6.フサリア

 自宅。時間は夜の八時。


「ぅー……」


 自分の部屋に戻った四夏はぼふっとベッドにつっぷします。洗った髪のドライヤーがまだなので顔だけですが。

 放課後、連絡せずとも待ち構えていたお姉さんに連れられて再びお城へ。昨日と同じ条件で挑むも、思うようにいかず。

 お姉さんは終始けわしい顔で、四夏がちょっといいところまで攻め込んでも全然褒めてくれません。あげく「昨日より悪い」などと言う始末。


「なら、どこが悪いか教えてっていう……やつ」


 くたびれて文句をいう気力も起きません。


(お父さん、なんであんな人に頼んだんだろう)


 “Fort du Mont Albanフォーデュ モンアルバン”へ連れて行ってもらえたのは願ってもないこと。でももっと優しい人ならよかったのにと心の中で愚痴ります。


 けれど突破の糸口も見えてきました。

 昨日までは四夏がバインドに持ちこもうとしたところを止められたりすかされたりして負けています。

 ならパティのように積極的に切り返して手数で攻めればいい、と試したのが今日。その剣はお姉さんに惜しくも届きませんでしたが、後手に回っただけ不利になる、という理屈で言えばこのまま回転数を上げることで有利不利を覆せるはずです。お姉さんから打ってこないのを利用するようで格好いいとは言えませんが。


「絶対やっつける……!」


 もはや意地でした。幼い頃からあこがれた城門を前にして、門番相手に負けを認めるわけにはいきません。

 それはともかく今は休もうとベッドへ顔を埋めたとき、リビングで電話が鳴る音が聞こえました。


「むーぅ」


 ベッドに顔だけ残してなだれ落ちたような姿勢そのままで唸る四夏。

 お父さんも自分の部屋にいるはずですが、お仕事中の電話番は四夏の役目。のそのそと起き上がってリビングへ向かいます。


「もしもし」


 お父さんの真似をしてちょっとだけ低めた声で受話器に。でも響いたのは聞きなれた声でした。


「もしもし四夏ーぅ?」

「杏樹ちゃん? なんだぁ」


 杏樹は四夏が住むマンションのさらに上階に住んでいます。その気になれば訪ねていける距離。かつては凛ちゃんもそうでした。


「なんだぁって何。調べ学習のプリント、ちゃんと書いた?」

「……あ、まだ」

「もーぅ!」

「ごめん、ごめん、これからやる」


 おおかた四夏が忘れているだろうと予想して電話をかけてくるあたり、ただの友達とは一線を画するところです。

 お礼を言って受話器を置くと、その足でお父さんの書斎へと向かう四夏。

 調べ学習のテーマは『自分の名前の由来』でした。なんとなく簡単そうという理由から、班で決をとったときも四夏はそれに手をあげています。


 コンコン、とノック。はーい、と返事。

 ドアを開けるとそびえたつ本棚の壁がお出迎え。薄暗い部屋の奥にオレンジ色の明かりが灯っていて、天井にお父さんのボサついた頭の影を映しています。


「電話かい?」

「ううん、杏樹ちゃんだった」


 絨毯じゅうたんをふんで明かりの方をのぞくと、パソコンに向かうお父さんの背中。


「そう、悪いけど少しだけ待ってくれるかな。集中してるんだ」


 四夏はうなずくと、本棚に並んだタイトルをながめます。

 日本語や英語、ドイツ語などが入り乱れるその空間は四夏にとって、お父さんがいるときだけ入れる特別な場所でした。

 ふと、一冊の背表紙が目に留まります。タイトルは『Husaria polskie』。昔から仕事をするお父さんについて回っていたせいで、アルファベットは人よりちょっとだけ読めます。


(ふ、さ、り……、)


 四夏はぴょんと背伸びをしてそれを抜き出しました。すぐさまお父さんのところへ持っていってその足を叩きます。


「お父さん、これ! 読んで!」

「えぇ、んー?」


 お父さんは顔をしかめて眼鏡をずり上げると、表紙に目を通します。が。


「あとでね。そうだな、10分待ってくれ。今日はふたつだよ」


 にべもなく突き返されて四夏は頬をふくらませます。それでどうにもならないと悟ると、足を踏み鳴らして辞書の本棚へと向かいました。

 オレンジのライトを反射する、ガラスの扉がついた円柱の小棚。お父さんが一番大事にしている本が収まるそこは、四夏にとっても魔法が籠められた宝箱のように特別です。

 そっと開いたそこから英和辞典を抜きだし“Husaria”をひいてみました。が、単語がありません。ドイツ語辞書も同じ。

 四夏はフスっと頬にためた空気を鼻からはきだすと、挿絵でもないかとページをめくります。


「――!」


 出てきた扉絵とびらえにその目が輝きました。

 騎兵、それも鈍色にびいろの甲冑をまとった重装騎兵です。緋色の服に毛皮のような羽織はおり物を着て、そして――


(羽が、生えてる……)


 まるで力ある天使のように、その背中には天をく白い翼が伸びあがっていました。

 馬にのった彼らは馬身の三倍ほどもある長槍をかまえ草原を駆っています。


「フサリアはポーランドで独自に発展した騎兵の一種だ」


 振りかえるとお父さんが椅子ごとこちらを向いていました。


「いつもと違うものに興味を持ったね。今日のひとつめはフサリアについてかい?」


 四夏とお父さんの間には約束があります。お父さんは四夏の知りたいことをほとんど知っていますが、全部に答えていると時間がいくらあっても足りません。なので一日にできる大きな質問の回数は決まっているのです。

