4.間合いと攻撃線

 ――残像を切り裂いたロングソードがブンとうなりを上げました。


「まって、待ってよりんちゃん!」


 飛びのいた四夏ちゃんは、一瞬でも動きを変えられないのを嫌うように小刻みのステップで距離を取ります。

 追いすがり、その膝をぐ凜ちゃん。逃れる引き足。

 それはまるで一定の距離を保ち続ける平行線。


「もんどう、むよ、う!」


 お二人の食い違いがいま、最悪の形で干戈かんかとなって火花を散らしていると言えるでしょう。

 リポートは数分前にさかのぼります。


§


 一日たって、ワタシはちょっと早くに園を訪ねました。

 ちょうど一人の園児が迎えのリムジンタクシーへ乗り込んだのとすれ違います。

 サラリとした栗色くりいろ髪の日本人らしからぬ少女でした。あんなお人形みたいな子まで通っているなんて、いよいよワタシが昔在学したアニマルパークとは世界が違う感がありますね。

 門の向こうに人けはなく、彼女が最後のお迎えかと思ってしまうほど。

 それでもかすかに漂う熱気をたどって廊下を進みます。

 甲高い怒声が聞こえたのは、ちょうど通りかかった教室からでした。


「なーんーでーさーぁ!」


 ミニチュアみたいな机とイス。壁に張られた絵や習字の作品たち。パステルカラーに塗り分けられた床はマットレスのような柔らかさで、踏むと思わず童心に返ってしまいそう。

 そんなお部屋の後ろ隅でもつれあう三つの影。その空気は和気あいあいとしたものではありません。


「やろうよぉー、三人じゃなきゃ駄目なんだからーぁ」

「……イヤ」


 カバンだなの上に体育座りで本を読む凜ちゃんと、それに掴みかからんばかりの杏樹ちゃん。手には段ボールヘルム。

 どうやら凜ちゃんが一緒に遊ぶのを渋っているみたいです。

 凜ちゃんは絵本に顔を埋めたまま、ぺしぺしと三輪車のペダルでも踏むように足をだして杏樹ちゃんを寄せ付けません。


「しなつぅ、りんちに何か言ってよぉ」

「う、ん、あのねりんちゃ――あっ」


 そばでおろおろしていた四夏ちゃんの目がワタシを捉えました。彼女は礼儀正しくぴょこんと頭を下げます。


「小鳩ねーちゃんだおーすぅ!」

「あ、はは、おーす」


 杏樹ちゃんとはもはや十年来の気安さですね。園児と積年の仲とはこれいかに。

 次の瞬間、杏樹ちゃんの目がキラリと光りました。


「スキありーーーっ!!」


 ボスゥッと凜ちゃんの頭部へ振り下ろされる段ボールヘルム。

 蛮行により前後逆の兜へおしこまれた彼女は棚をずりおちます。


「こらっアンジュちゃん!?」


 四夏ちゃんの叱責もむなしく、怒気にゆらぎ立ちあがるモヒカン付きの後頭部。


「…………」

「あっ、あのねりんちゃん! 今日はあたしとアンジュちゃんで交代でジャッジしようねって話したの、だから――」

「今日は、わたしにゴマスリ?」

「え……?」


 ぐりんと回転したヘルムの目窓から、凜ちゃんの冷たい瞳がのぞきます。


「いいよ、やっても。でも、最初はしなつちゃんとわたし」

「う、うん! いいかな? アンジュちゃ――」

「わたしが勝ったら、もうしなつちゃんたちとは遊ばない」


 おっと。

 一瞬ほころんだ四夏ちゃんの笑顔が凍りつきました。


§


 言葉少なに準備を整えた凜ちゃんは園庭へ。

 追いかけるようにあとの二人も続きました。

 そしてつい今しがた、凜ちゃんの大ぶりな一太刀によって開戦の火蓋ひぶたが切って落とされたのです。


「まっ、て、りんちゃ……待って! 始める前に聞きたいの!」

「待たない」


 ステップで逃れる四夏ちゃん。決戦を避けるように大きく退がりながらも、その動線はフェンスを背負わないよう大きな弧を描いています。

 通常、バック走よりも前進の方が速いのは道理。にもかかわらず盾や片手剣をたくみに動かし踏み込ませないその防御力は、昨日の四夏ちゃんとは一線を画するものでした。


「あたし、りんちゃんに何かしたなら謝りたいの、なんで……っ?」


 対する凜ちゃんは例えるなら雨前うぜんつばめ

 低く地面に吸いつくような姿勢は、自分より大きな相手を翻弄するためにつちかわれたものでしょうか。左右を広く使った無尽の剣回しはさながら翼を広げたよう。

