第51話 眼鏡の先輩は友達募集中らしい。

「科学部って、具体的にはどんなことをするんですか?」


「そうですね。知的好奇心を満たす事でしたら、なんでもアリです。普段はこうしておしゃべりしているだけのことも多いですけど」


「去年までは天文部と化学部と生物部に分かれていたのを、私たちが1つの部にまとめたの。だからホントになんでもアリだよ。実験道具も自由に使えるし、生き物も飼える。ちゃんと世話できれば、だけど」


「生き物? 何か飼っているんですか?」


「今はこれだけですよ」


 天ノ川さんは机の横に置いてあった砂の入ったバケツを見せてくれた。


「なんですか? これは」


 砂しか入っていないように見えるが、この砂の中に、何かいるのだろうか。


「ちょっと待っててね」


 部長さんは、通用口のドアを開けて外へ出て、すぐに戻って来た。


「お待たせ!」


 部長さんは右手に何かをつまんでいるようで、それをバケツの中に落した。


 ――それは、1匹のありだった。


 蟻はバケツの中の砂漠にある小さな穴に滑り落ちた。


 登ろうとするが、穴の中央から吹き上げる砂の流れに飲まれるように、ずるずると底に落ちていく……そして、あっという間に何かに挟まれて砂の中に引き込まれた。


 僕は見ていて背筋がぞっとした。


「どう?」


「どうって……何ですか? このおっかないのは」


「アリジゴクです」


「蟻さんには申し訳ないけど、蟻がえさだからね。小さな虫なら蟻以外も食べるよ」


「これがアリジゴクですか。僕、初めて見ました。なんだか恐ろしいですね。餌は毎日やらないといけないんですか?」


「1か月くらいは何も食べなくても平気みたいです。ですから誰にでも飼えます」


「愛着もかないけどね」


「僕はどちらかというと蟻の立場で見てしまうので、あまり見たくないです」


「たしかに、そうかもしれませんね」


「そろそろ、食べ終わるよ」


「えっ?」


 アリジゴクは干からびた蟻をペッと巣の外に投げ出した。


「器用ですね」


「居場所さえ知っていれば、つかまえるのも簡単だよ……ほら」


 部長さんは、いとも簡単にアリジゴクを巣からつまみ出した。大きさは1センチくらいで小さなクワガタのようなあごがある。


「砂の上に置くと巣を作り始めるよ。ほら」


 アリジゴクは後ろ向きに円を描くようにズルズルと下がっている。


「後ろ向きに歩くんですね」


「そう。前には進まないみたい」


「不思議ですね」


「面白いでしょ?」


「そうですね。これって、普段はどこにいるんですか?」


「乾燥した砂地ならどこにでも住めますが、雨が降ると溺れてしまいますから、雨の当たらない木の根元や縁の下などに生息しています」


「この子たちは、春休みに近くの神社で私が捕まえて来たんだよ」


「ふふふ、あのときは部長のスカートが砂埃すなぼこりで真っ白でしたね」


「パンツまで砂まみれだし、髪の毛は蜘蛛くもの巣でベトベト。でも、楽しかったなー」


「また行きましょうか。昆虫採集」


「いいね! ミチノリくんも行くよね?」


「それは楽しそうですね。ところで、部員は2人しかいないんですか?」


「もっといますよ。兼部や幽霊部員を含めれば、たしかあと5人くらいは」


「いつもいるのはミユキとチートと私の3人かな」


「チー先輩は5年生で、うちの副部長です。去年まで部長が生物部、副部長が化学部で、私が天文部だったんです」


「チートは1年生を捕まえに行ったまま、まだ帰ってこないけどね」


「新入生は誰もいないんですか?」


「みんな上の階に取られちゃったよ。誰かさんのお陰で!」


 そう言って、部長さんはくりくりとした目で、あごを引いて上目遣いに僕を見る。にらまれているはずなのに威圧感は全くない。


「それは申し訳ないです。僕もあんなに反響があるとは思わなくて……」


「ふふふ、今や甘井さんは学園一の人気者ですから」


