7.真心

 長い坂道を自転車を押して登ります。日はさっき沈みきったところでした。

 学校で杏樹と話した後、いつものようにお城で特訓をした四夏はふだんと違う家路を進んでいます。

 四夏のマウンテンバイクならこれくらいの勾配も乗って登れるのですが、隣を歩くさくにそれを言えば「ムダに疲れて楽しいですか」などと言われそうで。


「あー……この道、見たことあるような、ないような」

「そりゃあるでしょう。ひと月も通ってたんですから」


 川沿いの道から折れた上り坂を見上げてこぼすと朔が応じます。

 今日はチーム結成から数えて翌々週の金曜日。家にお姉さんが来る日でした。


「朔ちゃん、急にお邪魔しちゃってゴメンね。うち、いまちょっと居辛くてさ」

「別に構いません。最初からそういう約束でしたから」


 お父さんとお姉さん、二人に同時に会うのをやりすごす外泊先を求めた結果の助っ人稼業。朔との再会のきっかけ。

 とはいえ最近の忙しさに四夏自身もそのことを忘れていて、きのう朔から「嫌いな食べ物とかありますか」と聞かれてようやく思いだしたのですが。


「もうあさってだけどさ、本番」

「そうですね」

「勝てるかな、わたしたち?」


 『甲冑格闘アーマードバトル選手権≪BLADE!≫』は今週の日曜日、都心から少し外れた場所にある多目的ホールにて開かれます。

 中学生らしい荷台とカゴつきの自転車を押す朔は、小鼻を鳴らすと前を向いたまま答えました。


「足りないものは多いです。でも、やるしかないでしょう。予想よりはいいですよ」

「だよねぇ」


 やるしかない、に同意してから四夏はふと。


「予想って?」


 続いた言葉が気になってたずねます。朔はチラリと横目をこちらへ流しました。


「センパイは思ったより早く勘をとり戻してくれましたし。それに――」


 言葉を区切ってから、こちらを窺うような表情で。


三木田みきた先輩ですけど、あの人ほんとうに武術未経験ですか?」

「……本人はそう言ってたけど、なんで?」


 四夏と香耶乃かやのはいっしょに基礎トレーニングを受けましたが、二人とも似たレベルだったような。


「視野がかなり広いです。重心も、まるで鎧を着なれてるみたいな。それに剣筋けんすじにヘンな癖みたいなものがあって」

「あぁー」


 確かに重い鎧と狭い目窓めまどにてこずっていた四夏の横で、早々に歩いたり剣を持ったりしている場面がありました。でもそれは多分。


「これ、言っていいのかな。プライバシーとか……」

「何ですか、知ってるなら話してください」


 以前、香耶乃をたずねていった時に見たキグルミ姿。個別のノートを作るほど何度もあんな仕事をしているのなら、狭い視野や重さに慣れているのも納得です。

 剣筋にクセ、というのは四夏にはイマイチわかりませんが。


「ううん、一応本人から聞いて。たぶん武術経験がないのは本当だよ。ライトバトルでやったときは全然だったし」

「そうなんですよね、まぁ分かりました」


 に落ちなさそうな顔をしつつも引き下がる朔。

 坂道はそろそろ一番上にさしかかりつつありました。



「お邪魔します……」


 五年前と同じに、ちょっと落ち着かない気持ちで玄関をくぐると下足場で朔が振り向きます。


「今日、誰もいないんで好きにしていいですよ。とりあえず汗流したくありません?」


 学校カバンと防具入れを投げ置いた朔に問われ、四夏は面食らいながらもうなずきます。


「そう、だね。うん」


 学校からお城へ直行、鎧を着こんでのトレーニングのあとまた自転車でここまで。汗とホコリと鉄のニオイはもはやお互い様だから気にならないだけ。


「じゃ、お風呂セットだけ出してください。今から行きましょう」

「へっ」

「何か入れるものがいりますか? 袋とか」

「や、そうじゃなくて」


 四夏が玄関の外と家の奥、それから朔の顔を順繰りに見返すと。


