前後に動かす。まず左上の外側を、次に左下の外側。一度歯ブラシを抜き、入れなおして右上の外側、右下の外側、痛くないように前後にやさしく動かす。


「んっ……」


 天ノ川さんの口の端から白く濁った水が垂れる。

 僕はウェットティッシュでそれを拭きとる。


「はい、つばを出して下さい」


 紙コップを渡すと、天ノ川さんは口の中にたまった唾液を吐きだした。


「今度は内側を磨きますから、もう少し口を開けてください」


 天ノ川さんは恥ずかしそうに口を開ける。僕は天ノ川さんのあごを左手で軽く押さえてから、歯ブラシを挿入し、小刻みに動かす。左上の内側、左下の内側。ブラシの向きを変えて右上の内側、右下の内側……。


「んっ……」


 天ノ川さんの口の端から再び白く濁った水が垂れる。

 僕はウェットティッシュでそれを拭きとる。


「はい、また唾を出して下さい」


 紙コップを渡すと、天ノ川さんは口の中にたまった唾液を吐きだした。


「では、舌を出してください」


 天ノ川さんは素直にペロッと舌を出した。舌ブラシで舌を綺麗に磨く。僕は舌の奥を磨かれて気持ち悪くなってしまったが、天ノ川さんは平気なようだ。


「はい、お疲れ様。うがいしてください」


 最後にうがいをしてもらい、天ノ川さんの口の周りをウェットティッシュで綺麗に拭いて、口腔ケアは完了だ。


 その後は再び体位変換で、端座位から側臥位を経由して仰臥位に戻す。これは重力に逆らわず、ゆっくりと転がすような感じなので楽だった。


 最後に更衣介助で服をもとに戻したのだが、パジャマの前のボタンを外すのは、僕には刺激が強すぎた。そのうえ就寝用のブラにはホックがないので、脱がすにはペロンとめくるしか方法が無く、まさに「おっぱいポロリ」な状況だった。


 それでも怒ったり騒いだりせず、嫌な顔ひとつしないで僕を受け入れてくれるのが天ノ川さんのオトナなところだ。


 今日は介護を学んだはずだったが、どういうわけかセーラー服の脱がせ方まで教わってしまった。実践する機会は2度とないだろうから、これは貴重な体験だ。

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