第132話仲に余裕を

 あの後は才造へ飛び込んで、震えながら散々言葉を言い散らかした。

 そのどれもこれもが酷くて、途中からは最早何を言っているのか言っている夜影自身にさえわからなくなっていた。

 それをただ頷いて聞いていた才造と頼也は顔を見合わせた。

 たとえ誰にそれをされたとしてもこんなにも動揺することなぞ有り得ない。

 言い散らかした後は仕事さえまともにできない状態で、筆を紙に叩きつけて墨で狂気的な文字を連ねたり、何の意味も持たない音をただ叫んでいたりと、動揺という言葉では収まらない異常な状態に陥っていた。

 それも長くはなく数日すると何事もなかったかのように収まっていた。

 それでもあのことがあってからは名を呼ばれても返事をしないし、来るのは決まって才造であった。

「夜影はどうした。」

「任務へ出ております。」

 毎度同じ返答に溜息をつく。

 だが溜息をつきたいのは才造の方である。

 その頃夜影は逃げるように敵の武将の元へ現れていた。

 酒を共に飲んで、あったことをつらつらと話し、しかめっ面になる。

 それには主従の距離感がどうのとかを思うたが、この忍が感じておるところはちがうのであろうと言葉を飲み込む。

「で、結局は主にどうなってもらいたい。」

 その答えからどうにかできるものなればどうにかしてやろうと思っていた。

 敵とはいえども、これはあまりにも酷い。

 忍が逃れようと、それもこの忍が拒絶を強く露わにするとなると。

「主様にゃ自分勝手でいて欲しいさ。我が道、手のかかるお馬鹿さんでいいの。忍のあれやこれに察しをつけて手を出してこなくていい。」

 すんなりと忍は答えた。

 主の言動や思考に嫌気が差して、それでもそれが心底のものではないということくらいは見抜いておる。

 あまり変になってくれるな、と言いたいのだろう。

 心底にある己のままに自分勝手であった方がかえって楽で、忍の好みや性格にまで触れて更にはそれに合わせた物の始末をされると合わなくなる。

「たとえそれが良心からであってもね。こちとらが影になってやるってんだからとんでもないことしないで欲しいね。まったく。」

 されたことに動揺したこと、動揺どころか気が可笑しくなったことは夜影も自覚も反省もある。

 たった一つのくだらないことくらい流してしまえば良かったのだ。

 この忍は忍らしさを抜かしていっそ人間らしい。

 酒をまた一口飲んでから忍は静かに礼と謝罪をして立ち去った。

 話せば話すほどに冷めて、くだらないと笑える余裕が戻ったのだろう。

 その帰り際の表情は苦笑であった。

 夜影が戻ったあとも未だに呼び声に反応はない。

 その後日、夜影から話を聞いた敵の武将が訪れて、苦笑の顔でその酒の場を語った。

「貴殿の忍もなかなかだ。貴殿も一つの人であるからこそなのだろうが、蛇足であったな。」

「そうか。申し訳ない。」

「己であれ、とあの忍が申すのだ。貴殿の道へ追って行けぬのならばそれまで。貴殿の影を影と思わねばならぬ。」

 その様子を勿論夜影は眺めていた。

 去り際見送りつつ頬を掻いた。

 まさかこの口から言わねばならぬものを言わせてしまうなんて。

「借り一つ、如何に返そうかね?」

「ならばまた酒の相手になってくれ。それで良い。」

 笑いながら立ち去るのを見つめ、大きく溜息を零す。

 それから主様に向き合うて、頭を丁寧に下げた。

 手を払い退けたあの時から今までの無礼を謝罪し、もうこれの次は暫くないと申す。

 決して二度目がないとは言わない辺りが脅し混じりで、あちらもようわかっただろうしもうそれ以上も申さまい。

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