「……ウチのお風呂、古いし狭いしでお客に勧められるようなものじゃないんで。すぐそこに銭湯がありますから」


 朔がやや気まずそうに言いました。

 銭湯。あまり縁のない場所です。おばあちゃんの家に遊びに行ったとき、何度か連れて行ってもらったことがあるくらい。


「行くの、一緒に?」

「ダメですか」

「や、だって恥ずかしいし」


 平然としている朔が普通なのかは分かりませんが、少なくとも四夏は抵抗があります。別に古かろうと狭かろうといいじゃないかと思ってしまう程度には。


「この時間はほとんど人いないですけど?」

「あー、それに朔ちゃんって……その、今はどっちなのかなって」


 ちょっと目を泳がせながら小声で付け加えると、朔が首を傾げます。


「……? 何がですか」

「怒らないでね? あの……れ、恋愛対象……」


 しばらく考えたあと、カッと跳ね上がるそのまゆ


「はあぁ!? センパイがそれ言うんですか!?」

「お、怒らないでってば……」


 四夏は首をすくめて両耳をふさぐも、それで朔の怒りが収まる様子はなく。


「センパイこそ、知ってるんですからね! 人の弱みにつけこんで女子とみればとっかえひっかえ!」

「ちがっそれは違うよ! 他所よそで言わないでよそんなこと!?」


 覚えのない悪評にさすがに憤慨します。朔は冷たく細めた目を脇へそらしてつぶやきました。


「言いませんよ、身内の恥みたいなもんです。情けない」


 その言い様にさすがにカチンとくる四夏。


「……何も知らないくせに怒んないでくれる」

「ええ、ですから」


 カロンと木のサンダルをつっかけて朔は振り向きました。


「裸の付き合いをしましょうってコトです。それも恥ずかしいですか?」


 平然とした普段どおりの表情。

 ひとりぶすっとしたまま残された自分だけが子どもみたいで、なけなしの威厳いげんを守るために四夏はもはや従うほかなく。

 したり顔で笑って玄関を開けた朔を追いかけるため、あわててバッグをあさり始めました。





 教会みたいなアーチ状の天井に、まわり中から立ち上る湯気が吸い込まれていきます。

 朔の家から歩いて数分の銭湯。

 タイル張りの壁は全面がモザイクアートになっていて、もやの向こうに富士山が浮かんで見えました。

 四夏たちがいるのはその真ん中に造られた円形のお風呂、ではなく。


「なんでここなの……」


 浴場のすみに四角く区切られた薬湯くすりゆ。ネットに入った謎の葉っぱが浸けられた湯は濃いモスグリーンで、ほとんど底を見通すことができません。

 体育座りで肩までつかった朔が言いました。


「なにか?」


 髪をタオルキャップでまとめたことで、ほんのりピンクに染まったうなじから耳たぶまでが露わになっています。


「わたしこのにおいニガテなんだけど」

「これが体にいいんですよ」


 なぜかちょっと得意気に言われて、湯船にうかんだネットに鼻を近づけた四夏はぞわっと背筋を震わせました。


(ババくさ……)


 せまい浴槽の対角線に座る二人のほかに、お客は全体でほんの数人だけ。


「あっちの大湯に浸かってもいいですよ。でもちゃんとこっちに聞こえるように話してくださいね」

「なにその罰ゲーム……」


 あまりごねても大人らしくありません。まあこれなら見えるものも見えないし良いかと思い直します。脱衣所ではどちらからともなく背中を向け合ってことなきを得たものの、続く浴槽まではタオルと前屈みをフル活用した四夏でした。


「それで、どういう事情なんですか。部活にも入らずフラフラして、女子の家に泊まって」

「言いかたぁー」


 ぶくぶくと口元を沈めて不満を表したあと、ぽつりぽつり言い訳をこぼしはじめる四夏。お姉さんとお父さんが家にいる日はどうにも居辛く、できれば家を空けていること。助っ人は前から引き受けていて、お礼を受け取るのは香耶乃の提案であることなど。

