第13話 6月の雨音

 準決勝は12時キックオフだった。山口東高校サッカー部の登録メンバーとマネージャーは9時に高校に集合し、それからみんなでバスに乗ってサッカー競技場に向かう。バスの中でも外でも、いつもは仲間たちと笑顔で談笑しているはずの悠介だが、今日は口数が少ない。それほど西宮高校は強い。個々の個人技も光る上にチームとしてのまとまりもある。公式戦では最近、山口東は西宮に勝てていないのが現状だ。山口東の持てる力の100パーセント・・いや、それ以上の力を出さないと勝利は難しい。絶対ジャイアントキリングを起こす!・・・それには、山口東がチームとして本当に心を1つにして、ひとりひとりが「勝つ」と信じて試合に臨むこと・・・それが大事だ。悠介は自分に言い聞かすように、ずっとブツブツと唱えていた。「勝つ。勝つ。」と。



 BEST FRIENDSのメンバーたちは、今日も朝から雑紙のグラビアの撮影が入っていた。濃いめのアイラインとアイシャドウを入れて目力をつける。金髪やライトブルーや赤などに染めた髪にはワックスをつけ無造作にばらつかせる。黒っぽい服にそれぞれネックレスや指輪やブレスレットなどのアクセサリーをつける。普段、何もしてない時はあどけない少年の顔なのに、メイクをした途端、雰囲気がガラリと変わる。先ほどまでのあどけない少年はどこにもおらず、妖艶さが醸し出され、まるで別人のようになる。カメラの前で作る表情も、かわいいものから、色気たっぷりのものまで変幻自在だ。1人1人の準備が揃うと、撮影が始まった。7人ではなく6人だけの撮影が・・・。



 コウキは一番後ろのフェンスにもたれ、コートを見ていた。サッカー競技場の応援席には横断幕が張られ、のぼりも立ち、サッカー部員たちによる応援も始まった。応援席も保護者や高校の生徒たちで埋まっている。間もなく試合開始だ。両チーム、それぞれ自陣で円陣を組む。山口東はみんなで手をつなぐと、キーパー、雅哉がかけ声をかけた。

「絶対勝つぞ~!!」

「オーーーーッ」

気合いの入った大声が青空に響く。それぞれが自分のポジションに散らばった。

ピーッ

審判のホイッスルと同時にトップの悠介がキックをする。さあ、いよいよ試合開始だ。ベンチに入れるマネージャーは2人。奈津とまなみはベンチに座り、試合を見守る。詩帆はサッカー部員と一緒に応援席で声を張り上げ応援の歌を歌う。ずっと胸の前で祈るように手を組んで・・・。

 立ち上がりから、山口東は闘志を前面に出した前のめりのプレイスタイルで、相手ゴールを脅かす。早い段階から、いい形の攻撃シーンが何度も見られた。悠介も、もう1本目のシュートをうっている。惜しくもゴールポストの上に当たり、点にはならなかったが。逆に西宮の方は固くなっているのか、パスミスなどで、簡単にボールを失い、それが山口東の攻撃に拍車をかけているようなところがあった。奈津とまなみは

「なんかいい感じ!きっと勝つよ!」

と顔を見合わせた。山口東側、応援席の歌の声も勢いを増す。山口東の猛攻にお祭り騒ぎに近い状態になっていた。コウキも手に汗を握りながら試合を見ていた。悠介にボールが渡ると特に力が入る。

 山口東、優勢の中、前半30分、とうとう試合が動いた。コーナーキックをもらった山口東が、コーナーから鷹斗がカーブのかかった鋭いキックを放った。相手ディフェンダーと競り勝った悠介がそれをヘディングで押し込む。

「決まった!!」

奈津は思わず立ちあがった。奈津だけでなく、誰もがそう思い息をのんだ。しかし、ボールは間一髪、キーパーにはじかれ、そのこぼれ球を拾った西宮のセンターバックが大きくボールを山口東陣地に目がけて蹴った。

「危ない!!」

悠介がそう思った時にはもうすでに遅かった。西宮の速い攻撃はあっという間に山口東のペナルティエリアまでボールを持っていっていた。立ちふさがったのは和田くん1人・・・。対して、相手は9番、10番の2人・・・。西宮はワンツーで和田くんをかわすと、きれいにゴールを決めた。

ピーッ

ゴールのホイッスルが鳴り響いた。前半30分、西宮高校先制・・・。



 撮影が終わると、6人はスタッフたちに頭を下げ、「カムサハムニダ!」とお礼をいうと楽屋に戻っていった。

「あいつ、何の連絡もしないで、もう2ヶ月近くになる・・・。」

ジュンはタオルをボンっと乱暴に置きながら言った。

「SNSでヒロ兄さんのファンたちが、兄さん(ヒロ)はアメリカにはいないんじゃないかって言い出してる。アメリカのダンススクールを捜すけど、誰も兄さん(ヒロ)がいるっていう痕跡見つけられないって・・・。」

