第57話 夢には手を伸ばせば届くらしい。

「今日は新学期最初の進路調査です。卒業まであとたった3年しかありませんから、そろそろ将来の目標を明確に決めておきましょう」


 4時間目はLHRロングホームルーム。担任の新妻にいづま先生がクラス全員に進路調査票を配り始めた。


 ――卒業まで、まだあと3年もある。


 ここに来てまだ1週間の僕はそう考えてしまうのだが、この学園のほとんどの生徒の考え方は、そうではない。


 この学園のお嬢様にとっては、卒業と同時に嫁ぐ事は当たり前の事なのだ。


 つまり、ここを卒業するまでのわずかな時間だけが女の子でいられる時間であり、4年生になると、その残り時間はたった3年しかないのである。


 僕は、配られた調査票に目を通した。




 進路調査票


 あなたの卒業後の進路について教えてください。


 1.嫁ぎ先が既に決まっている。

 嫁ぎ先について、差し支えのない範囲でご記入ください。


 2.嫁ぎ先は決まっていないが専業または兼業主婦(主夫)を希望する。

 相手に対する希望を出来るだけ具体的に細かくご記入下さい。


 3.進学を希望する。

 進学先の希望を出来るだけ具体的に細かくご記入下さい。


 4.その他

 具体的な展望および将来の希望を細かくご記入下さい。


「よく考えて記入してくださいね。とくに専業主婦希望の場合は、正確に記入してください。相手に対する希望は具体的に。


 例えば、お医者様が希望なら、専門は内科なのか外科なのか。病院のある場所はどのあたりがいいとか。


 大学教授がいいけど40歳以下に限るとか。スポーツ選手がいいけど体臭の強い人は無理とか。政治家がいいけど禿げはイヤとか。そんなこともでも構いません。


 今のあなたたちには相手を選ぶ権利があります。迷っているうちにだんだん選択肢は狭まってしまいますから、決断は早ければ早いほど有利です。


 まだ具体的に決めらないという人は、周りの意見を参考にしたり、相談してみたりしてもいいですよ」


 相手を選ぶ権利か……。だが、それは若さが嫁としての評価に直結する、女の子だけの特権だ。男である僕には養ってくれる相手を選ぶ権利など、あるわけがないと思うのだが……。


「ふふふ……、甘井さん、そんなに悩む必要はありませんよ。若い子がモテるのは、男性も女性も同じですから」


 天ノ川さんが僕の様子を見て話しかけてくれた。

 この人は僕の心が読めるのだろうか――そう思ったのは、これで何度目だろう。


「そうなんですか? 僕がここを卒業できたとして、女性から見たら高卒の若僧より渋いオジサンのほうが、カッコよくないですか?」


「渋いおじ様がカッコいいのは、若い男性より収入があるからです。同じだけ稼げるのでしたら将来性もある若い男性の方がずっと素敵です」


「なるほど。収入はカッコよさに含まれるわけですね」


「主夫を目指すのでしたら、家事さえこなせれば収入は問われませんから、純粋に若い人の方が年輩の人よりも需要があるということになります。


 その点においては、男性も女性も変わらないと思いますよ。もちろん、ある程度のコミュニケーション能力は必要ですけど」


「ああ、たしかにそうかもしれませんね」


「それに、女性のほうが男性より寿命が7年ほど長いですから、パートナーと近い時期にこの世を去る為には男性の方が7つくらい年下で丁度いいと思います」


「7つ年下ですか……。でも、そうなると、天ノ川さんは今から8歳くらいの人を探さないといけないですね」


「私も出来ればそうしたいところですが、小学生のかわいい男の子には残念ながら収入がありませんから、それを考えると実際は7つ年下どころか7つ以上年上になってしまうと思います」


「天ノ川さんは、それでもいいんですか?」


「男性の場合は、女性と違って高齢でも子供は作れるそうですので、収入さえ充分であれば年齢はあまり気にしていません。私の父より年上でもいいくらいです」


 いや、お父様より年上というのは、さすがにどうだろう。

 まあ本人がいいと言っているのだから、僕は何も言わないけど。


「僕らから見て7歳年上だと今22歳、3年後なら25歳ですか。結婚相手の女性としては適齢期じゃないですか? 僕が若すぎるだけで」


「甘井さんは、専業主夫を希望されるのですか?」


「そうですね。20代の女性で僕なんかを養ってくれる人がいるなら、収入はそれほど無くても僕は全然構わないと思っています」


「甘井さんでしたら、きっとその条件で、卒業前に就職先が決まると思いますよ」


「そうですか? 天ノ川さんも専業主婦志望ですよね?」


「ふふふ……、実は、私は政治家を目指しています」


「政治家? 大学で政治を学んで、どこかの議員にでも立候補するんですか?」


「いいえ、そんな無謀な事は考えていません。もっと確実な方法です」


「確実……ですか?」


「はい。自分が議員に立候補するより、最初から有力な与党の若手議員に嫁いで、その人に活躍してもらう方が確実だと思いませんか?」


「……天ノ川さん、すごい事を考えていますね」


「甘井さんは、無理だとお思いですか?」


「無理とは言いませんが、かなり無茶ではないかと……」


「ふふふ……、与党の議員に嫁げるかどうかは最終的には運任せです。でも目標は高い方がいいと思いませんか?」


「たしかに、そうですね」


 天ノ川さんの進路調査票の希望する相手には、「与党の有力な政治家で、総裁になれそうな人。バツイチでも禿げていても構いませんが、出来れば50歳くらいまでの方」と書いてあった。与党の総裁……って、つまり総理大臣か。高望みすぎる……。


