第43話 若ければ若いほどモテるらしい。
僕は
僕のすぐ隣では、宇佐院さんのささやかな胸が、小刻みに震えている。その動きは軽やかで、天ノ川さんとは違い、重そうには見えない。
走るならこのくらいが無難なサイズだろう。
「あははは……甘井さん正直すぎ。ホントに大きくなくてもいいんだー」
「あっ、すみません、ごめんなさい、つい……」
「いいよ、べつに。甘井さんはもっと女の子に慣れておいたほうがいいと思うよ」
「……宇佐院さんは平気なんですか?」
「私には1つ下の弟がいるからね。小学生の頃は弟や弟の友達ともよく遊んだよ」
「それは助かります。僕は1人っ子で友達もいなかったので、異性に限らず、他人とどう接したらいいのかがよく分かってなくて……天ノ川さんもネネコさんも弟さんがいるみたいなので、いつも助けられています」
「だから名前に『さん付け』なんだ。ネネコちゃんのほうがお姉さんなんだね」
「まあ、最初に会った時からそんな感じです。でも、今日はネネコさんから相談を受けていまして、よかったら宇佐院さんに相談に乗って欲しいんですけど……」
「いいよ。私でよければ。それで、どんな相談なの?」
「リーネさんが、入学式の後101号室に遊びに来まして……」
「うん、ヨシノから聞いてる。リーネちゃんがポロリちゃんを泣かせちゃって、ネネコちゃんにお仕置きされちゃったんでしょ?」
「どんなお仕置きか聞いていますか?」
「ヨシノは『電気アンマ』って言っていたけど、それってどんなお仕置きなの?」
お嬢様はこんな遊び知らなくて当然か。宇佐院さんは弟さん相手にこんなことしないだろうとは思ったが。
「子供の遊びなんですけど、相手を仰向けに押し倒して、両足首をつかんだ状態で足の指を股間に押し当てて、つま先をグリグリと……」
「あははは……何それ? 面白そう!」
「それで、ネネコさんはその危険な技をお姉さまに封印されたんです」
「封印? 禁止命令ってこと? ミユキさん、厳しそうだね」
「そうです。でも、そのことを知らないリーネさんがネネコさんに『またやって』とお願いしたそうなんです」
「あははは……全然お仕置きになってなかったんだ」
「そうなんです。それでネネコさんに『代わりにやってあげて』って僕が言われたんですけど、いくらネネコさんのお願いでも僕には無理なので……、それで宇佐院さんに知恵を貸して欲しいんですけど……、僕はどうしたらいいでしょう?」
「う~ん、リーネちゃんはちょっと情緒不安定なところがあって、ときどき机の角で遊んでいるみたいだね。私が後で一輪車でも薦めておいてあげるよ。ホントは登り棒が1番のお勧めなんだけど、小学校と違ってこの学園には無いからね」
情緒不安定な子には登り棒か一輪車がお勧めか……小学校の頃、女の子たちだけが登り棒や一輪車で遊んでいたのには、そんな理由があったのか……。
「よろしくお願いします。でも、なんでリーネさんは情緒不安定なんですか?」
「これ言っちゃってもいいのかな? 一応ナイショにしておいてほしいんだけど、実はリーネちゃんって、1年生なのにもう内定もらっているんだよ」
「内定? もう卒業後の就職先が決まっているって事ですか?」
「そう。甘井さんは、それがどういう意味か分かるかな?」
「えっ、それってやっぱり……」
この学園は本当の意味でのお嬢様学校。つまり、嫁入りを前提とした花嫁修業の場だ。就職とは即ち、どこかへ嫁ぐという事なのだろう。
リーネさんの家は大金持ちだそうで、リーネさん自身はお人形さんのような可愛らしいお嬢様だ。本人の意思に関係なく、既に人生のレールが敷かれてしまっているのかもしれない。
「……リーネさんは既に嫁ぎ先が決まっているという事なんですか?」
「そういう事。だからきっと不安なんだよ。私は逆に
12歳で嫁ぎ先が決まっているなんて――もしかして相手の男性の事もよく知らないのではないだろうか。だとすると、きっと不安で仕方ないのだろう。
僕は事情も知らないでリーネさんの事を危ない子だと思ってしまっていた。考えてみればヨシノさんも「根は悪い子じゃない」と言っていたし、ポロリちゃんも、僕がリーネさんの事を悪く思わないように、リーネさんをかばっていた気がする。
