第55話 5月の食堂・8月の闇夜

{27歳・・・5月}


 「ちょっと、小沢先生、BEST FRIENDS?」

「まさかのK-POP!!意外!わたし、ゴスペルしか聞きませんのって顔してるのに。」

「プッ言える~。」

奈津が体ごと振り向き、テレビの映像に食い入っている姿を見て、3人の看護師がざわつき、小声でささやき合った。正確には、3人のうち2人が。1人は、2人のディスりに耳を傾けながらも、テレビの画面の方ををうっとりと眺めていた。そして、思わずため息をつく。

「分かる~!共感!だって、かっこいいもん!このライブももちろん行った~!」

その言葉に、2人は声の主を見る。

「そうだった!みさきもファンだった~。」

みさきと呼ばれる看護師は大きな声で続ける。

「そうなの~!みんなかっこいいんだけど、特に好きなのは、ホラホラ、今の赤のジャケットの人!ヒロ!」


奈津は肩を叩かれ、テレビを背にしてまなみの方を向き直していた。

『ヒロ』

食堂内にそのワードが響いた・・・。奈津の体が止まる。それから、何ごともなかったかのようにゆっくり右手を動かし、箸を掴む。そして顔をあげる。するとこちらをジッと見ているまなみと目が合った。何かを語りたそうな目と・・・。奈津はその目に向かって微笑む。いつの間にか、テレビから聞こえていた高音の歌声は、BEST FRIENDSの活躍を伝えるナレーションの声に変わっていた。

「BTSに続き、K-POPを牽引するグループBEST FRIENDS!昨年のワールドツアーでは全世界延べ160万人が熱狂する人気ぶりで、日本での人気も不動です・・・」

尚もナレーションは続いていく。

その声を聞きながら、奈津はまなみの目をただぼんやりと見つめる。そのうちに、まなみの瞳の黒い色が、どんどん周りの空気に溶け出し、広がる・・・。そして、奈津は思い出す。あの漆黒の夜のことを・・・。



[17歳・・・8月11日 夜]


 左手で胸を押さえ、右手に握ったスマホをおでこに当て、ギュッと目をつぶっていた。瞼の内側の世界は真っ暗で、その闇が奈津を飲み込んでいた・・・。

トントン

部屋のドアをノックする音。

「奈津、スイカ切ったから、降りてきて食べなさい。」

父親だった。優しい声。でも、こんな時、いつもは『奈津食べる?』と言う疑問形で訊いてくる父親が、今日は命令形の声かけだった。

「あ・・・うん。」

奈津は体をスライドさせ、力なく立ちあがった。父親の階段を降りていく足音が聞こえる。奈津はスマホをベッドの上にポンッと置いた。そして、ドアを開け、部屋を出た。

「スイカ、食べる!!」

奈津は、いつも通りの自分に切り替える・・・。そして、階下に向かって元気にそう告げると、階段を駆け足で降りた。

「あれ?凛太郎は?」

いつもなら、1番にスイカにがっついている凛太郎の姿が見えない。奈津はリビングをグルッと見回した。テーブルの上には、父親が切ったのであろう、ちょっと不揃いの二等辺三角形をしたスイカたちがお盆の上に並んでいた。奈津が切るのよりちょっと厚めの。

「さっき、ソファで寝てしまったから、起こして連れてあがったよ。」

父親はスイカを手にすると、『やれやれ』という顔をした。「ふうん。」奈津はうなずいた。そして、父親と向かい合わせの席に座り、手を伸ばしスイカを掴んだ。そして、それを目の前でいろいろな角度に動かしてみる。それから、

「太っ!」

と言って、プッと笑った。

「そうか?でも、母さんはこれくらい厚く切ってたぞ。」

父親は口の中のスイカを飲み込みながら不服そうに答えた。

「そうだったっけ?覚えてな~い。」

そう言って、奈津はスイカをかじろうと、口を大きくあーんと開けた。

「奈津はどんな母さんを覚えてる?」

父親が次のスイカに手を伸ばしながら訊いた。奈津はスイカの1番甘いてっぺんをかじると、「甘ッ」と小さくつぶやいてから、少し首をかしげた。そして、生きていたときの母さんを思い浮かべる。

