コウクチ先生の裏話 その1

第44話 本採用の条件は2つあるらしい。

 ――今から2か月ほど前の話だ。


 強い雪の降る日に、俺は職員室の隣にある面談室に呼び出されていた。


「こちらが調査票です。よく考えて、できるだけ正直にお答えください」


 職場の大先輩である初老の女性教師から調査票を受け取る。


 この初老の女性教師は、養護担当の子守こもり先生。当学園の寮長を務め、超一流の世話人でもある。世話人とは見合いの仲介人の事だ。


 政治家、実業家、プロスポーツ選手などのなかにも、当学園出身の妻を持つ方々がたくさんいるのは、生徒の優秀さに加えて、この世話人の手腕によるところが大きいらしい。


 ――では、受け取った用紙に目を通し、早速記入を開始するとしよう。


 氏名、生年月日、本籍地、住所、学歴、職歴。ここまでは履歴書と変わらない。


 俺の名はコウクチオナンド。漢字で書くと工口同人こうくちおなんどだ。


 学生時代は「えろどうじん」とよくからかわれたものだが、すぐに名前を覚えてもらえるというのは利点でもある。


 だが苗字みょうじに関しては読みにくいし、将来出来た子供にグレられても困るので、結婚したら嫁の苗字をもらうのもアリかもしれない――と今は思っている。


 ――次に免許資格。


 自動車の運転免許は、中型自動車第一種免許。


 もともと自動車通勤ではあったが、来年度からの新たな仕事に備えて中型まで乗れるようにした。当然経費は学園負担だ。


 二種免許が必要になるのかとも思ったが、路線バスと違い、送迎が目的で営利目的ではないので一種でいいそうだ。


 スクールバスは定員30名未満の小型バスなので、大型の免許も不要だ。


 教員免許は二つ、中学校と高校の教諭、ともに一種免許で科目は「理科」だ。


 中高一貫のこの学園において全学年を担当するには中学と高校、両方の免許が必要になる。ちなみに「理科」には化学、物理、生物、地学のすべてが含まれる。どれか1つだけが得意で他が苦手な人は理科の教師にはなれない。


 ――続いて、身長、体重。


 これは「できるだけ正直」に書かないとまずいらしい。俺の身長は168センチしかないが、ここは少しサバを読んで170センチにしておこう。たった2センチの差だが、印象はだいぶ変わるだろう。可能性も広げられるかもしれない。


 これはうそではなく方便というやつだ。この程度で「だまされた」と怒るような心の狭い相手だったら、こちらから断ればいいだけの話だ。


 ――飲酒、喫煙、ギャンブル。


 これらはどれもやらない。奨学金の返済も残っているし、自分が中流以下なのは幼いころから俺も理解している。そんなことに手を出す暇も金も無いし、今のところは興味すら無い。


 ――年収、居住予定地および家族構成


 年収は空欄でいいらしい。仮採用と本採用で年収には大きく差がある。しかも、本採用ならば余裕で妻子を養えるくらいの給料が保障されるそうだ。


 そうでなければ、こんな無茶な条件は飲めないだろう。こちらに見返りが無いのなら、ただのブラック企業だ。


 来年度から本採用される事になり、学園側から依頼された条件が「バスの運転手を兼任する事」と「売れ残りの生徒を引き受ける事」なのだが、17歳で「売れ残り」というのは時代錯誤としか思えない。23歳の俺より6歳も年下ではないか。


 もちろん俺としては30歳を超えたオバサンを紹介されるよりは、ずっと条件の良い話で、デメリットは何もない。学園側からしても独身の男性教師を雇っているよりも、既婚者を雇うほうが信頼度も高まるはずだ。


 居住予定地は地元の俺の家――といっても俺は姉の家に居候している。


 そして夫に先立たれた姉には娘――つまり俺のめい――もいる。諸事情により、しばらくは同居してもらう事になるが、幸いな事に家は広い。来年度からは姪も寮に入る予定なので特に問題は無いだろう。


 それに、俺は姉が俺以外の誰かとケンカをしたところを、生まれてから一度も見たことがない。俺の嫁がどんな女であろうと、姉なら歓迎してくれるだろう。


 最後にこちらの希望条件――これは特にない。なぜなら、その「売れ残り」の質が非常に高いからだ。現時点での「売れ残り」はたしか4~5人だったと思うが、どの生徒も器量がよく、家事も一通りこなす。性格に問題があるヤツもいない。売れ残っている生徒は決断力が少し足りていないだけで、もともと引く手あまただ。