「そうだったんですか。住む世界が違いすぎて僕には理解できませんけど……」
「違わないよ。リーネちゃんはまだ12歳だからすぐに結婚なんてできないし、今は同じ寮の仲間なんだから。それに、私たちのほうがリーネちゃんより先に卒業して、みんなどこかへ就職するんだよ」
「宇佐院さんも、そうなんですか?」
「もちろん、玉の
「まだってことは、もうもらっている子が他にもいるんですか?」
「6年生のほとんどは、もうどこに行くか決まっていると思うよ。
「4年生にもいるんですか?」
「もちろんいるよ。噂じゃなくて、私が本人から直接話を聞いているのはモエさんだけだけどね」
「えっ? モエさんって、
「そうだよ。気になる?」
「そりゃ、気になりますよ。内定って……つまり婚約ってことなんですよね?」
「そう。春休みに面接してもらって、一発で合格したって」
「春休みって、まだ15歳じゃないですか」
「まだ15歳じゃなくて、もう15歳なんだよ。リーネちゃんは12歳だけど」
「たしかにそうですけど……そんなに急ぐ必要あるんですか?」
「甘井さんは男の子だから慌てなくてもいいのかもしれないけど、女の子はそうはいかないんだよ。玉の輿に乗るには若ければ若いほど有利だからね」
「そんなに簡単に決められるものなんですか?」
「簡単ではないけど、できるだけ早く決めなきゃいけないんだよ。優柔不断だと、最後まで売れ残っちゃうでしょ?」
「売れ残りって……」
「甘井さんがお嫁さんをもらう立場だとして、元気な赤ちゃんを何人も産める若い女性と、もう子供も産めずにしわと白髪だけが増えていく女性、どっちを選ぶ?」
「そりゃあ、若い女性ですけど……」
「でしょ? そんなの女の私から見ても当たり前の事なんだよ。うちの学校はそのことをきっちり教えてくれて、生徒が売れ残らないように正しく指導してくれる学校なんだよ」
「はあ……」
宇佐院さんの言うことはもっともだと思うが、イマイチ実感がわかない。僕が男だからだろうか。そもそも自分がまともに結婚できるかどうかも分からないし、それ以前に僕はつい最近まで結婚について考えた事すらなかったのだ。
女の子にとっては校歌の歌詞にあったように「幼き頃からの夢」なのだろうか?
「昔は嫁ぎ先の決まった子から
「そうなんですか。そういえば、この学園って、男の僕から見て不細工な人は誰もいない気がするんですが……、みんなかわいいというか、美人というか、見た目が整ったいい印象の人しか見たことがないんですけど……」
ここの部長さんも髪はボサボサで服もボロボロだったが、そんな髪や服装をしているにもかかわらず、全く不快に思えないほどの美人さんだ。本気を出せば、この学園でもトップレベルだろう。
「去年、校長先生から聞いた話だと、心が汚いと顔に出るし、行いが悪いと体に出るんだって。だから、そういう子はみんな面接で落ちるらしいよ」
心が汚いと顔に出る、行いが悪いと体に出る――か。なるほど、たしかにそうかもしれない。面接を通った僕は、ギリギリセーフだったのだろうか。
「そうだったんですか……それで、今はどうなんですか?」
「今は卒業までに進路が決まらないような生徒はいないけど、さすがに嫁が高校中退だと世間体が悪いでしょ? だから卒業するまでは相手が待ってくれるみたい。
ただ、去年の3年生で、1人だけ『どうしても16歳で結婚したい』って子がいて、その子は昼休みも夏休みも冬休みも返上して補習を目一杯受けてから、6年生と一緒に飛び級扱いで卒業したよ」
「去年の3年生って、僕らと同い年じゃないですか」
「そう、民法改正で来年からは18歳にならないと結婚できなくなっちゃうから、今年のうちに結婚したかったんだって。それで人数が奇数になったから、4年生の人数が減らないように男子を募集したらしいよ」
(注釈:民法改正は2022年の4月で、この話の舞台設定は令和3年度です。
そうでないとネネコさんがネズミ年ではなくなってしまうのです)
「そうだったんですか。それで僕が、その空いた席に入れたんですね」
「女子で4年生からだと、心の準備が間に合わないからね」
