11.慈愛

 お姉さんが出国する前の、最後のレッスン日。

 ぎりぎりにお城へやってきた朔と説明を受けます。

 贈り物のガントレットは“Fort du Mont Albanフォーデュ モンアルバン”城主の肩書きも持つマスタージョエルがいったん召し上げ、お姉さんに下賜するという形でセレモニーまで開いてくれることになっていました。完成品をみたヨコさんが気を回してくれた結果です。

 レッスン後の小さな壮行会。


「――我らが高潔なる騎士を祝福しよう。その道行みちゆきに勝利があるように」


 鋼鉄の腕と脚鎧に、黒のコートオブプレートで固めたマスタージョエルが宣言します。

 生徒とインストラクターの列から一歩前に出たお姉さんは片膝をついてそれに応えました。


「感謝します、我が師。必ずやその威光を知らしめましょう」


 まるで中世の絵画そのままのような光景に拍手が起こります。

 命じるマスタージョエル。


宝物ほうもつをこれへ!」


 車輪付きの台に乗せたそれを四夏と朔は緊張しながら押していきます。

 掛けられた白い布が取り払われ。


「……!」


 お姉さんが口元を手でおおいました。


「城でもっとも若く才ある匠工ふたりによって打たれた篭手だ。そなたの剣をより堅固なものとするだろう」


 白銀のブレストプレートにそっと抱いたそれを両手にはめて、四夏たちと向き合うお姉さん。


「……ありがとう、キミたちこそ私の天使だ。……すまない、上手い言葉が出てこない、ありがとう」


 鎧でおおわれた重い両腕が四夏と朔をがっちりと抱き締めます。その声はときどき震えて聞こえました。

 微笑ましいやりとりに暖かな拍手が降る中、四夏はせいいっぱいの笑顔で、朔はうつむいてそれを聞いています。





 わざとゆっくり着替えて最後に更衣室を出ると、案の定待ち伏せにあいました。


「それで、どうでしたかセンパイ。まぁその顔みたら分かりますけど」


 薄い笑いを口元に、値踏みするような目を向けてくる朔。


「……うん、ダメだった」


 それをまっすぐに見返しました。


「そうですか、アタシもです」

「へ?」


 目が点になる四夏。だって予定では朔は。


「アタシはおととい告白しました」


 やられた、と思いました。

 後に告白すると油断させておいてのこれです。まあ今となっては怒る気も起きませんが。


「そっか、残念だったね」


 むしろ彼女も自分と似た経験をしたのだと思えば親しみすらわくというもの。

 そんな四夏をじっと見る朔。


「なんですかソレ、センパイまたアタシのことなめてるでしょう!」

「いや……なんていうかもういいかなって。引きずってもしょうがないよ、はじめから無理だったんだし」

「っ……? どういうことですか」


 憤るようにまゆをはね上げた彼女はすぐに怪訝けげんな顔で訊ねます。


「あの人、うちのお父さんと結婚するんだって」


 呆気にとられる朔に四夏は順を追って説明しました。昨夜自分が知ったことを。


「……なんですか、それ。じゃあ最初から決まってたんですか、ダメだって」

「うん、たぶんそう」

「なんで知らないんですか、アンタが。家族でしょう?」

「分かんないよ、教えられてないもん」


 言うべきことを失くしたかのように歯噛はがみする朔。

 そんな彼女がいつかの自分のままに見えて、四夏は悲しさと混乱が戻ってきたように感じます。


「……アタシ帰ります」

「赤根谷さん」


 無視してきびすを返したその肩をつかもうとして失敗した手は、尾を引いたツインテールの片方をとらえます。


「待って!」

「ぅいったあ!? 何ですかもう!」


 非難がましく振り返った目に涙がうかんでいました。


「えっ、と、もうちょっとだけ付き合ってくれない? スパーリング、とか」

「はあ? 何言いだすんですかいきなり」

「いいからちょっとだけ、お願い、ね?」





 誰もいなくなった個人戦デュエルリングに明かりだけが灯っています。

 更衣室で防具をつけなおす間、二人はひとことも口をききませんでした。


「ビギナー・カウンテッドブロウズ。ポイント無制限、ポイントごとの仕切り直しもナシで」

「それ、殴り合いっていいません?」


 呆れたように返す朔を四夏はうかがいます。


「一応、お互い注意するってことで。イヤ?」

「いいですけど。どういうつもりですか本当に」


 朔は目を合わせずシューズのつまさきでトントンと床を叩きました。


「わたしのこと、ズルいって思ったでしょ」


 ぴたりと止まるその動き。ややあって少しバツのわるそうな顔が四夏へ向けられます。


「思いましたけど、悪いですか」

「ううん、でもそういうの溜めこまないほうがいいと思うの。いいよ、ついでに吐き出して」


 ついで、というのを殊更ことさらに強調して四夏は言いました。

 朔が同情を嫌うのは知っています。


「よく分かりませんけど、本気で打っていいってことですか」


 けれど放っておくことは出来ませんでした。自分と同じ混乱を、モヤモヤを抱えたまま家に帰ってどこにもそれをぶつけられない朔を想像するだけで居ても立ってもいられなかったのです。


