第131話わからず

「聞いてよ。ありゃ、正気の沙汰じゃない。」

 杯を傾けて眉を潜ませる。

 一番嫌なものと出会ってしまったかもしれない。

「お前がそう言うとは、相当か。」

「相当、悪趣味。ないね。ありゃないって。本当に最悪だよ。」

 我が主様の印象は最低にあって、それをただただ垂れ流している。

 敵の武将の前に胡座をかいて、その酒に付き合っていた。

 それで主様を話題に出されたら途端に冷めてしまう。

 片手で手を振りながらしかめっ面。

「あんなのお断りだね。同族嫌悪をわざとさせてるみたいじゃんか。」

「同族嫌悪…か…。」

 夜影を知り目の前に来て、何を思ったか本気であんな言を。

 己がもう一人いたならそれを嫌う。

 それを嫌えばとことん嫌って殺したくなる。

 それが微妙に己と異なって、それが主様。

 最悪な場合、というわけだ。

 杯に残った酒を飲み干して首に指を添える。

「…で?お前としちゃどうなって欲しい?主にどうあってくれりゃ満足なんだ?」

 そう言われると、それを言うのは少し違うと首を振った。

 どうとでもなりゃいいんじゃないの。

 ただの自己満足に足を揃えなくったっていいのだ。

「別に願望を言うだけならいいだろうが。」

「じゃあ、この話は次の酒のつまみということで。部下の報告書がそろそろ出来上がるさ。」

 杯を置き、立ち上がる。

 そういえば、こうして忍を酒の相手に誘うこの武将も可笑しな奴だ。

「ああ。またな。」

 微笑む顔に、気に入られたらしいと舌打ちをして飛び立った。

 戻れば丁度部下の報告書が出来上がり、それを受け取った。

 主様のお呼びに溜め息をつきながら報告書を懐にしまうとさっさと向かう。

「此処に。」

「夜影、近う寄れ。」

 出来れば近くには寄りたくない。

 それでも従って傍まで行ってやると腕を掴まれ引き寄せられた。

 何を企んでいるのやら、と目をそらす。

 それから抱き締められたことに体が硬直した。

 目を見開き、しかしそのお顔を見ようともできなかった。

 ゆるり、ゆるりと掌がこの頭を撫でて、ぞくりとする。

 顔に熱が集まるのを感じて、俯いた。

「夜影は、こうされるのを好むのだろう?」

 抵抗できないことを知っておいでか。

 好きも何も、そんなことをされては。

 鼓動が聞こえ、次第に落ち着いていく自身にそれではならないと意識を叩いたがこれにはどうにもできなかった。

 なんなんだって叫びたくもなったが、もう声も出ない。

 強い拘束ではないのに、動くことはできなかった。

「夜影。」

 名を呼ばれ僅か肩を跳ねさせ顔を上に、その満足げなお顔へと向ける。

 目が合わぬように、そう思っても自然とその瞳に吸い寄せられて上手くそらすことができなかった。

 背景を見ることを意識で、否、無意識から背景へ目を凝らそうとしていた。

「任務、ご苦労だったな。」

 後ろの方で才造の気配が揺れて、どうにかそっちへ逃れられないものかと思い始めていた。

 きっと、才造がそこで見ているのに気付いていない。

 それはただの願望であったが、実際才造の気配に気付いていたのは夜影だけであった。

 解放されて足が震えてふらついたのを主様は気にしたのであろう手を差し出してきたが、その手をあろうことか払い退けて才造の方へと影を纏って逃げ去った。

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