第50話 科学部員は好奇心が旺盛らしい。

 今日の放課後は、天ノ川さんの案内で科学部を見学することになっている。科学部の活動拠点である理科室は、校舎の1階の西の奥。美術室の真下の部屋だ。


「入りまーす」

「お邪魔します」


 天ノ川さんに続いて理科室に入る。校舎の南側にある大きなポプラの木が直射日光を防いでおり、部屋の中は薄暗い。


 室内には食堂のテーブルを2つ並べたくらいの、大きな机が6つあり、それぞれの机に流しとガスバーナーが付いている。他の教室と違い、廊下を通らずに直接外に出られる通用口もついているようだ。


 窓側の中央の席に1人。小柄な生徒が部屋全体を見渡すように、こちら向きに座っていた。日本一有名なボカロキャラには及ばないが、長いツインテールが印象的だ。


「やったね! さすがミユキ! ホントに連れて来てくれたんだ!」


 そのツインテールで小柄な生徒が、こちらを見て喜んでくれている。


「ふふふ、甘井さん、こちらが『ジャイアン先輩』ですよ」


 ――この人が「ジャイアン先輩」か。


 くりくりとした目で、かわいい感じの先輩だ。やや茶色っぽい髪は長く、左右対称に分けられた長い2本の髪の束は、真っすぐでサラサラな感じに見える。


 同じ部の先輩なら当たり前なのかもしれないが、天ノ川さんを名前で呼び捨てにしている人を見たのはこれが初めてだった。きっと、とても仲が良いのだろう。


「初めまして、4年の甘井ミチノリです。天ノ川さんの紹介で見学に来ました。よろしくお願いします」


「こちらこそ。私が科学部の部長、6年の心野智代こころのともよです。――あっ、そんなところに立ってないで、2人とも座って!」


 こころのともよ先輩か。それで「ジャイアン先輩」なのか。


「ふふふ、私がお茶をれますから、甘井さんはこちらへ」

「はい、では失礼します」


 僕は天ノ川さんの指示に従って部長さんの斜め前の席に座る。部長さんは僕を観察するようにくりくりと上下に目を動かす。ジロジロと見られているはずなのに、なぜか不快な感じは全くしない。不思議な人だ。


「もうハカリに取られたのかと思った。かれちゃったんでしょう?」


 ハカリというのは美術部の部長さん、口車くちぐるま先輩のことだろう。

 柔肌やわはださんが「ハカリお姉さま」と呼んでいた気がする。


 口車ハカリ先輩は、長身の先輩で多少の威圧感はあったが、あの時は決して無理やり脱がされたわけではない。


「いえ、僕が美術部にご迷惑をかけてしまって、そのおびとして……です」


「えっ? そうなの? ハカリに何か口止めされてない?」


「はい、特に何も。それで、モデルをお願いされたので引き受けただけで」


「お願い…………まあいっか。ゾンビのところは?」


 ゾンビ? ……そう呼ばれそうな先輩に、1人だけ心当たりはあった。


「もしかして、陸上部の鹿跳しかばね先輩ですか?」


「そう。鹿跳ゾンビ。ホントはアリミだけどね」


 なるほど、鹿跳存美しかばねありみ先輩か。誰も名前で呼んでいなかったので、下の名前までは知らなかった。


「陸上部は面白かったので、またお邪魔しようかと思っています」


 陸上競技が面白かったというよりは、宇佐院うさいんさんの話が面白かったのだが。


「そうなんだ。他の部は?」


「昨日の朝、朝食準備のお手伝いをして、料理部の百川ももかわ先輩にご挨拶あいさつしました。今のところ、それだけです」


「まだ決めてないんだ」


「はい。今のところは」


「お茶が入りましたので、どうぞ」


 天ノ川さんが紅茶を淹れてくれた。小さくて綺麗なティーカップだ。普段はどこかに隠しているのだろうか。それとも、許可をとって置いてあるのだろうか。


「ありがとー、さあ、一緒に飲も!」

「ありがとうございます。いただきます」

「ふふふ、私も混ぜてくださいね」


 天ノ川さんが僕の左側に、1人分の席を空けて3人の位置がほぼ正3角形になるように座る。


 もしかして部員は2人しかいないのだろうか。そんなことを考えながら、温かい紅茶をいただく。穏やかな午後のティータイムだ。


「部長、就職先が決まったそうで、おめでとうございます」


「えーっ? なんでミユキが知っているの?」


「ごめんなさい。公表済みかと思っていました。機密事項でしたか?」


「べつに。いいけどさ、照れくさいでしょ、いろいろと」


 天ノ川さんが部長さんにお祝いの言葉を贈る。


「就職先が決まった」というのは、この学園では、「嫁ぎ先が決まった」という事だ。それなら、たしかに照れくさいのかもしれない。でも、おめでたい事には違いないので、ここは僕も祝福しておくべきだろう。


「そうだったんですか。おめでとうございます」


 僕も笑顔でお祝いの言葉を贈った。だいぶ自然に笑えるようになってきたので、もう顔が引きつったりはしていないと思う。


「ミチノリくん?」

「はい?」


 部長さんがなぜか僕のほうをにらんでいるように見える。それに、どうして名前で呼ばれたのだろうか。自分が名前で呼ばれたいというわけではなさそうだし……。


 僕は余計な事を言ってしまったのだろうか。


「私の事を『おばさん』って呼んだら、大声で泣くからね!」

「え?」


「ふふふ、部長、それは考えすぎです。甘井さんが、そんな事を言うわけがないですから」


「すみません、何でそういう話になるのか僕さっぱり分からないんですけど……」

 