「うん。当てられるなら、だけど。わたしも本気でやるし」


 お姉さんが四夏へしてくれたように。例えそれでこわい先輩だと思われたとしても。


「それで気が済んだら教えてあげる。わたしが――間違えてたこと」


 マイレディ、と互いに短く発し。

 構えた直後、朔の姿が沈み込んでいました。


 ――スパァアン!


「ぁいったあーッ!?」

「なんでそんなに構えが高いんですか。足元がら空きですよ」


 同時、鋭くはじかれる膝上ひざうえぎりぎり。

 鎧が微妙にカバーしきれなかった衝撃に四夏は足をかばって後ずさりました。

 意識するあまりお姉さんと戦うような錯覚が高い構えをとらせていたようです。


「ちょ、っと待って、一回最初からやらせて」

「イヤですよ、てゆうか何ですか間違えてたことって」

「もう気が済んだのっ?」

「別にそこまでうらやましくありませんし。フラれた相手が親と付き合ってるってわりと気持ち悪くないですか?」

「言い方!」


 正面を外すように動き続ける朔を迎え撃つ、斜め上段からの切り下ろし。

 お姉さんゆずり踏み込みに朔は防御以外を選択できず、バインドした剣はあっさりとらされて首を押し切られます。


「……いいの、わたしのは間違いだったから。本当の愛じゃなかったから」


 飛びのいた朔を誘うように下段前向【愚者】に構える四夏。


「どういうっ、意味ですか」


 たたらを踏んだ朔は足を止め、に落ちなさそうに応じました。


「言われたんだ。特別になりたいから何かをするのはおかしいって」


 一晩自分なりに考えたことを四夏は話します。


「本当の愛ならきっと告白なんて考えなくてもよかったんだと思う。わたしのは、ただもっと一緒にいてほしいっていうワガママだったから」

「……なんですかそれ。センパイ」


 呆れた問い返しを言葉不足と受けとって、四夏はさらに重ねます。


「真の慈愛は見返りを求めないものなんだよ」


 瞬間、


「何言いくるめられてるんですか、センパイ!」


 まっすぐな踏み込みと斬り下ろしが迫っていました。

 朔らしからぬ愚直さに驚きながらもまっすぐに突きを繰りだす四夏。

 直撃をうけた朔はえずくように背を曲げて足を止めます。


「言いくるめ、って、……!」


 すぐにまたこちらへ向いた焼き網バーグリルの奥をみて四夏はどきりとします。

 怒りとも悲しみともつかない表情。


「真の、とか本当の、とか、そんなのどうだっていいですよ。どっちかが特別になりたいって思わなきゃ付き合えないでしょうが!」


 否定するというよりも訴えるような調子は、四夏のかたくなさをわずかに揺さぶりました。

 朔のフェイントまじりの【はたき切り】。四夏は引き上げた剣でそれを防御。


「いや、だからまず大切に思う気持ちがあるのが大事で」

「そんなの卵とニワトリじゃないですか! それともセンパイはいつ好きになったのか覚えてるんですか!? 何時何分何秒地球が何回まわったとき!」


 すっと身を引くと見せた朔は【愚者】の構えから即座に跳ね上げ、向け直された四夏の剣先を天井へ押し上げます。

 直後の切り下ろしは、大上段となった四夏のてのひらから腕、袈裟けさまでを大きく切り裂きました。

 

