鉄火の章

1.遠征

……

…………

――当機はまもなく着陸に備えます。電子機器の電源はお切りになり――


 四夏はうっすらと目を覚まします。

 長旅の疲れからかずいぶん時が進んだように見える窓の外には、夜に追いつきつつある朝のさきぶれ。


 オレンジ色と藍色あいいろで二分された明け空を四夏たちは飛んでいるのでした。


「んん」


 隣シートに座るさくがもぞりと身じろぎ。この席順でもめたことも随分前に思えます。

 ぼんやりと開いた目が四夏を認め。


「……いま、何時ですか」

「ええと」


 かすれた声にたずねられ窓に頬を寄せれば、澄んだ空気の中を目を刺すような陽光が飛び込んできます。

 羽田からアブダビへ。そこを経由地としてセルビアはベオグラードへ。

 "Battle in Legendaryバトルインレジェンダリ " 今季のアーマードバトル国際大会開催地にして、グラードの名を体現するがごとく近代史上まれにみる激戦の渦中となった彼の地まではあと少し。


「6時くらい?」

「なんで日時計なんですか、携帯で見れば――」

「あっそうそう着陸! 朔ちゃんスマホ切って、みんなも」


「……切ってるよー」


 ひそめた声は後ろの席から。

 椅子の隙間からふり返ればそこには四列シートからひとりあぶれた香耶乃かやの。メガネをふいていた彼女は笑うように目を細めるとシィ、と唇へ指をあてました。

 着陸準備でざわつきつつあるものの、まだ寝息やあくびまじりの空気に今さら気づき四夏は首をすくめます。


「まあ、向こうの二人には教えてあげなきゃかもだけど」


 香耶乃は反対側の席へあごをしゃくりました。

 四夏からみて朔と通路をはさんだ左側に座る杏樹あんじゅりんはいまだブランケットに埋もれているらしく。

 ぐい、と夜着がわりのトレーナーのわき腹を朔がひっぱります。


「センパイ、起こしてあげたほうが」

「なんでわたしに言うの……」

「アタシは一等席を取っちゃった手前ちょっと気まずいので」

「? ここ全部エコノミーじゃなかった?」


 おそらく昨夜、席の並びを争ったジャンケンのことを言っているのだと思いますが。四夏にはそこまでこだわる理由がいまいち分からず。


「とにかく行ってください。アタシはおかげさまで寝不足なのでもうちょっと寝ます」


 なぜか恨みがましげに言ってシートに身を沈めた朔は足を引いて道を開けます。

 しょうがなく四夏は[離席不可]のランプが点いていないのを確認して腰を上げました。


「杏樹ちゃん、起きて。着陸だって」

「……ぅぐぐぅ」


 眉間みけんにシワをよせる杏樹は未練がましく毛布へしがみつきます。


「まって……いま復習してるからぁ……」

「してないよ、寝ぼけてるだけだよ」


 英会話のレクチャーでしぼられる夢でも見たのでしょうか。かたくなに開こうとしなかったまぶたがやがてびくっと震えてはね上がります。


「ぁ、四夏っ?」

「おはよ、もう着くってさ」

「……ぅー、トラツナのしっぽ踏んじゃった夢見たぁ……」


 トラツナは凜の祖父母宅で飼われているゴールデンレトリバーの名前です。それはぐちゃぐちゃになった毛布の乱れが、奥に座る凜のスペースとの境界でぴったりと途絶しているのと関係があるでしょうか。

