12.幕間

 ポーランド代表に試合前インタビューができる!

 予想外の朗報にワタシは日本チームのキャンプを飛び出していました。


 ポーランドのマルボルク城。IMCF(国際中世コンバット連盟)のチャンピオンシップ会場まっただなか。

 13世紀のドイツ騎士団によって造られ、いくたびもの戦火にさらされた古城。第二次大戦、ナチスドイツ対ソ連の攻防戦で破壊された城壁は今、完全な姿をとりもどしてそびえたっています。

 どこまでも続く赤い城壁と、丸く天をつく尖塔。そのはるか向こうに横たわる、眠れる牛のような巨大な本城のシルエット。

 かつては背後のノガト河から引き込まれる水堀だったかもしれない外縁がいえんは今、緑の芝生におおわれ出店や人でごった返していました。

 青空に白い天幕をはるテントで座り込むのは鎧の騎士と、中世風のドレスをまとったご婦人方。


「コバト、ちょっと待って」


 サクサクと後ろから駆けてくる足音。鮮やかな赤色のワンピースが視界の端から前へとおどり出ます。


「慌てないで、ぶつかっちゃうわ。ハイこれ」


 取材承諾を伝えにきてくれたポーランド人の女の子。年の頃なら14、5。サポーターの子でしょうか。

 他とおなじく中世風の装いでスカートはくるぶしまで、明るいベージュのスカーフで金髪をゆるく括ってあります。


「あぁスミマセン、ところでなぜドーナツを?」


 そのへんの屋台で買ってきたであろう紙包みを押し付けられながらワタシは訊ねます。立ち上る香ばしいにおい。


「違うわ、オブジャバネクっていうの」


 固めに焼かれたリング状のそれを少女はひとつ取って食べ始めました。ドーナツというよりはパン寄りの、ベーグル、でしょうか。かなり大きく人の顔くらい。

 ピンクの唇からのぞく白い前歯がバリリと生地をちぎりとります。


「……領収書ひゅーひゅーひょいへもあったわ?」

「いや落ちませんよ? 日本の会社なんだと思ってるんですか」


 紙ナプキンに走り書きされたレシートと引き換えに仕方なくお財布の中身を出すワタシ。えーと4ズウォティ4ズウォティ。

 カロリーの塊のようなそれを一口かじると素朴なチーズの香りがひろがりました。


「日本語がお上手ですね」

「テーブルゲームのオンラインセッションで覚えたの。ニホンは好きよ。昔遊びにいったこともあるわ」

「なるほど。遅ればせながらお名前をうかがっても?」

「パトリツィア・スヴェルチェフスカ。トリシャでいいわ」

「分かりました、トリシャさん」


 愛称の付け方が独特だと思いました。こちらの感覚ではパト、パティとくるところ。まあ時代や流行りもあるのでしょう。

 ――そのあたりの事情も含めて、彼女のことをこの時のワタシは知る由もありませんでした。


「それで、出来れば早めにポーランドチームのテントへ向かいたいのですが」


 彼女に案内役を買われている手前おいて行くわけにもいきません。


いさみ足ねコバト。せっかくのお祭りよ、もっと楽しんだらどう?」


 くるりとその場で回ったトリシャは誘うようにワタシの手をとりました。その先には野外フードコートに囲まれたダンス広場。


「それとも日本人はそんなところまでマジメなの?」

「……あの、もしかしてからかってます?」


 すこしムッとして見返すと、トリシャはパッと離れました。


「ごめんなさい、でもテントは今バタバタしてるの。本当よ。代わりにワタシでよければ何でも答えるわ」


 これでも記者のはしくれ、人様の探られたくない腹をさぐる仕事も踏んできています。表情や動作から彼女が嘘をついているかどうかは明白でした。


(かつがれた……)


 クロ、嘘もウソ、子供だってもう少しマシにごまかすでしょう。具体的な事情は分かりませんが、このまま行ってもインタビューなどできないと見えました。


(まあ直接返事をもってきた時点でアヤしさ満点でしたし)