 決して「賞味期限切れ」ではない。俺にはもったいないくらいだ。


「子守先生、これで、よろしくお願いします」


「本当によろしいのですか?」


「不備があるようでしたら、修正させていただきますが」


「お相手にご希望がないなんて……興味がおありでないのですか?」


「いえ、そうではありません。許されるのであれば、全員嫁にもらいたいくらいです。それに、選ぶ権利は私ではなく生徒にありますから」


 仮採用とはいえ、5年生の担任である俺は、自分の教え子の質には自信がある。

 あとは、大金持ちとの縁談を蹴ってまで俺を選ぶような馬鹿がいるかどうかだ。


「なるほど……そうでしたか。ところでコウクチ先生、子供は何人くらいがよろしいとお考えですか?」


「……相手次第です。私からは特に……私が1人で作れるわけではないですから」


「そうですね。しかしながら、当学園は国から『少子化対策助成金』を頂いております。関係者が『希望なし』では立場上問題ですので、書類上では『3人以上』とさせて頂きます。ご了承ください」


「承知いたしました」


「あとは……特に不備はないようですから、またこちらからご連絡差し上げます」


「よろしくお願い致します。それでは、失礼します」


「ごきげんよう」






 教員免許を取得し、無事大学を卒業した俺は、幸運なことに地元のお嬢様学校で理科の教師として仮採用された。


 ほどなく5年生の担任が産休をとった為、臨時で担任となったのだが、このお嬢様学校は自分が想像していたお嬢様学校とはだいぶ異なっていた。


 俺の想像していたお嬢様像は、家が金持ちで、金がかかる習い事をして、送り迎えは自家用車、食事や服装は絢爛豪華けんらんごうか。身の回りの世話は全て誰かがやってくれるような、中身のない、ただ浪費するだけのお嬢様だった。


 ところが、ここのお嬢様はそうではなかった。皆どこに出されても恥ずかしくないように、常に自分自身を磨いているのだ。派手に遊んだりはせず、自分自身の世話は自分でできる。質素で実に地味な連中だが、みな生き生きとしていて、器量もよい。


 そして、自分自身の価値というものを、中身のない似非えせお嬢様と違って、よく理解しており、それを武器にしている。


 お金持ちの人というのは物の価値が分かる人なので無駄な買い物はしない。嫁を選ぶ時もそうだ。


 お荷物でしかない似非お嬢様は、決して選ばれることがないのだ。


 そして、わがままし放題のうちに婚期を逃し、どんな男からも相手にされなくなり、そのまま白髪としわだけが増えていってしまう。


 だが、ここの生徒はそのことを正しく理解し、自分を磨いてなお、若いうちに自分を売り込む。だから婚活の場では大卒の女なんかに負けるわけがないのだ――






「ふふっ、やっぱり先生だった!」


 子守先生の立会いの下、「売れ残り」の1人と見合いをする。俺は特に希望を出さなかったので、この生徒が俺に興味を持ってくれたという事だ。子守先生は名前だけ伏せて紹介してくださったようだが、既にバレバレだったらしい。


