第56話 昼食の配膳係を頼まれたらしい。

 3時間目終了のチャイムが鳴る。この学園では午前中の授業は3時間目までしかないので、もう昼休みだ。


「甘井さん、かわいい妹さんがお呼びですよー」


 授業が終わってすぐに、前列右端、教室の入り口に一番近い席に座る栗林くりばやしさんに呼ばれ、すぐにそちらへ向かう。


「お取り次ぎ、ありがとうございます」


 栗林さんに礼を言って廊下へ出ると、ポロリちゃんが僕を待っていた。


「ポロリちゃん、どうしたの? 何かあったの?」


「うん。あのね、緊急事態なの。ジャイコ先輩がお休みでお昼の配膳はいぜん係が足りないから、ポロリと一緒にお手伝いに来て欲しいの」


「ジャイコさんが? それは大変だね。僕でよければ喜んで」


「ありがとう。今から……でもいい?」


「もちろん。一応天ノ川さんに伝えてくるから、ちょっと待っててね」


 一度教室に戻り、天ノ川さんに声を掛けてから教室を出る。今までずっとお昼は僕と一緒に食べてくれていたので、無断でどこかへ行くのは失礼だろう。


「それで、ジャイコさんは大丈夫だいじなの?」


「あのね、…………でね…………なの。だからジャイコ先輩のことは心配しなくてもだいじだよ」


 一緒に食堂へ向かいながらポロリちゃんに尋ねると、小さな声で教えてくれた。


 どうやら、ジャイコさんは生理休暇らしい。授業には普通に出席しているそうだが、配膳係は立ち仕事なので無理なのだそうだ。


「でも、立っていられないくらいつらいんでしょ? 女の子って大変だね」


「うんっ、とっても大変なの。だからね、お兄ちゃんにも協力してほしいの」


 僕にとっては他人事だが、返答するポロリちゃんの表情は真剣で、同じ辛さを知る者の答え方だった。


「僕にでも出来そうな事なら、いつでも協力するよ」

「ありがとう、お兄ちゃん」


 食堂に到着し、カウンターの奥にある料理部の部室の扉を開ける。ここに連れて来てもらうのは一昨日の朝以来だ。


「おはようございまーす!」

「おはようございます……って、まだ誰もいないね」


 現在時刻は11時25分。昼休みになったばかりなので、僕たち2人が一番速かったようだ。昼食開始は12時なので準備の時間は30分ほどしかない。


「準備は『きのうおととい』の朝と、ほとんど同じなの」


 一昨日のことを共通語では「おととい」というが、ポロリちゃんは「きのうおととい」という。ちなみに明後日も同様に「あさって」ではなく「あしたあさって」だ。


 地元の言葉なのだが、妙に丁寧なところが実にポロリちゃんらしい。


「了解。白衣と帽子はロッカーの中のものを借りていいんだよね?」


「うんっ、お靴もサイズが合うのを借りて履くの」


 制服の上着を脱ぎ、白衣に着替える。そして白い帽子を被って、スリッパから厨房用の靴に履き替えれば準備完了だ。


「お兄ちゃんは、『きのうおととい』みたく、ご飯を炊く用意をしてほしいの」


「朝と同じように1袋一気に炊いちゃっていいの?」


「うんっ、それでね、スイッチを押す前に先輩に確認してもらうの」


「そうだったね。じゃ、そこまでやってみるよ」


 僕は前回上田さんに教わった通りに、厨房の隣にある食糧倉庫から5キロの米袋をひとつ持って厨房に戻る。


 朝のように2袋持ってくるか迷ったが、お昼は全員がここで食べる訳ではなく、しかもパスタを選ぶ人も結構いる為、おそらく朝の半分くらいで足りるだろう。


 炊飯器は今日の朝も使用しているはずだが、洗浄済で綺麗になっていた。


 米を炊飯器に入れ、やかんに水を入れているとクラスメイトで料理部員の百川ももかわツクネさんが厨房に入ってきた。


「ダビデさん、今日はありがとうね。助かるよー」


「――?」


 目の前にいる人は百川さんで間違いないはずだが、いつもの百川さんと違って口調がやけにフレンドリーだ。それに、普段より髪が長い気がする。


 しかも、なぜか髪型がポロリちゃんとお揃いのツインテールだ。

 しっぽの長さは、ポロリちゃんよりは少し長い。


 ではクラスメイトの百川ツクネさんとそっくりな、「女将おかみ」こと料理部部長の百川ハラミ先輩が髪型を変えたのだろうか……というと、それもまた違うようだった。