 少し考えてから四夏はうなずきました。


「くら、く、ふ?の、フサリアのスエっていう子がクラスにいるから」

「へぇ、じゃあポーランド人だね?」


 立ちあがりそばまでやってきたお父さんは、絨毯に座り込むと四夏が持ってきた本を手に取ります。


「ポーランド」

「うん、ドイツの隣にある国だ。ポーラというのは平原という意味でね、かつてその騎兵は最強とうたわれた。クラクフはその昔の首都だ」


 あぐらを組み、パラパラと頁に目を走らせるお父さんの足の上に乗って四夏は挿絵を指さします。


「羽がある!」

「そうだね、これのせいで有翼騎兵なんて呼ばれることもある。風を切る音で敵をおどろかせたとか、馬から騎手を落とす投げなわやボーラを防ぐためだとか、いろんな理由があったとされている」

「カッコいいからじゃないの?」

「はは、それは大正解だね。何はなくとも格好いいのがフサリアの仕事でもあった。ときには国旗をまとって戦う彼らは戦場のアイドルみたいなものだったから」


 アイドル、という言葉はパティにとてもしっくりくる気がしました。お父さんはページを繰り、ある図で手を止めます。それはいくつもに分割された槍でした。


「その戦法は徹底したヒットアンドアウェイ。細く長大な槍は突撃ごとに折れ散ったから、基本的に使い捨てだった。長槍やマスケット銃を構えた歩兵がどれだけ強固な戦列を作ろうと、フサリアは易々とそれを粉砕した。きらきらしく敵陣をなぎ倒す彼らはときに神の嵐とさえ呼ばれた」


 四夏の空想世界ではすでに耳を覆う馬蹄ばていの音が響いていました。

 翼を広げた鳥のように草原を駆けていた騎兵たちが、じょじょにその列をせばめ密集して一塊になっていきます。

 その先頭で手綱たづなを握るのは、あの金髪と紅顔をかがやかせたパティ。彼女は雄々しく、これ以上の幸せはないとでも言うような笑みで敵陣へ突き進みます。

 対するはフルプレートの騎士団。

 進み出た一人がヘルムの面覆バイザーを上げます。

 その顔は――お姉さんでした。


(なんでわたしじゃないの!)


 自分の想像にクレームを入れつつ四夏はお父さんの胸に頭突きします。ぐぅ、と呻きが頭上から聞こえました。


「どうかしたかい?」

「……騎士の信仰のことを教えて」


 胸板に頭をくっつけたまま不機嫌な声で言うと、お父さんはやや困ったようにうなります。


「それは少し大変だね。なにしろ難しい」


 お父さんにも答えられないことはあります。

 以前、四夏がお母さんのことを訊ねた時もお父さんは同じようにうなっていました。その時のお父さんがなんともいえず苦しそうだったので、もしかしたら今もそうかもしれないと四夏はドキリとします。

 でも、見上げた顔はいつもの優しいお父さんでした。


「ひとつ答えるなら、それは皆を守ろうとする心だ。そして自分を守る心でもある」

「自分も?」


 四夏は思わず不服な顔。自分を守るってなんだか格好悪い気がします。誰よりも先頭に立って恐れず戦うことが騎士の本分ではないでしょうか?

 本をかたわらに置いたお父さんは、そんな四夏の頭をくしゃくしゃと撫で。


「力のある騎士が怪我をしたり、悪い気持ちを起こせば災いの元になる。守るべき人たちは守られず、皆がその悪い行いを真似するだろう」


 たとえば、と言って四夏をひざから降ろすと立ちあがりました。

 書斎の壁にしつらえられた、小さな真鍮しんちゅう製の洗面台の前で四夏を抱き上げます。


「このタブが国土や民だとすると、騎士はこの蛇口じゃぐちだ」


 片手でハンドルをひねるお父さん。ちゃぱちゃぱと軽い水音がかわいた本の森に響くのを、四夏はいけないことをしているような、ドキドキした気持ちで聞いています。


「蛇口が壊れていないからこそ、こうやって桶に水を注ぐことができる。水はなんのたとえか分かるかい?」

「……助ける、力?」


 騎士が国民に与えるもの。それはやはり武勇ではないかと思います。もしくは施し。

 けれどお父さんは否定しました。


「近いね、でも違う。水はもっと遠くからやってくるだろう? 蛇口はそれを通すだけだ」


 指先が流水をさかのぼるようになぞり、やがて天井を指さします。


「神の愛、と人はいう」


 はっとする四夏。あのとき、パティと戦って感じた光はやっぱり神様だったのでしょうか。彼女という蛇口から溢れたそれを四夏は受け取ったのでしょうか。

 光を自分自身で見ることができるようになれば、パティのように強くなれるでしょうか。


「キリスト教を勉強したいのかい?」


 こくこくと頷きます。やはり自分とパティ、ひいてはお姉さんとの差はそこにあるのではないかとどうしても思ってしまうのでした。


「なら明日、分かりやすい本を大学で借りてきてあげよう。今日はもう寝なさい」


 うながされて部屋を出た直後、四夏は立ち止まります。


(あ、名前の由来)


 いつの間にかすっかり忘れていました。しかも今日の質問回数は使いきってしまっています。

 発表はもう少し先ですが、班での課題ですし早いに越したことはありません。杏樹に「あれだけ言ったのに!」と怒られるのもシャクです。

 そっと戻ってドアを開けると、奥からお父さんの声が聞こえてきました。


「……あんのクソ教授め……学会で吊るされろ……」


 とても愛娘にきかせられないような愚痴がブツブツと流れてきます。四夏はそっとドアを閉めました。


(明日にしよう)


 大人は大変です。子どもはその隙間をこじ開けて要求を通すしかありません。

 そしてお父さんのあの状態は、なるべく四夏がわがままを言わず良い子にしていれば早々に過ぎ去ることも分かっているのでした。

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