 一通り聞き終えた朔は。


「それはなんというか、お気の毒というか……」

「でしょー! やっと分かってくれる人がいた!」


 得られた同意に感激する四夏と、さっと顔を背ける朔。

 自分が腰の半ばまで伸びあがっているのに気付いて四夏はあわてて湯船に沈みます。


「でも、それなら言ってみたらどうですか。親御さんは知りませんけど先生はセンパイの嫌がることならしないと思います」


 ちらりと片目でこちらを見直した朔に言われて、口ごもる四夏。


「それは……なんか嫌。この年になってワガママだって思われたくないし」


 湯船に浮かんだ朔の丸い肩が、スッと一歩分はなれました。


「まさかまだ未練があるんですか、先生のこと」

「ちっ違う! そういうんじゃなくて!」


 引いた表情に四夏は激しく手を振って弁明。


「なんていうか、我慢してほしくないの。わたしのせいで。だからまあ、避難っていうか」

「へぇー」


 気のない返事と探るような眼差し。四夏は思わずかざした手でそれを遮ります。


「な、何?」

「いえ別に。でもまぁ、そういうことなら構いませんよ。アタシがいるときならウチにきても」


 さらりとした申し出に面食らう四夏。


「え、本当に? いやでも迷惑じゃ」

「まぁ、そのせつはアタシも無関係じゃなかったですし」


 それはもう、もし出来るならありがたい限りではありますが。

 ざばっと立ちあがった朔からぱっと目をそらしました。


「髪をあらってきます。センパイは」

「あ、うん、洗う洗う」



 ひとつ開けて座ったシャワーで髪を流しながら、チラリと隣をうかがう四夏。

 ちょうどこちらに目を上げた朔の視線とぶつかって息をのみます。


「いやっ、その。朔ちゃんちって今日だれもいないって、夜も?」


 聞かれてもいないのにまくしたてると、朔は座った椅子ごとズズッと奥へ動きました。


「……何ですか、何の確認ですか?」

「あっえっと、どうしてかなって。物騒じゃない?」


 不審の目をごまかすように半笑いで四夏。しばらくこちらを凝視したあと朔は嘆息して答えます。


「父は仕事、母は大学に行った姉のアパートに遊びに行ってます。祖父は施設に。留守番は、センパイも一緒って言ったら許してもらえました」


 その信頼は何だろうと四夏は首を傾げます。面識があるといっても五年前ですし、一人じゃないならという話でしょうか。


「そうなんだ。花山かざん先生はお元気?」

「……実のところ、ここ半年くらいはずっと施設で。物忘れがひどくなって、アタシもずっと見ていられなくなったので」


 まるで懺悔ざんげをするような横顔が、長くかれた髪のヴェールの向こうに見えます。

 何と言っていいか迷う四夏に顔を向けず、ぽつりと朔はこぼしました。


「センパイには、話しておかないといけないですね……」





 そう言ったものの、結局朔はその後これといった話をしませんでした。

 家に再びお邪魔して、朔の用意したトマトベースのポトフをいただきます。新玉ねぎやウィンナー、じゃがいもなどが沢山はいったスープは美味しく、追加で入れたマカロニまで綺麗に平らげて手を合わせました。


