第65話 8月のごめん・・・

[18歳・・・8月12日]


 コウキの家に着く。2人、ずっと無口のままで・・・。

ピンポン

コウキが家のチャイムを鳴らす。自転車を停めてからは、どちらともなく手を繋いでいた。玄関が開くまでの数分間、斜め後ろからコウキの髪とチラッと見えるあごを見上げる。すると、ふと奈津の頭の中にぐちゃぐちゃといろんな想いが交錯し始めた。一緒にいたくて、わがまま言ってここにいるはずなのに、突然、気後れする。思わず握られている手を引っ込めようと手を引いた。その奈津の手を何も言わずコウキは力強く引き戻す。奈津の手をギュッと握るコウキの表情は、ここからでは見えない・・・。

「はい。おかえり。」

家の中から声が聞こえた。おばあちゃんがガチャガチャと玄関の鍵を開ける音がする。

ガラガラガラ

玄関の戸が横に開く。涼しそうな寝巻きを着たおばあちゃんが眠そうな目で立っていた。

コウキの顔を見ると、眠そうだった顔が安堵の表情に変わり、

「明日の朝は早いんじゃろ。早う、準備して寝んさいよ。」

と言った。言い終わってから、コウキの陰に佇んでいる奈津の存在に気がついた。

「ありゃ、どちらさん?」

その声に奈津はコウキの陰からそっと横にスライドして玄関の灯りの中に身を投じた。奈津の姿を見たおばあちゃんは目を丸くする。

「どちらさん?」

そのおばあちゃんに向かって、コウキが口を開く。

「小沢奈津さん。ぼくの彼女。」

コウキがサラッと口にした・・・。

一瞬、耳を疑う。奈津はそろっとコウキの横顔を覗く。それから後ろを振り向いたり、周りをキョロキョロしたりして、誰もいないか確かめる。この人はコウキだけど、アイドルのヒロでもある・・・ということを改めて思い出す。アイドルは簡単に「彼女」なんて口にしちゃいけないはず・・・。サッカーオンリーでアイドルに疎い奈津でも、アイドル好きなまなみたちの普段の話しぶりから、アイドルの恋愛が御法度なことくらいは、奈津だって知っていた。それに・・・、ヒロの熱愛報道がどれだけ否定的にスキャンダラスに報じられていたか、一番知っているのは、このコウキのはずなのだ・・・。

住宅街から少し離れたこの場所。取り巻く自然たちが、その静けさをもって、誰も居ないってことを奈津に知らせていた。

ひと安心して、奈津は目をつぶる。

「ぼくの彼女」

ホッとすると、・・・さっきのコウキの一言が奈津の心にこだまし始めた・・・。

「オザワナツ・・・?」

おばあちゃんは、奈津の名前を繰り返した。どうやら、その名前から何かを思い出そうとしている風だった。ウーンとおばあちゃんが考えているその間に、2人は玄関をくぐり中に入った。

「ナツ?・・・あ~あ~ナツ!!」

おばあちゃんは目的の記憶をたぐり寄せたようだった。そして、それと同時に顔を壁に向けた。奈津はそのおばあちゃんの視線を何気なく追う。そして、その視線の先にあるものを見た。壁に二つの画びょうで留められ紙。そこには何か記号のようなものが書かれている。

「ばあちゃん、忘れんように書いとった。」

それを聞いて、コウキもその紙を見る。ずっとそこに貼ってあったらしいのに、コウキはその紙に注意を払ったことがなかった。今初めて、マジマジと目にする。

一瞬、記号のようにも見えたが、それは6文字のたどたどしいカタカナだった。


「ナ・ツ・・・?」

奈津は指を指して、一文字ずつ声に出す。

「こっち(日本)に帰れん時、コウキが電話の向こうで言うけえねえ。こりゃ、忘れたらいけん思うて。」

おばあちゃんは草履を脱ぎながら、思い出したことを嬉しそうに話す。

奈津は解読を続ける。

「タ・・・イ・セ・・・ツ・・・。ナツタイセツ。」

解読し終わると、奈津は口に手を当てた。

「大切な子言うて、泣きそうな声じゃったけえねえ。そうかね。ナツはあんたかね。」

おばあちゃんは奈津の顔を見ると、目を細めた。

「ばあちゃん!!」

コウキは上を向いておでこに手を当てた。奈津が横を見ると、手で隠せていない部分のコウキの顔は赤かった。耳が特に。

おばあちゃんは腰に手を当てると、ウンウンうなずきながら、そのまま廊下を進み始めた。そして、奥の襖を開けると、こちらを振り返らず、ゆっくりその部屋に入っていった。

襖が閉まる音がすると、上を向いたまま、指の隙間から、コウキはソロッと横目で奈津を見た。奈津と目が合う。

「そういうこと・・・。でも・・・、泣いてはないからね。」



[27歳・・・5月]


 奈津は廊下の壁に張り付いている大きな鏡の前を通った。立ち止まって横を向く。そして、全身を映してみた。柔らかくカールされた髪。ナチュラルだけど、目元が華やいで見えるメイク。少しヒールのあるサンダル。爽やかなライトブルーのワンピース。そして・・・


