第13話 シホの刃

 ラインハルトが最初に感じたのは、不快感だった。込み上げる不快感は、嘔吐おうと感に似ていて、思わず口許を押さえた程だった。

 それが過ぎると、今度は異様な圧迫感を覚えた。何かが大挙して押し寄せてくる。そんな想像が浮かび、理由もわからず聖剣シルヴァルフ……魔剣プレシアンを掴んだラインハルトは、部屋を飛び出した。

 シホ・リリシア麾下の聖女近衛騎士隊エアフォースに提供された城塞都市マイカ行政区画の一施設内に設けられた自身の部屋を出ると、廊下は剣呑とした空気に包まれていた。王国側、神聖騎士団の兵員が石造りの廊下を叩き割らんばかりの足取りで行き過ぎたと思えば、今度は反対方向から聖女近衛騎士団の一員と思われる、少年にも見える若い騎士が走り抜ける。


「ああ、ラインハルト様!」


 と、走り抜けた若い騎士が立ち止まり、振り返ると、ラインハルトの目の前に立った。浅緑あさみどりの髪を耳に掛かる程度の短髪にした、目尻の下がった優しい印象の少年は、ラインハルトを探していたのか、それにしても急いでいる様子で、手短に告げた。


「シホ様がご出陣されます。場所は商業区の五番地区」

「わたしにそこへ? しかし、出陣とは……」

「敵襲ですが、状況は特殊なものです。とにかく、シホ様と合流を。わたしも参りますので、どうかご同道を」


 ラインハルトが頷くと、少年騎士はくるりと背を向けて走り出した。ただの騎士にしては軽装で、首元高くまで巻き付けた薄い茶色の外套が、走る彼の背中で帯を引く。硬い化粧石の床を、前傾姿勢で走る彼の足音は殆んどせず、明らかに訓練されたものと知れた。その風体、足取りは、騎士というよりも手練れの盗賊や密偵の類いだ。外套の下に、聖女近衛騎士隊の銀の軽鎧が見えなければ、騎士とは思わなかった。

 ラインハルトは足早に少年騎士の後ろに続いた。少年の足取りは速く、迷っている間に置いていかれてしまう。少年の靡く外套を見据えながら、ラインハルトはその行く先を見た。長い廊下は行く先で右に折れていて、正面と左側には、大きな窓が並んでいた。外にはよく手入れされた行政区画の庭が見える。

 と、その瞬間、全身に何かがまとわりつくような感覚があり、まるで幾度も瞬きをしたかのような断片的な映像が、ラインハルトの脳裏を、刹那の間に駆け抜けた。

 破られる窓。飛び込んできた銀色の生き物。生き物の手が前を走る少年騎士に伸び、少年騎士が応戦しようとして伸ばした、その腕がもげるように落ちた。


「少年!」


 知っている。

 この感覚は知っている。


 ラインハルトは叫んだ。ラインハルトの想像通り、ラインハルトの頭の中を行き過ぎた映像は、まだ現実にはなっていなかった。

 少年騎士が立ち止まり、振り返った。その背後で、三つの窓が、ほぼ同時に破られた。乾いた破砕音に続いて聞こえたのは、金属が石床に触れる音だった。


「……なんだ、あれは」


 ラインハルトは驚愕しながらも、プレシアンを抜くことは忘れなかった。


「ありがとうございます。それがラインハルト様の……プレシアンの力ですね」


 少年が窓を割って現れた何かとの距離を取る為、ラインハルトの元まで飛び退り、言った。少年の手にも、刃渡りの短い曲剣がいつの間にか握られている。柄が大きく、鍔がない剣は、深く濃い紺青こんじょう色に染まった湾曲の強い刃を持つ、不思議なものだった。その形状も、刃の色合いも、現在の武器とは思えず、ラインハルトはすぐに得心した。


「それは……魔剣か」

「ええ。魔剣グラス。本来はこれ単体の武器ではないのですが、ぼくはまだ未熟ですので」


 そう言って構えた少年の姿は、未熟という言葉が当てはまらない油断のなさ、戦い慣れたものの気配があった。


「突破します。ぼくが道を作ります。続いて下さい」

「ああ、わかった。だが……」


 ラインハルトが口ごもったのは、魔剣を持つ少年の実力を疑ったからではない。廊下に立ち塞がる、窓を割って現れたものの異様さの為だ。

 それは、見るからに金属とわかる材質をしていた。銀色の剣の刃を幾重にも折り重ねることで、人の姿に見せているような代物で、鎧のように人が着込んでいる様子はない。では、あの金属細工の人形は、どうして動いているのか。明らかに意思を持ってラインハルトの方を向いた人形は、頭と想像される部分にある、赤い光を強く輝かせた。その瞬間、腕に相当する部分が音を立てて尖る。それまでかろうじて腕に見えていたものは、疑いようもなくはっきりと剣に姿を変えた。


「……あれが何かはわかりませんが、大丈夫です。道は、ぼくが作ります」


 ラインハルトの動揺を察した少年騎士が、その言葉を残して金属人形に突進する。ラインハルトが制止の声を上げる間もなかった。

 窓を破って現れた金属人形は三体。それらがまるで意思の疎通を取り合うように、それぞれ頭部の赤い光を瞬かせ、隊列を組む。一体が前に出て、二体が後ろに付く。組織的に動く人形に、一対三の状況を作り出されたが、少年騎士は止まらなかった。


「少年!」


 ラインハルトの声に、先頭の金属人形の刃の腕と、少年騎士の紺青の刃が接触する金属音が重なった。金属人形の知能は高いようで、接触の瞬間を狙って、背後に控えた二体が前に出る。反撃の間を与えず、数的優位を最大に生かして少年騎士を屠るつもりのようだった。

 だが、事態は金属人形の思う通りにはならなかった。二体が左右それぞれから前に出て、刃の腕を振り下ろそうとしたときには、既に少年騎士はその場にいなかった。

 ラインハルトは自分の目を疑った。いま見ているものが現実なのか、それともプレシアンが見せている幻なのか、咄嗟には判断が付かなかった。それほど、少年騎士の動きは、常軌を逸していた。

 金属人形の一撃を捌いた少年は、信じ難い跳躍力で宙に舞った。ひと跳びで人形たちの頭上を越えると、空中で身を翻し、ラインハルトと向き合うように態勢を変えると、人形たちの向こう側へ着地した。

 その瞬間、少年が手にした紺青色の刃が、強い輝きを放った。


「凍土を渡る風」


 少年が何かの呪文のような言葉を呟くのが聞こえた。その刹那、ラインハルトは頬がひりつくような冷たさを感じた。唐突に周囲の温度が下がり、見れば三体の金属人形が凍り付いている。


「ぼくはイオリア。イオリア・カロラン。シホ様の刃のひとりです、ラインハルト様」


 息切れも見せず、少年は凍り付いた金属人形の向こうで名乗りを上げた。ラインハルトはその見た目の幼さにそぐわない冷たい迫力に息を呑んだ。これが、いや、これも、シホ・リリシアという少女の力の一端なのか、と。


「さあ、急ぎましょう。シホ様がお待ちです」


 ラインハルトはイオリアに言われるままに、凍り付いた人形をかわして、再び走り出した。その行く先で、再び窓が破られる音が響く。他の騎士か兵員の声だろうか、叫び声も聞こえた。シホの元まで辿り着くには、困難な道のりが予想された。

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