第130話縁起の悪いが
「夜影、と呼んでも良いか?」
「お好きにどうぞ。」
畏まらぬ忍とも知っていたろうその口が、外した声で返答したこの口を怒鳴ることはやはり無かった。
最初から、そうまた最初から。
それでももう堅苦しい話は必要ない。
「夜影、首を絞められたのか。殺されたのか。」
突然にそう言ってこの首についた痕を指の腹でなぞってくる。
喉仏に差し掛かったところで唾を飲み込んだ。
あの痛く苦しいことは二度も三度も欲しくない。
急所のひとつ触れられたくらいで緊張するよな柄じゃないけど、流石についさっきやられたところだと仕方がない。
「殺されたのだな。目元にも残っておるぞ。」
「隠そうとも思ったんだけどね。」
疑いも迷いもないらしい。
はっきりと殺されたのだと言いきった。
確かにそうだ。
首も斬ってご丁寧にも何処ぞに埋めてまでしてくれた。
あの手に一切の躊躇もない。
恐ろしい話さ。
「して、殺されたものが何故生きておる。」
「忍だからね。」
「そうか…。」
簡単に納得できるなんて、この主様は少し可笑しなお人様だ。
本当は納得してないのかもしれないし、どうせ明かさないとわかってて諦めがあるのかもしれない。
面倒ではない、というだけのこと。
「誰だ。誰に殺された。」
「誰だろうね。」
「察しはつく。どれ、文でも送ろう。」
そうして筆を取るんだから気味が悪かった。
正気じゃないよ、まったく。
冗談じゃない…これじゃあまるで…。
そこで思考を停止させた。
まぁ、これはこれでいいんじゃないの。
ちょいと気分が悪いだけさ。
「で、それをこちとらに渡しに行けって命令するんでしょう?悪趣味も此処までいくと笑えませんよ。」
筆に迷いもなければ勢いもない。
書くことはそもそも最初から用意されていたかのような。
騙された気持ちにしかなれない。
主様は当然のように笑顔で文を差し出してくる。
「なに、夜影のことだ。からかいのひとつやふたつ、何と言うこともなかろ。」
差し出されれば受けとるしかない。
ひきつる笑みでそれを懐へ収める。
「はいはい。」
まさかこのお人様はこちとらの今までを知って真似でもしているのか。
いやまさか。
たとえ伝説だといえども、忍。
忍の真似事なんぞ、武士がする必要なぞない。
天井から文を差し出してやって笑ってやる。
これに心底嫌気がさした。
「貴様……ッ、何故…。」
「我が主から文ですよ、っと。いやぁ、あの時はどうもー。」
何が楽しくてこんなからかいを。
やんない方がいいに決まってる。
気持ち悪くて仕方がないよ。
恐怖と不愉快を浮かべる顔にも喜べなかった。
「降りてこぬか。」
「お断りだね。あんたに二度も三度も首をやられちゃたまったもんじゃない。」
だから、もう二度としないでよ。
こんなの、ないよ。
隠してりゃ良かったんだ。
「何のことだ。」
「何のって、心当たりは一つでしょう?絞めて斬って埋めて、ご丁寧にもね。」
瞳が揺れている。
その殺した証拠は目に見えるほどに残っている。
嫌な話だよ。
「お返事、頂戴よ。」
「彼処には何が埋まってんだ?」
首の埋めたところにゃ、何にも埋まってやいないさ。
そうでしょう。
掘り起こしたって仕方がないのさ。
「そんなの、あんた様が一番よく知ってるだろうに。」
早く終わらせて帰ろう。
嫌な命令だ。
わざわざ己の忍を殺した相手様にからかいに行けだなんて。
「嗚呼、そんな顔しないでよ。こちとらだって嫌なんだから。」
思わず放った愚痴に眉を下げられる。
そしてもう一度、降りてこいなんて命令してくる。
二度も断れない、この失礼も一度きり。
ちゃんと降りてやって、その手が首に伸びてくるのに逃げないでやる。
もう殺意がないらしいから。
「殺した…よな…?」
その指の腹が痕をたどって撫でる。
親指で潰された喉仏で指が止まって険しい顔を浮かべて見つめている。
嘘なんかじゃない。
「ちゃぁんと、あんた様に殺されたさ。」
証拠も隠しちゃいないんだから。
こうしてなぞっても消えはしないだろう?
まったく嫌だよね。
お互いさぁ。
「からかいに来たには乗り気じゃないな。」
「まぁね。本気でからかいに来てりゃもうちっとあんた様を揺さぶるさ。」
手を話して文を広げる。
そこに連なる文字をその瞳が追っておくのを眺めていた。
気味が悪い内容なんだろうね。
「流石に冷めた。これが心底か。」
「心中お察ししますよ。兎も角、もう二度はしないでね。」
返事をわざわざ今書こうと筆に手を伸ばす様を眺める。
「このことは水に流せそうか?」
「どうだか。気持ち的には流したいとこだけどね。」
その傍に腰を降ろして奇妙な会話を続ける。
殺し殺された仲なのに、それがかえってどうでもよく感じてる。
「あやつはならぬ。」
「そうかい。」
「貴様は夜影だろう?夜影の書物で育ったようなあやつは貴様でも難だろう。」
同情されてもね。
片手で首を軽く掴んでくる。
そして親指の腹で喉仏をゆるゆると撫でた。
「痛いか。」
「もう痛くはないさ。けどね、痛かったんだよ。」
あの時は。
当然だけど、わざと重ねておいた。
やけに優しくしてくれるじゃないの。
「ほれ、返事はこれでよかろ。いっそ貴様も逃げればいい。」
「さぁて、それができるかな。返事ありがとさん。嗚呼それと、この首もね。」
立ち去り際くらい、嫌味を噛み潰したい。
走って戻れば主様は変わらず待っていた。
「早かったな。」
「最悪な命令だったね。」
「何を言う。これが夜影ではないか。」
「はっきり言っていいかい?」
このひきつる笑顔も露骨。
目を細める主様に無礼もわかっていて背を向ける。
「言えぬくせにか。」
それを言われちゃ言えないね。
苦笑して、言われたくなけりゃ賢明だなんて思うた。
曖昧にさえものを言わず退散することにした。
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