第34話 7月のバラード

 「悠介、お前さあ、誰のためにサッカーやってんの?」

部活が終わり、部室に引き上げている悠介の背中に向かって壮眞が突っかかるように言った。

「は?」

悠介は足を止めるとゆっくり後ろを振り返った。傍で部員たちからビブスを受け取っていたまなみと詩帆の手も止まる。そして、思わずそちらに目をやった。後輩の部員たちは聞こえはしたが、先輩たちのもめ事にはなるべく首をつっこまないようにしておこう・・・とでもいうように、あえて聞こえないふりをしてその場を通り過ぎていった。

「やめろって。」

鷹斗が何かを察してか、壮眞を制した。

「どういう意味?」

悠介は冷静さを保ちながら訊いた。

「お前のサッカーは、奈津がいないと全然サッカーになってないってこと!」

壮眞の言葉が響くと、まるで時間が止まったようにみんなの動きも止まった・・・。詩帆の心臓も反応する・・・。悠介と壮眞の間に重苦しい沈黙の空気が流れる。壮眞は悠介と奈津と小学生の頃から同じチームでプレイしてきた、いわば二人の幼なじみでもあった。誰よりも悠介のプレイを見てきている。

「ごめん。悪かった!」

しばらく続いた沈黙を壊したのは悠だった。左手を挙げて悠介は笑った。

「今日、調子がいまいちで・・・。わりい、わりい!でも、それって、別に奈津のせいじゃないからな。たまたまだって、たまたま!」

悠介はそう言うと、壮眞に背を向け、また、部室に向かって歩き始めた。

「今日だけじゃないだろ。昔っからそうじゃん。悠介、奈津がいないとまともにボールも蹴れねえじゃん!プレイがフワフワして、足にボールが収まってないんだよ。」

壮眞はもともと血の気が多い方ではあるが、今日はやけに悠介に突っかかる。悠介はもう一度ゆっくりと振り返ると、鋭い目で壮眞を見た。

「そう見える?」

そう言うと、悠介は壮眞に向かってまっすぐ歩いた。そして、壮眞の手前で悠介は左手を振り挙げた。壮眞も負けずににらみ返す。思わず、

「悠介やめろ!!」

と鷹斗が叫ぶ・・・。周りにいた3年生たちとまなみは思わず息を飲んだ。詩帆は見ていられず目をつぶる・・・でも、悠介の左手は壮眞の右肩にポンッと置かれただけだった・・・。悠介はそのまま壮眞を通り過ぎるとグランドに向かってゆっくり走り出した。さっきまでピンク色だった空がいつの間にかねずみ色の厚みのある雲に変わっている・・・。そのねずみ色の雲からちょうど水滴が落ち始めた所だった。そして、それはひとつ、ふたつと悠介の顔を打った・・・・雨だった。悠介はグランドに転がっているサッカーボールの所まで行くと、それを足で跳ね上げ、静かにリフティングを始めた・・・。降り出した雨が悠介とボールに降り注ぎ始める・・・。

「好きにしろ!」

壮眞は吐き捨てるようにそう言うと、部室に入っていった。鷹斗や他の部員たちも、悠介を心配そうに振り返りながらも、それに続いた。まなみもぼんやりしている詩帆の腕をポンッと叩いて促すと、二人で残りの仕事にとりかかった。

 

 着替え終わった壮眞が部室を出て、何気なくグランドに目をやると、雨の中、まだ、悠介がリフティングをしていた。

「あいつ・・・。」

壮眞は、ハアーっとため息をつくと、雨の中、悠介に向かって歩いて行った。仕事が終わって部室に戻ろうとしていたまなみはそれを見つけると、「やば!けんかしそう!」とつぶやき、近くにいた詩帆の手を取り引っぱると、壮眞の後を追った。

「悠介・・・。」

壮眞が黙々とリフティングをする悠介に声をかけた。

「ごめん。言い過ぎた。お前がシュートチャンスを何度も逃したんでイライラしてた。」

どうやら、けんかをふっかけに来たのではないようだった。まなみは胸をなで下ろすジェスチャーをした。詩帆もオッケーとジェスチャーで返してきた。安心して引き返そうとする二人に悠介の声が聞こえてきた。

