第6話 俺っ娘先輩とメスゴリラ先輩

 そんなわけで、ちょっとした恋愛劇を見せられた後に正式に入部届を提出して、無事野球部のマネージャーになった私は、同じくマネージャーの麗先輩から、またもや言われる。


「いいか?俺がこうして部長のハートを射止められたのは、俺がしっかり一人称を『俺』に変えたからだ。お前も、今日からその練習をしろ。いいな?」


 いや、それは、先輩が可愛かったからであって、俺っ娘であるは関係ないと思うんですけど?


 言葉にならないそのセリフに気付いてか気付かずしてか、彼女は今日一番のとびっきりの笑顔を浮かべつつ、私の肩をトン、と叩く。


「いいな?」

「…嫌です」


 すると、麗先輩の笑顔に、暗い影が差す。怖いんですけど。


「ほう、少なくとも骨だけは一人前にあるようだな。では、理由を聞いてやろう」


 怖いけど、ここは、言わせてもらうしかないわね。


「先輩は、ご自身が置かれた立場を自覚していらっしゃるのですか?

 この…野球部女子マネージャー部は、私が入らなければ、廃部の危機だったんですよね?

 はっきり言います。『俺』っ娘になることを、これ以上先輩が強要する場合、私はマネージャーをやめます。

 パワハラだと訴えるような野暮は、麗先輩の可愛さに免じてやめておきますけど。

 だって、それ以外にも、私が好きな彼に近付く方法なんて、いくらでもありますから」


 先輩の表情が、凍り付く。

 先輩は、ゆっくり目をつぶる。


 何か来る。


 私が覚悟して身構えていると、先輩が目を開けた。


 起こるでもなく、呆れるでもなく、縋り付くような、潤んだ瞳だった。


 予想外だったので、私は衝撃を受ける。


 そんな泣きそうな顔して、まるで私が悪いみたいじゃないの。ずるいわ。


 麗先輩は、その表情のままで、しかし精一杯に口調を落ち着けて、言う。


「分かったよ。頼むから、辞めないでくれ。お前がいなくなっちまったら、俺のせいで野球部女子マネージャー部は廃部になっちまう。

 そしたら、俺は、尊敬するメスゴリラ先輩にどう顔向けしたらいいか、分かんなくなっちまうじゃねえか…。

 だから、どうしてもいやだというのなら、『俺』と言わなくてもいい。それでもいいから、残ってくれ」


 そして、彼女は、私の手を握る。


 私は、戸惑う。


 麗先輩にとって、マネージャーの補充は、そこまで大切なことだったのね。

 でも、それ以上に、メスゴリラ先輩って、すごいニックネームだと思うんですけど?


 ともかく、私はこの戦いに勝ったには勝ったのだ。

 何となく負けた気もするけど、麗先輩からこれ以上俺っ娘になることを要求されずに済むのだから。


 だから、私は言ったわ。


「分かりました。これからよろしくお願いしますね、麗先輩」


 すると、麗先輩の表情がパアッと明るくなる。


「おうよ。よろしくな。えっと…お前は、夢子というんだな」


 さっと入部届を見直しながら、そんなことを言って、彼女が握ったままの私の手をブンブンと振る。


 あんまり激しいから、私の腕はもぎれんばかり。

 それなのに、なんか許せてしまう。不思議な感触ね。


「それと、一人称を『俺』に変えたくなったら、いつでも言ってくれ。俺が、徹底的に指導してやるから」


 まだ言うのね。そちらは願い下げだわ。


「考えておきます」

「考える気がないのは見え見えだが、まあ許すとしよう。せっかく俺に、可愛い後輩ができたんだからな。今日はいい気分だぜ!」


 麗先輩の方が可愛いでしょうに…。


 そんなことを思っていると、一人の部員が私のところに近付いてくる。


 正直、涼に比べて泥臭いジャガイモみたいな笑みだけど、好意的な態度には違いない。

 それに、どのみちマネージャーである限り相手にする必要があるのだろうから、私は彼のことを見る。


 彼は、精一杯爽やかなつもりの泥臭い笑みを浮かべながら、話し始める。


「麗ちゃんは、あれでもいい子なんだぜ?もっとも、尊敬するべき先輩を間違えてしまったからこんなに癖が強くなってしまったんだけどね」

「メスゴリラ先輩、ですか?」

「そうそう。すごくガタイが良くて、よく日にも焼けていて、めちゃくちゃタフな見た目の先輩だった。俺たちの一つ上の世代でね。

 メスゴリラと呼ばれて、むしろ喜んでいるような節すらあったから、かなり個性的な人だった。

 個人的には全く好みではないんだけど、麗ちゃんにとっては、俺たち部員に比肩するタフなルックスが、どうやらマネージャーの鑑に見えてしまったようなんだ」

「それで…」

「そう。それで、少しでもメスゴリラ先輩に近付こうとして、『俺』と言い始めたんだと思ってる。『俺』という麗ちゃんも、可愛いんだけどね」

「それは、そうですね。うらやましいぐらいです」

「でも、俺は、夢子ちゃんもかわいいと思うよ。これから学んでいけば、きっといいマネージャーになれる。そう信じてる」

「ありがたい限りです」

「ただ、俺っ娘になる必要はないからね。一応言っておくけど、別にそこはマネしなくても、俺たちは構わない。だから、麗ちゃんに勧められても、気にしないで流していいぜ」


 どうやら部員はまともなのね。ほっとしたわ。

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