ヨンミンがメイク落としを顔に塗りながら言った。シャインも、

「おれも、アメリカにはいない気がする。こんなにダンス関係当たっても見つけられないって、あいつ、アメリカにダンス留学じゃないのかも・・・」

と衣装をハンガーにかけながら話した。

「アメリカじゃないなら、じゃあ、どこに?あいつが行きそうなところって他にある?」

ジニが泡立てた専願フォームを顔につけたまま振り向いて訊いてきた。

「分からない・・・。でも、捜す路線は変えてみてもいいかも。今までみたいにアメリカだけにこだわらず、あいつが行きそうなところ手当たり次第当たってみるのはどう?」

ドンヒョンがメイクを落としきって、いつもの素顔に戻って言った。みんなパッと明る表情になり、お互い顔を見合わせた。全く手がかりがなくて、もう、ヒロを失ってしまったように感じていたメンバーたちは、なんだか光が見えてきた気がした。

「よっしゃ~!!」

「待ってろよ~ヒロ~!!」

嬉しくて、思わずみんなでガッツポーズをした。でも・・・、ジュンだけは違っていた・・・。顔をタオルで拭きながら、何の感情も顔には出さず、

「もう、捜さなくっていいんじゃないの?」

と冷たい口調で言い放った。



 1点を追う山口東に焦りが見え始めた。ボールが足に収まらなくなり、簡単なミスが目立ってきた。反対に、1点を取り、固さもとれ、西宮はどんどん勢いに乗ってきている。また、西宮が中盤でボールを奪った。

ピピーッ

その時、前半終了のホイッスルが鳴った。ハーフタイムだ。選手たちはベンチに戻っていく。サッカー部員たちの歌声は元気づけるように大きく響いている。詩帆も慣れない大声を力の限り出す。相変わらず胸の前で手を組んだまま。奈津とまなみはベンチに戻ってきた選手たちにドリンクを渡す。

「落ち着こうぜ。前半最初のようなオレたちのサッカーしようや。そしたら絶対勝てる!」

キャプテンの和田くんが荒い息の中、みんなに声をかける。

「やっぱ、カウンター怖いな。あいつら速い。こっちが攻撃に前のめりになってるところ見逃さないな。後半気をつけていこうや。そんで特に9番。あいつめちゃめちゃ足速いから、あいつにパスを通させないようにマークしっかりしていこう!!」

鷹斗もドリンクを飲み終わるとみんなに言った。悠介は、

「ここで弱気にならず、勝つって信じて、最後まで強気でフィールドに立とう!オレたち絶対勝つ!」

と自分自身とみんなに気合いを入れた。

ピーッ

後半が始まった。落ち着を取り戻した山口東が中盤で競り勝ち、大切にボールを回す。サッと動いた加賀くんにすかさずパスを出すと、加賀くんはそれを受け取り、一気にドリブルで駆け上がる。そして、中央に走り込んでくる壮真にスルーパスをした。それに壮真が右足を合わせて渾身のシュート!

「決まった!!」

また、奈津は立ちあがった。しかし、シュートは左のゴールポストに当たり、大きくバウンドした。そして、それを、またしても相手センターバックがトラップすると、大きく山口東陣地に向かって蹴り上げた。またしても、カウンター。しかし、今度は前半の時とは違った。危険を察知した悠介が相手9番目がけて走っていた。ボールは中盤を越え、山口東陣地に大きく入ったところで9番に渡った。9番は一旦10番にボールを預けると、自分はペナルティエリアに向かって走り込む。悠介は9番に懸命に食らいつこうとしたが一歩及ばない。ボールが9番に渡ると9番は少しドリブルをしたかと思うと、ペナルティエリア内でシュート体勢に入った。

「やばい!」

悠介は必死に食い止めようとボール目がけてスライディングタックルをした。

ピーーーッt

会場中に大きくホイッスルが鳴り響いた・・・。悠介がゆっくり立ちあがると、そばに西宮9番が倒れていた・・・。

「ファウル!!」

ピッピッピッ

主審が悠介に向かって走ってやってく来る。胸から赤いカードを出しながら・・。

「レッドカード!!山口東10番退場!!」

それは、後半が始まって5分のことだった。



「ジュン、なんでそんなこと言うんだよ。お前だって、ヒロのことあんなに心配して、必死に捜してただろ。」

シャインがジュンのそばまで行って、少し責めるような口調で言った。ジュンは鋭い目でシャインをにらみ返すと、さっきよりもっと冷ややかな声で答えた。

「こんなに連絡してこないって、ずっとだんまりきめこんでるって、それがあいつの答えなんじゃないの?」



 ベンチに戻ってきた悠介はずっとバスタオルを頭からかぶったままだった。自分が退場した後、仲間たちは1人少ない10人で戦わなければならない。西宮相手に10人・・・。得点が入る度西宮応援席から大歓声が聞こえた・・・。

