第4話 売られたのだな、我々は

 ルートクルス城は、騒然とした空気に包まれていた。突如として現れた軍勢が、大挙して押しかけたからだ。


「……では、我々にダキニを落とせ、と?」

「無論、そなたらだけでは不可能だ。その為の我々だ」


 城内の一室、仮設した復興会議室に、ラインハルトの押し殺した声と、それに応じる若い、横柄な声が続いて響いた。


 会議室の上座に陣取るのは、領主の子として代理を務めるラインハルトではなかった。いま、そこにいるのは、ルートクルスに押し寄せた軍勢の指揮官である、三人の人物だった。ラインハルトはその対面に位置する下座に腰かけ、傍に控えたアルスミットと共に、その人物たちの言葉を聞いていた。


 並んで座る三人の左右がフォア伯とエヴルー伯。そして中央、たったいま、ラインハルトの言葉に、さも面白くなさそうに応えたのがエルロン侯である。三人は神聖王国カレリアにおいて、古くから特権階級にあり続けている家柄で、三者三様、そうした家柄にある者特有の、高慢な態度を隠そうともしなかった。


「国境に置かれた関所砦が失われた以上、国防の為には必要な措置である、と考えるが?」


 フォア、エヴルー両名はラインハルトの父、バラートと同じか、それ以上の中年だが、エルロン侯はまだ若い。ラインハルトと歳の変わらない、青年だった。長く赤い髪と、鼻筋の通った端正な顔立ちは、一見すると女性に見える程の優男だったが、言葉と、その顔に、隠そうともせず晒す自尊心の高さが、鼻に付く。ラインハルトの記憶が確かならば、ごく最近、父親に代わってエルロン侯の地位を継いだはずだが、その態度はもう何十年もの間、人々を従えて来た者のそれだった。神聖王国カレリアの正規騎士団である神聖騎士団の銀鎧に身を包んだ仰々しい姿とも相まって、その高圧さは、とても近しい年齢の物とは思えなかった。


「公子殿は、自領の民を、侵略の危険に晒したままになさるおつもりか?」

「いえ、そうではありません。ですが、エルロン侯。それが何を意味するのか、貴方も理解なさっているはずです」


 エルロン侯の言葉は、確かに正論だった。


 このルートクルス城は、レネクルス領内では最西端の城ではあるが、オード王国との国境に接している訳ではない。現在、国境近辺に警備兵を配しているとはいえ、大軍での再侵攻が始まれば、即応出来ない距離の分、国境近郊の村々に敵の流入を許す事になる。だからこそ、関所砦再建を含めた防衛機能の復旧に、ラインハルト以下『沈黙を告げる騎士団サイレント・ナイツ』の騎士達は全力を尽くしていたのだ。だがそれも、オードが再度侵攻して来るのだとすれば、時間的に到底、間に合うはずがなかった。


 そうした現状を考え、神聖王国カレリアの防衛機能を、より強固な物にする為には、オードの出処を抑えてしまう、即ち、敵の前線拠点となり得る国境近郊の城を陥落させる事が、最も確実な手段と言えなくはない。


 だが、それは、安易に容認出来る事ではなかった。


「理解しているとも。我々は神聖王国カレリアの騎士だ。領民を守る為に存在している」

「停戦協定を結んでいる国家に、侵略する事になっても、ですか」


 オードの城を落とす事は、即ち、そういう事なのだ。如何に侵略を受けたとしても、停戦協定は破棄された訳ではない以上、報復にこちらから侵略する道理はないはずである。ここは外交交渉の使いを立てて、今回のオード侵攻が、国家ぐるみの物であるのか、それとも一部族の暴発であるのかを精査するべき所のはず。ラインハルトはエルロン侯を問い詰める言葉と、鋭い眼光を送ったが、優男はそよ風でも受けたかのように微笑んだだけだった。


「ラインハルト殿。我が国はいま、大国ファラとの決戦の最中なのだ」


 力の拮抗により、膠着状態に陥っている東方での大戦を指して、エルロン侯は言う。その様は聞き分けのない無知な子どもに、仕方なく付き合う大人のそれだ。


「その背後に、蛮勇の過去を自ら誇る、愚かな新興国家が存在する。それがどういう事か、分からぬ訳ではあるまい?」


 身を乗り出すように眼前の長机に両肘を突き、掌を組み合わせたエルロン侯は、その組み合った手の奥で、含み笑いを浮かべた。邪悪な意思を感じる笑み。ラインハルトはその表情と、彼の言葉から、彼の、そして神聖王国カレリアのを悟った。


「いずれにせよ、これは聖王陛下の御意志なのだ。それに逆らう事は貴殿も、領民も、貴殿の御父上の御立場も悪くする事となるのだが?」

「……御命、確かに承りました」


 長い沈黙の後、ラインハルトはそれだけを口にした。血反吐を吐いたかのように喉が、腹が、煮え滾っていた。


 三人の指揮官はルートクルス城を神聖騎士団が使用する事、明日には敵城制圧に出立する事を告げると立ち上がり、会議室を後にした。部屋に残ったのは、彼らを見送るために立ち上がったラインハルトと、一言も発することなく傍に控えていたアルスミットのみだった。


「公子、本国は……」


 ラインハルトと同じく立ち上がったアルスミットに顔を向けると、彼も神聖騎士団の、引いては神聖王国カレリア本国の真意を感じ取った様子で、表情こそ変えていなかったが、胸中穏やかとは言えない、静かな怒りを感じさせる声音で話しかけて来た。


「……売られたのだな、我々は」


 アルスミットが言葉にするまでもなく、ラインハルトは本国の真意を苦々しい思いで言葉にした。


 考えてみれば可笑しな事なのだ。簡単な算術である。レネクルスが侵攻を受けたのが五日前。聖王都にその知らせが至るまでは、どんなに早くても三日は掛かる。エルロン侯らが率いた、侵略を目的とした軍の規模はおよそ五千。これだけの軍団を集結させ、このレネクルスまで移動させて来る事は、二日や三日で為せる業ではない。


 だが、、話は別だ。


 オードと停戦協定を締結し、同時に侵略用の騎士団を結集、レネクルスに隣接する別領に、密かに待機させた。その上で、レネクルスの、神聖王国カレリア最強の騎士団である『沈黙を告げる騎士団』本隊を東方の前線へ送り、国境を手薄にした。


 そうしてオードは、神聖王国カレリアによって、レネクルスへ誘き出されたのだ。


 全てはカレリアが侵攻に『義』を得るために。オードを本物の蛮勇の徒に仕立て上げる為に。


 レネクルス領は、そこに住む民たちは、餌にされたのだ。


「アルスミット。皆に遠征の準備をさせてくれ。半数は城に残す」


 怒りに震える声を押し殺し、ラインハルトは告げた。アルスミットは何も言わず、ただ頷くと、会議室を足早に出ていった。その足音が、彼にしては強く響いていたのは、ラインハルトの聞き間違いではない。


 ふと、ラインハルトは父の顔を思い出した。


 詫びる様な、あの瞳。


 まさか父は、この事を知っていたのか……?


 あの瞳は、この事態が起こる事を知っていた、罪の意識からなのか……?


 あの厳格な父が、こんな後ろ暗い画策に手を貸していたと言うのか……?


 ラインハルトは腰に佩いた剣に手を掛けた。家宝の聖剣が、急に重さを増した様に感じた。

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