 チームの了承をとらず興味本位でやってきたか、それとも非常識な試合前取材の申し込みに対する意趣返いしゅがえしか。

 ともかく指摘するか迷って、やめます。嘘を暴いたところで元々とれないインタビューがとれるわけでもなし。

 あきらめたワタシはバッグからピンマイクを出しました。


「はあ……ならせっかくですからお聞きしますけど。あなたから見てポーランドチームはどうですか?」


 えりにクリップで留めてあげるとトリシャはくすぐったそうに身じろぎします。


「ンー万全、とは言えないけれど勝つのに不足はないと思うわ。分からないのはロシア、アメリカかしら」


 あっさり負けはないと答えたうえで彼女はアーマードバトルの二大強国をあげました。


「たしかポーランドは去年【5vs5】ルールでロシアチームに、【21vs21】でアメリカに金メダルを奪われていますね」


 裏を返せば2位、3位には安定してつける実力があるということ。38の参加国の中にあって常に上位を争う実力者たち。

 それは競技人口の差によるものでもあるでしょう。日本の騎士約140人に対してポーランドは400人。アメリカにいたってはSCAという独自のリーグを国内に持ち、そちらのプレイヤーが4万人を越えるという途方もない母数の多さを誇っています。


「あれは惜しい戦いだったわ。でも一騎打ちでは私たちが勝ったでしょう」

「たしかに【1vs1】ルールでは金、銀メダルともにポーランドでした」


 団体戦では水をあけられたものの騎士個人の精強さでは随一なのが最近のの国です。

 わき道へ逸れ、屋台の前を先に立って歩きながらトリシャ。


「私たちの国の歴史はいくつもの戦争の隙間はざまにある。それは決して明るい出来事ではなかったけれど、戦った父祖たちを私たちは誇りに思っているわ。メディーバルコンバット(中世戦闘)は彼らと同化して民族の誇りをとりもどすお祭りなの」


 パパの受け売りだけどね、と彼女は舌をだしました。


「なるほど……」

「もちろんそこに怒りや憎しみはないわ。戦いは相手への尊敬で終わる。あぁアナタにも素敵なご先祖様がいるのね、って」


 まるで自分のことのように彼女ははかなげに微笑んで、次の瞬間には屋台にならぶ音楽CDに目を輝かせます。

 純粋で清々しいトリシャの在り方にワタシはいつしか引き込まれていました。

 そのときガシャンと何かが割れる音が響きます。


「待てよクソ野郎!」


 続いたのは英語の罵声。聞きとった自分の耳を褒めたいくらいにスラング。

 ダンス広場の端でその喧噪けんそうは起こっているようでした。


「コイツが俺の鎧にビールをこぼしやがったんだ!」


 へたり込んだ男性観客を見下ろし怒鳴っているのはフルプレートの騎士。バケツのような兜に赤と青のマントをまとっています。

 男性はポーランド語で必死に謝っているようですがワタシには聞き取れません。

 そしてそれは甲冑騎士にとってもそうだったようで。


「何言ってる? 馬鹿にするなよお前!」

「ひ……っ」


 思わず目をおおいました。甲冑騎士が腰にさげていたメイス(片手の打撃武器)を振り上げたからです。

 けれどその直前、ワタシの隣から赤い影が飛びだしていました。


「ぐわっ!」


 さっきよりもずっと大きな鉄と鉄がぶつかる音が響きます。

 顔をあげれば仰向けに転がった騎士の利き腕をトリシャが踏みつけたところでした。


「ポーランドへようこそ騎士さま! でもあなた、お城の井戸のペリカン像をまだ見ていないのかしら?」

「なんだぁ、てめぇ、ペリカン……!?」

「かの水鳥の親は自分の肉すら飢えた子に与えるというわ。万人の庇護ひご者たる騎士が鎧ひとつに目くじらを立ててどうするの?」


 ワタシは何が起きたのか周囲に耳をたてます。そのなかに『女の子が鎧騎士を投げた』というささやきがありました。


(あの子、何者――?)


