第144話暴走の毒牙
頼也が戻った時、夜影は我が子の首と胴を繋げるように縫い合わせているところであった。
その目は見開かれ狂気を孕んでいる。
その口から零れ落ちる音が歌うようで心をざわつかせた。
それを見続けることができず頼也はすぐに部屋の外へ出た。
込み上げるものを吐き出して、まだ残る吐き気に息を切らせる。
震えるこの身を再び夜影の傍に向かわせることは不可能に思えた。
目を強く閉じて両手で耳を塞ぎ蹲った。
蠢く濁流に気が狂いそうだった。
頼也を見掛けた冬獅郎が駆け寄り背を擦る。
その内また嘔吐したが最早吐くものなど腹にも残っていない。
この状態では夜影を正気に戻すどころか頼也まで正気を失う。
冬獅郎も焦りを感じていた。
夜影は頼也を、才造は伊鶴をと頼りにしている者を失うわけにはいかなかった。
一方才造の方は一旦は収まっていた怒りがまた吠えている。
伊鶴が抑えていてもそれは時間の問題で、いつ才造が噛み殺さんと暴れだすかわからない。
才造の正気を取り戻す為には夜影が必須であるがその夜影の正気を取り戻す頼みの綱が限界を迎えている。
風が虎の如き唸り声を上げた。
冬獅郎は直ぐに虎太の訪れを察する。
降り立った虎太は頼也の様子を見て顔をしかめ、冬獅郎へ文を差し出した。
冬獅郎が文を読み今は武雷のあれだとかこれだとかを言っている場合ではないと草然の同盟の申し出を受け入れる返答を虎太に即答した。
そして夜影より先に才造が暴走していることを告げる。
才造の殺気からして虎太はそれには気付いていたが重要なのはあくまでも夜影の暴走の阻止。
頼也が震える手で虎太の腕を掴んだ。
「
掠れる震えた声が雪という何者かを欲する。
ただそれが何者なのか、何処にいるのかを聞き出す前に頼也の意識が放られた。
雪が何者なのか、冬獅郎もわからない。
虎太の記憶にも残っていない。
だがその存在が頼りか。
虎太は草然へ知らせに戻り直ぐに雪の捜索に向かうことを決め風となった。
冬獅郎は頼也を放れず抱えて離れた部屋へ連れ戻った。
それから少しして伊鶴の捕縛から才造が解放されてしまったのであろう強い殺気が音と共に遠吠えを上げた。
伊鶴は疲労から直ぐに追うことができず、海斗がそれに代わるかのように霧を追っていった。
才造の気配が失せたからであろうか、夜影がいた部屋から妖気が溢れ異様な空気に満たされる。
冬獅郎は直感的に頼也がそれに触れてはならないと思い抱えて離れたが武雷を覆うかのような広がり方に舌打ちをした。
十勇士の夜影の様子を覗きに行く勇気は恐怖に呑まれて失せていた。
案の定頼也が苦しみ始め冬獅郎は草然へと頼也を抱えて走った。
頼也の気配すら失せると夜影はいよいよ殺気を持ち出した。
このまま十勇士が順に武雷から失せればどうなるかはわからない。
しかしこの異様な中に長居することに苦痛があった。
残る夜影以外の十勇士は武雷から離れた。
そして才造の暴走を抑えに向かう。
十勇士の気配が完全に失せ、夜影は妖の姿へと戻り始める。
夜影の殺気に部下の忍や武雷の者たちが次々と意識を失っていくのを知る者はいなかった。
ただこの異常なる噂は直ぐに広まった。
草然からの警告、武雷の異常なる噂が重なると次第に恐怖が全てを呑み込んだ。
大妖怪と呼ばれし妖の姿がそこにあることを知った忍らが各々の主に報告し武雷に憑き潜んでいた妖が目を覚ましたなどと噂が伝っていく。
それをどうにかしようと刃を向けた先にあったのは必ず死である。
積み重なりゆく死体、そして夜影がそれをどうこうするという様子もなく気配が何処にもないことから次第にあの妖が夜影なのではないかとまで人々は思うた。
そして恐怖を煽るように才造が霧と共にまるで狼の群れが襲い来る勢いで我が子を殺した忍の根元から殺し始めた。
夜影と才造の間に産まれし赤子を殺したということを後悔する間もなくその主は肉塊と化した。
様子を伺うとどうも十勇士が才造を止めようとしている動きがあるのだと知って警告も噂も真実と見た。
才造が怒り狂っている、夜影が大妖怪となっている、それをどうにかしようと草然と十勇士が動いている。
伝説の忍の虎太が必死に雪という者を探し求めており、きっとその雪という者がこれらを解決する唯一の頼りなのだとやっと理解したのである。
草然は冬獅郎が頼也を抱えて現れ膝をついて疲労を露にするのを動揺しつつ受け入れ客間に頼也を寝かせた。
此処まで事が酷くなったのは初めてのことだ。
夜影の暴走がまさかそういう形で表れるとは思わなんだ。
だが寧ろまだ良い方である。
武雷から動かず向かってくる者を殺すだけであるならば。
今の内はそうでもこれから動く可能性もあるのだ。
才造が疲労し弱ったところで封じ込まなければならないことも忘れてはならない。
この世の終わりかとでも思い込んでしまいそうになる。
冬獅郎も僅か身を休ませた程度で直ぐに才造の元へ向かった。
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