 むにゃむにゃとうめいて目をこする杏樹をいったん置いて四夏は窓側の凜へと身を乗りこませます。


「凜ちゃん、朝だよ」

「……」


 整然と人形のように目を閉じていた凜はうっそりと四夏を見上げます。


「……ん」


 その手が四夏のほうへ差し出されぐーぱー。


「え? ……こう?」


 赤ん坊が握手をせがむような仕草におもわずその手を握り返す四夏。

 瞬間、するりと凜の手のひらが四夏の手首を支えます。流れるように身を起こした凜はその指先へと唇を寄せ――


「すっとっぷ!」

「むぐ」


――触れる寸前、杏樹の手がその隙間へねじこまれます。あごを鷲掴わしづかみにされた凜はシートへ逆戻り。


「ここは日本だぁ!」


 もろもろすっ飛ばしたツッコミはさすが幼なじみというかなんというか。


「ベオグラードだよ杏樹ちゃん」


 一瞬の攻防に理解のおよばなかった四夏は訂正します。

 ペッと唇を鳴らしてぬぐった凜は杏樹をひとにらみすると四夏へ手のひらをかかげました。


「グッモーニ、ン」

「うん、モーニング。よくねむれたDid you sleep well?」


 ぺちっとハイタッチ。それで機嫌をなおしたのか凜は微笑むと、杏樹のシートポケットから手鏡を取りだして身繕みづくろいをはじめます。


「ちょぉ! もうやだこのお嬢様!」

「かしこまれドジッ子メイ、ド」

「あーもう二人とも――」


 ぐ、とトレーナーの後ろすそがそこで再度ひっぱられ。


「センパイ、もう座ってください」

「えぇ……朔ちゃんが起こしに行けっていったくせに」

「通路をふさぐと迷惑です。海外にきてそんなノンビリ感覚じゃ何人にぶつかるか分かりませんよ」

「ぶつからないよぉ」


 心配しすぎだと四夏は思いつつ自分の席へ。またすぐ目を閉じた朔のすまし顔へかける言葉も見つからずぐったりします。朝からなんだか疲れました。

 にゅっと間をおかず頭上からおりてくる手。


「よっ人気者、ところで着く前に確認したいんだけどさ」

「そんなんじゃない……なに?」


 背もたれ越しに頭をさわってくる香耶乃を首を振って追い散らします。見上げるとすっかりピカピカになった丸メガネ。


「四夏っちゃんはこの大会で何がしたいの?」


 ゴゴッと飛行機が気流によりわずかに震えると、一瞬客室内が静まります。

 あえて茶化すような笑みで香耶乃は続けました。


「ホラ、私はいちおー軍師プランナーだし? 聞いとこうかなって」


 周囲がざわめきを取り戻しても四夏たちの列は静かなまま。

 香耶乃の指先があらためて四夏の頬へ回されます。


「口に出しといたほうがいいよ、そういうの。いくら恐れ知らずの四夏っちゃんでも逃げ出したくなるときってあると思うしさ」


 そんなことない、と内心で否定。

 ふりかえってみれば恐がって、逃げてばかりの自分だったと今になっては思います。その結果がパティとの喧嘩別れでありお姉さんとのギクシャクであり。朔や杏樹とも一年前のきっかけがなければ疎遠だったかもしれず。

 だから香耶乃の提案はまったくまとを射ているとうなずいて。


「わたしは――」





 ――出発前、空港。


 モンアルバンの遠征チームとして出発しようとする四夏たちの前にあらわれたのは思わぬ二人でした。


「お父さんっ? と――、なんで……?」


 国際線ターミナルの出発ロビー。四夏と同じく海外旅行然とした装いの両人の指にはペアの指輪がささやかに光っています。

 いつもより長めのお化粧をしたであろうお姉さんは恥ずかしそうに前髪をさわりました。


「ちょうどいい機会だからぼくらも休暇に行こうと思ってね。ハネムーンというのも照れくさいけど」

「おどろかせてごめんなさい。直前まで予定が合うか分からなくて、夢みたいな話だったの」


 ほんのひと月前から四夏たちと一緒に暮らし始めたお姉さんは少し雰囲気が変わったよう。四夏はそれが嫌ではありませんでした。


「そうなんだ、ビックリしたけど。よかったね、どこに行くの?」

「南欧あたりをゆっくり回ろうと思っているんだ。もしかしたら四夏の勇姿を見に行くかもね」

「それはやめて」


 全力でお断りするとお父さんは残念そうに肩をすくめました。


「そうか……分かった。それぞれに楽しむとしよう。もっとも君たちは楽しいだけじゃないかもしれないけれど」


 お父さんは四夏の目をのぞきます。


「怪我をしないように。道中い人ばかりと会うように。他に僕から祈っておくことはあるかい?」

「いいって、そういうの」


 反射的に四夏は首をふりました。友達の手前ちょっと恥ずかしくて。


「四夏、恭一郎きょういちろうさんの目をみて話しなさい」

「う」


 けれどお姉さんにそうたしなめられてしまえば、そちらの方がよほど恥ずかしいと気付くのでした。

 そんなやりとりにお父さんは目を細め。


「きみはいつか騎士の信仰について聞いたね。覚えているかい」

「ぅ、ええ……?」


 近ごろのお父さんにはこういうところがあります。四夏が内緒にしたい、でもちょっぴりは人に話したい何かを遠回しに言い当てるような。これもお姉さん効果でしょうか。


 忘れたと言うのは簡単。小学校低学年のことなんてもうほんの少ししか覚えていません。でもあの数日間だけは、特別なやけどのあとみたいに脳裏に焼きついていたのでした。

 四夏はやけくそ気味に見返すと、できるだけ平静をよそおって答えます。


「……タブと、蛇口。自分を守って人に神の愛を注ぐこと」

「もし君がこの先同じ疑問にぶつかったときのために、あのときは言わなかったもうひとつ大事なことを教えておこう」


 全面にあふれた呆れにもお父さんは真面目な顔。ぜんたい何年越しのもったいぶりでしょうか。そんなこと、もっと早く言うか黙ってればいいのにと思いながらも四夏は耳をかたむけます。


