2.長剣四勢

 お説教は思いのほか早く終わりました。

 というのも先生が、事のあらましを並べて改めて確認をしたからです。そこには帰りの会で言われなかった事も含まれました。

 最初にコートを使うはずだった女子がいたこと。タカハシ君が四夏の胸を突こうとし、それを防ぐ形で馬乗りになったこと。さらにそこまで詳しく知りながら先生は、どうしてか木の枝のことだけは知らないようでした。

 真摯な先生の言葉にタカハシ君は早々に言い訳をやめ、四夏もまた粛々とそれにうなずきました。喧嘩両成敗りょうせいばい、お家への連絡は無し。

 また少し社会のほろ苦さを知った、翌日。



 校舎裏の、ちょっと日当たりの悪い裏庭に軽快な音がひびきます。

 それはホウキのが地面をかく音でした。シャカシャカと動き回ってチリや抜いた雑草を集めているのは四夏。


「ふうっ」


 掃除時間の後半を待たずキレイになった担当場所を見渡し、汗をぬぐいます。

 早々に仕事を終わらせたのには理由がありました。


「っふ……!」


 ひゅん、と手にしたシュロ材のほうきを持ちあげます。地面と平行に。

 長さもあり先端に重心があるそれはズシリとくる良い手ごたえをしています。

 四夏はそれを脳内でロングソードに見立て、上向きに構えました。


(【屋根】の構え)


 力の乗った切り下ろしが勢い余って地面を叩きます。その振動すら心地よく、続けてだらりと腕を下げた前傾ぎみの構えへ。


(【愚者】の構え)


 ダンボールの剣はもはや軽く、とはいえ木刀を自宅のマンションや道路で振ることはお父さんが許してくれません。この場所この時間はちょうど見つけた実践場なのでした。

 空いた頭部への攻撃を誘い、跳ね上げた剣を即座に振り下ろすと腰の横で回転させて脇前向きの構えへ。


(【すき】の構え)


 構えとは有効な攻撃をもっとも早く確実に繰り出せる姿勢のこと。そして繰りだした攻撃の終端はまた別の構えで終わることが理想だと、お父さんの蔵書で読みました。

 専門なのか単に好きなのか、お父さんの書斎には古い武術書や騎士の詩が多くあります。四夏が騎士道をこころざしたのも、寝物語にきいたアーサー王やシャルルマーニュ十二勇士のお話がきっかけでした。

 左脇から、おなかの下を通るようにして柄を頭の右横まで持ってきます。切っ先はいぜんとして前向。


(【雄牛おうし】の構え、から)


 相手の前進をくじくように長い突きを繰りだしたとき、四夏の脳裏には公式トーナメントで華麗に連撃する自分がありありと浮かんでいました。


(【はたき切り】!)


 突きだした切っ先が四夏の頭上でプロペラのような弧を描いて戻ってきます。

 すばやく敵の側面を襲うその技を完遂しようとした直前、四夏はぎくりと腕をこわばらせました。視界の端をよぎった、場にそぐわないきらめきに目を奪われて。


「っあた!」


 下がった剣先が自分の頭頂部をかすめて目に火花を散らします。

 クスクスと、天界の雲間から漏れるような忍び笑いがひびきました。


「――それ、ソードマンシップ?」


 いつの間にそこにいたのか。校舎の影、かすかな陽光をあつめた光輪のごとき金髪をゆらして彼女パティは訊ねます。


「ドイツの、それ。アナタは……騎士の卵スクワイア?」


 たどたどしい日本語でしたがスクワイアという単語には覚えがありました。確か従騎士とか騎士見習いという意味です。

 「分かるの!?」と喜びたい気持ちと、せっかくだからもうひと声欲しい気持ちとがぶつかります。四夏は見栄みえっぱりではありませんが、まだ話したことのないチャーミングなクラスメイトに少しでも自分を良く見せようと思ったことを誰が責められるでしょう。


