第52話 今日の夕食はふたりきりらしい。

 部活動も終わり、そろそろ夕食の時間だ。


 科学部では新入生歓迎会を兼ねた夕食会が行われる事になった。見学者であった僕も声を掛けられたのだが、今回は遠慮して101号室に一度戻ることにした。


 誘われて断るのも申し訳ないとは思ったが、心の準備が出来ていなかったし、出来ていたとしても、きっと僕だけ浮いてしまうだろう。


 誰かと一緒に食事をするのなら、同室のネネコさんやポロリちゃんとの方が、僕はずっと気が楽だ。消極的なのはあまりよくないという自覚はあるのだが……。


「ただいまー」


 部屋に戻ると、Tシャツにショートパンツの、いつもの部屋着姿のネネコさんが自分の椅子に座っていた。僕が朝に干して、昼休みに取り込んだ服だ。


「おかえり。……あれ、お姉さまは? 今日は科学部で一緒じゃなかったの?」


「これから新入生の歓迎会だって。僕は部員じゃないから遠慮して帰って来たよ」


「新入生って誰?」


畑中はたなかさんっていう、3つ編みで大人しそうな感じの子」


「畑中ハテナちゃんか。お尻が大きくて強そうな子でしょ? ミチノリ先輩には大人しそうな子に見えるんだ」


「お尻が大きい畑中ハテナさんで間違いないけど、大人しい子じゃないの?」


 お尻が大きいと「強そう」というのは、なんとなく分かる。畑中さんには中学生離れした貫禄があるのだ。天ノ川さんの胸が「強そう」に見えるのと同じ理由だ。


「さあ。ボクには強そうには見えるけど、大人しそうには見えないから」


 大人しそうに見えたのは丁寧に編まれた2本の3つ編みのせいなので、実際はそうではないのかもしれない。そのあたりはクラスメイトであるネネコさんからの評価の方が、精度は高いだろう。


