入寮7日目

第55話 かわいい妹に誤解されたらしい。

 7日目の朝を迎えた。

 寮に来てから1週間、ここでの生活にもだいぶ慣れてきた。


 ポロリちゃんは今日も朝食の準備に早番で参加。任務を終えてから僕たち3人と合流して、いつものように、いつもの席に座り101号室の4人で朝食をとる。


 人手不足なら僕も朝食の準備を手伝うつもりだったが、ポロリちゃんが料理部にお友達の大間おおまナコさんを誘ったそうで、僕の出番は無くなった。


 ポロリちゃんと一緒にいられる時間が減るのは少し寂しい気もするが、朝食準備の人手不足が解消されるのはいいことだ。それに、大間さんなら力仕事も容易だろう。


 一方、昨日の夜に初めて2人きりで食事をしたネネコさんだが、奥歯が抜けたばかりだというのに、何事もなかったように隣で普通に食事をしている。


「ネネコさん、具合はどう? もう痛くないの?」


 僕が心配して声を掛けると、ネネコさんはゆっくりと口の中のものを飲み込んでから、こちらに笑顔を向けてくれた。


「昨日は少し痛かったけど、血も止まったし、今はなんともないよ」


「それはよかった。抜いた後も少し痛いって言っていたから心配したよ」


「『痛がっても途中でやめないでよ』って、お願いしたのはボクだからね」


 昨日はたしかにネネコさんからそう言われたが、泣いている女の子の歯を引き抜く事には、少し罪悪感はあった。それに、あと数日後ならもっと楽に抜けた気もする。


「僕は、悪い事しちゃったかな、まだ早かったのかな……ってちょっと思ったけど」


「そんなことあるわけないじゃん。ミチノリ先輩が上手にやってくれたから、血が出ちゃっても思ったほど痛くなかったし」


「初めてだったから自信は無かったけど、そう言ってくれると安心だよ」


「次にやってもらうときも、ミチノリ先輩のベッドでいい?」


 そうか。そういえば昨日、反対側の歯も残っていると言っていた。左右の歯はほぼ同時期に抜けるはずだから、近いうちにまた僕が抜いてあげる必要があるのか。


「もちろん。次は痛くしないように気を付けるから」


「ボクは痛くてもガマンできるから、もっと乱暴にしてくれても平気だよ」


 ――カタン。


 僕の前で小さな音がした。

 顔を向けるとポロリちゃんが焦点の定まらないような目をしたまま固まっている。

 しかも、今の音はどうやらはしを落とした音のようだ。


「ポロリちゃん?」

「どしたの? ロリ」


 様子がおかしいので、僕とネネコさんが声をかける。


「あのっ、あのね……、ポロリはネコちゃんとお兄ちゃんが仲良しなのは知っているし、ネコちゃんもお兄ちゃんも応援してあげたいとも思っているけど……」


 ポロリちゃんは珍しく慌てた様子で、普段よりずっと早口で、やや地元なまりだ。

 そして顔が見る見る赤くなった。しかも、なぜか涙目だ。


「寮のお部屋でそういうことをするのは、ホントはイケナイことだし……。

 だからポロリはね、2人でしちゃった事は、みんなにはナイショにしておいたほうが、いいと思うの……」


「えっ?」

「何言ってんの?」


 僕もネネコさんもポロリちゃんの言っている意味がよく分からなかった。


「ふふふ……、鬼灯ほおずきさん、心配はいりませんよ。いくら仲がよくても、甘井さんとネネコさんが私たちの部屋でそんな破廉恥な事をするはずがありませんから。


 それに、ネネコさんはまだ13歳になっていませんから、鬼灯さんの想像通りならば、たとえそれが合意の上での行為であっても、甘井さんは退学どころか警察に呼ばれてしまいますよ」


「警察沙汰……ですか?」

「ボク、何か悪い事した?」


 天ノ川さんがポロリちゃんをなだめてくれているようだが、ネネコさんも僕も何の事やらさっぱり分からない。


「私は昨晩、お風呂場でネネコさんから直接事情を聞きましたけど、鬼灯さんは昨日部屋で何があったのかを知らないはずですから、誤解されて当然です」


「誤解……ですか?」

「ボク、昨日は部屋でミチノリ先輩に歯を抜いてもらっただけだよ」

「――――⁉」


 ネネコさんの説明に、ポロリちゃんは目を大きく開き、何度も瞬きする。顔は赤いままだ。いったい、どのあたりをどう誤解したのだろうか。


「甘井さんもネネコさんも分かっていないようですけど、今の会話だけを聞いて客観的に解読すると、こうなりますよ……」


 誤解の要因を天ノ川さんが解説してくれるようだ。


「昨晩ネネコさんが、自らの痛みを伴う『ある行為』を甘井さんにお願いしました。

 甘井さんは『ある行為』を遂行し、その結果ネネコさんは出血してしまいました。

 甘井さんは『ある行為』に対して『まだ早かったのかな』と罪悪感を覚えました。

 甘井さんは『ある行為』が初めてで自信がありませんでしたが、ネネコさんの評価は高く『ある行為』が上手くいったことに安堵あんどしました。

 そして、ネネコさんは『ある行為』を次もベッドでしてもらう事をお願いし、甘井さんは次の『ある行為』の際に痛くしないように努めることを誓うと、ネネコさんは『ある行為』の痛みは我慢できるから、もっと乱暴にされても平気だと言いました。


