第145話熱を冷ませ

 吹雪の中虎太は息を切らせながら片膝をついた。

 その目の前に一人の男が歩み出てくる。

 虎太が口を開く前にその男は虎太の頬に触れ笑みその放つ前の言葉を遮った。

「我を欲す目をしておる。よう我を探し当てた。ぬしをそうも動かす事があるか。」

 その手が氷のように冷たい。

 その口ぶりからして雪であると判断し虎太は手を掴んだ。

 そして早口に事を訴える。

 体温が奪われ疲労からも意識が朦朧としたが構わず言葉を尽くした。

「…ほう、知らぬ間にあやつがか。道理で騒がしいと思えば。主もようやった。どれ、我が冷ましてやろう。」

 虎太の目の前でその男は瞬く間に大きな九尾の狐へと姿を変えた。

 そして虎太に背中に乗れと指示する。

 九尾の狐は虎太を乗せて吹雪を貫いた。

 草然に到着し虎太を降ろすと客間にそのまま歩む。

 意識のない頼也の頬を一つ舐めると頼也を閃光が包み一瞬にして一目狐へと姿を変えさせた。

 頼也は目を覚ましたが、己が白い狐…それも一つ目となっていることに動揺する。

「主を主の母と同じ姿にしたまでよ。して、あやつの旦那を止めにいかねばな?」

 母親と同じ姿、と鏡の前で小さく鳴いた。

 亡き母親の…。

 ということは、妖術も今ならば使えるのではないか。

 母親のように、妖の身となったのであれば。

 雪に振り向いて頷き才造の殺気へと共に飛び込んだ。

 虎太が疲労を癒している間に才造を抑えなければ。

 頼也は才造を前足で抑えつけ集中する。

 その中で荒れ狂う怒りの奥底、悲しみの向こう側へ。

 そこには、夜影への愛情以外に何も残っていなかった。

 才造の感情を増幅させてどうにかするにはどれも使えない。

 その感情を増幅させれば余計に暴走させてしまう。

「ふむ、あやつが先か。」

 冬獅郎を見下ろし歩み寄る。

 そして前足を差し出され冬獅郎は片手を伸ばした。

 指先が触れあっただけでわかる。

 己と雪は似たものだと。

 指先から冷たい何かが体へ伝って流れ込む。

 今ならば才造を封じ込める気がした。

 頼也が退いたと同時に冬獅郎が才造を掴む。振り払おうとする才造の腕が凍っていくのを見て冬獅郎は集中した。

 凍らせてしまえ。

 そうすれば、頭も冷えるだろう。

「さて、行くぞ。麗花の小僧。」

 凍りついた才造を警戒して十勇士はそこに残った。

 氷の中で才造の瞳が悲しみと怒りに染まっているのを見つめながら、溜め息をついた。

 怒り狂うほど愛していたということが痛いほどわかる。

 たとえ落ち着いても暫くは動けないだろう。

 武雷に到着して雪は尾を揺らし唸った。

 思ったよりも事が重かった。

 頼也と共に中へ踏み入れれば殺気が刺さる。

 夜影は猫又の姿となっていた。

 夜影の背後に雪が回り込み、正面から頼也が向き合う。

 影を纏い鳴いた夜影の頬擦りをして意識を集中させた。

 悲しみ、怒り、恐怖、罪悪感…押し寄せる感情の波の奥へ目を開く。

 やはりそこには何も残っていなかった。

 それでも探した。

 やがてその荒波の中に別の何かが流れ込む。

 それが何なのかはっきりしないまま頼也はそれに頼った。

 増幅させて他の感情を上回らせて呑み込ませる。

 そうして正気に戻らせようとして何かが引っ掛かった。

 荒波に新たな波紋が広がったものの、渦巻いて収まらない。

 いつの間にか雪が傍にいないことに頼也は気付かないほど集中していた。

 そして夜影も頼也も姿を人に戻していることにも気付いていなかった。

 雪は隙を見て才造の元へ戻る。

 あと一押しが足りぬ。

 凍った才造をくわえて走り出す雪に十勇士は驚いて後を追った。

 武雷に満ちていたあの殺気もある程度収まっているのがわかって踏み入れる。

 頼也が夜影を抱き締めてどちらも目を閉じている。

 一寸も動かない二人の傍に雪が凍った才造を降ろした。

 渦巻く感情の中に新たにまた波紋が広がる。

 頼也はそれを見逃さなかった。

 それを増幅させると波が一息で穏やかになった。

 途端、殺気は失せた。

 伊鶴が慎重に氷を砕き、才造が動けるようになったところで今度は夜影の番だった。

 才造が唸りまた暴れだそうそれを遮って夜影が抱き締め抑える。

 才造は夜影だとわかると動きを止めた。

 才造の手が恐る恐る夜影を抱き締める。

 正気に戻ったかと安堵した為か体の力が抜けて皆その場に座り込んだ。

 一等疲労していたのは頼也である。

 雪は最後の一仕事だと縫い合わされた赤子を抱き上げた。

 その首を縫い合わせてどうにかしようと夜影が必死になっていたのは見てわかる。

 死した者を元には戻せない。

 首を戻してももう息はしまい。

 現実を否定したかったろう。

 夢だと思い込みたかったろう。

 ただ夜影が時を戻しても我が子を生き返らせようとしなかったのは、やはり認めていたところがあったからだ。

 時を戻してまで生き返らせてもこの先また苦痛の日々とわかっていたからだろう。

 我が子を幸せにできないと、忍の道を歩ませなければならないと。

 死した者をそのままに、ただただ悲しくて。

 だからせめて首だけは元に戻したかったのであろう。

 安らかにあれ。

 雪はその首を撫でて糸を切った。

 妖術で首を繋げ、しかし死したままに。

 夜影と才造の元へ戻りその腕に抱かせた。

「よう頑張った。よう耐えた。主はよう怒った。それでよい。もうよい。これ以上、主の子を悲しませるな。」

 才造の頭を撫でてそう言った雪の姿はいつの間にやら人になっていた。

 才造の目から涙が零れて頬を伝っていくのを眺め、そして夜影の頭も撫でた。

「主もだ。主の我が子は主も主の旦那も怒ってはおらぬ。主らに抱かれたこと、幸せに思うておろ。」

 黙って頷いた夜影に雪は頷きその手を引っ込めた。

 そして床に身を伏せている頼也の傍に寄った。

「主もようやった。ご苦労であったな。」

 頼也の頭を撫でながらそう言う雪に頼也は小さく返答した。

 何と言ったのか雪の耳には届いたであろうが他の誰にも聞きとれなかった。

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