第5話 化物屋敷

 いつから王宮は、化物屋敷になったのか。


 オード王ルーメイに謁見し、玉座の間を退出するガード・ラングルは、周囲に悟られぬ様、意識しながら、部屋に居並ぶ面々の姿を盗み見た。


 ダキニ城まで撤退したラングルは、すぐさまルートクルスでの戦況をオード王都ヴァルトシュタインへ伝令した。同時に援軍を要請し、自分はダキニに詰めた兵力を統合、援軍を待たずして、押し下げられた戦線を維持する為、すぐにでも出撃するつもりだった。


 ところが、王都からの返答は、ラングルを王都へ召還する物だった。


 訝る思いを抱きながら、ダキニを部下たちに任せ、一日半をかけて王都へ到達し、ルーメイに謁見した訳だが……その会話の大半は、ルーメイとは行うことが出来なかった。


「ヤレヤレ、困りましたネエ」


 オード王ルーメイは、確かに謁見の間に同席した。玉座に深く腰かけ、ひじ掛けに身を預けながら、ラングルの報告を、時折頷きながら聞いていた。だが、ただそれだけだった。こちらの問いに応えることはなく、その役を担ったのは、王の傍らに立って、片言で話していた、小柄な男だった。


「ボクとしては、まだ、もう少し大人しくしていて欲しかったんだけどネ。まあ、でも、彼なら仕方ないか、ナ」


 少年にすら見える小柄な男は、肩までで切り揃えた光沢ある髪を揺らしながら笑った。大仰に両手を広げ、困り果てた事を示している様だったが、整った、凹凸の少ない顔が見せる表情は、まるで新しい玩具を見つけた子どもの様だった。その印象が酷く子どもっぽく、顔も彫りが浅く、髪の長さも中性的である故に、男なのか女なのか、ラングルにはさっぱり分からなかった。ルーメイがカレリアへの進軍を決定する少し前に招致した、異国の軍師。それがこの青年だった。


「『博士』」


 そう声がしたのは、謁見の間の出入口付近からだった。ラングルがこれから通り抜けようとしていた扉を向き直り、その声の主を見た。


 アヴァロニア大陸東方に浮かぶ諸島群の民族衣装に身を包んだ、これははっきりと少年と分かる年頃の子ども。まだ声変わりしていないのか、女の子の様に可憐な声と共に、耳が隠れる程度の長さの髪が揺れる。


「ジョルジュ様がお着きになられたとの事ですよ」

「キミの君主様が? ヤレヤレ、ほとほとボクは信用がないみたいだね、キョウスケクン?」


 ラングルの隣を擦り抜ける時に、可憐な異国の少年は微笑んでいた。はにかむ様な表情に含みはなかったが、かといって、『博士』の言葉を否定しようという意思も感じなかった。『博士』と呼ばれた男は、キョウスケと呼んだ少年のそんな様子にクスクスと作ったような笑い声を立てる。そんなやり取り全てが作り物めいていて、その中で物言わぬルーメイは、本当に生きているのか、それともルーメイの皮を被った人形なのか、ラングルは気味悪く思った。


 ラングルは振り返って王の様子を確認する事なく、そのまま玉座の間を去ろうとした。だが、その行く手に、別の人物が姿を現した。


 正面から、三つの影が近づいて来た。


 左目を眼帯で覆い、着崩した黒衣の神父服を身に着けた男。ぼさぼさの髪が特徴的で、右半分が青く、左半分が紅い。その後ろには鞠の様な丸い輪郭を持つ、巨躯の禿頭。黒衣の神父もラングルと同程度の大柄だが、禿頭はさらに巨大で、果たして人間なのかも怪しい。


 だが、そんな異形の二人を順に目にしたよりも、強い衝撃が、三人目の姿を見たラングルを襲った。


 


 