「優しくて、元気で、いつも笑ってる?かな。」

奈津は何気に答える。

「なんだ。父さんと違って、母さんはいいとこばっかだな。」

父さんの言葉に奈津はフフフと笑う。

「あ!あと気丈!余命聞いてからも、泣き言言ったり、泣いたりしなかったもんね。」

奈津は熱っぽくそう言うと、パクンと大きくスイカをほおばった。そんな奈津を、父親はしばらくの間、まじまじと見つめた。

「だから、奈津も泣かないんだな。母さんの真似をして。」

鼻の頭にスイカの赤い汁をつけた娘・・・、いつの間にかこんなにもこんなに大きく成長している。今度は父親がフッフッフと笑った。

「残念でした~。」

父親は、奈津の鼻の頭をタオルでチョンチョンと拭いた。『自分で拭くから!』というような苦い顔をしながら、奈津は

「何が?」

と言った。

「実は、母さんは泣き虫でした~!」

父親が顔を近づけておちゃらけたように「残念でした~」のその答えを言った。スイカを口にほおばったまま、奈津は目を丸くする。

「嘘だあ!母さんが泣いたの見たことないもん。」

すると、父親はタオルで手を拭いてから両手を腰に当てると、謎のドヤ顔をした。

「母さんは、父さんの前でしか泣かなかったのだ!」

声までドヤっている。あまりの嘘っぽさに笑う気にもならない。奈津はフンと鼻であしらうと腰に手を当てた父親を置き去りにして、次のスイカに手を伸ばした。

「信じてないだろ。」

父親の声が急に真面目になる。腰の手がゆっくり下におろされる。

「『あんな小さな子どもたちを置いて逝きたくない、智くん(ともくん・奈津の父親)をひとりぼっちにさせたくない、死ぬの怖い~』っていっつも泣いてたんだぞ。・・・父さんと2人きりの時だけ・・・。ワンワン泣いてた。ったく、それなのに、母さん、お前たちが来たら、いかにも『泣いてません!』って顔してから!」

奈津はゆっくりスイカを飲み込む。

「父さんの前だけ?・・・なんで?」

奈津が質問すると、父親はちょっと上を向いた。

「さあ・・・?その時は気づかなかったんだなあ・・・。だから何でか、母さんに訊きもしなかった。でも・・・」

父親は無造作に置かれたタオルをゆっくりたたみながら、

「意地っぱりな母さんを泣かせてあげれる存在であれたこと、幸せだったな・・・と。母さん、父さんには甘えん坊でいられたんだな・・・と。」

そう言って、たたんだタオルを目に当てた・・・。奈津は飾ってある母さんの写真を見た。そう言えば・・・、「なんで、いつも母さんの鼻はトナカイみたいに赤いんだろう?」って病院から帰るとき不思議に思ってたっけ・・・。それを、今、思い出す。

「ま、父さんにも、母さんはそんな存在の人だったんだけどな・・・。」

タオルを目から離すと父親が静かに言った。奈津は父親の持ってるタオルに手をそえる。『タオル、わたしにもかして。』というように。

「あの子・・・コウキくん。韓国に帰るのは13日だっけ?今の奈津は・・・母さんと同じ顔してるぞ。泣くのを我慢してる時の。」

奈津はタオルを受け取るとそれで顔の下半分を隠すように口を拭いた。そして、立ちあがった。

「でも・・・、母さん、泣いたってダメだったでしょ。泣いたって・・・結局、死んじゃったでしょ。泣いたってきっと何も変わらない。コウキだって・・・結局帰るよ。」

奈津はタオルをテーブルに置くと、口をキュッと結び、その場を後にしようとした。

「でもな。」

父親が言う。

「母さん、あんだけ泣いたら、魂は軽くなったと思うぞ。ふわふわ~とかあーるく天国一直線だ!それだけじゃないぞ!奈津!」

後ろでガタッと音がした。どうやら父親が立ちあがったらしい。奈津は父親を振り返った。

またもや、父親は腰に手を当てる。

「なぜか、父さんの心もすこぶる軽い!一緒にワンワン泣いたからかな~。ハハハ!実は父さんも母さん以上に泣き虫だ!」

謎のドヤ顔でドヤった声で・・・。奈津はプッと笑う。父親もハハと笑う。すると、フフッ・・・写真の母さんが声を出して笑ったような気もした。笑い終わると、奈津は天井を見上げた。