「いっ……! やっ、それは、覚えてないけどっ」


 たまらず後退した四夏の背中がフェンスにぶつかります。


「あの人のこと大切に思えないんですか!?」

「思えるよ!」


 面を串刺しにしようとした朔の剣を逸らし、逆に突き返す四夏の剣。

 ダブルキル(相打ち)。互いの横面に刃を押しつけ合った二人は至近距離で停止します。


「好きで大切で、二つそろってるじゃないですか、今。ならそれは普通の、ちゃんとした片思いですよ。違うくないです」


 その言葉はゆっくりと四夏の胸に染み込みました。


「……えっと、いま耳がキーンてなってあんまり聞こえてないんだけど」

「はっ倒しますよいい加減」

「待って、だから、あれ……?」


 ぽとりとヘルムのあごひもを濡らしたものに四夏はやっと気付きます。


「あれ、あれ? なんで……」


 ぽろぽろとこぼれるそれをぬぐおうとして焼き網バーグリルにはばまれ。


「もう脱いだ方がいいですよ、それ」


 剣をおいた朔がごく自然にベルトの留め具へ手をかけます。

 すぽんと視界が広がった瞬間、せきをきったように気持ちがあふれだしました。


「ふっぅ、ぁ、赤根谷さん」

「なんですかー」


 のど当ての固定ひもをのぞきこみながら朔。


「っく、う、そう、なのかな? わたし、ぅぐ、ちゃんと好きだったの……?」

「アタシに聞かないでください。自分のことでしょう」


 突き放すように言ってから、少しだけ気まずかったのか。


「まあ、好きじゃなきゃ毎日毎日人の家に来て鎧なんて作らないんじゃないですか」

「ぁ、あ、赤根谷さぁああん……!」


 四夏は急に気が楽になって、同時に猛烈な『人にいてほしい欲求』にとらわれます。

 ベッドでぬいぐるみにするようにひっついた身体は、固いアーマーがぶつかりあってお世辞にも抱き心地がいいとは言えませんでしたが。


「ちょっ、あーもう、なんでアタシが」

「ごめん、ごめんねぇ、ぅぅうううー……!」


 それでもそこに誰かがいて自分のことを分かろうとしてくれているという感覚は、嵐の舟から陸へ足を付けたような安心感で四夏の胸を満たすのでした。


「まぁいいですけど、アタシはもう済ませたんで」


 朔は小さくそう付け加えます。

 ――――。


「落ちつきましたか」

「ぅ゛ん……」


 どちらともなく膝をついて座りこんだ体勢で、朔がそれとなく四夏をひきはがします。

 迷惑そうなウンザリ顔。


「センパイってド天然なうえに頭まで固いんですね。不器用だし、いつかダマされて酷い目にあいますよ絶対」

「う……」


 自分より年下の前で本気泣きしてしまった恥ずかしさに四夏は顔を伏せることしかできません。

 先輩としてさとしてあげるつもりが逆に借りをつくってしまった気がします。


「っふ、顔ぐっしゃぐしゃ。帰る前に洗った方がいいですよ」


 今さらに青くなる四夏を床へ残したまま、朔は立ちあがりました。

 かすかに笑みの形にゆがんだ目元。


「アタシ、ここに通うのやめます」


 あまりにさっぱりと告げられた言葉の意味を、四夏は一瞬はかりかねます。


「え……なんでっ?」

「だって、これからどんな顔して会えばいいかわかんないです」


 そっぽを向いて拗ねたように朔。その仕草だけが年相応としそうおうでした。

 あとはあまりに大人びていて。


「というのは冗談で、まあ家庭の事情です。お姉ちゃんがジュケン勉強? しなくちゃいけなくて、おじいちゃんのこと見れなくなるので。ヨコ先生にはもう話してあります」


 そつなく作られた優等生の顔が、もう決まったことだと言っているようでした。

 言葉をかけあぐねる四夏を待たずに朔はリング入り口を開けると。


「ですから瀬戸センパイもどうかお元気で。いい加減バレますよ、出ましょう」


 仮面のような表情を崩さないまま更衣室へと歩いていきます。


 ――そのまま別れ、自室のベッド。

 帰った四夏はぼんやりと部屋の天井を見上げて思います。


(……わたしもやめようかな)


 不意にわいたその気持ちは、自分でも驚くほど抵抗なく受け入れられました。

 頭が固い、と言われたのを思いだします。育んできた騎士道精神はこれまでにもたびたび、クラスメイトの輪から四夏を遠ざけてきたように思われました。

 勇ましく高潔であろうとすればするほど、大切なものは自分の手からこぼれていきます。

 パティも、お姉さんへの気持ちも、朔も。


(……あれ?)


 何気なく天井へのばした右手。

 その手首にあるはずのものが無くなっていて、四夏は目を瞬かせます。

 ミサンガのおまじない。


(いつ取れたんだろ?)


 レッスン後に着替えたときはあった気がします。

 ならたぶん朔とのスパーリング。

 手首から胴までを切り裂かれた打ち込みを思いだして確信します。あの時だと。


(痛かったなぁ)


 これまで朔と試合をしたなかで、一番強く早く迷いのない攻めでした。

 妙にスカスカして感じる手首はなんだか長いあいだ自分のものじゃなかったような気がして。

 ようやく戻ってきたそれを抱き締めるようにして、四夏は深い眠りにおちていきます。

 かすかに袖を引いた誰かの手は、夢の入り口でするりとほどけてしまいました。



 ――プラスチックの章・おわり

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