「それは誰よりも神への不明を知ることだ。世の中には悲しいことや理不尽なことも多くある。神も仏もないという人もいる。だからこそ人は神の代行にはなれない」

「……よくわかんない」


 内容がというよりも当たり前のことすぎて。

 そもそも四夏の信仰心なんてお盆と正月に思いだすくらいのもの。クリスマスではかすりもしません。神様はなんとなく神社か教会にあるものというイメージ。

 騎士の信仰、なんてことを訊ねたかつての自分はいったい何を求めていたんだっけと。


「ぼくたち一人ひとりが大きな意志の一片なんだ。四夏は誰かにとっての神の愛であり、試練にもなりえる。人の身でその全容を知る事は不可能だけど、どんな行いにも神は宿ると信じること。これはキリスト教だけの話じゃなくてね」


  ――シレン、っていうの――


「っ」


 ボワッとあぶくのように浮き上がった記憶こえに背筋がふるえます。


「正しいと思うことを勇気を持って行いなさい。たとえそれがその場で評価されることでなくてもね」

(あぁ、わたしは――)





 辿りつけていない場所がありました。

 あまりにまぶしくて猛々たけだけしくて、ふれればのみ込まれてしまいそうで。

 四夏が最後まで理解できずそしておそらく裏切ってしまったパティの根本。

 それこそが自分がこの遠征で得るべきものだと理解したのが昨日。


「わたしは、パティともう一度戦いたい」


「それで、勝ちたい。勝ってもう一度友達になりたい」


 戦うだけでは足りず、勝つだけでもまだ足りない、飛行機では越えられない高い幾重いくえもの壁の向こう。

 その目的地を口にしたとき、四夏のなかに一本芯が通った気がしました。

 香耶乃は一瞬真顔になると、襟首えりくびをひっぱってパタパタとひっぱります。


「いーんじゃない。そっか、すえさんが言ってたのってこれかあ」

「……何?」


 通路の向こうからやや不機嫌そうな顔をのぞかせた凜といっしょに四夏は香耶乃を見上げます。


「いいカンジにスイッチが入ってるってこと。応援するよ。私は、ね」


 香耶乃はあおるように付け加えて見回しました。それを受けて、


「アタシも、真面目に試合してくれるぶんには別に。もっともセンパイがそこまで言う人がどんななのか純粋に興味はありますけど」


 目を閉じて前をむいたまま朔。一方で。


「私は反対……四夏は四夏のままがいい、あんな野蛮な剣は教育によくない……」

「教育って」


 思わず口を挟む四夏。うんうんと一人うなずく凜のとなりで手が挙がりました。


「あっあたしも! 四夏はあたしたちとだけ仲良くしてればいいって思う!」

「うーんこの、遠慮のない独占欲はどうなの、四夏っちゃん的に?」

「あ、あはは、まあ杏樹ちゃんだから」


 お城での試験前くらいから表に出始めた杏樹の率直さにも、チーム全体がもはや慣れつつあります。四夏は対面の二人へ向けるつもりで言いました。


「ごめんね、でもここまで来たら思っちゃうんだ。帰る時には今よりももっと、この五人でよかったって思えるようにしたいって」

「……」


 凜は無言。杏樹はそんな彼女を困ったように返り見てからふたたび四夏へ顔を向けます。


「う、うー、そんなこと……ねぇなんかあたしだけワガママ言ってるみたいじゃん!」

「それはその通りだと思いますけど」


 すぱりと朔。その肩を香耶乃が後ろから叩きます。


「あっはは、いいんだって我が儘で。そんで最終的に良いカンジにまとめるのが私の仕事だから」

「どこから出てくるんですかその自信。それに直前くらいチームワークを期待したかったです」

「あるよ? チームワーク。ねえみんな?」


 振られた他メンバーはそれぞれにうなずいて。


「あるあるー」

「うん、あるよ」

「……試合と、プライベートは、別ける」

「本当かなぁ……」


 まだ疑わしげな朔。そこへ。


「いい空気だ。リラックスしている。心配はなさそうだね」


 少し離れた座席から歩いてきたマスター・ジョエルが五人を見渡してうなずきます。


「到着ゲートは混雑する。集合場所はにもマークしてあるラウンジだ。なにか気がかりはあるかな?」


 五人はそろって首を振りました。


「ならばいざ往こう。チーム・モンアルバン出撃だ」



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