「中が甘めのワンピースだから、ちょっと辛めで、白のGジャンがいいよ!」

更衣室でまなみが助言してくれたが、奈津はまなみのキャリーに入っている黄色のカーディガンの方を指さした。

「あれは?黄色の。」

奈津の言葉に、まなみは黄色のカーディガンを取り出すと、それを広げた。

「え、これ?悪くはないけど、カーディガンだと、なんか甘々になりすぎない?」

そう言って、首をかしげた。そんなまなみに奈津は言った。

「それでもいい。今日は黄色にする。」


そう・・・鏡には黄色のカーディガンを羽織った27歳の小沢奈津が映っていた。

すると、あの高校3年の夏、鏡の前で、並んでお揃いの黄色のTシャツを体に当てた2人の姿が浮かんできて、重なり始めた。

17歳のコウキが今・・・、鏡の中で、27歳の奈津の横に立っている・・・。

そして、コウキは、目をクシャッとさせて、あの少年の優しい笑顔になると、

『小沢奈津さん。ぼくの彼女。』

そう言った・・・。



[18歳・・・8月12日]


 コウキから少しだけ離れて縁側に座る。花火はもう上がり始めていた。赤や青や黄色の光の粒が向こうの空で飛び散っている。その光の乱舞から少し遅れて、2人の耳に低い破裂音が聞こえてくる。

「明日までずっと一緒にいて・・・、ぼくたちが離れるとき・・・、奈津は全てリセットする気でしょ?・・・違う?」

花火の方を見てるのに、まるで奈津の心を透かして見ているようにコウキがズバリと言い当てた・・・。奈津は花火ではなく、コウキの横顔を見つめる。

うなずくでもなく、首を振るでもない、ただ黙ってコウキを見つめるだけの奈津。

何も言わないからこそ・・・コウキは、それが奈津の答えなんだと・・・分かってしまう。

「ぼくのため・・・?」

コウキは花火を見たまま続ける。

ううん・・・。今度は無言で首を振ったあと、奈津は静かに言った。

「違うよ。2人のため。」

金色一色の大きな花火が3発開くと、その跡にはねずみ色の煙だけが行き場を失ったかのように漂っていた。コウキは奈津に横顔を向けたまま下を向く。

「そっか・・・。」

そのまま・・・時が止まったように2人は動かなかった。どれくらいの時間だったんだろう・・・。また、花火が上がり始めたことを、その音たちが知らせてくれるまで・・・。「ぼくの想いはもう送ったよ。・・・。」

そう言って顔を上げると、今度は横顔ではなく、奈津に正面を向けた。

奈津はコウキが何のことを言っているのか分からず不思議そうな顔をする。

「携帯に送った。昼に。」

奈津は両手を広げて、キョロキョロする。すっかりスマホの存在を忘れていた。・・・一緒にいる間、スマホは開くつもりはなかった。コウキとの時間を何にも邪魔されたくなかった。それに写真は・・・『ダメ』なんてコウキは言わないけど・・・一緒に撮れないってことくらい知っていた。だから、今日、コウキと会ってからは一度も手にしていなかった。

「あっ」

奈津は、スマホの場所を思い出し、ジーンズの後ろのポケットに手を当て、それを取り出した。

「いい、いい。今は見なくて。」

コウキはそう言って、奈津がスマホを開くのを制した。

「ちゃんと書いたことと同じことを今から言うから・・・。」

ポンッと奈津の頭に手を置き、コウキは少し顔を近づける。

「ごめん。奈津に伝えるのが今になって・・・。真剣な話をして、楽しい時間を途中で壊すのも嫌だったし、奈津が不意打ちで答えを言って、ぼくが後出しみたいになるのも嫌だったから・・・。でも・・・、うん。ぼくの想いはやっぱり変わらない・・・。」

それから、奈津の頭から手を外し 大きく息を吸って吐いた。

「ぼくは・・・」

静かな声だった。

「・・・メンバーが大事。一緒に仕事をするスタッフが大事。そして、ぼくたちを応援してくれるファンが大事・・・」

コウキが一生懸命に言葉を選んでいるのが伝わる。

そんなの分かっている。分かりきっている。奈津の心臓はドキドキと音をたて始めた。コウキはヒロだ。どんなに違っていて欲しいと願ったとしても、やっぱりアイドルのヒロなのだ。わたしと付き合えるコウキじゃない・・・。

奈津は目を伏せた。

お願い。明日までコウキの彼女でいさせて。今は『ごめん。』なんてコウキの口から聞きたくない・・・。明日になったら、ちゃんと、ちゃんとリセットするから・・・

奈津の心の中を思いが巡る。それなのに・・・

「ごめん・・・。」

コウキの声が聞こえた。

その声と同時に、奈津はそのままコウキの胸元に倒れ込む。

「嫌だ・・・。聞きたくない。明日まで何も聞きたくない・・・」

コウキによりかかり、身を任せたまま・・・、奈津はそれだけつぶやいた。



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