「おお、心野こころのか。今日の部活は休みか?」


 この生徒の名は心野智代こころのともよ。下級生からは「ジャイアン先輩」とも呼ばれ、恐れられており、とても強気なお嬢様だが、小柄でかわいい顔をしている。


 何にでも興味を持つ好奇心旺盛おうせいな生徒で、くりくりとした目を持ち、長い髪を両耳の上でまとめた、ツインテールと呼ばれる髪型をしている。


 漫画やアニメだとツインテールは金髪が定番らしいが、うちの学園の生徒は皆黒髪だ。まあ、こいつの髪は黒髪といっても真っ黒ではなく、やや茶色っぽいかもしれないが。


 部活は声楽部で、なかなかの美声だと聞いている。

 どういうわけか最近は歌をやめて科学部の部長として活動しているようだが。


「何を言っているの? 就職活動のほうが部活より大事でしょう?」

「それもそうだな、悪かった」


「何を謝っているの? 先生、もしかして緊張してない?」

「そりゃそうだろう。ここは談話室だ。それに子守先生も一緒だしな」


「ふふっ……それで、子守先生、私は何をすればよろしいのですか?」

「私はいないものだと思って、お茶でも飲みながら自由にお話してください」


 子守先生は心野と俺にお茶をれてくれた。

 心野は机を挟んで俺の正面に座る。


「というわけで、お見合いだ。見合いは、お前の方が俺より慣れているだろう?」

「全部ダメだったけどね。相手が。……じゃあ、まず質問!」


 心野は、さっと右手を挙げた。


「なんだ?」

「先生、背伸びた?」


 そこから責めてきたか。俺は23歳だ。もう伸びる訳がないだろう。


「何のことだ?」

「ふふっ、サバ読んだでしょ?」


 たったの2センチだ。なぜバレてしまうのだろうか。


「何でそう思うんだ?」

「だって、先生の身長は168センチでしょ?」


 ほぼ正確に指摘されたので俺は答えに詰まった。何でこいつはそこまで分かるのだろうか。指摘した当人は150センチくらいしかないというのに。


「悪かったな」

「あっさり認めちゃうんだ。つまんないの」


「俺にどうしろと?」


「普段の先生だったら『お前は何をバカな事言ってるんだ。どう見ても170センチだろう』とか言うでしょ?」


 俺の口調を真似しているのだろうが、隣に子守先生がいるのだ。勘弁してほしいのだが。


「では、やり直そう……お前は何をバカな事言ってるんだ。どう見ても170センチだろう」


「ふふっ……そう。先生が170センチだって思うなら170センチでいいの。私もそう思ってあげる。だからね、浮気したときも絶対に認めちゃだめだからね」


 こいつは何を言っているのだろうか。


 いや、こいつに限らず、女子生徒はみんなこんな感じかもしれない。俺の姉も昔はこんな感じだった。これが女性脳というやつなのだろう。


「夫が浮気をするかどうかは、嫁の器量次第だろう。お前にしては、ずいぶん弱気じゃないか。熱でもあるのか?」


 話が長引けば長引くほどこちらが不利になる。俺は極力普段通りに答えた。


「あるに決まってるじゃない! 先生だって顔真っ赤な癖に!」


「それもそうだな。今日はこのくらいで勘弁してやろう。近いうちにお前の実家まで挨拶に行くから、ご両親の都合のいい日を教えてくれ」


「何を言っているの? まだ何も話していないでしょ?」


「話などは今ここでしなくても、後でいくらでもできるだろう。お前に足りないのは決断力だけだ。すぐに決めろ!」


「何をよ!」


「俺の嫁になるかどうかだ。俺は『内定』なんてケチなことは言わん。お前が望むなら、今すぐに入籍してもらっても構わない。もちろん、お前が学園を卒業してからがよければ、それまでは待ってやる。どちらにせよ決めるのはお前であって俺ではない」


「そんなの……すぐに決められるわけないじゃない!」

「そうか……俺はお前と結婚したい。智代……俺と結婚してくれ!」


「いきなり名前で呼ぶの?」

「嫁を苗字で呼ぶヤツがどこにいる?」


「指輪とか無いわけ?」

「すまん、今はまだ金がない」


「ぷっ、あははは……冗談なのに。いいよ、指輪なんて無くても。校則で指輪は禁止されているからもらってもつけられないし。それに、指輪をしたままだと黄色おうしょくブドウ球菌が繁殖して食中毒の原因になるんでしょ? ……なら、そんなのあっても邪魔なだけじゃない。――子守先生、ありがとうございます」


「おめでとうございます。婚約成立ですね。校長や教頭には私から報告致します」


「ありがとうございます。お礼は後ほど。……智代、よろしく頼む」

「ふふっ……こちらこそ」


 俺の差し出した右手を、顔を赤らめた俺の教え子が、力強く握ってくれた。


 これが婚約の正しいありかたなのかは俺にはまだ分からないが、手遅れになってから騒ぎ出すよりは、よっぽど潔いと思う。


 少なくとも今、俺の手を握るセーラー服を着た小柄な少女の笑顔は、俺が今までに見たどの生徒の表情よりも美しく、生き生きとしているように見えた。






 ろりねこ【アマアマ部屋のロリと猫】

  第2章 「若さの価値」 完



 第3章「学園生活 春」へ続きます。

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