ラタンの章

1.レスリング

 取材からはや二年が経ち、四夏さんは小学2年生になりました。

 子どもの一年は大きなもので、毎日が激動であり冒険です。

 ……凜さんとの別れもその一つでした。ご両親の仕事で海外へ行くという彼女。飛行場で固く手を繋ぎ合った三人は、いつまでも続く友情と騎士道を約束したとか、しないとか。

 そんな胸の痛みも乗り越えて、ちょっぴりオトナになった彼女たちのお話です。引き続き梢小鳩がお送りします。


※※※


 昼休みの教室。


「四夏ー、いいものあるよ。次の新しいプリ〇ャン。パパが会社で貰ったやつ」

「コスチュームが殴られたら助からなさそう。わたしライダーのほうが好き」


 机をくっつけた杏樹と四夏が〔社外秘〕と押されたチラシをはさんで談笑していると、にわかにドアの方が騒がしくなりました。

 クラスメイトに付き添われて、目を赤く腫らした子が入ってきます。


「なにっどうしたの!?」


 ぴょんとウサギのように背筋をのばした杏樹はあっという間にとんでいき。 

 のこされた四夏の視線の先でウンウンとうなずきながら情報を仕入れると戻ってきて一言。


「四夏、出番だ!」

「へ」


 ぐいぐいと手を引かれるままに廊下を進みながら四夏はあらましを聞かされます。


「男子にテニスコート横取りされて、言い返したら突き飛ばされたんだって、ひどくない!?」

「う、うん、それは……よくないね」

「ね! だからとり返しにいこーぅ! イザとなったら四夏がなんとかする!」

「えぇ、またわたしがやるのー……?」


 ちかごろ杏樹は四夏を同伴しては口喧嘩に向かうのでした。二年間で四夏ほど背の伸びなかった杏樹はそのハンデを友人によって補っていたのです。

 あれよあれよというまにおぜん立ては整えられ、退くことを知らない舌鋒ぜっぽうで男子をバチボコに言い負かした杏樹はさっと四夏の背後に飛び込んでしまいました。


「どけよ瀬戸ォ!」

「あっ、えっと、やだっ」


 ことここに至っては四夏としても腹がきまります。もとよりルールを守らない男子と友だち、どっちに味方するかは明白で。

 突き飛ばしにきた腕を首をすくめてかわし、相手のおなかに頭をくっつけて目の前の膝を両手で抱えあげます。


「ぉおぁあっ!?」


 ロクな受身もとれず尻餅をついた男子を大胆にも押し倒すと、四夏は手近な小枝こえだをダガーに見立てて構えました。


「っひ」


 まるでフルプレートヘルムに対しそうするように相手のあごを押し上げ、その喉に小枝の先を――


 ――つつぅ~~~っ


「ひへぁあアア……!」


 ビクビクと打ちあがった魚のように悶える男子にまたがって、四夏はふすっと鼻息を吐きました。


鎧の隙間ギャップインプレート、完ぺき……)