「いや・・・。壮眞の言うとおりだ・・・。」

顔をしたたる雨を拭いもせず、壮眞とマネージャー二人に背を向け、リフティングをしたまま悠介が答える。

「オレの課題なんだよ・・・。あいつ、奈津さ、昔っからサッカー上手いじゃん。お前だって知ってるだろ。」

そう言って、しゃべりながらも悠介はリフティングをしている。ボールは落とさない・・・。

「母さんが亡くなって、あいつ中学でサッカーやめちゃったけど、小学生の時はオレ、あいつからボール奪えなかったもんな。子ども心になんかどっかあいつが目標で・・・。ま、今はオレのがバリバリ上手いんだけど!」

雨でグショグショのまま悠介はリフティングを続ける・・・。

「だから、あいつにサッカーで褒められると、めっちゃ嬉しくて・・・。そんで怒られると、めっちゃなにくそ~!!て思えて・・・。」

「まあな・・・。オレもそんなとこある・・・。」

と悠介の話に相づちを打つように壮眞が答える。悠介の左足の甲で蹴り上げられるボールは相変わらず、ポンポンポンときれいにリズムを打っている。

「だから・・・、あいつがオレを見てくれてないってだけで、テンション落ちまくり・・、オレ、すっげー崩れる・・・。」

そういうと、そのボールを一旦頭の上まで蹴り上げた。そして、そのボールが落ちてきたところをゴールに向かってボレーシュートした。

「お前の言うとおり、昔っからだ・・・。ほんっとオレの課題だ・・・。。」

そう言うと、悠介はゴールに向かって歩き始めた。

「ボールしまって、あと、ここだけトンボかけとくから、壮眞もマネージャーも帰っていいぞ。」

と3人に向かって言った。壮眞の他にまなみと詩帆に今の話を聞かれてしまったことも、悠介は特に気にしていないようだった。悠介は奈津への気持ちをもうごまかす気はないようだった・・・。そして、雨に濡れたグショグショの笑顔で、

「気を利かせろよ!分かってるな!オレ一人にやらせろよ!」

と言い残すと走って行ってしまった。悠介が行ってしまうと、

「なあ、悠介と奈津ってずっと両思いだろ?あいつらけんかでもした?」

壮眞がまなみに訊いてきた。まなみは突然訊かれて「あ~。」と一瞬上を向いたが、

「ずっと・・・悠介の片思いだよ。悠介、それ、たぶん分かってる・・・。」

と言った。壮眞はそれを聞くと、

「まじか・・・。悠介、それキッツイな。」

とだけ言うと、一度悠介に目をやり、上を向くと、静かにその場を後にした。壮眞が歩き出すのを合図に、まなみと詩帆も雨も降ってるので、小走りで壮眞とは逆の部室の方に向かった。走りながらまなみは詩帆に話しかけた。

「詩帆ちゃんには言ってもいっか・・・。奈津、あの例の胸ぐら掴み騒ぎのタムラコウキとくっついたんよ。悠介、うっすら気づいてるんじゃないのかな?二人のこと・・・。だからあんなに・・・。」

そこまで言うと、まなみは詩帆の方を向いた。そして、慌てた。詩帆の顔はクシャクシャの泣き顔だった・・・。雨だか涙だか鼻水だか分からないくらいグシャグシャになった顔で、詩帆は泣いていた・・・。