0対9

1人欠いた山口東は今までにない屈辱的な点差で準決勝を終えた。

ベンチに戻ってきた泥まみれの真っ黒な選手たちは悠介を囲んだ。みんな悠介の肩や背中をポンポンと叩いた。

「ごめん・・・。本当にごめん・・・。」

「オレ、フィールドにいたかった。最後まで一緒にフィールドで戦いたかった・・・。」

悠介はそう言葉を絞り出すのが精一杯だった・・・。



 感情のこもっていなかったジュンの声が熱を帯びてきた。その声は控え室に響いた。

「ヒロ、なんだよ、あいつ!一緒に頑張ろうって言ったのに・・・。歌って踊って、一緒にいいステージ作っていこうって約束したのに・・・。あいつはもう、自分からステージ降りたんだよ!」

それだけ言い終わると、ジュンは大きな音をたてて控え室から出て行った。残された5人は痛いほどジュンの気持ちが分かった・・・。そして、どこかの空の下で、誰にも連絡できずにいるヒロの気持ちも・・・。だから、もう、なんの言葉も出てこなかった。



 5時前に解散になると、悠介と奈津はいつも通り自転車で帰った。途中でみんなと別れ、2人になった。悠介は一言も発しなかった。奈津も声をかけなかった。どんな言葉も今の悠介には慰めにならないことは奈津にも分かっていた。2人はただただ自転車を黙ってこいだ。夕方から増えてきた雨雲が空を覆い始め、薄暗くなってきた。梅雨の空は悠介の心のようにどんよりとして今にも泣き出しそうだった・・・。


 コウキは一緒に住んでる、88歳になるひいばあちゃんから買い物を頼まれ家を出た。携帯に着信があり、ばあちゃんに聞かれたくないのもあって、歩いて家を出た。雨が降りそうだったので傘を持って。今時の高校生には珍しく、コウキはスマホは使っておらず、連絡用にはガラケーを使っていた。しばらく歩き、人通りの少ない田んぼのいなか道に入ると、電話をかけた。3回のコールで相手が出た。コウキは向こうの話を「はい。」「はい。」「はい。」と返事をしながらうなづいて聞いた。最後に、

「・・・あ、まだ・・・言わないでください・・・。」

静かにそう答えると電話を切った。電話の途中でポツポツ降り出した雨がしばらくコウキの顔にぶつかった。雨に当たりながら、コウキはベンチでバスタオルをかぶったままの悠介の姿を思い出していた・・・。コウキはそっと傘をさした。

 

 田んぼの道に入ると、ポツポツと雨が降り始めた。前を走っていた奈津は振り返って、

「悠介、雨!急ごう!」

と声をかけた。でも、悠介からはなんの反応もなかった。ポツポツ振りはあっという間に本降りに変わった。奈津が「悠介、とばすよ!」と声を掛けようとしたとき、後ろでガチャンと大きな音がした。振り返ると悠介が自転車ごと倒れていた。

奈津は自分の自転車を停めると、悠介に駆け寄った。

「どうしたの!!悠介!しっかりして!」

座り込んだまま起き上がらない悠介の肩を奈津は揺さぶった。すると、今までこらえていたものが急に吹き出したように、悠介は泣き始めた。それは嗚咽に近かった。ますます強くなった雨に打たれ、雨だか涙だか分からないくらいグショグショになって・・・


 カーブを曲がると、少し離れた所に、倒れた自転車の脇で座り込んでる2つの人影があった。雨の中傘もささずに。

「転んだ?けがでもしてる?」

コウキは雨の中を走って近づいた。近くなるにつれてその2人が山口東高校サッカー部のジャージを着ているのが分かった。こちらに背中を向けて座っているのが、ショートカットの女の子?・・・奈津?そして、奈津の向こうで座り込んでいるのが・・・奈津に隠れて顔は見えないけど・・・。雨の音がコウキの気配を消していた。びしょ濡れの2人は近くまでコウキが来たことに全くに気づいていなかった・・・。


 「奈津・・・。奈津・・・。オレ、フィールドにいたかった・・・。どんなにかっこわるい負け方したとしても・・・最後までフィールドにいたかった・・・。」

悠介は最後にはしゃくりあげていた。小さい頃はよく泣いていた悠介。背が高くなるにつれ泣かなくなり、高校に入ってからは、奈津は悠介が泣くのを見たことがなかった。よっぽど、よっぽど悔しかったんだ・・。小さい時のようにしゃくりあげて泣く悠介の気持ちが痛いくらい分かり、奈津は思わず手を伸ばすと、悠介の頭をぎゅっと抱きしめた。


 コウキは目の前で何が起こっているのかしばらくわからなかった・・。心臓が誰かにわしづかみされたように苦しくなり、ハッと我に返った。2,3歩後ずさりし、ゆっくり後ろを向くと、コウキは来た道を戻っていった・・・。


 ポチャン・・

悠介を抱きしめたまま、音のした方に奈津は振り返った。雨のしずくが目に入りよく見えないが、黒い傘をさした人影が遠ざかっていく。好きだからだろうか・・・傘をさした後ろ姿を見ると、なんだか全部コウキに見えてしまうのは・・・。

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