 人気者というよりは、ただのいじられキャラなのだが、みんなも悪気はないようだし、節度もわきまえている。前の学校と違っていい人ばかりなので安心だ。


「あの時は私も偵察に行ったのに、満員で入れなかったもん。ううう、悔しい」


「それは、部長の日ごろの行いが悪いからです。『ミユキはお留守番ね』なんて言って、私を置いて自分だけ見に行ったから、バチが当たったんですよ」


「ああ、それで天ノ川さんは僕が美術部の見学に行ったのを知ってたんですね」


 天ノ川さんがれてくれた3杯目の紅茶を飲みながら、楽しくおしゃべりしていると、ガラガラと戸の開く音がした。


「お待たせしました。新入生を1名ゲットしました!」


 この学園では珍しい眼鏡めがねを掛けた生徒がドヤ顔で入ってきた。

 きっと、この人が副部長さんだろう。


「おおっ! ついに我が部にも新入生が!」

「チー先輩、さすがです」


 副部長さんに連れられて新入生の女の子が入ってくる。ちょっと緊張しているようで、初々しい感じだ。そして、僕はそのお下げ髪の子には見覚えがあった。


「1年生の畑中果菜はたなかはてなです。よろしくお願いします」


 昨日の昼休みに食堂で僕が握手した子で、丁寧に編まれた髪と、大きなお尻が印象的だ。お尻は大きいが、太っているというわけではない。安産型と言われる体形だ。


 畑中さんは、僕と目が合うと少し驚いたような顔をして、恥ずかしそうに眼をそらした。


「私が部長の心野智代こころのともよ。よろしくね、ハテナちゃん」


「私は4年生の天ノ川深雪あまのがわみゆきです。こちらはゲストの甘井さん」

「甘井ミチノリです。よろしくお願いします」


 僕は入ってきた2人に頭を下げた。


「2人とも座りなよ。じゃあ、チートは私のとなり、ハテナちゃんは私の正面ね」


「ほーい」

「失礼します」


 2人は部長さんの指示通り席に着く。

 副部長さんが僕の正面の席に、畑中さんは僕と天ノ川さんの間の席に座る。


 天ノ川さんはカップを2つ追加して新たに紅茶を用意している。

 部長さんは畑中さんに活動内容を説明しているようだ。


 僕は正面に座るメガネの副部長さんから声を掛けられた。


「私が副部長、5年の升田知衣ますだちいですよ。ダビデさん」


「はい。今日は勧誘に出られていたと聞いています。僕は天ノ川さんの紹介で見学に来ました。4年の甘井ミチノリです」


「ふっふっふ、どうだい、このメンツは。気に入ってもらえたかな?」

「はい。部長さん、とても面白いかたですね」


「ダビデさんはツインテールが好きかい? 妹さんもツインテールなんだろう?」

「ああ、たしかに僕の妹も2つに結んでいますけど……」


 2人ともよく似合っているとは思うが、部長さんもポロリちゃんも、どんな髪型にしても多分かわいいだろう。僕自身は女の子の髪型には特にこだわりはない。


「他のメンツはどうだい、メガネっ子と巨乳と巨尻だ。最高だろ?」

「まあ、悪くはないですけど……」


 眼鏡をかけている人はここではごく少数だし、天ノ川さんの胸も畑中さんのお尻も一目で分かるほど大きい。たしかに目立つだろうとは思う。


 だが「キョニュウ」はともかく「キョジリ」というのは、聞き慣れない言葉だ。


「ついに揃ったんだよ。最高のおっぱいと最高のお尻。夢のコラボの完成だ」

「はあ」


「せっかく苦労して勧誘してきたのに……この感動を分かち合えないとは……」

「もしかして、それだけの理由で畑中さんを誘ったんですか?」


「もちろんだよ!」


 副部長さんは自信満々に肯定した。でも、実際僕自身が「男子である」という理由だけで興味を持たれているわけだから、おかしな事ではないのかもしれない。


「胸が大きい」とか「お尻が大きい」というのは相手が男性なら、それだけでも武器になるだろう。メガネは微妙だが、副部長さんに関しては鼻筋が通っていて、なかなか似合っているとは思う。