「ふふふ、今話すと部長が泣きだすといけませんので、後ほど説明します」


「よけーな事は言わないように。ところでミチノリくん、あなたに科学部の部長として、お願いがあるんだけど」


「はい、何でしょう?」


 僕をスカウトしてくれるのだろうか。

 美術部よりは居心地がよさそうではあるが……。


「一応言っておくけど、これは、ホントはミユキのお願いで、私個人のお願いじゃないからね。……重要だからもう一度言うよ。私個人のお願いじゃなくて、ミユキの提案で、私が代表してお願いするんだからね」


「はい。僕に出来る事でしたら」


「嫌かもしれないけど、絶対出来るはずだから『はい』か『いえす』で答えて」


「……それって強制じゃないですか?」


「出来る事ならいいんでしょ?」


「まあ、出来る事でしたら。……それで、どんな事なんですか?」


「せ……」


「せ?」


 強気な印象だった部長さんが急に大人しくなる。少し顔も赤い。


「せーえき……出してよ」


「え? ちょっと、何言ってるんですか。出来る訳ないじゃないですか」


「恥ずかしいなら、私たちは後ろ向いててあげるからさ。どーせ、毎日ムダに放出してるんでしょ? それとも、もしかして……種なしとか?」


 部長さんは、かわいい顔で目をくりくりさせながら、とんでもない事を平然とおっしゃった。お嬢様学校の最上級生とは思えない発言だ。


「いえ、そんなことはないと思いますけど……」


「ならいいじゃない。ねえミユキ。ミユキも見たいでしょう?」


「えっ? ……あっ、いえ、私は別に。甘井さんもお嫌のようですし、無理強いするのはどうかと思いますが……」


「ミユキ! 私を裏切るの? あんなに見たがっていたのに! 嘘つき!」


「いえ、私は甘井さんが嫌がることを、部長が無理にお願いするから反対しただけですから。そんなに見たいのでしたら、顧問のコウクチ先生にお願いしてみたらどうですか?」


「ミユキの意地悪! そんなのダメに決まっているでしょ!」


「ふふふ、部長が直々にお願いすれば、必ずいいお返事がくると思いますよ」


「いいもん! 先生の精子は全部私のだから。ミユキには絶対に見せてあげないんだからね!」


 ……なんだかすごい会話だ。科学部員は好奇心が羞恥心しゅうちしんを上回っているのだろうか。


「あーあ……、やっぱり、ハカリにはかなわないか……。きっと、ハカリだったら服を脱がすだけじゃなくて精液くらいなら簡単に絞り取れるんだろうな……」


 物欲しそうな顔をして、上目使いにこちらをチラチラと見ている。面白い先輩だ。


「新入生歓迎、精子観察体験会とかやれば、美術部みたいに新入生もたくさん来るだろうなー」


「いや、さすがに、そんな体験会は聞いたことないですよ」


 ――というか、そんなもの1年生の女の子がホントに見たがるのだろうか。

 まあ、ポロリちゃんもネネコさんも楽しそうに見ていたのは事実なのだが。


「そうですよ、部長。それでは、ただのセクハラです」


「なんでハダカは良くて精液はダメなの? 納得いかなーい!」


「部長、紅茶を淹れ直しますから、落ち着いてください。お菓子もありますよ」


「ミユキ、あんた何か隠してるでしょ? あんなに見たがっていたのに……まさか、自分だけこっそり見せてもらったんじゃないでしょうね?」


「そ、そんなこと……あるわけが……」


「怪しい! 絶対怪しい! じゃあなんで土曜日の夜に顕微鏡を持ち出したの?」


「……どうして、それを……」


「ふーん、やっぱり、そうなんだ。ミユキのバカ! 馬鹿正直! ――で、ミチノリくんは、ミユキに絞り取られちゃったんだ?」


「違います! き取ったゴミを私が拾って勝手に盗み見ただけで、甘井さんの意志とは無関係ですから」


「ひどいなー、ミユキは。ルームメイトの貴重な遺伝子をゴミ扱いするんだ?」


「あっ! いえっ、そんなつもりは……甘井さん、申し訳ありません。これは、言葉のアヤというもので……ゴミとは拭き取った紙の事で、紙に付着した体液の事ではありませんから……」


 天ノ川さんが僕に対して深く頭を下げている。2人はとても仲がよさそうに見えるが、力関係は明らかに部長さんのほうが上のようだ。


「いえ、そんな事はどうでもいいですから、頭を上げてください」


「えーっ? どうでもいいんなら私にも頂戴ちょうだい。拭いたティッシュでいいからさー」


「その程度でよければ、いつか気が向いたら持ってきますよ」


「ホント? 約束だよ!」


 部長さんの顔がぱっと明るくなった。無邪気な人だ。

 これで、この話題はなんとか収まったようだ。


 それにしても隠し事がこんなに簡単に見つかってしまうとは。

 これが「オンナの勘」というヤツなのか。恐ろしすぎる。

 この学園で何か隠し事をするなど、きっと僕には不可能だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る