「それは僕も同じなんですけど……」
寿退学か……そんな単語は初めて聞いたが、宇佐院さんが言っていることは僕にも理解できた。
校長先生が入学式でおっしゃっていた「若い女性が本来果たすべき役割」というのは、きっとこういう事なのだろう。そして、昔はそういう考えが当たり前で、女性は若いうちに嫁入りしていたのだ。男性が若い女性を選ぶだけでロリコン扱いされる今の社会のほうが、異常なのかもしれない。
「……今日はこれくらいでいいかな。ずいぶん走ったね」
「言われてみればかなり走りましたね。これでどのくらいですか?」
「10周したから、ちょうど5キロだね」
「話しながらだったので、あまり長く感じませんでした」
「でしょ? だから2人のほうがいいんだよ。今日はありがとね」
「いえ、こちらこそ。すごく勉強になりました。またお話聞かせてください」
「あははは、一緒にやるのは勉強じゃなくて運動なんだけどね」
「この後はどうするんですか? 部長さんたちはまだ体育館ですか?」
「多分ね。ネネコちゃんたちも、走っていないみたいだし、挨拶して帰ろうか?」
「そうですね」
今日の運動はこれで終わりらしい。僕はベンチの上に置いたジャージを着て、預かっていたネネコさんのジャージを手に持った。
「甘井さん、あそこにいるの、ネネコちゃんじゃない?」
宇佐院さんの指差す方を見上げると、高い鉄棒の上にネネコさんが座っていた。
僕がバンザイしても届かない高さなので、ネネコさんの背だと相当高くジャンプしないと届かないだろう。それだけでも、すごい運動神経だ。僕は見ているだけで怖くなりそうだった。
近づいて、ネネコさんを見上げながら声をかける。
「ネネコさん、お疲れ様」
「ミチノリ先輩たちはもう帰るの?」
「そのつもりだけど、ネネコさんは?」
「じゃあ、ボクも帰ろうかな」
ネネコさんは鉄棒を
シャツが全部めくれて背中が完全に見えていたうえに、着地するときはおへそまで見えたが、本人は全く気にしていない。
「おーっ、ネネコちゃん、やるねえ」
「さすがネネコさん。はい、預かっていたジャージ。ところで小笠原さんは?」
「なんか調子悪かったみたいで、途中で『お腹が痛くなった』って言って帰った」
「えっ、それで、小笠原さんは大丈夫なの?」
「保健室に連れて行こうと思ったんだけど、ガジュマルが『よくあることだから気にするな』って言うから、その後はこの鉄棒で遊んでた」
「あー、そういうことね。本人がそう言っていたんなら、それでいいんだよ」
宇佐院さんが納得してネネコさんに同意する。僕もよくお腹をこわすほうだが、それだけで保健室に連れていかれても困ってしまうかもしれない。
体育館に着くと、部長さんと上田さんが大きなマットを片付けていたので、それをみんなで手伝った。
5人いると楽だが2人で出したとするとかなり大変だったはずだ。部員が少ないと道具が必要な競技は準備するだけでも大変だ。
「蟻塚さんは、入部届にサインをお願いします。小笠原さんには、さきほどサインしてもらいました。陸上部の活動日は月、火、木、金ですから、できるだけ参加してください。
それでは解散です。みなさんお疲れ様。ダビデさんも気が向いたらまた来てね」
「はい、今日はありがとうございました」
「お疲れさまっス」
「お疲れ様でしたー」
「お疲れさまー」
こうして陸上部の見学――というか体験入部が終わった。運動部なのに厳しい様子は全くなく、人数も少ないので居心地はよかった気がする。
今日の収穫は、宇佐院さんからいろんな話が聞けたことだった。
その中でも僕にとって衝撃だったのは、リーネさんや脇谷さんに既に婚約者がいるという事実だった。6年生に至っては、ほとんどの人が婚約済みらしい。
男である僕にも、頑張れば同じことができるのだろうか。具体的には、何をどう頑張ればいいのだろうか。そもそも、みんな寮住まいなのに、どうやって結婚相手を探しているのだろうか。
ここに入学してから日の浅い今の僕には、まだまだ分からない事だらけだった。
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