 地面を這う騎士は武器をもった手をなんとか引き抜こうと苦心しながら喚いています。


「このアマ、古くさい再現派リエナクトメントじゃあないんだぜ。騎士ごっこがしたいならパパに相手してもらいな!」

「行っていいわ」


 無視したトリシャは振り向くと観客男性へ目配せします。男性はあわてて立ち上がると雑踏へ飛び込んでいきました。


「てめえ!」


 怒りに駆られて上体を起こす鎧騎士。

 その出鼻へ、叩きつけられたビール瓶が砕け散っていました。ガラス片と発泡した液体がぶちまけられます。


「がボッ!? グぶボハぁッ!」


 ビンを振り抜いたトリシャは鎧騎士の胸を踏みつけて。


「ポーランドはダンスとお酒の国よ。歓迎の印だとポジティブに受け取ってほしいわ」


 ビシャビシャと残ったビールをヘルムの目窓へ注ぎながら微笑みました。

 そのとき、鎧騎士と同じ赤青のマントをまとった騎士たちが人ごみをかきわけてやってきます。

 ワタシがそれに気付いた時にはすでに、身をひるがえしたトリシャに手を引かれていました。


「逃げましょうコバト、日本のジャーナリストさん!」

「な、なぜ今ことさらにワタシの所属を!? 無関係ですからねっ!?」


 あっというまに仲間に仕立てあげられなすすべもなく彼女の後を追います。

 ぐんぐんと後ろへ流れていく景色と喧噪にまじって、くすくすと聞こえるトリシャの笑い声。

 不意に視界が暗くなったと思えば、どこかのテントの中でした。


「あーおかしい、びっくりした! あはハッ!」


 椅子に飛び乗るように腰掛けたトリシャはテンション高く足をバタつかせます。

 6畳くらいはある大きな天幕は無人。大きめの椅子にテーブル、マットレスの簡易ベッド。けっこうな荷物が放置されているので使われてはいるのでしょう。


「私たちのテントよ。ね、誰もいなかったでしょう?」

「いや、そんな得意げに言われても――ぅうわっ!?」


 トリシャに視線を戻したワタシは面食らってそれを引き剥がしました。


「な、なんで脱いで……っ?」


 紅いワンピースドレスの両腕を抜いた彼女は当然のように半裸だったからです。


「もうすぐ出番だから準備しようと思って。よければベッドの向こうの着替えカバンを取ってくださる?」

「はあ、えっと……」


 ビックリしました。テント内の薄暗闇に浮かぶむき出しの肩が白夜の太陽みたいに網膜に焼き付いています。

 壁際のベッドに手をついてその陰をのぞくと。


「……え、これ」


 口のあいたボストンバッグの中身に目を疑いました。

 磨かれたはがねとつやめく革。素人目にも堅固とわかるカーブと直線の組合せはどうみても西洋鎧。

 耳元にふぅっとかかる吐息で、ワタシは硬直します。


「ごめんなさい、分かりにくかったかしら?」


 ごく近く、もはや背中にぴったり寄り添うようにのぞきこんでいるらしいトリシャ。


「いっえ、あの」

「うん?」


 目の前の壁にトリシャの手がつかれます。少し節だった長い指の手のひらでした。

 のけぞったような体勢でふりむくと、零れかかってくるつややかな金髪。


「コバトってとてもキレイな黒髪をしてるのね」

「へぇっ? そ、そうでしょうか、えへ」


 造形美ぞうけいびの暴力めいた少女の半裸にワタシは目を泳がせます。

 無垢な微笑みはさっき鎧騎士を殴ったときといささかも変わらず。二の腕はひき締まり、綺麗な三分の一球形にふくらんだ乳房は一目でため息がもれるほど。


「ね、それ、切ってもらっていい?」


 トリシャはワタシが胸にさげたレコーダー本体をさして言いました。


「それ、は」

「お願いよ、いいでしょ?」


 ごくりと喉がかってに動きます。録音は記者の生命線。ネタ元としてだけでなくイザというときの証拠としても。


(あ、ぁ、こんな若いコ相手にワタシは何を……っ?)