「初めまして、だね。私が百川3姉妹の真ん中、ランチ担当の百川葱鮪ねぎまだよ。よろしくね」


 なるほど、3姉妹でしたか。真ん中という事は5年生か。5年生とは音楽と体育で合同授業があるが、それは明日以降なので、この先輩とは今が初対面だ。


 3姉妹は3人とも高校生だから、それぞれに妹もいるはずなので、実質6姉妹か。


「こちらこそ、よろしくお願いします。すみません、3人ともよく似ているので驚いてしまいました」


「まあ、まずは水を止めてよ。あふれちゃってるよ」


「あっ! すみません。急いで準備します」


 僕は重いやかんの水を炊飯器に注ぎ、水面をラインに合わせる。


ふたを閉めたらガスせんひねって、スイッチを押してみて」


「はい。……こうですね」


「はい、よくできました。確認完了です」


 ご飯の炊き方は覚えた。お昼まであと30分。僕は何をすべきなのか。


「ありがとうございます。次は何をしたらいいでしょうか?」


「配膳……は開店後だから、それまでフロアのお掃除をお願いしていいかな。フロアは簡単に目立つゴミをホウキとチリトリで。テーブルも汚れているところをさっとくだけでいいから」


 それくらいの掃除なら僕でもできそうだ。


「分かりました」


 先輩に命じられた通り、フロアの掃除を開始する。中学時代は、みんなに押し付けられてイヤイヤやっていた仕事だが、そのお陰で掃除ならほかの仕事よりは得意だ。


 開店前と言っても券売機が止まっているだけなので、早めに食堂に来て読書をしている人や、無料のお茶を飲んでくつろいでいる人もいる。


 そんな人たちも、僕に気付くと声を掛けてくれて、先輩はねぎらいの言葉をくれるし、後輩は応援したり手伝ったりしてくれる。この雰囲気がとても心地よい。


 掃除を一通り終え、道具をかたづけて厨房に戻り、手を綺麗に洗って消毒する。


 まだ時間に余裕があったので、前回教わった調味料の確認と箸の補充をしながら指示を待つ。既に厨房には味噌みそ汁やカレーのいいにおいが漂っている。


「ご飯が炊けているから、ちょっと大変だけど、甘井さんはジャーに移して下さい」


「はい」


 この作業も前回教わった。ガス炊飯器には保温機能がないので、カウンターの上のジャーに移す必要がある。ご飯の量は約10キロなので力仕事だ。


 落としたら大変なので何回かに分けて慎重に運ぶ。僕が運んでいるうちに百川先輩は券売機の準備をし、ポロリちゃんは盛り付けを始めている。


 今日の日替わり定食はエビフライのようだ。そのほかにカレーとオムライス、ナポリタンのスパゲッティがある。お昼のメニューはそれだけだ。


 券売機の準備を終えた百川先輩から配膳の説明を受ける。


 前半余裕があるときは常に全種類2食ずつカウンターに乗る状態を保つように、売れ方に応じてその都度補充すると上手くさばけるらしい。


 百川先輩はオムライス、ポロリちゃんはエビフライを状況に合わせて追加してくれる手筈てはずになっていて、僕は出来上がったものをよそって渡すだけだ。


 量の調整は自由なので、リクエストには応えられる範囲で応えてよい事になっている。エビフライの数も基本は3本だが増量して4本でもいいそうだ。4本欲しがる人よりも2本でいいという人の方が多いので問題ないらしい。


 チャイムが鳴ると食堂の中が少し騒がしくなり、券売機に生徒が並び始める。

 男子生徒がいないので、むさくるしくないし、皆上品なので、慌ただしくもない。

 さすがお嬢様学校だ。


 先頭の2人組がゆっくりとこちらに歩いてきた。僕がやることは小学校や中学校の給食当番と変わらないのに、なぜかとても緊張する。


「お願いします、センパイ!」

「私のも、お願いします」


 最初の2人組は3年生だ。まだ名前を覚えていないが、体育や音楽で同じ授業を受けているので顔には見覚えがあった。注文は2人ともナポリタンのスパゲッティだ。


「量はこのくらいでいいですか?」


 お嬢様方が普段お昼に食べる量が分からないので一応確認を取ると、「はい!」と1人が答えた後、もう1人が「私は、もうちょっと!」と答えたので増量してあげると「えー、じゃあ私もー」と、もう一人も増量を希望し、ともにやや大盛で渡した。