 空想の中では貴婦人を乱暴した傲慢ごうまんな騎士が血ヘドを吐いて横たわっています。

 とどのつまり、四夏もこうして頼られることをまんざら嫌がってもいないのでした。


「せんせーぃ、タカハシ君が四夏ちゃんのスカートのぞいてまーすぅ!」

「ふぇっ!?」


 背後ではやした杏樹の声にバッと飛びのく四夏。


「のぞいてねーよフザケんなアホ女あっ!」

「ほれほれほれ」


 バタバタと自分のスカートをきわどく上下させながら男子二人を追い散らした杏樹が、戻るなり飛びついてきます。


「ひゅーい四夏さっすがぁ!」

「むぐ、えへへへ……」

「じゃ、もうコート好きに使って大丈夫だから。あたしたちは……え、ホントに? 四夏どうする?」


 一緒にテニスをしようと誘われた二人はそれに混ぜてもらい、新学年からのクラスメイトとさらに仲良くなれたのでした。めでたしめでたし。

 ……とはならないのが物語と違うところ。

 問題は4時間目のあと、帰りの会で起こりました。


「――瀬戸さんがタカハシ君の足をひっかけて転ばせてましたぁ」


 それは毎日行われる『今日あったいいこと、わるいこと』という、いわゆる先生へのご注進ちゅうしんの一つとして。

 発言したのはあの時コートにいた男子二人のもう一方。細長く要領のよさそうな顔立ちの男の子です。


「はーぁ!? そっちが先にみくちゃん泣かせたんでしょ!?」


 瞬間的に我がことのように憤激する杏樹。

 怒る女子とタカハシ君を擁護ようごする男子とで教室は騒然となります。


「やられたらやり返していーんですかーぁ!?」

「うるさい内山ぁ!」「最初にやったヤツが一番悪いに決まってるでしょ!」

「今そのハナシしてませーんんん」


 パンパン、と教卓を叩く音がそれをさえぎりました。

 担任の女教師はややウンザリしたふうに生徒を黙らせ、そのままの表情で四夏を見ます。


「瀬戸さん、今の話は本当?」


 教室中の視線が自分に集まっているのを感じます。四夏は一度すぅはぁと息を整えました。


「はい」


 まっすぐ見返しての答えに先生は軽くひたいをおさえると、溜め息。


「……分かりました。タカハシ君と瀬戸さんはこの後職員室へ来なさい」



 放課後、言われた通り職員室へ向かう四夏。

 広い校内は、ふだんの行動範囲をはずれると見知らぬ土地のような緊張感で四夏を包みます。


(正直に話せば大丈夫、大丈夫……)


 義はわれにあり。先生は正しい方の味方のはず。

 そう言い聞かせて進むのですが、足取りは次第にゆっくりに。

 首をいたのはよけいだったかもしれない。もし倒したとき尻でなく頭から落ちていたら? 最悪の想像は冷静になればなるほど膨らんできます。


(……大丈夫じゃないかもしれない)


 あっという間に気持ちは罪人めいてきました。

 怒られるだけならイヤだけど耐えられます。けれどもし、お家にまで連絡がいったりしたら?


 四夏のお父さんは大学で外国の本を研究をしています。

 母親はいません。四夏が小さいころ病気で亡くなったと聞かされました。

 正直なところ母についての記憶はおぼろげで、あまり悲しいとかそんな気持ちになることはありません。小学校にあがるときお父さんから詳しい話を聞いたときも、その懺悔ざんげするような辛い表情がはやくいつもの優しい顔に戻らないかとそればかり考えていたくらいでした。

 四夏はお父さんの笑顔が好きです。いつも笑っていてほしくて良い子にするし、留守番るすばんだって完ぺきです。

 だからこそ、職員室のドアを開けたその先に何が待っているのか不安が募りました。


 ぴたり。

 ついに足は止まってしまいます。見上げる先には【職員室】のプレート。

 すぅはぁすぅはぁと何度も深呼吸。その最中にガラッとドアが開いたので、四夏は小フグのように頬をふくらませたままギクリと固まり。


「――ァ」


 教会の鐘の音がけこんだかのように澄んだ吐息。あまりにも唐突に、その出会いはありました。

 天使像のごとき白亜の面立おもだちが、こぼれる金髪のすきまからのぞいています。ふっくらとした頬は近くで見ればかすかに紅く、イチゴ大福みたいだと四夏は思いました。

 パトリツィア・スヴェルチェフスカ。愛称をパティとみずから呼ぶ彼女は今年から四夏のクラスにやってきた留学生の女の子です。


「――フふっ」


 そんなクラスでもある種の結界けっかいをまとっている彼女が、目と鼻の先で微笑みました。同時、その首に掛かったロザリオが光を浴びてキラリと光ります。

 ただそれだけのやり取りを終えて、足どりも妖精めいた軽さで歩いていくパティ。それをぽーっと見送る四夏。


(……冒険……?)


 そう表さずにはいられません。突然に異界への扉がひらき、そこへ取り込まれてしまったような感覚を。

 胸の不安はどこへやら。今となってはもうミステリアスなクラスメイトがなぜここに来たのか、興味津々でドアに手を伸ばす四夏でした。

 

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