鋼鉄の章

1.放浪の騎士

 照明ライトの中に浮き上がる白球。

 空中で弓なりに背をそらせた四夏は腕をふり抜きます。手のひらに伝わる打球感と、ネットの向こうではずむボール。

 スコアボードが〔7-25〕を示し、試合終了のホイッスルが吹かれました。


「ふうっ」


 日曜の体育館は広々として、バレーコートの向こうでは男子バスケ部が軽快なシューズの音を刻んでいます。

 四夏は汗をぬぐうと線の外へ。コート内では今しがた勝利した帝治ていたじ高校女子バレー部がハイタッチを交わしていますが、そこに混ざることもせず。

 気合とも快哉ともとれる叫びがいくつも響いた後、三年生がひとりこちらへ歩いてきました。


「あなたも。助っ人ありがとう、助かったよ」

「はぁ、えっと」


 四夏はいまいち釈然としない表情でそれに応じます。

 モンアルバンに通わなくなった中学時代、四夏は色々な部の助っ人に出向いていました。

 騎士道はもうよそうと思い決めたはいいものの他に打ちこむ事もなく。その高身長に目を付けた部活からの勧誘をのらりくらりとかわし続けるうちに『試合の時だけ』のピンチヒッターが板についてしまい。

 それは高校に上がった今も続いていて、運動神経のいい便利屋として運動部にはそれなりに顔が知られています。

 けれどそれは言葉を選ばなければ弱小、マイナーな部に限った話。


「瀬戸さん、だっけ。アタッカーやれるよ。このままウチに入部しない?」


 過分な称賛もどこか社交辞令的。それもそのはず、帝治バレー部は規模でいえば充分中堅で、周りには応援に多くの部員が詰めかけています。

 いち練習試合の補欠くらい自前で用意できるはず。どうして自分が呼ばれたのか、そこが分からないまま四夏は頭をさげます。


「いえ。でもまたお声がけしてもらえると嬉しいです」

「そ、じゃ、お礼の話だけど」


 あっさりと引き下がった彼女は頭の上で結んだ髪をほどきながら訊ねました。


代理人マネージャーの話だと、ゴハンと寝床ねどこに気弱な女子だっけ? なに、家出中?」

「…………」

「ごーめん、もう聞かないよ。色々あるよね分かるー」


 ひとつも申し訳なく思っていなさそうな調子で言うと、一転してにやにやと笑みを浮かべ。


「で、女の子だけどさ。どんなカオが好みーとかあるの?」

「……いえ、特には」

「誰でもいいの? マジ?」

「そういうのじゃないので」


 引き気味の彼女に四夏は内心ウンザリします。


(また、誤解されてる……)


