第54話 5月の食堂

[10年後・27歳・・・ 5月]

 

 吹き抜けとなっている天井の高い広い空間が、総合受付と会計の待合室になっている。高窓からは初夏の太陽の光が差し込み、会計を待っている人々に明るく注いでいる。午前の診療時間が終わったばかりの総合病院の待合室は、まだまだ会計の終わらない多くの患者たちが行き来をしていた。おでこに熱冷ましシートを貼った、幼稚園くらいの男の子を連れた若い母親。左腕に包帯を巻いた白髪混じりの初老の男性。細身のジーンズに麻のジャケットを羽織った眼鏡の若者。薄い黄色のマタニティを着たお腹の大きな女性。様々な年齢、様子を呈した患者が集っていた。その待合室を目がけて、ネイビーのスクラブに身を包んだ女性が廊下を颯爽(さっそう)と歩いて来た。長めの髪は無造作に後ろでひとつ結びされ、薄めのメイクに黒縁眼鏡の彼女は、左右に首を振る。どうやら誰かを探しているようだった。

「奈津!」

一番後ろの椅子から立ちあがった女性が名前を呼んだ。そして、手を挙げると彼女に向かって歩き出した。明るい髪色のボブがサッとなびく。都会的なメイクが映える。

「まなみ!」

スクラブを着た女性が笑顔になる。

「久しぶり!」

2人は駆け寄るとお互いの両手をたたき合った。

「午前の診療がさっき終わったとこ!今からちょっと休憩だから、一緒にスタッフ食堂行こ!」

ひとつ結びの髪を揺らして奈津が言う。

「わ!スタッフ食堂初めて!わたし行っていいの?」

白のシャツにミントグリーンのパンツをはいたまなみが、軽く飛び跳ねてから訊く。

「今日は特別!わたしが許す!」

奈津はそう言って、黒縁眼鏡の奥の大きな目を細めた。


 テレビの据えられたスタッフの食堂では、交代で休みに入っている医師や看護師たちが思い思いに休憩をとっていた。テレビは情報番組を映していて、司会の男性とコメンテーターが交互に意見を述べ合っている。1人でそれを見ながら食事をとっているスタッフもいれば、テレビなどそっちのけで、談笑しながら食事をしているグループもあった。真ん中辺りのテーブルで、束の間のコーヒータイムを過ごしている若い看護師3人は、うっぷん晴らしに花を咲かせていた。

「ねえねえ、小沢先生さあ、なんか、いちいちうちらに厳しくない?」

「あ、分かる!ビシビシ言い過ぎる。」

「絶対性格キツいよね。」

「だからモテないっつ~の。」

「噂だと彼氏いない歴27年らしいよ!小沢先生。」

「うっそ!1度も彼氏いたことないの?」

「恋愛のこと訊くと、誰が訊いてもはぐらかすんだって。1度も彼氏いたことないなんて、恥ずかしくて言えないんじゃない?今だって、付き合ってる形跡ナッシングでしょ。」

「眼鏡とったら、まあまあ綺麗な顔してるのにね~。」

「でも、やっぱ、女は可愛くないと!あの可愛げのない性格じゃあ・・・。」

「思うんだけど、うちらと堀田先生が仲いいからやっかみもあるんじゃない?」

「うっそ!小沢先生、堀田先生狙い?」

「多分よ。多分!だって、独身の中では、堀田先生が1番良くない?きっと狙ってるはず!」

「あり得る~!でも、堀田先生だって選ぶ権利あるよね~。絶対うちらの方がいいって。」

「あ!シッ!小沢先生!」


 食堂の扉を開け、中に入ると、窓から外の景色が飛び込んできた。食堂の窓から見える緑は深緑より黄緑の割合が多く、昔から奈津の好きな色合いだった。光が目に入る。『まぶしい!』奈津は思わず手をかざし、目を細めた。ふっと、あの日にタイムスリップする。忘れてしまっていたあの日の光景・・・。そうだった・・・初夏のこんな日差しの中、初めて彼に出会ったんだ・・・。

「あそこの3人、奈津の話してたね。きっと悪口よ!」

まなみが看護師たちに背を向けた瞬間、奈津に告げてきた。カウンターに食券を出しに向かいながら、ついぼんやりとしていた奈津が目を丸くする。そして、まなみが言ってるであろう3人をチラッと見た。その中の1人と目が合う。その子は軽く奈津に会釈をすると、3人の会話に戻っていった。