「科学部の新入生は畑中さん1人だけみたい。陸上部はどうだったの?」


「1年生は3人。ガジュマルとボクと、今日からリーネも入ったよ」


 リーネ? 昨日までネネコさんはリーネさんのことを真瀬垣ませがきと呼んでいたはずだから、わずか1日で仲良くなったという事か。


「呼び方が真瀬垣じゃなくなったって事は、リーネさんとは仲良くなったんだ」


「名前で呼べ、ってうるさかったからね。今日はガジュマルがお休みだったから、2人でずっと一輪車に乗って遊んでた」


 一輪車か。宇佐院うさいんさんがリーネさんを陸上部に誘ったというわけか。


 一輪車が陸上部のカテゴリーに含まれるのかどうかは疑問だが、きっと科学部と同じで「何でもアリ」なのだろう。


「一輪車って難しくないの?」


「難しくはないけど、男だとコーガンが痛くなるんでしょ?」


 睾丸こうがん? つまりゴールデンボールのことか。保健の授業で習ったのだろうか。

 いや、たしか保健では精巣せいそうと教わるはずだが……、まあ、どっちでもいいか。


「僕は乗ったことがないけど、たしかに痛そうだね。一輪車って、女の子しか乗らないよね」


「女の子なら痛くないし、ずっと乗ってると、なぜか気持ちよくなるからね」


「そうなんだ。なんでだろうね?」


「ミチノリ先輩、顔がにやけてるよ。知ってるのがバレバレじゃん」


 僕が知っているのを隠したというよりは、ネネコさんには知らないでいてほしかったのだが、考えてみれば「いまさら」か。「机のかどでねー」とか言っていたし。


「実は昨日、宇佐院さんに教えてもらったからね。リーネさん対策として」


「そっかあ、それでリーネがご機嫌だったのか」


「作戦は上手くいったみたいだね。さすが宇佐院さんだ」


「ところでさ、今日はどうするの? ご飯にする? 先にお風呂にする? それとも何か他にすることある?」


「えっ?」


 僕はネネコさんの主婦っぽいセリフに驚いてしまった。もし僕が先に部屋に戻っていたとして、こんなセリフをネネコさんに言ってあげることが出来ただろうか。


「お風呂はボクが準備しといたよ」


 僕だったら、きっとここまで気が回らないだろう。


「ありがとう。でもポロリちゃんがまだ戻ってないでしょ?」


「ロリは夕食の当番だから、みんなと一緒には食べれないって。さっき一度戻って来たけど、またすぐ出て行っちゃった」


「……って事は、今日は2人だけか。食事と風呂の順番は、僕はどっちでもいいよ」


「じゃあ、先にご飯がいいな。ボクお腹空いちゃったよ」




 ――というわけで、今日の夕食はネネコさんと2人だけになった。


「ネネコさん、これ、なんか不自然じゃない?」

「なんで? いつもボク、この席じゃん」


 2人で厨房ちゅうぼう内のポロリちゃんに挨拶あいさつしてから、生姜焼き定食の乗ったトレイをいつもの席に運んだだけなのだが、何かがおかしい。


 いつもネネコさんの正面に座っている天ノ川さんと、僕の正面に座っているポロリちゃんが欠席の為、4人掛けのテーブルにネネコさんと僕は2人で横に並んで座っているのだ。


「普通、2人だと向かい合って座るんじゃないの?」


「いいじゃんべつに。そんなことより早くお皿こっちに寄せてよ」


 僕が不自然な点を指摘しても、ネネコさんは気にせずマイペースだ。


「ああ、そうだったね」


 僕が生姜焼きの入った皿をネネコさんのほうに寄せると、ネネコさんは器用に取り除いたタマネギだけを僕の皿に移す。肉が好きでタマネギが苦手なネネコさんの常套手段だ。


 ネネコさんがネギ抜きで、僕がネギ増し。

 やっている事は、まったく普段通りなのだが、はたから見たらどうなのだろうか。


 いつもは天ノ川さんとポロリちゃんが前に座っていて気にならなかったが、今日は周りから見られているような気がして、なんだか落ち着かなかった。


 実際、奥のテーブルに居た科学部の4人がこちらを見ていたようなので、一応僕は軽く頭を下げて挨拶した。


 それでもネネコさんがご機嫌だったので、そのまま深く考えずにネギ増しの生姜焼き定食を食べていたのだが――


「あだっ!」


 と、声を上げたネネコさんが左のほおを押さえて、途中で食事をやめてしまった。


「どうしたの? 具合でも悪いの?」


「うん、ちょっと調子が悪くなっちゃって、今日はもう無理みたい。半分残しちゃってもいい? ミチノリ先輩は、まだ入るよね?」


「僕は問題ないけど。それだとネネコさんが、後でお腹空かない?」


「なら、食べ終わったら売店まで付き合ってよ」


「了解。じゃ、残りは僕が食べるよ」


 なんだかよく分からなかったが、ネネコさんの調子が悪いようだ。口の中をんでしまったのだろうか。それとも虫歯なのだろうか。


 僕はネネコさんを待たせるのも悪いと思い、出来るだけ急いでネネコさんの食べ残しを含めて全て平らげた。「食べ残しは厳禁」というのが、ここでは鉄のおきてだ。


 いつもよりみそ汁がおいしく感じたのは、ネネコさんの飲みかけだからというわけではなく、きっとポロリちゃんが心を込めて作ってくれたからだろう。


「ごちそうさまでした」

「ごめんね。ボクの食べ残し、押し付けちゃって」


 生姜焼き定食超大盛は、なかなかのボリュームで、僕はむしろありがたかった。


「気にしないでいいよ。僕は久しぶりにお腹いっぱいになったし」


 続いて、一度寮を出て校舎に入る。ネネコさんは部屋着なので厳密には校則違反なのだが、午後6時以降は先生も見ていない為、特におとがめもないらしい。


 ネネコさんは売店の無人レジでゼリー飲料を買うようなので、カードリーダーに僕のジョーカをかざす。――ちりーん。薄暗い売店に決済音が響く。


「えっ、なんで?」


 ネネコさんは驚いているが、いくら食べかけとはいえ生姜焼き定食を半分おごってもらったのだから、このくらいのお礼をするのは当然だろう。


「生姜焼き定食を半分おごってもらったお礼」


「そっか。ありがとね」


 ネネコさんはゼリー飲料のふたをひねり、パックを握りつぶしながら、その中身を豪快に一気飲みした。


 その後は2人で部屋に戻り、101号室のルールに従って先に僕が風呂に入る。


 天ノ川さんもポロリちゃんも、おそらく帰りは遅いだろう……とはいっても、2人とも寮内、徒歩1分ほどの距離にいるのは分かっているので心配は無用なのだが。


 洗面所で歯を磨いた後、服を脱いで浴室に入ると、僕が風呂に入っている間に洗面所を使う音がしている。


 どうやらネネコさんも歯を磨いているようで、その後、何度も何度もうがいをする音がしている。やはり虫歯が痛むのだろうか。


 僕は洗面所の物音が完全に消えたのを確認して、風呂から上がった。


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