「ん? どうかしたのかい?」

「いえ、副部長さんは、たしかにメガネが似合っていると思います」


「おお、意外と話が分かるじゃないか。おっぱいとお尻はどうだい?」

「僕はどちらも素敵だと思いますけど」


 ネネコさんが「おっぱい好き」なように「お尻好き」な女性がいたとしても不思議ではないだろう。


「おー、わかってくれるか。心の友よ!」

「ん、チート、今、私を呼んだ?」


 隣に座る部長さんが副部長さんの声に反応する。


「いえ、ダビデさんと新入生獲得の喜びを分かち合っただけです」

「ふふっ、その調子で引き留めておいてよ」


「言われなくても分かっておりますとも。 ――ところでダビデさん」

「はい」


「いま部長から、あなたを引き留めておくよう言われたのだが、科学部とはダビデさんにとって、どんな位置づけだい?」


「位置づけ……ですか。人数が少ないので、居心地は良さそうな感じですけど」


「だが、ぶっちゃけ、少し退屈……だったりはしないかい?」


「そんなことはないですけど、今日から入部しようとも思っていません」


「それは何故だい?」


「僕自身、自分が何をしたいのかが分かってなくて、無責任に入部して幽霊部員になってしまうのも悪い気がしますので」


「なるほど。ダビデさんは、まだ自分探しの旅の途中という事か」


「そう言われると、すごく恥ずかしいですけど、まさにそんな感じです」


「ならば、私も協力しようじゃないか。心の友よ!」

「チート、そっちは話進んだ?」


 再びフルネームで呼ばれた部長さんが、こちらを気にしている。


「もうしばらくお時間を。――ダビデさん、私はあなたと友達になりたいと考えている。受け入れてもらえるかい?」


「えっ? 副部長さんが、僕と……ですか?」


 友達になるのって告白が必要なのだろうか。相性がよければ自然になっているものなのではないだろうか。それに、この人とは先輩後輩の関係だ。失礼ではないだろうか――そんなことを考えているうちに、僕はネネコさんと出会った初日に「オレたちはダチだろ」といれて、嬉しかったことを思い出した。


 この学園で僕が一番仲よくしてもらっているネネコさんとは、友達であると同時に先輩後輩の関係でもある。失礼なんてことは全然ないのだ。


「科学部の副部長としてではなく、升田個人としてのお願いなのだよ」


「それって、升田先輩が、僕の友達になってくれるって事ですか?」


「そう。逆も然りだ。ダビデさんに、私の友達になってもらいたいというわけさ」


「分かりました。僕なんかでよければ喜んで。こちらこそよろしくお願いします」


「ありがとう。いやー、実は部長とミユキさんが仲良すぎてね。私も気軽におしゃべりできる相方が欲しかったのだよ」


「それなら、畑中さんと仲良くすればいいんじゃないですか?」

「ダビデ先輩、お呼びですか?」


 隣に座る畑中さんが自分の名前に反応し、こちらを向いてくれた。僕は先輩と話すときはとても緊張するが、1年生と話すときはそうでもない。しかも畑中さんとは既に面識もある。


「升田先輩が、畑中さんに、個人的にも仲良くしてほしいって」

「ありがとうございます。こちらこそお願いします」


 畑中さんは恭しく頭を下げた。

 スカウトされて一緒に来た時点で相性はいいはずだ。


「では改めて、2人とも今日から私の友達ということで、部活中もそれ以外でも、見かけたら気軽に話し掛けておくれよ」


「分かりました。これからも、よろしくお願いします、升田先輩」

「ふっふっふ、今日の所はここまでかな。いい話を仕入れたら、ダビデさんにも情報を提供するよ」


「それは楽しみです」


「話は終わった? それじゃ、この後は新入生歓迎会。部員は全員参加ね」

「あの、お姉さまの許可を取ってからでもいいですか?」


 部長さんの号令に、畑中さんが質問する。


「もちろん。ミチノリくんはどうする?」


「僕は遠慮しておきます。また、次の機会に。今日はありがとうございました」


「えっ? ダビデ先輩は参加しないんですか?」

「残念ですが、こちらの都合で束縛するわけにはいきませんからね」

「すみません、甘井さん。鬼灯ほおずきさんとネネコさんにはよろしく伝えて下さい」


 入部しない僕が参加するのもどうかと思い、参加を辞退する。


 畑中さんは少し寂しそうな顔をしてくれたが、升田先輩も天ノ川さんも僕の答えが分かっていたようで、特に引き留められることもなく、僕は理科室を後にした。

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