「そう?気づかなかった!」

奈津は首をかしげる。

「もう!昔から奈津は疎いんだから!!奈津の姿を見た瞬間、おしゃべりやめて、下向いたでしょ!なんで気づかないの?」

まなみは会った早々、奈津に説教を始めた。

「そうなの?まあまあ。それに、悪口だったとしても実害はないんだから!怒らない。怒らない。」

奈津は、「ハハッ」と笑うと、ケロッとした顔で食券を出した。「はあ、やれやれ。」とまなみは呆れ顔をした。でも、奈津の

「おばさん、ご飯大盛りで!」

の声を聞くと、その横顔を見ながら「フフッ」と微笑んだ。


2人は、注文した日替わり定食をトレーにのせると窓際の明るい席についた。

「そう言えば、凛太郎くんも大学4年生だね。就職決まった?」

まなみが冷たいお茶をグビッと飲むと訊いてきた。

「まだまだ!学校の先生になるって言って、今、採用試験の勉強中。部活でサッカー教えたいんだって。」

奈津がサラダにドレッシングをかけながら答えた。

「へえ!凛太郎くん、先生になりたいんだ。もう大人だねえ!あの、チビがねえ。まだ決まってないとはいえ、奈津ももう安心だ。ずっと、凛太郎くんのお姉ちゃん兼お母さんだったもんね。」

まなみの言葉に奈津は笑顔になる。

「うん。」

「だから、このタイミングで・・・」

まなみがそう言いかけた時、突然、BEST FRIENDSの曲が食堂を包んだ。奈津がガタンッと大きな音をたてて、体ごとテレビを振り返った。先ほどの3人の看護師たちは音に驚き、思わず奈津の方を見る。テレビの情報番組の話題は、いつの間にか芸能ニュースに移っていた。次は、BEST FRIENDSの話題なのだろう。7人の東京ドームでのライブ映像が流れている。奈津の大きな目がその映像を見つめる。

「奈津・・・。」



[17歳・・・8月11日 夜]


 今日1日の記憶が曖昧だった。ううん・・・。正確には、昨日、コウキが背中を向けて去って行ってしまってからの記憶が曖昧だった。わたしは昨日あれから、どうやって過ごしたっけ・・・?今、ベッドに横たわるまでの自分の行動をあまり覚えていない。昨日は結局まなみと帰ってきたし、今日は今日で部活も行って、図書館で勉強もして、ちゃんと普通通りに1日を過ごしたような気はする・・それは何となく覚えてるのだけど・・・。奈津はスマホを上にかざすと画面を眺めた。コウキからの連絡はない。当たり前か・・・。『触られたくもない』なんて言ったんだから・・・。『無理しなくったっていい。』コウキの声がリピートする。手首を握られた感触も残っている。奈津はゴロンと横を向いた。『いつも通りのわたしで居たつもり・・・。お別れするまで笑顔で過ごすって・・・コウキにもわたしにも1番いいよね・・・?そして、周りのみんなにも・・・。なにがダメ?』わたし間違ってないよね?正しいよね?そう、いつも通りのわたしの正しい選択のはず。それなのに・・・。奈津はスマホでBEST FRIENDSヒロの映像を流した。収録の後の映像らしく、興奮気味にメンバー7人がカメラのフレームに入れ替わり立ち替わり顔を出す。代表でヒロがファンに向けて韓国語で何か話している。映像のヒロは赤い髪をしていて、アイメイクもバッチリ・・・。「ほんとはコウキのくせに・・・、かっこつけて。」奈津はヒロの顔をつついた。大好きな笑顔、大好きな声。でも、やっぱり・・・、奈津・・・これはヒロだぞ・・・。

奈津はもう一度ゴロンとすると、今度は反対側を向いた。

「バカコウキ!あれくらいで背中向けちゃって・・・。明日は約束の12日って分かってる?」

奈津は目を閉じるとスマホをおでこに当てた。胸がギュッと痛くなる・・・。息もできないくらいに・・・。その時、

トントン

部屋のドアをノックする音がした。



[27歳・・・5月]


トントン トントン

肩を叩かれ我に返る。何故か、左手を胸に押し当てている。

「あ、まなみ・・・。」

光差し込む食堂の椅子に奈津は座っていた。そして、食堂にはBEST FRIENDSの曲が流れ、ちょうど、高音の綺麗な歌声が食堂を優しく包んでいた・・・。

 


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