 どういう仲介をすればこんな話になるのかと。もはや風評被害です。

 四夏はただ、厄介になるなら大人しくて何も聞いてこない相手がいいなあと希望しているだけでした。それを――


「ま、いいや。ちょうどいい子がいるんだ。あなたと同じ一年生、きっと気に入ると思うよ」


 わざとらしく声をひそめて言った先輩は、応援部員の一団へ向けて手招きします。

 オドオドとした様子で一人の女子部員が進み出てきました。


「アンタ、瀬戸さんにお礼する係ね。部の代表としてちゃんっと言うこと聞くこと。分かった?」


 先輩が命じるのもどこか遠くに、四夏はまばたきします。

 小さな背、ツーサイドアップに結んだ明るい髪。すらりと形のいい手足。


「……杏樹ちゃん?」

「四夏……」


 およそひと月ぶりにかわした挨拶以外の言葉でした。





 四夏の住むマンションの、四夏の家より三階上。

 ガチャリと鍵を回した杏樹は少しだけ落ち着かなさげに振り向きました。


「どうぞ。誰もいないから」


 四夏の記憶にある玄関とは内装がほぼ一新されていて床と天井くらいしか一致しません。

 実際中学の頃はクラスも別。杏樹はバレエ教室とよく分からない文化系部に通い詰めで顔を合わすこともまれだったのでさもありなん。


「うん、お邪魔します」


 リビングをスルーして杏樹の部屋へ。

 こちらも様変わりして、ゲームや少女漫画に変わって早くからあったコスメ類がその版図を拡げています。隅にはベッドとテレビ、ごちゃっとした充電コードの束。

 ハサミの突き刺さったバレーボール。


「……杏樹ちゃん、イジめられてるの?」

「どっどうしてそう思うのっ!?」

「いや、だって。ずっと暗い顔してるし。話しかけても聞こえてないみたいだったし」


 学校からここまでの帰り道、杏樹はずっとそんな調子でした。まあ四夏が遠慮がちだったのもありますが。


「あたし無視しちゃってた? ごめんね!? そんなつもりなくてっ」

「いいよ、大丈夫。何か力になれる?」


 どこか必死に謝るその様子はやっぱりどこか不安定で。

 入学式、ほんのひと月前に会ったときとは人が変わったようでした。

 落ち着かせようと二の腕へ手を伸ばすと、杏樹はビクッと身を固くしてそれを受け容れます。


「う、うん、いい、どうせもう部活やめるし」


 はぐらかすようにベッドへ腰掛けた杏樹の正面へ四夏は正座します。広げられたヨガマットの上。

 中学でいっそう差のついた二人の身長は、これでようやく同じ目線になるくらいでした。


「いいの? わたし、杏樹ちゃんいじめてる人ならやっつけるよ?」

「いやそんな小学生じゃないんだからさ……あーふふ、やりかねなさそー」


 陰鬱いんうつだった杏樹の口調がすこしだけ明るいものになります。


「大丈夫、まだ入って一か月だし。新しいトコ探す」

「というかなんでバレー部? 好きだったっけ?」


 少なくとも四夏が知るかぎりで接点は見当たりません。

 杏樹はちょっと言いよどんだ後ごまかすように目をそらしました。


「……バレエとバレーって似てない?」

「音だけだよ。杏樹ちゃんこそ本気で言ってそうなとこあるよ」


 くすくすと二人で忍び笑います。思えばそれは昔からの習慣でした。騒ぎすぎて怒られないための。

 ぱさりと結んだ髪をほどいた杏樹はベッドに横倒れになります。


「あたし、入学式で迷っちゃってさ。そのとき親切にしてくれた先輩がバレー部だったの」

「あー」


 去っていく背中を目で追いかける杏樹が想像できる気がして四夏は納得。

 でも、と杏樹がトーンダウンした声で続けました。


「その先輩のこと、女バレの先輩も好きだったの」

「あー……」


 内心うげっとして相槌をうつ四夏。苦手です、そういう話。


「それでいろいろ嫌がらせされて……さっさとやめればよかった。次なにしようかなぁ……」


 四夏が必要もなさそうな助っ人に呼ばれたのもその一環と考えれば合点がいきます。ずいぶんと迂遠ではありますが。

 杏樹の気持ちが先へ向いているのを幸いと、その話題にのっかりました。


「バレエは? もうしないの?」


 中学までは習いに行っていたはずです。四夏はコンクールを見にいったことも。

 もそもそと杏樹はかぶりを振りました。


「演技にはなが、っていうか才能ないって言われちゃってさ。そうかもって」

「わたし、杏樹ちゃんのバレエ好きだったよ。なんか、あのクルクルするやつとか」


 くすりと揺れる布団にうもれた肩。


「バレエは大体クルクルするけどね。あれかな、バトン」

「そう、それ! キレイで魔法みたいだった」


 手のひらで、空中で無尽に回転する銀のバトンを覚えています。杏樹の自信に満ちた表情は、見ている四夏まで誇らしい気持ちにさせたものでした。


「……そっか」


 ふうっと微睡まどろむように目を細めたあと、杏樹が勢いよく跳ね起きます。


「よっし、晩御飯の準備しよーぅ! なに食べたい?」

「杏樹ちゃんがつくるの?」

「もちろん、任せて、ウチの冷凍庫はデパートなみの品揃えだから」


 ホッとひそかに息を吐く四夏。

 こと家庭科に関して杏樹からは良い話を聞いたことがありません。でも冷凍食品ならそうハズれることはないでしょう。

 そうタカを括っていたのですが。


――――。

「まさかパッケージのほとんどがフランス語表記だなんて……」


 妙にネットリとした、嗅いだことのないスパイスのきいたハンバーグを咀嚼そしゃくしながら四夏は眉を寄せます。


「あははーこれハズレだったね。ゴメンね、ママが仕事先でいっぱい貰うらしくて」


 作り方はチンプンカンプン。かろうじて絵付きの説明があるものも『日本とフランスで電子レンジの性能が同じか』という問題に突き当たり。

 真におそるべきは今までそれで不自由なく食事をしてきた杏樹の無頓着むとんちゃくさでしょう。

 「テキトーで大丈夫だよ?」と小首かしげで言われたのがイヤな予感のピークでした。


(白米がおいしい……)