「あ、あいあむ、ナイト!」


 こちらもおぼつかない発音で答えると、パティがぷっと噴きだしました。


「ごめんなさい、ステキだと思う!」


 ロザリオがきらめき、庭へと降り立った彼女は満面の笑みでやってくると。


「ワタシは――」


 ひょいと近くの用具入れから二本目の箒を取り出して告げたのでした。


「クラクフのフサリアが末裔すえ、パトリツィア・スヴェルチェフスカ。いざジンジョウに勝負!」

「……ふぇ?」


 剣を天に向け胸の前に構えた礼の姿勢。四夏はぽかんとそれを見つめます。

 キリリと決めたパティの表情が、またにんまりとゆるみました。


「どう? 名乗り、昨日おぼえたの」

「え、あ、うん、とっても上手だと、思う」


 思わずカタコトでそう返す四夏。……内容は正直、半分くらいしか分かりませんでしたが。

 パティはぱあっと花が咲くように笑い、


「よかった! それじゃ――マイレディ」


 すぅ、とまとう空気を変えました。上段前向じょうだんまえむき【雄牛】の構え。


「っ!?」


 とっさに、知識と本能の警告が四夏に同じ構えをとらせます。

 まるで鏡写し、とみえたのも一瞬。まばたきの後にはパティの【はたき切り】がその前腕へ迫っていました。

 カァン、と乾いた木のぶつかり合う音が響きます。


「ちょっ、と、まって、本気!?」


 上げた剣でそれを防ぎ大きく跳びさがる四夏。対してパティは嬉しそうに体を揺らし、誘うように剣を下げます。


「もちろん。アナタは戦士。ワタシ、強い戦士、会いたくてニホンに来たの」

「そっそんなの、アマゾンとかに行ったらいいじゃない!?」


 混乱して最近見たにわか知識で反論する四夏。たしか構成員の全員が戦士の部族があるとかないとか。

 パティは怪訝けげんな顔で眉をひそめました。


「……ニホン人、そんな物まで通販で買うの?」


 呆れられた気配にあわてて四夏はフォローを入れようと口を開きます、が。


「本当に強い戦士、騎士道をもつ人だけ。会って戦って、初めて分かる。お父さん、言ってたわ」


 ふたたび【雄牛】に構えたパティの雰囲気がそれを許しませんでした。


「あ、危ない、よ? その、怪我とか……」


 いえ、本当を言えば四夏もドキドキしていたのです。防御したとき手のひらに走った、地面を叩くのとは比べるべくもない甘いしびれ。視界が狭くなり、全身の産毛うぶげがふるえ立つような。

 目前の少女は四夏が求めてやまなかった好敵手でした。凜ちゃんが行ってしまってからは、杏樹と遊びで戦うこともありません。審判や安全上の理由からです。


「ケガ、いつもしてるわ。アナタ、してないの?」


 でも、今この瞬間は。


「……じゃあ、軽く、ね? 本当に当てるんじゃなくて、寸止め……分かる?」


 試してみたい、と思いました。遊びではなく真剣に、それこそ海を渡るほどの意気込みで剣に向き合う彼女を相手に。

 コクリとうなずいたパティをみて、ためらいつつも構えをとる四夏。


「マイレディ」

「マイレディ」


 【雄牛】と【雄牛】。振りたてられる角を制するには、同じ高さをもつ剣によってそれをふさぐべしと本にはありました。

 パティが【はたき切り】を放ちます。さっきと同じ軌道で。

 同時、四夏もそれに割り込むように同じ弧を描いていました。

 カァンと耳元でホウキの同士がぶつかり合い、音が衝撃となって左の鼓膜を震わせます。次の瞬間。


「ぁ――ッ?」


 まるで枚数の足りないパラパラ漫画のように、左にあったはずのパティの剣が自分の右面へ打ちこまれるのを四夏は見ました。

 軽くも硬いシュロの棒が、なんの防具もつけていないむきだしのこめかみへ。

 すさまじい衝撃が四夏を襲います。息は止まり、体は硬直し、脳裏にはいつか書斎で見た、連接棍フレイルで頭を割られた騎士の絵がフラッシュバックします。

 ――――!

 さくりと髪の毛を何かが圧しました。


「今のは、ころせたデッドと思うわ!」


 現実には棒は四夏の髪にそっとふれる位置で止まっていました。

 つむった目をおそるおそる開けると、輝く笑顔のパティ。

 そのとき、掃除時間終了をつげる放送が流れました。


 教室への道を歩きながら、いまだぼうっとしている四夏にパティは話します。


「一人、練習しているの、見てから、ずっとアナタを見ていたわ」

「そう、なんだ」

「だからきのう見たこと、先生に伝えたの」

「そっかぁ、ありがと」

「ワタシ、シナツのこと、好き。もう友だち、ね?」

「んん、もちろん」


 心の中で吹き荒れる、というかフッ飛んだ後の残骸ざんがいをあれこれ継ぎ合わせながら四夏はそれに応えました。

 急に振り返ったパティが両腕を広げて四夏をホールドします。


「ありがとう、シナツ!」

「ぇひぁっ!?」


 生返事なまへんじ中に抱きつかれて背筋をピンと張る四夏。

 パティの腕の中はぬいぐるみみたいにフカっとして、白い首筋からは嗅いだことのない外国の匂いがするようでした。


「また、遊んで。もちろん、他の人に、ナイショでね」


 ぽそぽそと耳元で囁かれ、くすぐったさに産毛がふるえます。

 曲がり角の向こうでにわかにおこった男子たちの声。ぱっと身を離したパティの顔は上気して、かすかに濃いピンクがラズベリーラテの境目のように耳まで続いていました。

 はにかんだ笑みを浮かべた彼女はスキップして先へ行ってしまいます。


 さてこれはどんな物語か。異世界の姫かと見えたのはまさかの強力な竜でした。けれど彼女は無邪気で可憐で、あまつさえ四夏をいたくお気に入りのようです。

 どうするべきでしょう。どうすればこの、嬉しさと打ちのめされた気持ちがせめぎ合う胸中を落ち着かせることができるでしょうか?

 四夏はもういちどスンっと匂いを嗅ぎました。けれどもはや漂っているのは給食カレーの残り香だけでした。

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