第141話器を傾け

 虎太と刃を交えた後、夜影は暫くしてその地へ戻った。

 虎太は当然居るはずもない。

 あの様子であれば次の代になるだろう。

 そう察した。

 己とは違い、死ねば永遠ではない存在。

 死すれど永遠の存在の己とは違い、うっかり殺してはならない。

 あれでもう何代目、とわざわざ言ってやるほど悪趣味ではない。

「夜影、どうした?」

「うんにゃ、ちょいと嫌気が差してね。」

 頼也は黙って夜影を撫でた。

 これがわかるとどうも悲しくなる。

 代がかわる度に初代が懐かしくなる。

 ある意味同一ではあるが、虎太ではない虎太と言ったところか。

 それを文句つけるならば己も己であって己ではない。

「虎太の腕も落ちたもんさね。」

「お前の腕が上がった。」

「両方かね。」

 普段ならば此処で喉を鳴らし笑うのだが、どうにも笑えそうにない。

 それがわかっていて頼也は来た。

 才造では駄目なのだということはわかっている。

 たとえ旦那でも、今は今この気持ちではどうにもできない。

「…寂しいか。」

「ずっとね。」

 虎太の何が、とまではわからないが。

 いや、わからなくていい。

 ただ静かにいつもより少ない血を見下ろしていた。

 虎太が声を発したことがあった。

 その時夜影は反射的にその頬をぶん殴って、その口で喋るなと激怒した。

 頼也だけそれを実際に見ていたがその怒りが異様であったのがわかる。

 まるで偽物が本物であるかのような完璧さで喋ったのが気に食わないと言いたげだ。

 そう感じた。

 殴って、蹴り倒して、首を締め上げて、尚怒鳴った。

 あんなにも睨み付けて、息を切らせて。

 その口で喋ってくれるな、と。

 不思議にも虎太は口を閉じたまま反撃もしなかった。

 きっと驚いただろう。

 そして夜影には怒気はあっても殺意や殺気は微塵も露にしなかった。

 宥めれば直ぐにその手を離したが拗ねていたのを覚えている。

 それと同じなのだ。

 今は、それに関連するようだ。

 何かを言われたわけでもないだろう。

 いつも通りだったろう。

 だが夜影は何かを感じとったという具合か。

 そこに二人並んで座り込んで、空を見上げる。

「………殺してないよ。」

「あぁ。」

 もう一度頭を撫でてやる。

 これが褒めなのか慰めなのかはわからない。

 わからないのだがこれでいい。

 頬を両手で包む。

 母親がしてくれたように、目を閉じて額を合わせる。

 夜影に集中して。

 体温が上がってきた。

 頭の中に流れ込む。

 濁流のように。

 その中にあるただ一つの感情を取り出す想像をする。

 そうしてそれを増幅させる気持ちで。

 手を離し目を開けて夜影を真っ直ぐと見つめる。

 夜影も大分落ち着いたようで、やっと笑んでくれた。

「頼也、ありがとね。落ち着いた。」

「…そうか。良かった。」

 どうしてこれで落ち着けるのかもわからない。

 だがそうすれば親友は気が楽になる。

 ならばわからずともいい。

 どうすればいいのかさえわかれば、その仕組みは知らずとも。

 微風を感じて、目を閉じる。

 血を見たせいか、少し心がざわついている。

 夜影のものか、虎太のものか気になり流血するほどの傷があるのか確かめようと思った。

 これだけ時間が経っていれば既に隠されていても可笑しくはない。

 それでも探した。

 腕から手を、顔から首を、太股から足を、その体に残されていないか。

「頼也、気になるのはわかるんだけど…。」

 苦笑する夜影の声に我に返った。

 掴んでいた手を離し目を細める。

 見てわかる傷はなかった。

「すまない。痛むところは?」

「気にしなさんな。」

 伝説とはいえ相手も伝説。

 あれを相手にすれば一つ二つとあって当然だ。

 それはわかっているが、死なないとわかっているが…。

「もう楽になった。」

 そこに寝転んだ夜影を見下ろした。

 あの日見た死体のようではなく、安堵する。

 苦しそうな顔で逝ったあの死体とそこに広がる血ではない。

 笑んで寝転がる夜影とそこに落ちている僅かな血とは違う。

 重なりながら重なりきらない風景を見下ろしていた。

「…帰ろうか。」

「傷は隠さず才造に治療してもらってくれ。」

「今回はそうするよ。」

 その横顔を見ながら烏の鳴き声を聞いていた。

 思い出そうにも思い出せる風景があまりにも少なすぎた。

 目を塞いでいたばっかりに。

 溜め息を飲み込んで、前を見つめ走る。

 夕の色を引き裂いて突き進む。

 器へ記憶を流し込んでいく掌が重たく感じていた。

 死ぬ前に入れ替わらなくてはならない。

 伝説を殺さなければならない。

 それと同時に殺したくはないのだという感情までも流れ込んできた。

 記憶から馴染んで、体が完全に虎太へと成るにはあと少しかかる。

 あの時夜影が明らかな手加減をしていたことを別の器でありながらも考えていた。

 殺すつもりは最初からなく、遊んでいるつもりもないということまでは察している。

 だがその故まではどの器もわかってはいなかった。

 だから余計に殺し難く、嫌気が差した。

 互いに嫌気が差していて、器を傾け中に揺らぐその己というものをどうにか捨ててしまいたくなっていた。

 それと同時にそいつの器を傾けてそいつの己を引き摺り出してかつてを感じたくもあった。

 中身だけを欲していた。

 なんだか無性に寂しくて。

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