 甘えるような、しかし有無を言わせぬ圧力にあらがえずプチリとその電源をオフにする自分の指。

 かわらない無邪気な笑顔がどうしてか急におそろしく見えてきました。

 その時。


 ――ガァン!


 テントの入り口で大きな音が響き、ワタシとトリシャは同時にとびあがります。

 後ろへ首をめぐらせたトリシャの金髪におぼれながら聞いたのは、同じくあどけない女性の声でした。


「お楽しみ中ジャマして悪いけど」

「な、ナタリア」


 トリシャは焦りにうわずった声でそう呼ぶと、ワタシを背に隠すように振り返ります。

 そのときチラリと鎧を着た女性が向こうに見えました。ミュージシャンのような真っ青に染めた髪と、濃くラインがひかれた鋭い目つき。


「時間よ、準備して」

「ええ~もう?」

「アナタ、自分をなんだと思ってるの。リーダーの自覚をもって」


 カシャンカシャンと静かな鎧の足音が近付いてきます。なぜか肩身の狭い思いでトリシャの陰に隠れるワタシ。

 ……リーダー?


「ハイハイハイわかったってば! 恥ずかしいんだから外に出てよ!」


 トリシャは庇うように立ち位置をズラすとちょっと怒ったように言いました。

 けれどナタリアと呼ばれた少女は足を止めず。


「それは気が利かなかったわ。別にアナタのささやかなものが放りだされてたって興味ないけど」


 かすかに後じさったトリシャの背中が視界を塞ぎます。白い肌の滑らかさはゆるくかきまぜたミルクのようでした。


「でもいくらやる気がないからってあまり遊び回ってると――」


 見上げた金髪の中に青い髪がまじります。トリシャの耳元に唇を寄せ、肩越しにこちらをのぞく目。


「――刺すわよ」

「ひ……」


 そこに湛えられた暗い光にワタシは小さく悲鳴をもらしていました。

 太陽を覆うショクのような。互いが互いを削り合うそのせめぎ合いは一種の妖しい美しさをかもしていて。


「待って待って怖い! ジョーダン、お客さんをちょっとからかっただけ、お分かり!?」


 叫ぶように言ったトリシャに、ワタシはかっと顔を熱くしました。

 ナタリアはかすかに目元を緩めます。


「ならいいけど。いい加減スイッチを入れてちょうだい。全体の士気に関わるわ」

「は~い。……そういうわけだから、ごめんなさいね記者さん」

「あ、いえ、そんな」


 ワタシは火照りをはらうように首を振ると立ちあがります。状況を理解するにしたがって価値が上がりつつあるレコーダーをしっかりと抱えながら。

 パトリツィア・スヴェルチェフスカ。本戦とは違って騎士見習スクワイアクラスのトーナメントはまだ第一予選が終わったところ。日本の次の相手は決まっていません。けれどもしかすると。


「ではワタシはこれで。お忙しいところをありがとうございました」


 乱れたシャツの合わせを気にしつつも、さっさとこの場を離れたい一心で礼をします。


「あ、そうそう記者さん。最後にいい?」


 入り口まで後退しようとしたワタシをトリシャが呼び止めました。


「――セト・シナツって名前に心当たりはない?」

「ぇ」


 あまりの不意打ちにワタシは一瞬言葉をなくします。

 なぜ彼女の口からその名前が?

 日本チーム内はおろか国内騎士の名簿にもない、の小さな騎士の名前。

 戸惑いが顔に出たワタシをみてトリシャは。


「ありがとう、充分よ」


 儚げに、無邪気に、そしておそろしく微笑みました。

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