「ダビデさん、ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 次に柔らかな物腰の先輩2人組が、揃って日替わり定食の食券を出してきた。面識はないので5年生か6年生かは分からない。


 先輩は僕がご飯をよそう途中で「ストップ! そのくらいでいいよ」と小盛のご飯を受け取り、もう1人の先輩も「私もご飯少な目で」と減量を希望した。




「あっ、ダビデしぇん輩だ。お願いしまっしゅ」

「なに、かわい子ぶってるの? お願いしゃす」


 続いて、見覚えのない後輩2人組。1年生か3年生なら合同授業で見覚えがあるはずなので、おそらく2年生だろう。食券は2人ともカレーライスだ。


「大盛でお願いしまーしゅ」

「大盛って、かわいく無くない? 私も大盛で、お願いしゃす」


 僕はリクエストに応じて両方のお皿にご飯とカレーを増量してお渡しする。


「はい、このくらいでどうでしょう?」

「わーい、ありがとうございまーしゅ」


 2年生の2人組は大盛カレーを嬉しそうに受け取ってくれた。




「ダビデ君、お疲れー」

「ふふふ……、甘井さん、お疲れ様です」


 今度は2人とも見知った顔、クラスメイトの脇谷わきたにさんと天ノ川さんだ。


「ああ、どうも」


 食券は2人ともオムライスなので量の変更はできないのだが――


「ダビデ君、ケチャップで私の名前を書いてみてよ」


 脇谷さんがこんなことをおっしゃった。


「モエさん、それは無茶振りではないかと思いますが……」


 天ノ川さんがやんわりと抗議してくれたが、2人の後ろには誰も並んでいないようなので僕は脇谷さんのご要望に応えることにした。


「えーと、平仮名でいいですか?」と言いながら僕は平仮名で「もえ」と書く。


 書き終えてから、呼び捨ては失礼だと思い「さん」を付け加えて「もえさん」にしてから、脇谷さんに「はい、どうぞ」と渡すと、「惜しいね。ちょっと貸して」とケチャップを取られて「もえさん」の後にハートマークを付け加えられた。


「このくらいはサービスしてくれないと」

「モエさん、それをご自分で書き込んでしまうのはどうかと……」


「じゃ、こっちで練習してみて」


 脇谷さんは、そう言って天ノ川さんのオムライスを指差す。

 僕は天ノ川さんに目で確認を取る。


「ふふふ……、そういう事でしたら、私もお願いします」


 ケチャップで「みゆきさん♡」と書いて渡すと、その様子を後ろで見ていた百川先輩が「そのサービスいいねー」と感心していた。僕は見られると恥ずかしいのだが。




 その後も順調に配膳係をこなし、無事任務は完了。あっという間の1時間だった。


 今日の配膳で僕が気づいたことは3点。


 1点目は、ランチタイムの食堂利用者は2人組が圧倒的に多く、1人だけで来る人や、3人組、4人組はほとんどいないという事。


 2点目は、一緒に来る人は、ほぼ同じものを同じ量だけ頼むことが多いという事。


 3点目は、下級生のほうが上級生より多く食べる傾向があるという事だ。


 この3点は、この学園のお嬢様の特性なのではないだろうか。


 男子の場合は2人組が特に多いという事は無さそうだし、相手と全く同じものを頼む必要もないだろう。中学時代の僕はずっと1人だったが、それが当たり前だった。


 それに、中学生から高校生になって食べる量が減るという事もない。女子の場合は高校生になると、それまでは成長に必要だった分の食事が要らなくなってしまうのかもしれない。あるいは単に体重を気にしているだけなのかもしれないが。


「じゃ、残った分は賄いね。それでも残ったら冷凍保存だから」 

「えへへ、食べ放題なの」


 そういえば、自分たちのお昼がまだだった。残った分は食べ放題らしい。

 ほどよい残り具合で、3人で分ければ丁度良いくらいの量に見える。


 百川先輩はナポリタン大盛、ポロリちゃんはカレーライスを食べるようだ。百川先輩が大食いというわけではなく、たまたま残りが大盛1杯分だったからだろう。


「ダビデさん、お疲れ様」

「ありがとうございます。いただきます」


 僕は百川先輩からオムライスにエビフライを添えた「特製まかない定食」をいただいた。もちろん、ポロリちゃんの作ったおいしい味噌汁付きだ。


 オムライスには百川先輩がケチャップで「おつかれさま♡」と書いてくれた。


 たしかに、これはよいサービスかもしれない。そう思いながら、いつもと違う席で少し遅めのランチを満喫したのであった。

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