「父さん・・・、母さんが泣くのは父さんの前だけだったんだよね・・・?」

父親に念を押すように訊く。

「ま、まあ。そうだったけど。」

父親は奈津に念を押され、タジタジしながら答えた。奈津はそんな父親をそのままに、二階に駆け上がっていった。そして、ベッドの上に放り出したスマホを手にすると、また駆け下りてきた。それから、唖然としている父親に向かって、奈津はスマホを握りしめ、意を決して言う。

「わたし・・・今、泣きそう・・・。だから、だから・・・今から会いに行って来る!」

父親の承諾など待たずに奈津はリビングを後にした。

「は?今からって。奈津!!もう10時回ってるんだぞ!」

父親は時計を見ると、慌てて声をかける。だけど、奈津は止まらない。あっという間に玄関の開く音が聞こえてきた。

「おい、おい。こんなに遅く!!いいか!ラブシーンだけは禁止だぞ~!!」

父親は届いていないであろう・・・と思いながらも奈津に釘を刺した。奈津は、玄関を飛び出した。夕方からの重たい雲が月や星を隠している。夜空の光が届かない、漆黒の闇が奈津を包む・・・。


 奈津が行ってしまうと、ガタン、父親は椅子に座った。写真の祐子(奈津の母親)を見る。

「祐子、奈津行ってしまったよ。その顔は・・・大丈夫ってことなのかな?」

写真の祐子がさらに笑った気がした。父親はそれでも「ハアー、心配だ~。」と首をうなだれる。

『でも、ぼくといると・・・泣きます・・・。ぼくは・・・彼女を泣かせてしまいます・・・。すみません・・・。』

コウキ・・・という子がそういった時の姿を思い出す。誠実な子だと直感で分かった。でも・・・

「祐子・・・金だったり、ピンクだったり、青だったりするんだよ・・・髪が・・・。」

父親はちょっと恨めしそうに写真を見た。それから、立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。

「そっか。明日は12日なんだな。奈津の・・・」

そう言って、父親はプシューと缶ビールを開けると、祐子の写真に「乾杯。」と言った。


 奈津は自転車をゆっくり走らせる。コウキに連絡はしていない。家まで行ったところで、会う勇気が出ないかもしれない。それに・・・、会って泣いたところで、コウキがヒロに戻っていく・・・その結果は変わらない・・・。

でも、泣きたかった。ただ、好きだと・・・泣きたかった。


いつの間にか、ポツン、ポツン・・・重たい雲が水滴を落とし始めた。田んぼの中の一本道に奈津の自転車のライトだけが、一筋の光の道を作っている・・・。

しばらくすると、向こうの方にチラチラ揺らめく光が見えてきた。どうやら弱いサーチライトのような光がこっちに向かって来ている。こんな夜更けに自転車に乗る人が、わたし以外にもいるんだな・・・。暗がりで、しかも、小雨の降り出した中、心細かった奈津の心が少しホッとする。ゆっくり動く二筋の光。二つの弱い光は揺らめきながら、近づき合う。そして一本道で光は交わり、交差する・・・。



[27歳・・・5月]


奈津が添えられたキャベツを箸ではさんだ瞬間、司会者の声に変わった。

「そんな人気のBEST FRIENDSのメンバーで唯一の日本人、ヒロ。そのヒロが昨夜、ファンクラブの公式サイトを通じて、直筆メッセージと共に熱愛を発表しました!この発表を受け、韓国を初め、世界各地で・・・」

司会者は、抑揚もなく、淡々と情報を伝える。

「ぎゃー!!うそ!今知った!!まじ?まじ?嘘でしょう・・・?」

みさきと呼ばれる看護師が司会者の声を遮るほどの大きな声を出した。そして、大げさにうなだれた。まなみも、突然の発表に、テレビの報道を食い入るように見つめた。何か、何か、情報を得ようと・・・。奈津はテレビを背にしたまま固まった・・・。もう、動けない・・・。箸を持つ手だけが震える。

「奈津・・・知ってた・・・?」

まなみの問いかけに、

ううん。奈津は下を向いたまま静かに首を振った・・・。

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