コウクチ先生の裏話 その2

第54話 部活動の顧問が楽になるらしい。

 今から3か月ほど前の事だ。俺は授業を終えて職員室に戻り、次の授業で使う資料の作成に取り掛かっていた。他の先生方は部活の指導などの為に出払っていて、ここには誰もいない。


 我々教師は、授業が終わったからと言って、すぐに家に帰れる訳ではない。生徒の指導は生活のすべてだと言ってもいいくらいだ。やりがいがある仕事ではあるが、雑務に追われての残業も多い。


「せんせっ、お疲れ様」

「またお前か。今度は何だ?」

「今日も部活やりたいんだけど見に来てくれる?」


 中でも面倒なのが部活の顧問だ。特に運動部の顧問が大変だと聞くが、幸いなことに、うちの学園はスポーツが盛んなわけではない。


 だが、活動している部の数に比べて教員が少ないので、俺もいくつかの部の顧問を任されている。四六時中付き添っているわけではないが、生徒の疑問や質問には答えてやらないといけない。


「ああ。この仕事が終わったらな。もう少しかかるから、それまでは自由に活動していてくれ」


 俺の担当は天文部と化学部と生物部。理科の教師が1人しかいないのだから仕方がないとはいえ、3つも受け持つとさすがにきつい。


「えーっ、つまんないの」


 そして、こいつは自称生物部の部長。ほかの部員を俺はまだ見たことがないし、こいつ自身もたしか声楽部員だったはずだ。


「顧問なんかいなくても、生物部の活動に問題は無いだろう?」


「問題あるに決まってるでしょ? 先生が来てくれなかったら私ひとりじゃない」


 ひとりで部活をやろうというのが、そもそも間違った考えだろう。普通は廃部という結果になるのだろうが、そのあたりの事情は俺にとっては正直どうでもいい。


 だが、ひとりでも生物部の部長として活動を継続する気はあるらしく、先日は「何か生き物を飼いたいんだけど、何を飼ったらいいの?」と俺に相談をしてきた。


 俺は生き物を飼うには適切な環境を与えて世話をしてやる必要があり、それがどれだけ大変な事かを説明してやったのだが、すると今度は「毎日エサをやらなくても死なないヤツがいい」と言ってきた。


「そんな生き物いるわけがないだろう」と突っぱねてしまうのは簡単だが、一応俺も顧問なので真面目に相談には乗ってやった。


「お前はひとりで何のために生物部の部長なんかやっているんだ?」


「それくらい、先生が自分で考えてよ!」


 俺はこいつの担任だが、こいつの言っていることは支離滅裂で全くわけが分からない。ここはあまり深く関わらずに、放っておくのが最善の策だろう。


「失礼しまーす」


 続いて、やけに胸板の厚い生徒が職員室に入ってきた。本当は胸がでかいだけなのだが、冬服を着ていると、やたらガタイがよく見える。


 この生徒は3年生。天文部員の天ノ川あまのがわだ。

 物分かりの良い、とても真面目な生徒だ。


 ――なのにどういうわけか、この小柄な自称生物部の部長と非常に仲がいい。


「ジャイアン先輩? こんなところで何をしていらっしゃるのですか?」


「部活だよ。私、生物部の部長だから」


「えっ? 声楽部はお辞めになったのですか? それに、うちの学校に生物部なんてありましたっけ?」


「ミユキ、そこは……空気読んでよ」


「えっ……あっ! あー、ありましたね、生物部。生物部も楽しそうですね」


「でしょ? ミユキも入部しない?」


「嬉しいお誘いですが、つい先ほど、お姉さまから天文部の次期部長を任されてしまいまして……」


「すごいね! まだ3年生なのに次期部長なんだ!」


「うちの部には残念ながら4年生も5年生もいませんから……お姉さまが卒業してしまったら、私はどうしたらいいのか……それを先生に相談しようと思いまして……」


「そっか。じゃあ私に任せてみない? いい考えがあるの」


「いい考え……ですか?」


「そう。――それじゃ、せんせっ、理科室で待ってるからねっ!」


 自称生物部部長は、次期天文部部長を連れて、職員室から出ていった。




 誰もいない静かな職員室はとても仕事がはかどる。俺はすぐに資料を作り終え、本来の職場である理科室へ向かった。


 コツコツと静かな廊下に俺の足音が響く。

 廊下を歩くとき、俺はわざと大きめの音を出して歩くようにしている。


 これは周囲に自分の存在を知らせる為だ。女子校でコソコソと忍び足で歩いていたら怪しい男だと思われてしまうし、気が弱い生徒といきなり出会ったら驚かせてしまう事になる。


