9.真なる勇気

 真っ赤な顔は燃える岩のようでした。

 階段から現れたのは全身鎧の騎士。上げられた面覆バイザーからのぞく顔と声でパティの父親のヤクブ選手と分かります。


いたずら坊主めズウェ ジェツコ!」


 四夏ははっとして馬乗りになったパティから離れました。

 けれど伸びてきたおおきな手が掴み上げたのは、起き上がり逃げようとしたパティ。

 ブンと腕が空を切るとその身体が宙へ投げ出されます。


「アぐっ!」

「っ!?」


 床へ叩きつけられ転がったパティと、憤怒ふんぬの形相でそれを見下ろすヤクブ選手を四夏は交互に見て。

 状況を理解するより先に、さらに一歩を踏み出したヤクブ選手の前へと飛びだしていました。


「シナツ……?」

退け。キミにのは俺の役目ではない」


 怯えたようなパティの声と、感情を押し殺した冷たい警告。

 本物のフルプレートと鉄剣の迫力はすさまじく、相対しただけで体じゅうの関節がこわばって動かなくなるよう。

 ガチガチと歯が鳴り足が震え、それでも四夏はダガーを手にパティへの道を塞ぎます。


「退ォけえェとッ言っているッ!」

「っ、ゎああああアアアアアアッ!」


 目の前で爆発がおきたような怒気に四夏もまた叫び返していました。そうしなければ穴の開いた風船のように、たちどころに気力がえてしまう気がしました。

 何かにかれたように四夏はダガーを構え突進します。

 狙うは股間。短剣が届く範囲で唯一、すきまがあり致命傷になりうる箇所。

 その攻撃線上に。


「アアぅあっ?」


 長いあしが割り込んでいました。四夏とヤクブ選手をへだてるように。

 四夏はそのお尻にぶつかって止まります。見上げれば同じく境界線を引く、ラタンのロングソード。


「どういうつもりですか、ミロード」


 高く結んだ黒髪を揺らして、お姉さんはそこに立ち塞がっていました。

 ヤクブ選手の首へ切っ先をつきつけての問い。

 やや熱の冷めたヤクブ選手の声はきしるような響きでそれに応じます。


「家庭の、けじめの問題だ。口を挟むな」


 一層強くそのあごへくいこむラタンソード。お姉さんはさらに言葉を重ねます。


「それを言うのであれば、あなたの鬼気は私のレディに有害です。即刻引っ込めなければ本気で怒ります」


 するどい眼光が四夏の頭上でぶつかり合い、やがてヤクブ選手はしぼむように怒気を霧散させました。


「……すまない、度を失っていたらしい」


 ふ、と全身を縛っていたものが解けたような感覚。

 へたり込んだ四夏を、先んじてお姉さんが抱き締めました。

 息で胸がいっぱいになって、吐くのも吸うのも苦しい背中をやさしくさする手。


「っはっ……はあっ……はっ……!」

「大丈夫、もう大丈夫です、私がいます」


 しばらくそうされていると落ち着いて言葉が戻ってきました。


「わた、わたし……」

「恐かった?」


 ガクガクと頷き。


「それが“真なる勇気”だ。まだ君には早いだろう?」


 でもまたすぐいじわるな口調に戻ってしまったお姉さんに、四夏は黙りこみます。

 耳元で小さく笑う気配。


「だが君はたしかにそれを示した。恐くとも、逃げ出したくとも、やらなければならないと感じたから。だね?」

「うん……」

「いいだろう、降参だ。未熟ではあれど君は確かに騎士の卵スクワイアであるらしい。だからこれは私と君のお父さんからのお願いになるけれど」


 お姉さんが身体を離し、四夏の両肩に手をおいて見つめます。


「その勇気は大きくなるまで預けておいてほしい。この“Fort du Mont Albanフォーデュ モンアルバン”に。君がここで、心根こころねに見合う実力を身に着けるときまで」


 真剣な、でも優しいまなざしに四夏はどきりとします。それはつまり、ここで練習をしてもいいということで。


「それまでは私が君の剣になろう。だからどうか自身を大事にして、周りの大人に君を守らせてあげてほしい」


 さとすように言われて四夏はうつむきます。気恥ずかしさに。

 お姉さんのことを誤解していたかもしれないと反省します。だって、ついさっきまで自分がどれだけ彼女を恨みに思っていたかもう思いだせないのですから。


「わかり、ました」

「ありがとう。歓迎するよ、私のマイレディ」


 お姉さんは再度四夏を抱擁しました。その腕の温かさに四夏は目を細めます。

 その時。


「……どうして……?」


 うわごとのような声が背後から。

 父親に抱き起こされたパティが、ぼうっと四夏を凝視していました。


「どうして、ワタシには、お父さんにしたみたいに立ち向かってくれなかったの。ワタシ、弱いから?」


 蒼白になったその頬を、ぽろりと玉の雫が伝います。ぎょっとした四夏はそれでも、彼女に大きなケガが無いことに安堵しました。


「パティ、やめなさい」

「ウソつき! ワタシには、あんなことしちゃいけないって言ったくせに! シナツは、お父さんにあんな……っ!」

「パティ!」


 ヤクブ選手が怒鳴り、パティの顔が真っ赤に染まります。それはこれまでで一番激しい感情の発露にみえました。

 泣きじゃくる彼女を前にどうしていいか四夏にはわかりません。

 パティが投げ飛ばされたとき、勝手に体が前に出ていました。

 あとは無我夢中で。彼女を守るという一念のみ、他のことは頭になくて。それは自分の命さえもそうで。

 もしかするとそれがパティと暗黙にかわした約束を破ることになってしまったのだろうかと、四夏は考えます。


 その後お父さんが、ジョエル選手が駆けつけて。

 大人たちが謝りあい、その仲立ちでパティと形ばかりの和解をしたあとも。

 パティ本人にその詳細を聞くことはついにできませんでした。それがさらに深く彼女を傷つけてしまうような予感があって。

 彼女が垣間見せた燃えるような怒りの瞳。それは深く四夏の心に焼き付いて離れません。

 その熾烈しれつさの前では、それまで彼女が見せていた輝くような笑顔も幻か夢のように思われてしまうのでした。



 ――ラタンの章・おわり

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