7.思い出

 翌日の帰り道。校門を出た先で待っていたお父さんに四夏はびっくりしました。

 きけば仕事でお城に用があるとのこと。


「宮廷学者みたいなものでね。古い武術書の判読なんかをを手伝っている。四夏のことをお願いしたのもその縁があったからなんだ」


 意味はよく分かりませんでしたが、こんな時間にお父さんと会えるのはプレミア感があってワクワクします。

 乗り慣れたジムニーの後部座席におさまると、気分はちょっとしたお出かけ。目的地まではあっという間でした。

 お城の敷地に乗りいれた二人をお姉さんが出迎えます。


「助かるよ。毎日ありがとう」

「いえ、お気になさらないでください」


 笑顔で声をかけるお父さんに、相変わらずまっすぐな背筋で応じるお姉さん。

 心なしか柔らかいその横顔を、今日こそはと四夏はにらみつけます。



 低く低く、獣が四つ足で走るがごとく四夏は突撃します。

 ひざを払う横薙ぎから、防がれたと同時回り込んでの突き上げへ。とにかく一箇所にとどまらず攻撃し続けるそのスタイルを、お姉さんは一つ一つ丁寧にはじき返し続けていました。


「いい加減にしろ! やみくもに攻めても無駄だとなぜ分からない?」


 お城の中庭で、お姉さんを中心にした円を描くように動きながら攻める四夏に、苛立ちまぎれのダメ出しが入ります。


「っは、はぁ、ヤアああっ!」


 それでも「止めろ」とは言われません。四夏も諦めるつもりはありませんでした。

 もう少しで何かがつかめそうな予感があります。まぶたの裏にチラつくそれは昨日、パティと戦ったときに見た光の一端。

 視界の周辺がぼんやりと白み、見える範囲が狭まります。自分と相手しかこの世にいないような夢うつつの境。


(もっと……まだ!)