 ……さて『ある行為』とは、いったいどのような行為しょうか?」


「正解は『僕がネネコさんの奥歯を抜いてあげた』ですけど、これでは違う意味にも取れるかもしれないですね……」


 加えて言うと、ネネコさんは僕のベッドに仰向けに寝て、僕はネネコさんに覆いかぶさるようにして、ネネコさんの小さな口に指を突っ込んだのだ。


 僕の指に残ったネネコさんの唇や舌の感触を思い返すと、歯を抜いてあげただけでも、かなりいかがわしい。これは風紀を乱す行為だったのかもしれない。


 だが、ポロリちゃんが想像していたのは、おそらくもっと生々しい男女の営みだ。

 いくらなんでも、ネネコさんと僕との間では起こりえない。


 ポロリちゃんからは、ネネコさんと僕がそんな行為をしてしまうような関係に見えたのだろうか。だとすると――


「ロリがエロいだけじゃん!」


 ネネコさんの結論は全面的にポロリちゃんを責める内容だった。


「ネコちゃんとお兄ちゃんがヘンなこと言うからだよぉ」


 ネネコさんの意見も一理あるが、それではポロリちゃんがかわいそうだ。


「ボクはヘンなことなんて言ってないよ。全部ホントの事じゃん」


「歯を抜いてもらうだけで、あんなふうに言わないよぉ」


 それはどうなのだろうか。僕はネネコさんが変なことを言ったとは思わないし、自分自身も変なことを言ったという自覚は全くなかった。


「それなら、ロリもミチノリ先輩に歯を抜いてもらえばいいじゃん」


「子供の歯なんかもう残ってないよぉ」


 ネネコさんの無茶振りにポロリちゃんが反論する。

 どうやらポロリちゃんは全て歯替わり済みらしい。


「ボクはまだ1本残ってるから、ミチノリ先輩にオトナにしてもらうんだ!」


 その表現はさすがに共犯者の僕が聞いても、どうかと思うが……。


「ポロリはもうオトナだもん!」


 これは「子供の歯が残っていない」という意味ですよね? 僕はそう思いたい。


「そうだね。ボクと違ってロリは、もう生えそろってるもんね」


「そんな恥ずかしいこと、お兄ちゃんがいるところで言っちゃだめだよぉ! 

 ネコちゃんのエッチ!」


「え? なんで歯が生えそろうとエッチなの?」


「あっ……」


 冷静さを欠いていたポロリちゃんが我に返り、ますます顔を赤くする。

 小さな顔が、まるで大きなリンゴのようだ。


 天ノ川さんは2人のやり取りを見て、笑いをこらえている。


「ほら、やっぱりロリがエロいだけじゃん!」


 ネネコさんは勝ち誇ったような顔で断言した。


「…………」


 ポロリちゃんは何も言い返せなくなり、泣きそうな顔で下唇を噛みながら恥ずかしそうに下を向いてしまう。


 口喧嘩くちげんかはネネコさんの圧勝だった。


 僕が数日前にネネコさんから教えてもらった、ポロリちゃんに関する極秘情報。その内容が真実であるという事までも、ポロリちゃん本人が自白してしまったのだ。


 どこまでが天然で、どこからが作戦なのかが全く分からなかったが、ネネコさんを敵に回すと恐ろしいという事は、これでよく分かった。


 今回の場合は口喧嘩というよりは、ただポロリちゃんが自爆しただけのような気もするが、その原因は僕にもあるので心苦しい気分だ。


「ネネコさん! 鬼灯さんの勘違いとはいえ、いくらなんでも言い過ぎです」


「はーい。――ごめんね、ロリ。ボクが言い過ぎたよ」


 天ノ川さんの指導が入り、ネネコさんもすぐにポロリちゃんに謝罪した。


「ううん、ポロリがエッチなことを考えちゃったのがいけなかったの。ネコちゃんごめんね。お兄ちゃんも、今の話は聞かなかったことにしてね……」


 ポロリちゃんに慰めの言葉を掛けてあげたいところだが、この場でどう声を掛けてあげればいいのか……僕には見当もつかない。


「了解。今の話は聞かなかった事にするよ」


 真っ赤な顔で泣きそうになっているポロリちゃんに、僕はただ目を合わせてこうやって答えてあげる事しかできなかった。


「ボクがミチノリ先輩とエッチなんか、するわけないじゃん!」


 ネネコさんはポロリちゃんに念を押すように宣言した。

 もちろん僕もネネコさんとは同意見だ。


 だが、ネネコさん本人から直接こう言われてしまうと、僕は「男性としての魅力が皆無である」と念を押されたような気がして、切ない気分になったのであった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る