「お姉さまが教えてくれたのです。夢は大きい方が楽しいって」


 お姉さまというのは、おそらく寮の同じ部屋で天ノ川さんと昨年度まで3年間一緒に暮らしていた、春に卒業してしまった先輩の事だろう。


「天ノ川さんのお姉さまって、どちらへ嫁がれたんですか?」


「私の姉は、4年生だった頃から『宇宙人と結婚する』と公言しておりまして、私はずっと冗談だと思っていたのですが、無事に宇宙飛行士のお嫁さんになりました」


「宇宙飛行士ですか。それは宇宙の人ですから、確かに宇宙人ですね」


「ふふふ……、宇宙飛行士の数は国会議員よりずっと少ないですから、私の目標なんて、お姉さまと比べたら全然大した事ありませんよ」


 大した事ありません……か。


 総理の嫁になれるかどうかはともかくとして、政治家の嫁くらいなら天ノ川さんにとっては実現可能な、手を伸ばせば届く範囲内の夢なのだろう。


 僕から見ても、天ノ川さんの美貌びぼうと手際の良さに加えて、この大きなおっぱいがあればオトコを1人落とすくらいなら簡単そうに思える。相手が巨乳好きだったなら、きっと瞬殺だろう。


「貴重なアドバイスをありがとう。参考になりました」


 とはいうものの、僕の希望はかなり抽象的だ。譲れない部分は「不安のない場所で幸せに暮らす事」という1点だけで、相手の職業などはどうでもいいのだ。


 僕は、調査票に回答を記入する。選ぶのは当然2番だ。


 2.嫁ぎ先は決まっていないが専業または兼業主婦(主夫)を希望する。


 そして、相手に対する希望か……養ってもらうなら相手は大学か短大、または専門学校を出ているだろうから僕より3歳以上は年上になるだろう。


 天ノ川さんの話によると夫婦仲良くこの世を去るには7歳上がベストらしい。年齢があまり離れすぎているのもどうかと思うので、相手の年齢は3歳上から10歳上まで……いや、20代なら別に構わないか。


 他に相手に希望があるとするなら、心が広くて優しい人がいい。容姿が一定の水準以上なら、なおいいだろう。よほど酷くなければ、普通以上なら許容範囲だ。


 心が病んでいない人で、容姿が醜悪ではない人……とでも書いておこう。


「どう? そろそろ書けたかしら?」


 そう言いながら、新妻先生が僕の用紙をのぞき込んだ。


「甘井さん、少し自分を安く見積もりすぎですよ。3年後には、あなたも優嬢学園卒の初代エリート主夫なんですから『容姿端麗』とか『年収1000万』くらい書いてもいいのよ」


 エリート主夫か……。


 今の僕は全くの素人だが、3年間頑張れば容姿端麗なご主人様に養ってもらえる可能性はあるわけか。僕としては年収1000万よりそっちのほうがいい。そもそも年収1000万なんてどうやって稼ぐのだろう。月で割ると80万以上だ。


「容姿端麗な女性なら有難いですけど、年収1000万はいくらなんでも多すぎじゃないですか? 300万くらいで生活していけませんか?」


「そうね。独身か持ち家なら年収300万もあれば充分やっていけるけど、2人で賃貸住まいだと300万は結構きついわよ。子供を育てるなら最低でも400万はないと厳しいわね」


「そうなんですか」


 今まで年収について考えたことなんてなかったが、それだと子供のいる家は少なくとも年収400万以上は稼いでいるという事か。僕の父さんがそんなにたくさん稼いでいるとは驚きだ。


「この学園の卒業生は子供を3人以上育てる事が望まれていますから、そうなると最低でも年収500万以上はあったほうがいいと思わない?」


「3人も、ですか?」


「そうしないと我が国の人口は減る一方でしょう? 親2人に対して子供2人でやっと現状維持ですよ。今は結婚しない人や子供を作らない人も多いから、そのことを含めて考えると3人育てても全然足りないくらいなのよ」


 そうか、全員が結婚できたと仮定しても、各家庭で子供が1人では人口減少。2人でやっと現状維持。人口を増やす為には各家庭で子供が3人以上は必要なのか。


 結婚する人の割合が2人に1人だとすると子供4人でやっと現状維持だ。

 人口を増やすためには子供が5人は必要という計算になる。

 単純な計算だが、それがどれだけ大変な事か。


 女性が30歳を超えてから結婚するのが当たり前な今のこの国の状況では、ほぼ不可能ではないか。


 日本の人口がどんどん減っていく理由が、今になって、ようやく僕にも分かったような気がした。そして、今のこの国の危機的状況を打開できるのは、おそらくこの学園のお嬢様たちだけなのだろう。

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