 お姉さんに背を向けた四夏は、さらに半回転して遠心力をのせた横薙ぎ。

 手ごたえが防御の『剛さ』を伝えてきます。パティならここでさらに速く切り返せるのでしょうが四夏は昨日やって失敗しています。


「か、たぁくうううッ!」


 ならば、と。

 打ちこんだ自分の剣にかぶさるように【ハーフソード】の体勢へ移行します。四夏は吼えると、お姉さんの切っ先から外れるように身体をねじりこみました。

 ラタンソードが擦れるキュリキュリという音。剣先がお姉さんの喉元に迫ります。


「ッ」


 はじかれたように回避行動をとるお姉さんの上半身。

 剣はその顔の横ギリギリを貫きました。

 すれ違う際に二の腕を強く押し上げられ、地面へ転がされる四夏。


「真面目にやれ! そんな捨て身は勇気でもなんでもない!」

「……ぅ……」


 会心の攻めでした。それをこんな風に怒鳴りつけられ、さしもの四夏もわからなくなります。

 転んですりむいた膝が遅れてじわりと痛みだし、目の奥にこみあげるものが。

 それを悟られるのが嫌で、四夏は中庭を飛び出します。

 あとに残されたお姉さんはそれを見送って嘆息しました。


「ヘルムを被ってたら被撃グッドでしょう、今のは」


 さも当然のように窓から顔をだした春山シュンザン選手が茶化すように言うと、ジロリとそちらを睨みつけ。


「たしかに驚いた。けれどあの蛮勇ばんゆうを改めなければ、いつか取り返しのつかない傷を負ってしまう」


 ひとり言のようにつぶやきました。





 走りながら、なんども涙をのみこみます。

 もし家や学校なら泣いていたでしょう。けれどお姉さんには涙を見せたくない、あなどられたくないという思いが強くありました。


「おっと?」


 入り口を出たところでぶつかったのは、仕事の話を終えてきたらしいお父さん。ジョエル選手も一緒です。

 その姿を認めたとたん我慢していたものがぽろぽろとあふれ出しました。


「どうかしたかい? ……すいません」

「構わないさ、先に入っているよ」


 お父さんはジョエル選手に断ると、四夏を外のベンチへと連れて行きます。

 四夏はぐすぐずと鼻をすすりつつお姉さんとのことをとりとめなく話しました。


「そうかぁ」


 一通り聞き終えたお父さんは隣に座る四夏の背中をひとさすり。考え込むように足を組み替えます。

 沈黙がいつもより重い気がしました。最初はお姉さんの理不尽ぶりをげ口するくらいの意気込みで話したのに、終えてみればどこか自分が叱られた後のような気分です。

 いたたまれなくなって今更、なにか別の話はないか、なんて探してみても意味はなく。


「あの、が、学校で」

「ん?」


 我ながら無理やりな転換だと思いながらも、こちらを向いたお父さんの優しい声音に甘えてしまいます。


「自分の名前の意味を調べるっていう宿題があるんだけど」


 お父さんは相槌をうつと、続く言葉を待っているようでした。どうしてかその表情にさっきまでの四夏が重なります。


「“しなつ”の名前の由来ってなに?」


 少し長い沈黙。

 眉を寄せたお父さんはふぅっと息を吐きました。その顔をみて四夏ははっとします。


「そうだな……うん、名前はお母さんが考えてくれたんだよ」

「おかあ、さん」


 それは二人の間で……いいえ、四夏のなかである種のタブーだったもの。語ればお父さんを困らせてしまう、その笑顔をくもらせてしまう言葉。


「病気で亡くなったことは前に話したね」


 もはやどうしようもなく四夏はうなずきます。なんでもいい、この際どんないい加減な由来でもいいから早く聞いて、この話題が終わればいいと念じながら。

 でも。


「難しい病気でね。見つかったときにはその年の秋を越せないと言われた。けれどその時、お母さんのお腹には君がいた」

「だから名前をつけてお祈りしたんだよ。一年が夏のままであるように、ずっと四夏のそばで生きられますようにって」


 頬から両肩をさするお父さんの大きな手。耳から流れ込んだ言葉は胸の中で膨らんで、四夏の疑問を喉から押し出します。


「……神様に?」

「うん」

「じゃあ、神様って頼りないね」


 ひといきに滑り出た言葉。きっと言ってはいけないことだと頭の片隅で思いながらも止められませんでした。

 それどころか言ったあとは胸がすくような気持ちで、四夏はどうしてこんなにスッキリしたのだろうと不思議に思います。

 思えばずっとそうでした。神の奇跡や預言の物語を読むたび、どこか冷ややかにそれを見つめている自分がいて。本当にそんなものがあるなら、どうして私には――

 お父さんが強く四夏を抱き締めました。


(っ、あれ――)


 暖かく包まれる感覚。その肩越しに見上げた太陽に四夏は目を細めます。何かを思いだしそうな気がして。


「そうじゃないよ。人の命の長さは決まっている。神様はそこでどう生きるかに道を示してくれるだけなんだ」

「……わたしを産んだ後、お母さんは?」


 苦しいくらいの抱擁ほうようがもっときつくなればハッキリするかと、さらに言葉を吐き出します。

 四夏にはお母さんの思い出がほとんどありません。だからきっと、そういうことで。

 今お父さんがどんなにつらそうな顔をしているか、四夏には簡単に想像できました。ちくちくと良心が刺す胸の痛みはしかし、奇妙な安心感となってそこを満たします。

 なのに。


「覚えてないかもしれないよ。まだ小さかったから」


 するりとほどける腕。四夏の両肩に手を置いたお父さんは、泣いたあとみたいな笑顔で語りました。


「そうだな……四夏は大きなパンケーキの絵本が好きだったね。よく病院のベッドでお母さんの隣に座って読んでもらっていたよ。なんでかお母さんの足がお気に入りでね。布団の下へもぐり込んではつまみ出されていたっけ。それに――」


 薄い唇が愛おしそうに言葉を紡ぐたびに、断片的なイメージが四夏のまぶたの裏へ去来します。白い部屋、風にうねるクリーム色のカーテン。ページを繰るかさかさした手に、ひんやりしたベッドの手すりと暖かなあしの隙間に体を入れる安堵感。

 そしてそれが唐突に消えた時の不安も。


「っ!」


 四夏はお父さんのお腹にもぐり込むように強くひっつきました。

 その背中を撫でる大きな掌。


「四夏?」

「わた、し、っ、忘れてた、ずっと……何でっ?」

「……大丈夫、普通のことだよ。急にお母さんがいなくなって、悲しい心が記憶にカーテンをひいたんだ」


 四夏は次々と溢れてくる思い出を払うように頭を振ります。決して不快ではありませんでした。ただ怖かったのです。

 自分がとても悪い子になったようで。


「どうして、教えてくれなかったの……っ?」

「忘れたいことは忘れていいと思ったんだ。君の心が落ち着いたとき、自然に思いだすだろうと思った」


 嘘です。思えば四夏がお母さんのことで首をかしげるたび、お父さんは悲しい表情を浮かべていたのでした。本当は覚えていてほしかったに違いありません。

 産まれた四夏を最初に抱いてくれた人。はじめて話したときも、ハイハイしたときも、きっとずっとそばに居てくれた、懸命に居つづけてくれた人。なのに。


「お母さんに、ひどい子だって思われる」

「四夏」


 お父さんの身体が大きく動きます。ざりざりと地面を掻く音にそっと顔を上げました。


「これが君の名前だね?」


 小枝を使って土に書かれた字に、こくり。じゃあ、とお父さんは続けます。


「お母さんの名前を覚えているかい?」

「せと、かほ」


 それだけは小学生に上がるとき、お父さんと覚えました。


「うん、漢字はこう書く」


 〔四夏〕の字の隣に〔夏帆〕という字が並びます。


「……おんなじ」

「そう、それが君の名前の二つ目の意味だ」


 お父さんは一瞬、きつく眉根を寄せたのを誤魔化すようににっかりと笑いました。


「四夏の中にはお母さんがいつもいるんだ。これまでもずっと。ちょっとくらい忘れ物をしたって、四夏が一生懸命良い子で頑張ってきたのを知っている。だから平気さ」

「わたしの、なかに」


 四夏はうってかわって落ち着いた心でそれを聞いています。

 背中がムズムズして、なんだか急にお父さんにひっついているのが恥ずかしく思えてきました。

 いそいそと地面へ降りて、数歩日向ひなたへ。


「……ん……」


 白々と陽射ひざしに浮かびあがる地面を見渡します。それはお父さんの温もりにはかなわないものの、じんわりとくまなく四夏の体を熱で満たしてくれるようでした。

 不意に、そこへ落ちる巨大な影。


「――キョウイチロウか?」


 岩を擦り合わせたような低いかすれ声に四夏はびくんとその主を見上げました。

 四角い顔、素で鎧をつけたように隆起した肉体。たてがみのような金髪はまるでライオン。四夏はそのビジュアルを、アーマードバトルの世界ランクで見たことがありました。

 その陰から飛びだしてくる小さなシルエット。


「――シナツ!」

「ふわっ、ぱ、パティ? なんで?」


 赤く腫らした目のことも忘れて、四夏は口をまん丸く開けました。

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