 ハヤブサの剣、しかり。大スケールながらキレのある攻めに四夏ちゃんはじりじりと追いつめられているように感じます。


『――バックラー(小盾)は小さい。あたりまえ、ですけど。たったこれだけの広さで、全身を守らないといけない』


 ワタシは昨日凜ちゃんが帰ったあと、四夏ちゃんが話してくれたのを思いだしました。

 四夏ちゃんの膝当てがはじけます。


「しなつちゃんがそうやって我慢するから、わたしは怒ってる」


 上段から下段へ大きく変化した横薙ぎ。有効範囲いっぱい、判定は微妙な位置。


「っ、グッド! が、まんって、何!」


 本人が申告したのでワタシは、うってかわって不安そうに見守る杏樹ちゃんへ目配せして指のカウントを一つ折りました。

 さらに攻勢は止まず。


「やりたいくせに、やらない。勝てるくせに、わざと負ける。そんなの間違ってる」


 ひとつ、気付いたことがあります。

 間合いを保っているのは四夏ちゃんではなく凜ちゃん。常にロングソードの有効距離いっぱいから斬りつけることで、反撃を許さずかつ火の出るような苛烈な攻めを可能にしています。それは昨日、杏樹ちゃんに追いつめられた四夏ちゃんが最後に見せた攻勢とどこか似ていました。まあ今となっては、本当に追いつめられていたのか疑問ではありますが。


「それって、きのうの……いたっ、グッド!」


 ――相手の攻撃線こうげきせんから自分を外したまま、相手を自分の攻撃線上に置く

 四夏ちゃんいわく『いちばん大事なこと』だというその形に対手あいてを嵌めているのは凜ちゃんで、はめられているのは四夏ちゃんです。現状は。


「嬉しくない、そんなことされても」

「ご、ゴメンね……ッ――!」


 今度は側頭部の上いっぱい。バックラーでカバーしきれない箇所を狙った攻撃を、四夏ちゃんはのけぞって辛くもかわします。


「謝って、なんていってない」


 ですがそれは『回避のための回避』という、いわく何ら先の展望をもちえない追いつめられた動作でした。

 余裕を持ってその側面へ踏み込んだ凜ちゃんがロングソードを振りかぶります。


「ゴタクはいいから、本気でやって」


 3ヒットめ、いいえ、もはや残りのカウントに意味はないのではとすら思える連続攻撃を誰もが予想するその瞬間。

 盾と剣が突きだされていました。誰あろう四夏ちゃんによって。


「たっタイムっ!」

「――、」


 ぴたり、と剣を上げた体勢のまま止まる凜ちゃん。


「……なに」


 その目が訝しげに細まります。両手を前にかざしたまま、四夏ちゃんは言いました。


「ちょっと、おちつくから、タイムをく、ださい」

「ふざけてるの」


 ジャリ、と一歩距離をつめる凜ちゃん。


「はっ始めの合図とかなかったし! それくらい聞いてくれてもいいとおもう!」


 必死の弁明に、ここぞとばかり杏樹ちゃんが加勢します。


「そうだー! 不意打ちじゃんかヒキョーものー!」


 ギロリ。


「へぁう」


 ヘルムをかぶっても分かるひと睨みによってその威勢はくじかれたものの。


「……わかった」


 その理屈にいくらかは考えるところがあったのか、凜ちゃんは構えをときます。そして二歩、三歩と後ろへさがるといっそう強く四夏ちゃんを睨み据えました。


「なら、はやくして」

「……聞きたいんだけど」


 体勢を戻し、ヘルムや小手のズレを直した四夏ちゃんがたずねます。


「あたしが負けたらもう、これから遊んでくれないの?」

「最初にそう言った」


 凜ちゃんの答えに彼女はうつむき、目を閉じているようにも見えました。


「わかった」


 そして前傾し構え。先ほどとは違う、小盾を前に剣を肩にかついだ低い型。

  『怒りの構え』

 と四夏ちゃんが教えてくれたもの。


「――Tenてん Commandmentこまんどめんと


 杏樹ちゃんが差し伸ばした黄旗を上げる直前、四夏ちゃんがそう呟いたように聞こえました。


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