第64話 11月の公認の片思い

 「不思議だな・・・。」

と独り言のようにつぶやいた。車から降りた悠介の頬を太陽の光が注ぎ、風が触れる。今、自分が彼女に会うために、ここにこうして居ること。それが何より不思議でならなかった。家を出る前に見たヒロの熱愛報道が、高校3年の夏に悠介を引き戻す。あの夏はまだ・・・こんな風に彼女と付き合っていくことになるなんて微塵も思っていなかった。

「それに、あいつがここまで気ぃ強いってことも、あの時は知らんかったな。」

悠介は少し呆れ気味に肩をすくめた。

悠介は振り返る。今のようにお互いを心から信頼し合える関係になるのに、いっぱいぶつかって、長い長い時間を要した・・・。

友達以上恋人未満の関係がしばらく続いた。

正式に付き合いだしたのは、たしか、オレが大学を卒業する間際だった。

高校を卒業してから、ずっと遠距離で・・・それでも2人の関係を少しずつ築いてきたっけ・・・。

悠介はラインを確認する。既読は入っているが、返事はまだのようだった。彼女が慌てて帰り支度をしている姿が目に浮かぶ。早く来すぎて悪かったかな・・・と少し反省してみたりする。

悠介は、約束の時刻になるまでこの辺を散策することにした。5月の車中はエンジンを止めると気温が上がる。車の中で待つより、外の方が気持ちがいい。

「おっと、一応サングラス。」

J2と言えど、さすがに地元。意外とサッカー少年達には面が割れている。悠介は自意識過剰かな?と思いながらも車のダッシュボードからサングラスを取り出すとそれをかけた。

駐車場を出て、歩道を歩き始めた。ふと、報道されていたヒロの顔が思い浮かんだ。不思議と、高校の時に感じていた、嫉妬や憎ったらしさは感じない。でも・・・。

「オレ、かっこ悪~。すっげー片思いだったな。」

その頃を思い出すと、赤面するくらい恥ずかしい思いがよぎる。自他共に認める公認の片思い・・・。オレは奈津が好き。そして、その奈津は、秋になってもずっと空を見ていた・・・。

でも、そんなオレの公認の片思いは突然終わったんだった・・・。

いや・・・いつの間にか、終わっていたんだって・・・選手権の決勝の時気づいた。

毎日傍であいつと顔を合わしているうちに、少しずつ少しずつ、気持ちが変わっていってたってことに・・・。

あの時あいつとグランドから目が合った・・・。そして初めて、時が止まるのを感じたっけ・・・。



[18歳・・・ 11月 サッカー選手権山口県大会 決勝]


 スタジアム。山口東高校対西宮高校。12時キックオフ。スタンドには両校のOBや保護者、サッカーファンが詰めかけ、席は埋め尽くされていた。スタンドと反対側の芝生の応援席では両校の生徒やベンチ入りしていないサッカー部員たちが、お互いに負けじと応援の声をあげていた。

 ベンチでは監督、コーチ、ベンチ入りメンバー、そして、奈津とまなみ2人のマネージャーが見守っていた。詩帆は芝生の応援席、サッカー部員の一番端で声を張り上げている。

 6月のインターハイ予選・・・悠介のレッドカード退場。屈辱的な大敗。そのことは誰もが忘れていなかったが、誰もが口にしなかった。

 前半は0対0。

 シュート数は4本対5本で西宮高校が1本多かった。しかし、試合の内容は五分五分で決して負けてはいなかった。そして、4本中2本が悠介のシュートだった。1本はゴールポストに当たって跳ね返り、もう1本はキーパーの正面だった。どちらも観客席からため息がもれるほど、惜しいシュートだった。

 ハーフタイムが終わり、後半戦の前の円陣。キャプテンの和田くんが奈津とまなみにも声をかけた。

「マネージャーも入って。」

奈津とまなみは神妙な顔で走り寄る。泣いても笑っても最後・・・。3年間の集大成。それぞれが試合に向かう前の様相はどこか妖気さえも帯びていた。奈津は一番近い円陣の隙間に入った。右隣は悠介だった。チラッと見えた悠介の横顔。悠介はもうすでに自分の世界に入っている。奈津は悠介の手を握る。ガッシリとして力強く大きい手・・・。いつの間にこんなに頼りがいのある手になったのか・・・。

「3年間の頑張り。悔いがないように出し切ろう。そして、最後まで、みんなで戦おう!