「ヨウこそイラッシャいました、ジョルジュ様」


 すれ違った異形の一団を、自然と立ち止まり、振り返ってその姿を追ってしまったラングルは、ジョルジュと呼ばれた三人目の姿をよくよく観察した。


 鼻筋の通った、端正な顔立ち。黒の色が濃い赤髪は長く、一見すると女性にも見える程の優男である。ただ、ラングルはジョルジュの容姿には、殆ど興味を持たなかった。それよりも、その男の身に着けた鎧が気になった。


『博士』と呼ばれる青年が慇懃に頭を垂れる。その芝居がかった姿を見慣れているのか、ジョルジュは何も言わずに、自身の要件を告げた。


「『剣』達だ。好きに使うがいい」

「フェンリルにクレイモアまで……ヨロシイのでショウか?」


『博士』はジョルジュと連れだって現れた二人の異形に目を向け、ほくそ笑んだ。


「良いも悪いもない。『博士』シャド」


 真銀の鎧に身を包んだジョルジュが隻眼の神父と禿頭の前に歩み出る。


「少し騒ぎを大きくし過ぎたのではないか?『彼ら』が動き出している」

「エエ、デスが、順調デスよ。フェンリルとクレイモアが居れば、『彼ら』を抑えることは出来るでショウ」

「キョウスケも置いて行く。上手く使え」


 ジョルジュに向けられた視線に合わせて、異国の少年が頭を垂れたのがわかった。


「分かっているな、シャド」


 ジョルジュはゆっくりと視線を『博士』に戻した。


「『彼』が現れたら、手出しはするなよ。いまはまだ、その時ではない」


 ジョルジュの背後で、隻眼の神父が一瞬、身を震わせたのを、ラングルは見逃さなかった。彼、という言葉に反応したように見えたが、それが何故なのかまでは分からなかった。


「お前の望み通り『彼』は現れる。必ずな。だが、仕掛ける瞬間は、こちらで決める。戦力を集中する必要があるからだ。いいか、『彼』は必ず動く。その時は……」

「ワカってマスよ、閣下」


 シャドはジョルジュを閣下と呼んだ。ラングルがまさか、と思っていた事が、どうやら間違いなく現実の事であるとわかった瞬間だったが、なぜそのような事が起きているのかは、ラングルには理解できなかった。


「ワタシは一介の研究者に過ぎませんからネ。闘争は避けたいのですヨ、これでも、ネ」

「……その研究の為に一国を傀儡とし、戦場をただの『実験場』に変えた男の言葉とも思えんな、『博士』」


 ジョルジュはそう言い放つと、玉座に背を向け、再びラングルの横を擦り抜けて出ていった。ジョルジュの背を目で追おうとしたが、いまの短い会話で飛び交った幾つもの言葉がラングルの頭の中で渦を巻き、それをする事を許さなかった。『彼ら』『彼』『傀儡』『実験場』力のある言葉だけが印象に残った。それらの言葉の意味を考えたが、ラングルには何の事を言っているのかわからなかった。ただ、不穏さだけがラングルの胸の中に残った。


「大丈夫ですよ、閣下」


 シャドが呟く声が聞こえた。あの声の大きさでは、退出したジョルジュには聞こえないだろう。しかし、ラングルにははっきりと聞こえた。


「あなた方『ラウンド』の皆様に、ご迷惑をお掛けするような事は、ありませんよ。決して、ね。ですが……」


 片言であるはずの男の呟きは、しかし一切に訛りなく、ごく自然に紡がれた。


「一介の研究者として、『彼』は最大の研究対象なのですよ。最大の、ね」

「シャド……どの……」


 しわがれた、かすれ声が、玉座の間に響いた。ラングルは随分聞いていなかった王の声を久しぶりに聞いた。


「進軍を……ルートクルスを……」

「問題ありませんよ、陛下」


 玉座にもたれかかったルーメイの口から、声が漏れている。シャドがその耳元で囁くと、ルーメイは再び、ひじ掛けに身を預けたまま、静かに動かなくなった。


「あなたが眠っている間に、全て終わります。全て、ね」


 いつから王宮は、化物屋敷になったのだ。


 うすら寒い物を背中に感じて、ラングルは物言わず、玉座の間を後にした。

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