「入るぞー」


 教室に入る前には必ず声で合図をする。


 これも女子校の教師には必要な事だ。生徒が俺に聞かれたくない話をしていることもあるだろうし、俺自身も、そんな話を耳にしたくはない。


 理科室に入ると、先ほど職員室に来た2名に加えて、さらに2名、4名の生徒がバラバラに座っていた。


 奥の席で背筋をまっすぐに伸ばしているのが、天文部の部長である6年の星野ほしの


 手前の席に座って読書中の、メガネを掛けた生徒が、化学部の副部長である4年の升田ますだだ。


 中央に、さきほど職員室に来た2名、5年の心野こころのと3年の天ノ川が座っている。


「先生、実は重大なお知らせがあります」


 天文部部長の星野が思い詰めたような表情で、こちらに近づいて来た。


「6年は、もう引退の次期だったな」


「はい。それで、天文部は今年度限りで廃部にしようと思います」


 さっき天ノ川が「次期部長を任された」と言っていた気がしたが、俺の聞き間違いだろうか。それとも天ノ川が断ったのだろうか。


「そうか。それは残念だな」


 新任の俺にとっては全く思い入れが無い部ではあるが、星野は6年間天文部で活動をしていたのだ、心残りはきっとあるだろう。


「コウクチ先生、我ら化学部も存続は無理と判断しました。今年度を持ちまして、廃部とさせていただきたく思います」


 化学部は部長からして幽霊部員だ。升田は副部長ではあるが、管理部の手伝いもしている。その上、他にまともな部員は1人も残っていなかった。


「化学部も廃部か……」


 部活が無くなれば俺の仕事は楽になるが、廃部に立ち会うのは、あまりいい気分ではない。こいつらは、この後どうする気なのだろう。6年の星野は今年度一杯で卒業してしまうが、升田は4年、天ノ川はまだ3年だ。


「というわけで先生せんせ、我が生物部が天文部と化学部を吸収合併するから、承認して」


 吸収合併か。まさか自称の部長しかいない生物部だけが存続するとは驚きだ。


「升田も天ノ川も、それでいいのか?」


「異存はございません」

「もちろんです。お姉さまも賛成してくださいました」


 天ノ川は星野を「姉」として慕っている。この学園の寮の姉妹制度で、姉妹は3年間ずっと同じ部屋で生活を共にする決まりになっているそうだ。


「星野も賛成なのか?」


「はい。私の夢はもう叶いましたから、後の事はトモヨさんに全てお任せします」


 先日、星野から「お陰様で宇宙人との結婚が決まりました」と言われたときは頭がおかしくなったのかと思ったが、どうやら本当に宇宙飛行士の嫁になれたらしい。


「そうか。それならよかった」


「では、来期の新体制を発表します。部長は私、心野智代こころのともよが務めます」


 パチ、パチ、パチ、パチ――残りの3人が拍手をしたので、俺も付き合う。


「副部長は、チートね」


 パチ、パチ、パチ、パチ――升田が頭を下げる。チートとは升田の事らしい。


「ミユキは、夏季限定で水泳部の部長」


 パチ、パチ、パチ、パチ――天ノ川が頭を下げる。


 本来うちの学園に水泳部は無かったのだが、星野が「宇宙人になるためには水泳の訓練が必要です」と言い出して水泳部が発足したらしい。天文部の活動の一環として星野が水泳部の部長も兼任しており、夏場はほとんどプールで過ごしていたようだ。


「そして、合併後の部の名前も生物部から科学部に改めます!」


 パチ、パチ、パチ、パチ――。


 科学部か。その名称なら廃部ではなく合併といえる。なかなか考えたな。


「発表は以上です。これなら先生せんせも指導が楽でしょ?」

「ああ、これなら俺も助かる。ありがとな」


 これで俺の仕事も少しは楽になるだろうと思ったが、こいつに呼び出される回数は日に日に増えていった。こいつがなぜ自称生物部部長なんかやっていたのか。俺が理解できたのはもう少し後になってからの事だった。

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