山口東~!オー!!!」

声を出し切っ選手達は、フィールドに散らばる。不思議と力みは感じず、悠介は静かな気持でフィールドに立った。周りの声はいっさい聞こえない。無心・・・。フォワードとして、ただこのボールを相手ゴールに入れることだけに集中。

 西宮高校の守りは固い。なかなか悠介にボールが回ってこない。だから、必然と得点のチャンスは少なくなる。その少ないチャンスをものにしなければいけない。時間はどんどん過ぎる。両校得点のないまま・・・。

 残り時間5分。中盤、疲れて運動量の落ちた西宮高校のボランチのパスが緩くなった。それを鷹斗がすかさずカットして奪う。クルッと向きを変えた鷹斗はドリブルを仕掛けた。そして、相手を1人かわすと絶妙な縦パスを蹴る。まるでそこに壮眞が走り込むのを予測していたかのように。走り込んだ壮眞はワンタッチで、今度は、左に回り込んできた悠介にパスをする。壮眞に向かって走っていた相手のデイフェンスは虚を突かれる。ノーマーク状態になった悠介がそのボールを西宮高校ゴールに左足でたたき込む。

「ゴール!!!」

倒れ込んだ悠介に山口東メンバーが駆け寄って抱きつく。加賀は悠介の頭を何度も叩く。壮眞は悠介を抱き上げる。ベンチも一斉に立ちあがり、奈津とまなみも抱き合って飛び跳ね喜んだ。芝生の応援席からは歓声が上がる。

やっとみんなから解放されると、悠介は空に向かってガッツポーズをした。

 試合が再開した。勝利までのカウントダウンが刻々と近づいてくる。奈津とまなみは胸の前で両手を組んで祈るように試合を見守る。アディショナルタイムは3分。焦りの見える西宮高校は浮き足立つ。山口東は一層守りを強化する。チャンスがくればもう1本シュートを決める勢いで。

ピーピーピー

試合終了!!!

ドッと歓声があがる。

一瞬、悠介には何が起こったのか分からなかった・・・。

徐々に無心が解けて現実を感じ始める。

「勝ったんだ・・・。」

そして、みんなで駆け寄って抱き合う。せきを切ったように涙が溢れる。仲間の目にも涙が浮かぶ・・・。

仲間と思いっきりたたえ合った、その次の瞬間。

無意識に誰かを探した。それは、自分でも気づかないくらい無意識だった・・・。

「あ・・・。」

大泣きしている彼女と目が合う。目が合って、初めて、自分が探していたのが誰なのか気づいた・・・。目が合った彼女はキョロキョロと周りを見回す。オレが、別の誰かを見ているのかと思って・・・。そして、もう一度目が合ったとき、彼女は不思議そうに自分を指さした。「わたし?」すごいすっとんきょうな表情で首をかしげている。時間が止まった・・・。

思わず彼女を指さす。

「そう、おまえ・・・。」



[27歳・・・5月]


 みさきは担当していた患者の退院に付き添い、正面玄関まで一緒に来た。仕事中足を骨折したと言って、一月ほど入院していた40代半ばの男性の患者だった。まだ、松葉杖こそついてはいるが、男性とその妻は深々と頭を下げて、晴れ晴れとした表情で玄関を出て行く。みさきも頭を下げると、「よかったですね。」と言いながら笑顔で見送った。2人の姿がタクシー降り場の辺りを越えたところで、みさきはゆっくり振り返る。シーンという文字が出てきそうなくらい静かな空間が広がっていた。いつものことだが、さすがに夕方近くなると、昼も結構過ぎるまでごった返していた待合ロビーも閑散としていた。そんなロビーを通り抜け、病棟に戻ろうとしたみさきの目にふっと人影が映る。一番向こうの一番後ろの席。ここで何を待っているのか、薄いグレーのジャケットにチノパン姿の若者が、足を組んで席に座り、雑誌か何か読んでいる。

「ちょっと!!!」

一瞬目を剥く。

みさきは、瞬きして、もう一度落ち着いて見る。短い黒髪の眼鏡をかけた横顔・・・。

いや・・・そんなはずはない。

「まさかね!」

みさきは、病棟に向かう廊下を歩き始めた。軽く頭を左右に振りながら。

すると、さっき小沢先生と食堂に居た女性が前から歩いてきた。なんだかすごいキツい目で睨んでくる。それには涼しい顔で、気づかないふりをして、みさきは、いつも通り、どの患者さんや家族の方にもするように機械的な会釈を返して通り過ぎた。

通り過ぎてから、みさきはフンッと鼻をならした。そして、前を向いた。

目の前から、スラッとして垢抜けた雰囲気の、見たことのない女性が歩いて来る・・・。

しかもすごい美人。思わず会釈をするのを忘れてしまう・・・。

「お疲れ様。」

すれ違いざまに、その美人が声をかけてきた。みさきは慌てて振り返る。

「小沢先生!?」

女性の後ろ姿。軽く巻かれた彼女の髪が、歩くリズムに合わせて上下していた。それはまるでダンスでもするかのようにフワッフワッと軽やかに。

 


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