「朔ちゃん、料理上手だねぇ」

「女は料理と化粧をやれっていうのがうちの方針なんで」


 照れ隠しみたいに皮肉な笑みを浮かべて朔は応じます。


「あはは、そういえば花山先生がそんなこと言ってたっけ」


 もちろん彼女がそんなものに縛られていないことを四夏は知っていました。

 洗い場へ食器をさげた朔が、どこか改まった調子で言います。


「センパイ、寝るところへ案内します。こっちへどうぞ」


 うながされて、見覚えのある廊下を奥へ奥へ。

 突き当りの部屋は確かに昔、二人が花山翁のもとで鎧工作に励んだ部屋でした。


「ここ……?」

「アタシの部屋は本当にベッドひとつと机くらいしかないので。今夜はアタシもこっちで寝ます」


 通された畳の部屋はすっきりと片付いて、昔の倍くらい床が見えている気がしました。威圧的にこちらを見下ろしていた武者鎧たちの姿も今はなく。


「祖父の友人で、価値の分かる方に引き取ってもらったんです。その方がいいだろうって、おじいちゃんが」


 一瞬朔がのぞかせた寂しそうな表情に、四夏はふと時間が巻き戻ったように感じます。

 いくぶん幼い顔をした朔は、トストスと畳を踏むと奥の衣装箪笥だんすの扉を開けました。


「残ったのはこれだけ」


 本来ハンガーで服をかけるための両開きのスペース。そこにはまるで祀られるように一領いちりょうの鎧が鎮座ちんざしていました。

 漆塗うるしぬりのつやめいた黒色の兜。桃の実のように頭頂部がとがったそれは、丸い金の前立まえだてで装飾されています。前立ての中央は丸く漆で塗られていて、遠目には金の輪のよう。

 同じく黒地のはずの胴や、肩膝を守る大袖おおそで佩楯はいだてにいたるまですべてが白、緑、赤の絹糸でおおわれ、微妙な色の違いが美しいグラデーションを描いていました。


「綺麗……」


 ため息をもらす四夏。

 朔は物憂げな中にも誇らしさを浮かべて微笑みます。


「おじいちゃんが二年前から、今のアタシに合うように仕立ててくれた競技仕様の鎧です。まだ未完成で、調整も必要なんですけど」


 四夏にはその鎧がにわかに特別な空気をまとって感じられました。それはもしかすると四夏がかつて感じていた神様に近いものだったかもしれません。生まれてから現在、そのずっと先まで注がれる親愛の情。

 朔は、すごく個人的なことですけど、と前置いて続けました。


「もし、これを着て世界大会に出られたらって思うんです。おじいちゃんが作った最後の鎧を、一番大きな舞台で戦わせてあげられたら。それが出来たらどれだけ喜ぶだろうって」


 ふっと四夏の脳裏に鎧をまとった朔の姿が浮かびます。遠い海の向こうの空の下で、祖父の集大成ともいうべきそれを翻して戦う彼女。それはとても――


「試合の前にこんなこと、考えるべきじゃないのかもしれませんけど。協力してもらうセンパイには話しておこうと思って」

「そんなことない!」


 即座に向き直って否定すると朔は軽くのけぞり目をぱちくり。


「すっごくいい目標だと思う! わたし今、ピンときた気がする」


 にわかに湧き上がった高揚感の正体をさぐるように言葉を探す四夏。


「正直今までは楽しくはなかったんだ。ただ、わたししかいないならやらなきゃって。でも今は違う。すごくワクワクしてる」


 苦しい状況の友達の助けになりたい一心で、なかば押し出されるように立った戦いはけれど。

 かつてお世話になった花山翁を喜ばせたい、そんな大きな夢のために努力する朔を応援したい。それは杏樹との約束に次いで生まれた確かな四夏自身の願いでした。


「やろうよ、優勝して、この鎧を世界に持っていこう。きっとみんなびっくりする!」


 手をとられた朔はぴんと背筋を張ると、やがてふっと脱力します。


「……ですかね、ふふ」


 その柔らかく懐かしい笑顔を以前に見たのがいつだったか、四夏は思いだせません。けれどやっと昔の調子に戻れたような、そんな気がしました。





 二つの布団をくっつけて、電気を消してからもぽつぽつと言葉を交わして。

 ようやくそれも途切れて意識が遠くなり始めたころ、隣で背中を向けた朔が言いました。


「……男子のことは、よく分からないです」


 まどろんだ意識でそれを聞く四夏。


「バタバタしてるし、大声あげるし、別の動物みたいで。そんな風には思えません……」


 それきり声は途切れ、耳鳴りがするような静寂が和室を包みます。


(……え、何いまの)


 なんに対しての答えか分かりません。寝ぼけている、というにはハッキリしていたような。


(でも寝言だよね、すごいいきなりだったし)


 妙に目がさめてしまった四夏は、朔を起こさないようそっとその後ろ髪をひとなですると、自分もまた夢の淵へと沈んでいくのでした。

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