 レトルトご飯の尊さをはからずも思い知りつつ完食。ごちそうさまの精神でそっと手を合わせます。

 チーンと追い打ちで響いたレンジの音にびくりと固まりました。


「こっちはどうかなー、じゃーん、マカロン!」

「……おぉっ、これは見た目フツーだよ美味しそう!」


 厚いビニールから雑に開けられた色とりどりの焼き菓子は少々しめっぽいもののお菓子屋さんの味。


「おいしいよ杏樹ちゃん、さすがフランス!」

「何がさすがかはわかんないけどイケるね、もう一個食べていいよ」


 危険な甘さとバターの香るそれを杏樹のぶんまで平らげて、結果オーライな幸福感にひたる四夏。

 杏樹が窺うように言いました。


「えっと……お風呂は別々でいい、よね?」

「もぁっ、も、もちろんモチロン」

「良かった、じゃ、先はいっちゃって」


 妙な気を遣われながら汗を流し、ふたたび杏樹の部屋へ。

 早くも順応してヨガマットでくつろいでいると、ほこほかと湯気をあげた杏樹が上がってきます。


「あの、お布団だけど……別にしく? それとも、」

「泊めてもらうのにそんな注文つけないってば! ヘンな気回さないでっ」


 頬を上気させた杏樹は、四夏が前のめりに否定するとよそよそしく髪をイジります。


「あたしにだって心の準備が……もちろん断るほうのだけどっ、とにかく急にこられても困るんだからね!?」

「だからあっ……!」


 頭を抱える四夏。幼なじみまでこんな様子では、赤の他人にどんなイメージを持たれているか想像するだけで気が滅入ります。


(カヤノめ……)


 最近つるむようになった悪友に毒づいてから、辛抱強く冷静に説明。

 きょとんとして杏樹はベッドに座り込みました。


「え、じゃあ何にもしないの? ホント?」

「むしろ何をされると思ったの?」


 抑えていた憤慨をあらわにしてたずねると、杏樹はわたわたと手をふって弁明。


「や、だって一応いいとこの学生だよあたしら。ゴハンと寝床、なんて言葉通りにとらえる方がおめでたいと思わない?」

「まあ、そりゃ」

「だから絶対何か他のことさせられると思ったの。あーホッとしたーぁ」


 そのままベッドの上に仰向けになる杏樹。もこもこしたショートパンツから伸びる太ももがすぐそこで開いて四夏はバッと目をそらします。


「じゃあ悪いけどいっしょのベッドでいい? 親の寝室から布団もってくるの大変なんだよね」


 すぅ、とひと呼吸おいて四夏は応じました。


「……いいの?」

「いいのって何!? やっぱりそういうコト!?」

「ちっ違くて! わたし大きいから、狭くなるかも……」


 杏樹のベッドはこじんまりとして。身長170センチをかぞえる四夏では容易に面積半分を占有してしまいそう。

 起きて毛布をかきよせた杏樹はホッとしたようにそれを緩めました。


「あー、四夏がよければいいよ。あたし寝相わるいけど、オアイコってことでさ」


 ――――。

 窓外の街灯で薄らいだ暗闇のなかで二人、ひと繋ぎの掛け布団を分け合います。

 向けた背中ごしに杏樹がぽつりと言いました。


「……四夏、聞いていい?」

「…………ちょっとなら」

「そっか……平気? 相談とか乗る?」

「……大丈夫だよ、ありがと」


 羽毛で上辺うわべをなぞるような気遣いが今はありがたく、四夏は穏やかな気分で目を閉じます。

 寄るのない宙を四夏は泳いでいました。

 恋の痛みと引き換えに受けた、世の中に探せばいくらでもある青春のほころび。ですがそれは今までで一番長い冒険だったかもしれません。

 力も信仰すら失った放浪の騎士。

いつしかすり変わっていた夢の主役にようやく光が差したのは、古いキャラものの目覚まし時計が響かせたアラーム音と同時でした。

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