 「姉ちゃん、どうしたの?」

凛太郎は仏壇の前で寝っ転がっている奈津に声をかけた。帰ってきてから、もう30分も経とうというのに、ご飯を作ろうともしない。

「あ・・・ご飯?ごめん、ごめん。姉ちゃんなんだかちょっとしんどくて・・・。今日は父さんにお惣菜買ってきてもらうように頼んだから。」

電気もつけず薄暗い部屋の中で寝転んだまま奈津が答えた。

「わかった。」

凛太郎はそう言うと、部屋を出ようとした。・・・が立ち止まって振り向くと、

「姉ちゃん、今スマホ使ってない?貸して!」

と心なしウキウキした調子で言った。奈津はポケットからスマホを取り出し、一度画面を確認すると、更に脱力した様子でそれを凛太郎に渡した。

「サンキュー!!」

凛太郎は嬉しそうに受け取ると早速、スマホを操作しながらリビングに向かった。

「どうせBEST FRIENDS見るんよ。凛太郎、すっごい好きみたい。」

奈津は仏壇から母さんの写真を取ると、写真の母さんに向かって話しかけた。涌き上がってくる不安を打ち消すためになるべく元気よく。

「あ、BEST FRIENDSも韓国だね~。母さん、コウキが韓国ってどういうことだと思う?親の都合で韓国にいたのかな?ってのはなんとなく分かるんだけど、おばあちゃん、コウキが仕事してるっぽいことも言ってたような・・・?違ったっけ?高校生なのに?もう~、なにがなんだか分かんない!パニック!!」

写真の母さんは相変わらず笑っている。リビングからはBEST FRIENDSの曲が流れ始める。

「あれ、あれ、あれがBEST FRIENDSなんだって。まあ、歌は上手かな。まだ、よくわかんないけど、この高音の声のところが私は好きかも?」

母さんに話しかけてるのが聞こえたのか、凛太郎が割って入ってくる。

「姉ちゃんが好きって言ってる声が『ヒロ』だって!コウキくんにめっちゃ似てる人!」

「どう思う?凛太郎がコウキに似てるってしつこくて。コウキはあんなにチャラくないって言うのに。ね~、母さん!」

写真の母さんが心なし、より笑ったような・・・。

「ほら、母さんも似てないって。」

奈津は不安を蹴散らすように、ふざけてリビングの凛太郎に声をかけた。それを聞いた凛太郎はスマホ片手にやってきて奈津の横に一緒に寝転んだ。

「いいよ!じゃあ、母さんに判定してもらう!」

凛太郎はBEST FRIENDSのMVが流れているスマホを両手で上にかざした。奈津は母さんの写真を自分の胸の上に抱くと、3人で映像を見るような体勢にした。画面では軽快でリズミカルな明るい曲が流れている。奈津はそれを眺めた。全く興味のないK-POPだったが、今は韓国のグループ・・・というだけでコウキと繋がっているような錯覚を覚える・・・。横では凛太郎がノリノリだ。画面がどんどん切り替わるのと同時に、メンバーたちも入れ替わり立ち替わりアップになる。いったいどの人がコウキに似てるっていうんだろう・・・。本気で判定する気もない奈津は、画面を眺めながらも、画面とは関係なく頭の中ではコウキを思い出していた。顔を近づけてきたコウキの目・・・。その目を思い出すと、奈津は今でも、胸が締め付けられるほどドキドキする・・・。

「あ、今の!!」

ライトブルーの髪色の人がアップになった時、凛太郎が言った。奈津の意識が頭の中から画面に戻る・・・。

「え、どれどれ?分からなかった!」

口では、凛太郎に合わせてそう言ってはみるが、「分かったところで・・・。」と心の中ではどこか冷めていた。もし、ほんとに似ていたとしても、たとえ、どんなにかっこよかったとしても、この画面の中で歌って踊っている「ヒロ」と呼ばれる彼が奈津の心の中に入る隙など微塵もなかった。今、奈津の心はたったひとりに占領されていた・・・。奈津は胸の上で、母さんの写真を知らず知らずのうちにギュッと抱きしめる。ぼんやりと目は画面を追いながらも、また、頭の中では画面とは違うシーンが浮かんでくる。放課後の教室・・・眼鏡をかけていない涼しげで綺麗なコウキの目が奈津の顔をのぞき込んだ・・・その時、いつの間にバラードに変わったのか、高音で美しいメロディーを口ずさみながら、画面の中から誰かが奈津の顔をのぞき込んだ・・・。思わず、母さんの写真を離して奈津は両手を伸ばしていた・・・。突然画面が静止する。母さんの写真が奈津と凛太郎の間に滑り落ちる。外からは、静かに雨音が聞こえ始める・・・。

「これがヒロ!」

凛太郎が得意げに言う。

「ヒロ・・・?」

制止した画面では、ライトブルーのクシャッととした長めの髪で、青いカラコンを入れた「ヒロ」と呼ばれる彼がこちらをのぞき込んでいた・・・。奈津が大好きな・・・会いたくてたまらない・・・あの涼しげで綺麗な目をして・・・。


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